07-10 ナディ・アリー教授の歴史講
「どもー。ナディ・アリーです。ベルセリウス派の人とは一度会ってみたかったんですよ。まさか本人が向こうから訪ねて来るなんて思ってなかったから伝声管で聞いたときは声がビックリ返ってしまったよ」
アリー教授はマローニでも見たことがないカッツェ族の女性。猫耳で尻尾を持つ小型の獣人だ。声の感じから猫っぽいとは思っていたけれど、猫耳にメガネで考古学の教授なんて、その筋ではマニア受けしまくりだろう。茶髪に茶耳で、尻尾は少し縞模様が見えるから、白猫っぽいエララとは違って、日本猫の雰囲気だ。和室の座布団で丸くなっててくれたらそれだけで癒される。
「アリエル・ベルセリウスです。こちら妹弟子のパシテー。アリー教授がまさかカッツェ族の女性だとは思ってなかったものですから、こちらもビックリ返りそうになりました」
「パシテーです。どうぞよしなに。兄さま、アリー教授はハーフのようなの」
「あらぁ? 外見では殆ど分からないのに、初対面でハーフと言われたことはなかったわ。さすが人を見る目があるということかな。私はカッツェハーフエルフなの。で、今日は何用でこんなカビ臭い研究室に?」
「女神ゾフィーのことで分かっていることがあればと」
「へえ。じゃあ私の知る限りの情報を提供する代わりに、あなたの爆破魔法の原理を教えてもらえないかニャ?」
「ん? ニャって言ったかな?」
「そんなこと言わないわ。空耳です。どう? ギブアンドテイクで」
「原理だけでいいならいつでも。神話戦争のことも気になってます。詳しい解説というか、あまり知られていない事実なんかもあれば合わせて見解を聞ければ」
「よっしゃ。交渉成立ぅ。まさかあのアリエル・ベルセリウスもゾフィーに興味があったとは。なかなか見どころあるじゃニャいの? 私もゾフィーのことを調べてるうちに考古学専攻してたぐらいだからね。でも分かってることはあまりないのよ?」
ゾフィーは王都よりさらに南部の地域で戦神として知られているけれど、歴史書には一切の記載がない。それでも教会の焚書以前の古文書に記された記事が残っていることで、今も戦神ゾフィーの姿を知ることができるのだそうだ。
「では、生い立ちから。ゾフィーは今はもう滅んでしまった遥か南のエルニドア大陸のガンディーナ出身で上級神第一位。一級神主席と言う人もいるわ。上級神一位というのは、十二柱の神々からすると直下の位で、それの一位というと、十二柱の神々のうち一柱が失われたりすると自動的にゾフィーが繰り上がるというポジションね。十二脚分用意されている椅子の末席として伝説に名を連ねる寸前まで行った上級神以上では唯一のエルフ族。だからエルフの中には今でもゾフィーを女神として信仰する部族もいる。ちなみに私の家も父が南部出身のエルフだったからゾフィー信仰だったのよ。子どもの頃から寝物語にゾフィーの話はいろいろと聞かされて育ったの」
魔人族がゾフィー信仰だったぐらいしか俺は知らないな。魔人族の始祖はルビスだったはずだけど。
「ゾフィー偉いの」
「そうね、スヴェアベルムでは三位のジュノー、七位イシター、九位クロノス、十一位ニュクス、十二位メルクリウスに次ぐ六番目に偉いってことになるわね。戦神と言われるゾフィーの力は強力で、一対一で戦ったら十二柱の神々と言えども勝てる者は居なかったと伝えられてるけど、その力がどんなものだったのかはわからない。でもゾフィーの力についてはおおよそ見当がついてるから後で説明するわね。そしてゾフィーは神話戦争以前に、スヴェアベルムとザナドゥが争った紛争初期に神籍を抹消されてるの。当時のスヴェアベルムとザナドゥの情勢は不安定で、常に小さな紛争が起こっている状態ね。つまりいつ戦争に発展してもおかしくないほど不安定だった。そんな猫の手も借りたい戦争準備期だというのに、ゾフィーは神籍を抹消された。どう思う? ゾフィーは戦神だったのよ? これから戦争を始めましょうって時期に、最大戦力の戦神をみすみす除籍にするなんて考えられない」
行方不明になったぐらいじゃ神籍は抹消されないので、ゾフィーはおそらく上位の神々の怒りを買うようなことをしたんじゃないか? と考えられているらしい。
