01-15 トリトン・ベルセリウス 後編
20170723改訂
2021 0720 手直し
ノーデンリヒト領最初の開拓村には領主ベルセリウス家の屋敷があり、ここを暫定的に領都としている。初代領主トリトン・ベルセリウスの名にちなみ、領都トライトニアと申請した。ほとんど農家で50軒の開拓村を領都とか本気で言ってんのか? ってレベルなんだけど、こういうのは大きく出るのが王国の習わしなんだからそれでいい。
王都で正式に申請が通ると、正式にトライトニアと決まるが、まだ1年以上かかるはずだ。
ノーデンリヒトは東西に徒歩20日の広さを誇り、開拓村から南西に1日ほど歩くと峠の関所がある。そこを超えて南に行くとボトランジュ領に接続される。
また開拓村から北東方向1日歩くと北の砦。砦より北は寒帯の森が広がり、それより北東に行くとツンドラが広がる。
北の砦から北西に向かって海を渡ると、大陸の三分の一がが永久凍土、半分がツンドラというドーラ大陸になる。
人類の支配の最北端の要衝を守るのが国王よりトリトン・ベルセリウスに課せられた使命である。
つい先日のこと、砦で書類仕事をしていると、砦から北側の山の麓で猟をしている狩人の親子がやって来て、こともあろうに森で魔族を見たという。詳しく話を聞いたら、隠密行動に長けた猫の獣人『カッツェ』とスピードと戦闘力が高い『ウェルフ』が2人で森に沿った河川沿いに南下して、丘に上がったまでは見たという。なるほど、偵察隊だと思えば合点のいく行動だ。
魔族はすでにこの北の砦を偵察し、駐屯している兵力などの知られたくない情報は、すでにドーラに伝わったと考えるのが妥当だろう。
狩人には北側の森に近づかないよう言い含め、この砦やノーデンリヒト領内を都合よく偵察できる地点にあらかじめ巡回兵を送って押さえておく。警戒されていて常にこれぐらいの警備が敷かれていると思わせることで安易な騒乱を起こさせないようにする効果を期待してのことだ。
1年で侵攻してきたとしたら、大した兵力ではない。もしかするとここに駐屯している200名の兵力で押し返せるかもしれない。
準備に2年かけたとしたら、この砦の兵力じゃどうしようもないだろう。神聖典教会に頼んで神殿騎士を出してもらう必要があるんじゃないか?
もし敵が周到で、3年かけて準備したとしたら、酷い戦争になる。もし戦火がノーデンリヒトを飛び出して、ボトランジュのマローニにまで達したら、王国まるごと戦火に巻き込まれることになるかもしれない。
そうなるとできるだけ早く来てほしいもんだが、さすがにノーデンリヒトを取られて厳冬のドーラに押し込まれたのに散発的な騒乱で済ませようなんて思わないだろうからそれなりに兵力を整えてくると考えるべきだ。今回は敵も必死だ。奪われた土地を奪い返さなけりゃいけないのだから。
物見の兵の配置を済ませてあとは副官に引き継いだのでやっと家に帰ることができる。
砦から開拓村まで徒歩1日なので、馬なら3~4時間といったところだ。十分に通勤圏内である。
もう少し道を整備して獣の出ない安全な道にすれば間にひとつ村を作ってもいいなとか考えているところだったのに、魔族との戦いで砦を抜かれると僅か数時間でトライトニアに到達してしまうということだ。
そんなところに村をつくるなど、現在ノーデンリヒトが置かれている情勢が許さなかった。
公休の日、トリトンが自宅の居間でハチミツ酒を嗜んでいると、アリエルが暖炉の火かき棒立てにさしてあった木剣を見つけて手に取っているのだ。まさかアリエルがビアンカの胸を離れて剣を取る日が来るとは想像もしてなかったので少し喜んだのだが、その剣の扱い、剣の振り方、何かブツブツと言いながら振ってみては改善を繰り返し、どんどん鋭く、速くなっていく。父親として、剣士として驚かないわけがない。何しろ、誰も何も、剣の握り方ひとつ教えてはいないのだから。
もしやビアンカが教えたのかと思って聞いてみたが、
「私は知らないわ? 何の話?」と逆に質問で返されてしまった。
トリトンは生れて初めて、砦に駐屯している交代要員合わせて200人の兵士、いまは離れて王都に居る王国騎士団の同僚たちみんな、実家の親父や母上、兄上たちみんなに、自分の息子を自慢して回りたいという衝動に駆られた。
