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07-20 ロザリンドのきもち




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 一方こちらアリエルに退場を言い渡したけれど、ガールズトークに花が咲くような雰囲気ではない重苦しい空気に支配された部屋で、ロザリンドは何か考え事でもしているように視線も定まらないほど狼狽うろたえてる。


 先ほど『どうせひいらぎでしょ?』と言ったは良かったけれど、ロザリンドにとって柊芹香ひいらぎせりかとは、トラウマであり天敵のような女だった。名前を出すだけで気分がすぐれなくなる。


 ロザリンドの前身、常盤美月ときわみつきは、柊芹香ひいらぎせりかが苦手だった。

 自分とひいらぎを比べてみて、勝てそうな事柄が一つもない。ロザリンドにとって柊芹香ひいらぎせりかはコンプレックスそのものだった。


 確かにロザリンドはこの世界に転生し、魔人族として生まれることで肉体的にも精神的にも、日本人、常盤美月ときわみつきと比べるべくもなくはるかに強くなった。だがしかし、あの柊芹香ひいらぎせりかを超えるどころか、いまは遠く遥かな高みにいるのを泥濘の下から見上げているようにすら感じている。

 

 力を得たことにより、過去の自分がまるで理解することなど叶わなかった相手の計り知れない実力を、今なら少しだけでも理解できるようになったというだけの話だ。

 それで柊芹香ひいらぎせりかとの差はびた1ミリたりとも埋まるどころか、いまは計り知れない距離を実感している。



 柊芹香ひいらぎせりかのことを考えると表情が曇るのも、鍛錬して強くなればなるほど、相手の実力が分かるようになり、その距離の遠さに絶望しているからだ。


 アリエルは言った。

 柊芹香ひいらぎせりかの正体が、あの女神ジュノーだと。

 そのことが頭から離れないロザリンドは、あの日から得も言われぬ不安を抱えていて、それを解消する手段が思いつかない。


 アリエルと愛し合い、子をして、マローニというヒト族の街に受け入れられ、温かな家庭を築き、人並み? いやちがう。人並み以上に幸せなんだという自負はある。


 ひいらぎがあの女神ジュノーだってことも驚いたし、ゾフィーが奥さんだったってことにも平常心じゃあいられない。


 でもロザリンドにとって、そんなことは小さな、本当に些細なことだった。


「ねえパシテー、ゾフィーの話なんてどこから出てきたの?」

「セカの神々の道からレダちゃん送っていくとき、兄さまが転移魔法陣を起動したら向こうから出たの」


「出たって? え? ゾフィーが姿を現したの?」

「うん」


「いまゾフィーはどこにいるの?」

「消えたの、実体はなかったの」


「へー、映像だけ飛ばしたりもできるんだ。何でもアリなんだね。ゾフィーって……」


 すこし投げやりになったように応えるロザリンドを気遣うパシテー。

「姉さま、怒ってないの?」


「怒ってるわよ。……大切な人の事を簡単に忘れてしまう事にね。奥さんなんでしょ? なんで忘れられるわけ? 腹が立つよりも、なんだか情けないよ」


「違うの。ジュノーが記憶を消し忘れた? みたいなの」

ジュノーが記憶を消してたってこと? 記憶を消すような魔法があるの?」


 記憶消去? 人の脳に作用して都合よく記憶を失わせるような魔法があるということなのだろうか。

 もしロザリンドがジュノーを敵に回していざ戦おうとしたら、敵だったことすら覚えてない可能性もあるということだし、そもそも今現在、自分が覚えてる記憶や思い出ですら怪しくなってくる。


 手のひらに油性マジックか何かで書いておくとか、そんな古典的な対策しか思い浮かばない……。


 ロザリンドは魔法のことに明るくない。チラッとコーディリアを見て反応を確かめはしたけれど、コーディリアでも記憶を消す魔法には知識がないようだ。しかし記憶を覗く魔法があった。それはてくてくが得意としていたはずだ。


「記憶ってそもそも闇の領分だったと思うんだけど、そんなのを光の真祖とまで言われてる女神ジュノーが使えたなんて、私には違和感しか感じないんだけどね……、ゾフィーと何を話したの?」