ゾフィーと言いジュノーと言い、お前ら神様をクビになった原因を研究されてるぞ? みっともない。
でも少し、ほんの少しずつだけど記憶がハッキリしてきた。
「コーディリアから聞いたんだけどさ、ジュノーも神籍を抹消されたらしいじゃないか」
「ジュノーの話はこの後するつもりだったけど、名前が出たのでジュノーの話に移りましょうか。どうせ戦神ゾフィーの足取りは一旦ここで途絶えるの。また後で出てくるけどね。んで、あなたの言う通りジュノーも神籍を抹消されてる。でも時期的には神話戦争が始まる直前か、戦争が始まったのと同時ぐらいになるわね。コーディリアから聞いたってことは、ユピテル暗殺のことも?」
「ああ、そこも聞いておきたいところだ」
「じゃあ勿体付けても仕方ないわね。だいたいの歴史書じゃあユピテルは行方不明ってことになってるけど、古文書に書かれていた記録を検証した結果、ユピテルは暗殺されたと結論付けたの。これも謎が多い。なぜならユピテルは次期最高位神で、その力は絶大。でね、これは研究者の間でも議論され尽した件なんだけど、後に破壊神と呼ばれるようになるアシュタロスが、ザナドゥでユピテルを倒したという説が有力なのよ。そう明記されている古文書もあるからね。でもその記述されたことの真偽もいまでは議論の最中。なぜなら十二柱の神々以下、上級神二十四柱、すべての身元は明らかにされてるからアシュタロスは上級神以下の『下級神』であったとしか考えられないんだけど、下級神の力でユピテルを倒すのは到底無理な話なの。何の力もない生まれたばかりの赤ん坊が武装した騎士と戦うようなもの。それほどの力量差があるのよ」
「それが根拠? 薄くない? ジュノーがユピテルを暗殺しただなんて、そんなこと教会の耳に入ったら大変だぜ? 賞金かけられるかもよ? 2000ゴールドぐらいさ」
「まさか、私なんか賞金首になる前に捕まって焼かれるわ。賞金首にされるってことは、教会の力じゃ手に負えないからお金を払って殺してくれって事でしょう? ホント笑えないわ。……でもまあ、結論から言うとそうね、根拠は確かに弱いんだけどさ……実は最近見つかった古書からユピテルには婚約者が居たことが分かったの。それがジュノー。第二位のユピテルと第三位ジュノーの婚約は当時、四つの世界では最高のロマンスとして祝福された。最高神ヘリオスが退位するとその跡を継いで全世界を統べる神王ユピテルと、その妃ジュノーがこの四つの世界を治めるはずだったのに、ある日、遠い遠い世界でユピテルが襲撃されて死んでしまう。神籍からジュノーの名が消されたのは、ユピテルが行方不明になった前後。確実にジュノーが何かやらかしてるわよね。もう一つ付け加えると、ジュノーはザナドゥのあちこちで複数の目撃証言があるから、神籍を剥奪されてからもザナドゥにいたことは確か。そして未確認情報ではあるけれど、目撃情報の中には、あのアシュタロスと行動を共にしていたというものも少なくない。ここまででも状況証拠としては十分じゃないの?」
アリー教授は話を中断し、アリエルとパシテーの顔を交互に見た後一呼吸してから、これまでにも増して真剣な眼差しになって話を続けた。
「そして話は戻るんだけど、アシュタロスの妻は鬼神ヤクシニー。長身のダークエルフだったそうよ。……どう? 想像力が掻き立てられない?」
アリー教授がドヤ顔を決めて言ってくれたんだけど、それは知ってた。
ヤクシニーはゾフィー。そして、リリスがジュノーで、アシュタロスとは恐らく自分のことだ。
記憶喪失って変な感じだ、自分の生きざまと死にざまを他人から教えられて、その生きた証を悪行として語られるなんて、アシュタロスがどんだけ悪い事したのだろうか、逆に気になる。
でもアシュタロスって何だ? いまアリエル・ベルセリウスと呼ばれているように、きっとどこかの転生先でアシュタロスって名前で生まれたことがあるのだろう。きっと。
「じゃあザナドゥ出身でベルフェゴールという名に心当たりは?」