何しろ他人の才能なんてのは、いままでは妬みの対象でしかなかったのに、こと息子の出来がいいと無暗やたらに自慢しまくりたくなるという親父の気持ちがいま、これでもかというほどに理解できたのだ。
アリエルに家庭教師を。
ビアンカにお願いしよう。
そして、その日ビアンカに砦であったこと、魔族のことを話し、アリエルに家庭教師をつけるのに賛成してもらえるよう話し、翌日すぐ、ボトランジュのマローニまで家庭教師を探してくれるよう使いを出したが、その派遣先というのが、ただ厳しいばかりの地であるノーデンリヒトであることから、まともな教員はなかなか見つからず、魔導学院の教授であったグレアノット老師に頼み込んで来てもらえるようになるまで相当な時間がかかった。
家庭教師はトリトンの留守中に到着し、どうやらアリエルとは良好な関係を築いでいるようだが、ある日、帰ったら家の庭の花壇を含む三分の一ぐらいの広範囲が破壊されていることに気が付いた。これは高位の水魔法の破壊痕だ。高位の水魔法を使える魔導師なんてそうそういない。
あの爺さん、相当な腕前なんだろう。いずれ来る魔族を撃退するための戦力としてスカウトしたいぐらいだ。
せっせと花を育てていた花壇を破壊されて、案の定ポーシャはカンカンに怒っている。
カンカンに怒りすぎて怒りの矛先がトリトンに向かっている。
あまり気乗りはしないし、キャラじゃないのだが、ポーシャがうるさいので小言を言うために居間に呼び出してはみたものの、よくよく話を聞いてみると真実は驚きの裏側に隠されていた。
どうやらあの高位の水魔法はアリエルの仕業だったらしい。まさか。
周りを見渡してみると、ポーシャもビアンカもクレシダも、みんな驚いた顔をしている。うん、さすがアリエルだ。もっとみんなを驚かせてやれ……とニヤニヤしていたら、屋敷の西側の空き地を取られてしまった。しかも資材まで用意させられることに。
まあ息子の教育の費用なんだから仕方がないと快諾したら、翌朝、グレアノット教授は小さな砦が出来てしまうぐらいの資材を要求してきた。息子に何をさせるつもりだこの老人は。
それはいくら何でも多すぎると資材の減量をお願いしたのだが、それならば少しアリエルの教練を見てほしい、その結果に納得したらその資材に応えてほしいと言われ、それならと約束してしまった。というか、約束させられてしまったのだ。
隣の空き地をチラッと見たら、アリエルが木剣を振っている。
ちょっとした空き時間でもああやって剣をいじってる。アリエルは剣が好きなんだな。
グレアノット老師と一緒に隣の空き地に行くと、アリエルは父が見ているなら強化魔法を勉強したいと言う。面白い。今日これから初めて強化魔法の起動式を組み立てて、初の立ち合いに父を指名しているのだ。鍛錬の成果ではなく、才能のみを私にぶつけようという。
よし、
「ほう、それは面白そうだ。ちょっと屋敷に戻って支度をしてくるので、やっててくれていい」
なんだかこっちがワクワクしてきた。
屋敷の塀で見えなくなってから小走りでポーシャの居る使用人室に寄って鎧の準備をお願いして、ビアンカのいる二階の私室へ。
「ビアンカ、面白いことになったぞ、これからアリエルと立合ってくる」
「えーっ? 早くないですか?」
「それがアリエルからの指名だ。わはは」
「やる気を無くさせないように、ちゃんと打たれてあげるのよ?」
「当たり前だ。アリエルの最初の剣を受けるのはこの私なんだからな」
ポーシャが鎧の準備をしてくれている間に、馬屋の横の倉庫に立ててあった刃引きの剣を二振り引っ張り出した。これを両手持ちにすると柄が短くて持ちにくいだろうけど、まあ最初はだいたいそんなもんさ。この国では15歳で元服するとき剣を与えられる。それまでは道具としてナイフや短剣か、武器としては木剣を持つ以外には許されないのだから、子供向けの両手持ち剣なんてものはない。
ポーシャとクレシダが木箱に入った鎧を引っ張り出してきてくれた。
着用するのにも助けがないとなかなか難しいプレートメイルだ。
居間で鎧を着せてもらっていると、ビアンカは窓の外を見ながら表情を失っている。……ように見えた。アリエルの鍛錬を覗き見しているのだろうが……。