「ゾフィーは『一緒に死ねなくてごめんなさい』って……いってたの」

「死ねなかった? 他には?」


「兄さまをベルフェゴールって呼んだの『私のベルフェゴール、愛してるわ。ずっと』って……姉さま、ゾフィーを助けないと。ずっと捕まってるの。二万年も」


「「「にまんねん??」」」


「常識がブッ飛んでるって。二万年も生きられるワケがないでしょ!」

「私よく分からないけど、ゾフィーは時間の止まった結界に閉じ込められてるの。出られないって。もうダメなんだって言ってたの」


 こうなるとコーディリアが止まらない。コーディリアは古代エルフの魔導、つまり魔法陣を研究していて、魔法陣を研究すると必ずゾフィーのことも学ぶからだ。

 

「時間の止まった結界? でもそれって時空魔法よね? 神話戦争の頃って、時空魔法なんてデタラメな魔法を使えるような人が何人もいたって事? でも結界って何だろう」


 話が難しい方向に行ってしまいそうだが興味はあるのだろう、ビアンカは簡単に説明してくれるよう求めた。


「ねえコーディリアさん、時空魔法って何? 聞いたことないのだけど」


「ああ義姉さんはどう説明すれば分かりやすいのかなあ。魔導学院の学生でも古代魔法の研究者ぐらいしか存在を知らないと思うんだけど、時間と空間を操る魔法って言われてる。転移魔法が有名よね、転移魔法陣は時空魔法を設置型の魔法陣に組み込んで動かしているの。今はもう使い手は居なくなって久しい、失われた魔導なんだけどね……アリエルは転移魔法陣を通行料なしのタダで使えるっていうしさ、おかしいと思ってたんだよね」


 コーディリアは転移魔法というのが大変な魔法のように言った。だがしかし魔法使いでもないビアンカにはそう大変なことのようには思えなかった。


「え? 転移魔法なら知ってます。アリエルは転移魔法使えたわよね? 朝、手桶とか手拭いとか、出したり引っ込めたりとか。コーディリア知らない?」


「知らないわよ! 義姉さんそれ大変な事よ? ロザリンド? パシテー、本当なの?」


「うん。あのひと転移魔法は普通に使ってるわよね。何? そんなにすごいことなの?」


「旅に出た時すごい便利なの」


「凄いなんてもんじゃないわよ! 古代のロストマギカよ! 今はもう使い手もいない失われた魔法なの」


「確かに凄いわよね、だってアリエルは旅に出る時も手ぶらで出かけるのよ? 便利な世の中になったわ」


「義姉さんに言わせるとすっごい庶民的な魔法に思えちゃうんだけど……ねえパシテー、転移魔法の原理わかるの?」


「ダメなの。サッパリなの。一度倒れたの」


「やっぱアリエルに直接聞いた方が早いよね! ゾフィーの件も!」


 コーディリアはすぐにでも飛び出してアリエルの首根っこをひっ捕まえに行きそうになったがロザリンドが止めた。転移魔法なんて桁違いの難易度を誇る高位魔法なんだから、ビアンカが考えてるほど簡単に使えるようなものではない。


「ねえパシテー。ゾフィー……他には? 何か言ってた?」

「もうダメだから探さないで今の家族を大事にしてって言ってたの。異世界に閉じ込められているから探しても無駄みたいな感じだったの……あと、たぶんゾフィーはヤクシニー」