「ベルフェゴール? 聞いたことないわね。ちょっとまって、ザナドゥ神の名鑑見るから……えーっと、ベ、ベ、ベ、べリエス……ベリオス、ベルザンディ……あった。ベルフェゴール。でも下級も下級、下級神として圏外ね。ザナドゥで『アマルテア』という小国を治めていた神としてしか記録がないわ……。あれっ? ベルフェゴール? なにこのひと怪しいわね、ユピテルが行方不明になったのと同時期に神籍を放棄してる。放棄? 不審よね、貴族が称号を返上して平民に戻るようなこと絶対にないと思うのだけど。次の日からご飯を食べていくのも難しくなるのになんでだろ?……ベルフェゴールに関しては何もないかな。この男がどうかしたの?」
「いや、ジュノーの名誉のために言っておくよ。ユピテルを殺したのはその男、ベルフェゴールだ」
自論の間違いを指摘されアリー教授の大きな目がアリエルを訝る。
「……へえ、言い切るわね。根拠を聞いてもいい?」
「いや、忘れてくれ。そんな事よりも話を続けてくれたらありがたい」
「ふうん、なんか怪しい。じゃあ次は何が知りたいの?」
「さっきのゾフィーはどこで倒されたのか、あと、倒したのは誰か?」
「あら? 私はヤクシニーと言ったはずなんだけどね?」
「俺もゾフィーとしか言ってないぞ?」
「ふうん、ベルフェゴールね。覚えておく必要があるわね……、とっても怪しいんだけど。ま、いっか。アシュタロスの一味は倒しても倒しても転生して蘇るという形をとってはいたけれど、それも立派な不死のひとつの完成形だった。でもアシュタロスはひとつ大きなミスをしたの。激しい戦いでアシュタロスとリリスだけが倒され、ヤクシニーだけが生き延びたのよ。スヴェアベルムの神々はヤクシニーが単独になったチャンスを逃さなかった。英雄譚や子どもたちに読んで聞かせる絵本ではヤクシニーを倒したのはクロノスとイシターってことになってるけど、アルカディアの主神テルスが倒したと書かれている古文書もある。倒された場所は南ガンディーナの土地で、ここも焦土となったそうよ。いまじゃガンディーナは海の底ね、実際にあったかどうかも分からない。言い伝えに残るのみね。だけどこれも諸説あって、アシュタロスとリリスを倒したのだから残った神々がヤクシニーひとりに対し総力戦を仕掛けたという説が有力ね。もちろん私は後者を支持してるかな。だってクロノスとイシターだけでヤクシニーを倒せるなら、スヴェアベルムは世界の七割を失う事なんてなかったはずだし」
…… ……。
えっ? 南ガンディーナ?
魔人族の伝承では確かガンディーナに住むエルフ族を人質にとられて、ゾフィーが投降したとあった。ガンディーナの族長、エミーリア・カサブランカとは敵対していたはずなのに……。
……っっっ!!!
アリエルは急激に激しい頭痛を覚え、頭を抱え込んだ。
金色の獅子を模した鎧が浮かび、すべてを無に帰すヴィジョンがフラッシュバックする。
あれは……、あれは……。
「兄さま……大丈夫?」
パシテーの声に我に返った。
最近ちょっと不安定だ、今まで忘れていたことを急激に思い出すことが多い。
「あ、ああすまん。えっと、じゃあクロノスとイシターのことを教えてほしい」
「大丈夫なの? ちょっと休む?」
「いや、続けてほしい」
「そういうなら続けるけど、気分が悪くなったらいってね。えっと、ではクロノスとイシターなんだけど、この二柱の神々は夫婦で、常にセットというかツーマンセルで動いていたから、主にクロノスのことでいいかしら? ちょっと調べたらわかると思うけど、クロノスって有名すぎて語り尽くせないほど話が残ってるのよ。アシュガルド帝国の初代皇帝がクロノスだって噂があるけどちょっと荒唐無稽すぎて、それは確認もとれてないしさ。こっちはあまり掘り下げると話が前に進まないから、神話戦争に関わりのある事だけでいいよね?」
「クロノスはヒーロー伝説いっぱいあるんだな」
「そうね、クロノスは十二柱の神々の第九位。最近の研究でクロノスは時間と空間を操るとても強力な力をもっていたことが分かってる。妻である第七位イシターと力を合わせ、終焉の地アルゴルにてアシュタロスとリリスを封印することに成功したという、神話戦争最大の功労者と謳われる最高の英雄ね。現在広く流布されてる神話戦争の書物では、ヤクシニーをはじめ、アシュタロスもリリスもクロノスが倒したことになっているから、クロノスが居なければ四つの世界すべてアシュタロスに滅ぼされていただろうと考える研究者が多いわ」