「ビアンカ?」
ビアンカは外に目を奪われていて、呼んでも反応がない。
何を見てるんだ? と目をやると、ものすごいスピードで地面を滑るように移動するアリエルの姿が。
そして大きくジャンプすると……なんとアリエルは王城の城壁を超えそうな高さを飛んでいるではないか。
「あ、あの老人、アリエルにいったい何を教えてるんだ?」
あ、着地に失敗した。
「でも防御魔法は成功しているか……なにやってんだか。無茶しすぎだろ……」
「あなた、大丈夫?」
「あ、ああ、たぶん大丈夫だろ……」
鎧の装備を終え、強化魔法を唱えると重い鎧が紙細工のように軽く感じる。
鎧装備した、剣も持った。忘れものナシ。
「んじゃ立合ってくる」
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屋敷を出て西側の空き地にはアリエルがすでに汗を流していて、どういう訳か服がボロボロ。しかも水を浴びて泥にまみれたかのように汚い出で立ちだったので心配したが、どういう訳か身体にはひとつの擦過傷もなかった。かすり傷ひとつついていないのである。
刃引きした剣をアリエルに渡すと、重心を確かめるように軽く何度か振って試している。
片手用の剣なので持ちにくそうなのは仕方ないな。
そうだ、そのうち子供用の両手持ち剣をあつらえてやろうか。売ってないのだから特注で作ってもらうしかない。
アリエルの準備が整ったようだ。
さてと、そろそろいいか。
「アリエル、魔法を起動しなさい」
「あ、はい、もうずっと起動しっぱなしで解除してないから大丈夫ですよ」
え――っ? さっきからあんなに激しい動きをしていたのにマナ欠にならないのか?
「ほう、それは凄いなアリエル。では遠慮なくこの私に打ち込んできなさい」
それではお手並み拝見といきますか。中段に構えて、ちょっと睨みを効かせてみる。
「はい。お願いします!」
「いーい返事だ」
……。
ん? 睨みを効かせ過ぎたか、なかなか打ってこないな。
怖がらせちゃったか?ち ょっと心配……。
「あ、父さん、本気で打ち込んでいいの? 危ないと思うけど」
アリエルのほうが心配していたらしい。
ああ、でも刃引きとはいえ剣を持ったのは初めてだったか。
「アリエル、心配させてしまったか、すまんな。だが私も鎧を着込んだ時からずっと強化をかけているから大丈夫だ。さあ、遠慮なく」
「はい、わかりました」
アリエルは舞うような準備運動で関節を温めているようだ。そして剣を顔の位置に立てて構えると、鍔のところに、何? キスした? のか? 剣にキス? カーッコいいなおい。
そしてそのまま上段に構えた。
な、なんか様になってるじゃないか。いや、ちょっと眼力が強いな、軽く威圧されてるようにも感じる。いや、威圧されてるなこれは。
まだ教えてやらなきゃならんトコあるがホント、なんか様になってる。
うん、カッコいいな。
まだ距離があるぞ? そんなに緊張しなくてももうちょっとリラックスしたほうがいい。
ちょっと詰めてやるか……。
……やべっ
―― ガキン!!
ぐあっ速っ!
なんだ……、お、重い。何が起こった?
小手で受けたら骨折するぞこれ。
崩された……。追撃が……来る!
ちぃ、狙いは頭かっ、ちょっ殺す気かっ
―― ビュッ!
風切り音が相当ヤバい……。
身体を捻ってなんとか躱した。いや、ギリギリで躱せた。
追撃が一撃目ぐらい鋭かったら殺られてた……。
さらにアリエルは返す刀で胴を狙った…………が、
腰が入ってない……、練度不足に助けられたか。これは落ち着いてガードできる……よっと。
「ふう、危ない危ない。すまんなアリエル、お前を7歳の子供と侮ってしまった」
いや、本気で危なかったー。心臓バクバクいってる。
背中と尻がもう、なんか変な汗でグチョグチョだ。
魔族が攻めてくる前に7歳の息子に叩き殺されたりしたらどうしようかとマジ焦ったわ。
……確かにグレアノット老師の言うとおり、こいつは桁違いだ。
約束通り資材は用意しないとな。
一応、カッコいいことを言ってシメておくか。
さてと、明日砦にいったら皆に自慢してやりたいのだが……。
ガラテアの野郎……信じてくれないだろうなあ……。ちくしょう。