 ヤクシニーとは神話戦争で語られる破壊神アシュタロスの妻で、多くの英雄たちを殺したと言われる恐ろしい魔物だった。コーディリアはパシテーに詰め寄る。


「ちょっと待って。ヤクシニーって大悪魔じゃん。じゃあ、さっき言ったベルフェゴールは? アシュタロスってこと?」


「たぶん」

「仮にヤクシニーがゾフィーだとして、じゃあリリスは?」


 リリスとは全てを焼き尽くす熱光学魔法の使い手で、強力な爆破魔法を使ってこの世界の7割を滅ぼしたアシュタロスの眷属と言われている。


「リリスはジュノー」


「え――――――――っ、誰がそんな事いったのよ?」

「言葉を濁してたけど、アリー教授はきっとそう結論付けているの」


「マジでぇぇぇぇ!? アリー教授に限って適当なこと言う訳がないわ……ちゃんとした根拠があるのね」


「でもユピテルを暗殺したのはジュノーじゃなくてベルフェゴールなの」


「アリー教授が見解を変えたの?」


「ううん、兄さまが断言したの。ジュノーの名誉のために言っておくって。ユピテルを殺したのはベルフェゴールだって」


「気になるわね、まるで自分が見てきたみたいな言い方ね。じゃあアリエルがゾフィーの夫ベルフェゴールでアシュタロスってこと?……義姉さんすごいの生んだわね」


 言ったコーディリアが飛び上がった。

 尻を思いっきりつねられたらしい。つねったのはコーディリアの母オフィーリアだった。


「ガサツな娘が失礼なことを……」


「いえ、私たち夫婦もなんとなく分かってたんです。ベルセリウス家にもセンジュ家も魔導師になれるような血筋ではなかったですし、もしかしたら神子かんなぎなんじゃないかってトリトンも言ったことあるんです。でもアリエルはアリエルですよ。私の子で間違いありませんから。ゾフィーにもジュノーにも会ってみたいものね。奥さんなんでしょ?」


 気軽にジュノーと会ってみたいなんていうビアンカに、知らぬが仏といわんばかりの呆れた表情をみせるロザリンド。


ひいらぎかあ、わたし苦手だなあ」

「ロザリンドさん、お話を聞いていたのですが、あなた……知り合いなの? あの光の女神と?」


「……すっごい苦手だけど、ちょっとだけ知ってる」


 訝るフィービーはパシテーを問いただそうとした。

「パシティア……アシュタロスって……あの神話に出てくる破壊神の? じゃあ何? アシュタロス、ヤクシニーとリリスにブルネットの魔女が加わるの? お母さんは許しませんよ」


「私だけじゃないの、姉さまも何か酷い異名付けられて加わるの。だけど違うの、きっと事実が捻じ曲げられてるの」


 パシテーは何かの間違いだと言った。

 しかしフィービーはアリエルの戦闘を目撃している。セルダル家の扉を守る魔導師として招かれざる客の進攻を止める役目を仰せつかった、途中、あの悪名高い死神とその眷属、ブルネットの魔女がたった二人で暴れているのだと聞いたが、屋敷の庭を守る衛兵たちの数からすると、まさか扉の前までたどり着けるなどとは誰も想像できなかったというのに……戦場は残酷だった。一瞬で大勢の命が奪われるのをその場で目撃し、体験したのだ。


 事実が捻じ曲げられているというのも確かなのだろう。しかし捻じ曲げられていようがいまいが、フィービーが垣間見たアリエルの戦闘力は計り知れなかった。


 魔導師というものは、剣士の背後に隠れて後衛に徹し、前衛が剣をもって戦う補助をするのに魔法を繰り出すものだと思っていたし、現に14年前、王都で10人の人さらいに襲われた時もそうだった。善戦したけれど結局のところ盗賊や人さらいなどという低レベルな輩の後塵を拝することとなった。


 祖母を奪われ、娘を逃がすことだけで精一杯よくやったと、自分で自分を慰めてはいたが、どうやらそれも誤りだったらしい。魔導を追究していれば、あのような輩に大切な人を奪われることなどなかったのかもしれないと、今になって悔やんでいる。


 魔導師は所詮魔導師、いくら強力な魔導が使えたところで強化魔法をかけた剣士とは戦えないというのが通説だったのに、アリエルの戦闘はそれをいとも簡単に覆して見せた。


 垣間見せた戦闘は人外の所業だった。フィービーはアリエルの戦闘を見たのだ。

 あの死神が実は生まれ変わりの不死者、世界を滅ぼす破壊神アシュタロスだったと言われても、疑う要素を持たない。『えーまさか?』『うっそー?』なんて軽口、とてもじゃないけど言えない。ただ、そんな大量破壊兵器のように危険な男のことを好きになって、どこまでも着いて行くなんて言う娘のことが心配で、軽いめまいを覚えた。