「その本って出版元はどこ?」
「へえ、鋭いですね。教会関係ですよ」
「だろうと思った。アシュタロスはクロノスなんぞに殺せなかった。そうだろ?」
「そうね、いま現在の歴史書、歴史をもとにした娯楽小説、そして子供向けの児童書籍に至るまで、全ての書物にはアシュタロスは倒されたと書かれてある。まるでハンコで押したように。でもね、つい200年ほど前までアシュタロスを倒しただなんて自信たっぷりに書かれてある書物は一冊もなかった。教会の焚書以前には封印されたというのが常識だったのに。さっき説明した通りよ。アシュタロスたちは、殺せば必ず転生して復活する不死力を持っていた。不死というより不滅といったほうがしっくりくるわね。殺すのが難しいとか生命力が強いとか、そんな生易しいものじゃなくて、完全に不滅なの。もう転生して生まれてくることがないように、一つの世界をまるごと滅ぼしてしまっても、こんどは異世界に転生してくるほど厄介な敵だった。倒しても倒してもどうせまたすぐ生まれてくる。もちろん倒したほうもただ手をこまねいてはいなかったわね、アシュタロスを倒した後、その死体は保存されたり封印されたりして、復活を阻止するための研究や、ありとあらゆる実験に使われたらしいわ。当時の神々が総力を挙げて、全ての知識を持ち寄っても、それでもアシュタロスの転生は阻止できなかった。そう、死体が蘇るわけじゃなく、このスヴェアベルムで新しい命を得て、女の腹から生まれてくるの。じゃあアシュタロスの転生を防ぐためにはどうすればいいのかな? スヴェアベルムの女を皆殺しにしたら別の世界に生まれるだけ。じゃあどうすればいい? どうやってもアシュタロスを倒すことができなかった神々は、この世界に転生することがないよう、どこか別の世界に封印したと考えるのが自然だし、書物は教会が徹底的に焼いたり検閲したあとに内容を書き換えたのだと考えたほうが、ずーっと自然ね」
―― パチパチパチ。
アリエルは小さく拍手をしてアリー教授の推理を賞賛してみせた。
「アリー教授の心象では? アシュタロスはどこに封印されたと思う?」
「アルカディア。だってザナドゥはとっくに滅びてしまっていいるし、この世界以外のところ。アルカディアとニライカナイのどちらかというと消去法でアルカディアしかないから。もうちょっと研究する時間と、戦後に関する詳細な古文書があれば論文書けるんだけどね」
「即答か。アリー教授さすがに鋭いな。感心する。じゃあさ、ゾフィーがクロノスに倒されたとして、それはどれぐらい前の事なんだ?」
「またゾフィーって言った。そこ拘るようなところなの?」
「ん? ああそうか。じゃあヤクシニーでもいいよ」
「あなたと話しているだけで、まるで不可解な迷宮に迷い込んだように感じるわ。後で質問に答えてよね。えっと、ヤクシニーが倒されたのはおよそ一万五千年から二万年前。これについては地質学者の見解によるところが大きいのだけど、深淵の呪いと言われる大災害による降灰があったことを示す灰の地層がそれぐらいの年代の地層だというのが根拠。誤差に関しては私の専門外なのでよくわかんない」
「にまっ……、二万年っ!? 嘘だろ」
「根拠は示しましたよ?」
一万五千年から二万年もの間、一人で囚われているなんて。
気が遠くなるような長い年月……忘れていたなんて。
ジュノーが記憶を消していると言ってた。これはジュノーも問い詰めてやらないといけない。
ふと隣を見ると、ただ黙って話を聞いてるパシテーの瞳から涙がスッと流れて落ちるのが見えた。
もうパシテーも無関係じゃいられないだろうしロザリンドもきっと関わってしまう。
巻き込んでしまったな……。
アリー教授の鋭い視線がパシテーの涙を追った。
「パシテー先生の涙もただ事じゃないよね? いろいろ訳知りのようだし、ここまで話したんだから、私も情報がほしいわ」
「ああ、じゃあそうだな。ひとつ、神聖典教会の最高戦力って知ってるか?」
「勇者サマって話かな?」
「そう、その勇者な、アルカディアから召喚されてきたアルカディア人なんだぜ」
「ニャニャニャ……、ニャンですとぉぉ!?」