 頭を抱えてうなだれるフィービーをコーディリアが気遣う。

「フィービーさん、大丈夫ですよ。ジュノーが神話戦争に出てこないのもおかしいし、ゾフィーは存在ごといなかったことになってるしね。何かが捻じ曲げられてるというのは本当ですよ」


「姉さま……ゾフィーを助けるの」


「うーん……、まずはてくてく先生にお願いしようかな。私もゾフィーを見てみたいし」

 すーすーと寝息を立てて気持ちよさそうに眠るサナトスの揺りかごを揺らしていたてくてくに視線が集まった。


「あー無理。ジュノーが封印した記憶をアタシが覗けるワケないのよ。何年か前 最初に覗いたときは異世界ばかり。内容は重複してるし順序もバラバラで記憶の奥底に奈落のような穴がぽっかりと口を開けてたのよ? 2万年近く生きた記憶が撒き散らされた迷宮のようになってるのよさ。下手に立ち入ったら迷って帰れなくなるのよ」


「それを見てみたいわ?」

「見ない方がいいのよ。アナタは特に」


 数年前てくてくに見せてもらった自分の過去の記憶、18で死んだはずがすでに大人びた深月アリエルジュノーの映像を見せられた。あの時の深月みつきはたぶん25ぐらいだった。


「そうだね、だってアリエルと私は昔、付き合ってたけど別れてるからね。ひいらぎに取られたんだ。パシテーも見たよね?」


 パシテーは何も言わずに俯いた。


 しかしいまのロザリンドの言葉は少し配慮に欠けていた。

 アリエルが転生者だということをハッキリさせた瞬間だった。それまでなんとなくそういうニュアンスはあったが、みんな意識的に言葉を避けていた。さっきコーディリアがオフィーリアにお尻をつねられたのも同じ理由からだ。


「ロザリンドさん? 差し支えなければ詳しく話していただけませんか?」


 あの時、深月みつきと自分は付き合ってて、恋人同士だった。

 深月みつきのマンションに行ったら女と一緒だった。


 ロザリンドはひとつ理解した。

 てくてくは見て、何かを知ってる。そうだ、てくてくはアリエルの記憶のみならず、自分の記憶を覗いたのだ。思い出したくない過去、封印してしまった記憶も。



 アリエルの前身、嵯峨野深月さがのみつきの側から常盤美月ときわみつきを見た記憶も、もちろん知っている。これを聞きだそうなんて飛んだプライバシーの侵害だ。

 もちろん てくてくが見ないほうがいいって言うのだから、さぞ酷い記憶が刻み込まれていたのだろう。


 ロザリンドは てくてくの手を借りず、自分の記憶を掘り起こしてみることにした。

 コンプレックスと苦手意識の塊、柊芹香ひいらぎせりかのことを。自分の覚えている限りを。



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 ロザリンドが日本人、常盤美月ときわみつきとして生きていたころ、柊芹香ひいらぎせりかとは敵対関係にあった。それもかなり劣勢で、ただ幼馴染で家が2軒隣に住んでいるという、たったそれだけのアドバンテージにより、戦えていたようなものだ。


 ひいらぎ……。そう、柊芹香ひいらぎせりか……実はあまりよく知らない。

 苦手意識が先行してしまって意図的に避けていた。


 タイセーが『常盤ときわひいらぎは仲が悪いと思っていた』というのも、だいたい皆の共通認識なんだろう。いまになって分かる不気味な恐ろしさと、まるで底の知れない強者のオーラ。ヒト族の言う女神ジュノーの印象とは、まるでかけ離れたものを感じる。


 苦手意識に思い出補正が乗ってヒステリーを起こしてるだけなら別にいいのだけれど『アレ』がそんな生易しい『モノ』じゃあないってことは本能で分かる。どちらかというと魔女、もしくは恐ろしい悪魔や災厄といったものに近い気がする。



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