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01-14 トリトン・ベルセリウス 前編

アリエルの父、トリトン・ベルセリウスが19歳でいかにして領主となったか。

20170723改訂

2021 0719 手直し


 広大なユーノー大陸の西側にあって周辺諸国に対し多大な影響力をもつ大国、シェダール王国においてベルセリウス家は王都プロテウスからは少し距離があるが、北側の豊かな耕作地帯であるボトランジュ領を治める領主の一族である。


 ボトランジュ領主、アルビオレックス・ダグラス・ショルティア・ダラーラ・フォン・ド・アマール・ベルセリウスは今より15年前、魔族どもの争乱に自らが先頭に立ち、大軍を率いて出陣することでボトランジュ領軍は魔族どもをドーラ大陸に叩き出すことに成功した。


 そしてベルセリウス家は、これまでずっと魔族が暮らしていたノーデンリヒトを領有するに至ったが、この土地は冬の厳しさと猛獣の多さに加え戦乱の傷跡も多く残されており、何も生み出さない産業空白地なのに加え、魔族どもが目の色を変えて取り返しに来るであろう事が明らかなので、何かと面倒な土地であった。


 ボトランジュのベルセリウス家が勝利して魔族から奪い取ったノーデンリヒトという土地は、王国としても10年や20年に一度くる祭りのように魔族どもが騒乱を起こす地なんて正直邪魔なのだが、いかんせんその土地が地続きで王国まで繋がっているということが重要で、魔族どもから王国民を守るため、ノーデンリヒトはこれまで通り緩衝地帯になるのが望ましいと考えた。


 さきいくさで王国は、ノーデンリヒトを戦略的重要拠点と定め、その地を支配することで魔族どもの争乱を抑えようとしたのである。


 簡単に言うと、魔族などという好戦的で物騒な輩が隣の家に住んでいるからモメ事が絶えないのだ。

 いちいち相手してられないので、隣の家の住人には、武力でもって海を隔てた離島へ退去していただいたら両者とも平和になるという、ホント身勝手な話なのだが……、


 その結果得られたノーデンリヒトをどうするか? という事に頭を抱えた王国は、北端がノーデンリヒトに接するボトランジュ領を治める、ベルセリウス家に押し付けたというわけである。


 ベルセリウス家としても国王から直々に拝領賜った領地を無碍にすることはできないのだが、ノーデンリヒトは何も生み出さないと言われている赤貧の地である上に、近い将来にはほぼ確実に魔族が攻めてくる火薬庫のような地でもある。はっきり言って、わざわざそんなところに行って治めようなんて山賊の類であっても裸足で逃げだしてくるに決まっている。やはり軍を指揮できる男を選んで送り込まないといけないのだ。


 国王から賜った領地を任せるに相応しい人材でありながら、努めさえ果たしてくれさえすれば別に死んでくれても大して困らないという考えがなかったとはいえないだろうか? いや、そういう考えが働いたと邪推してしまうほどに、この大抜擢には王国中が驚いた。


 だいたい長男は領主の跡取り、領主と肩を並べる地位が転がり込んできたのなら、次男にお鉢が回ってくると思われたが、その実、正室の子ではあるが跡目に最も遠い、五男のトリトンに白羽の矢が立った。

 また運悪くトリトンは王国騎士団に在籍しており、武力でもそれなりにぶいぶい言わせていたのがあだとなった。


 もうひとつ、トリトンは先ごろ商人の娘であったビアンカを娶り妻として迎えている。

 ビアンカが同じく貴族の出身であったならノーデンリヒトになど向かわせようとしただけで親元の実家からは非難と抗議がまるで火矢のように降り注いだであろうが、出自が商人であるがゆえにビアンカの実家は、考え直していただきたいと嘆願するに留まり、19歳の王国騎士団員が大出世して領主になるというサクセスストーリーが生まれたのである。


 しかも王国騎士団からは魔族が侵攻してくるであろう北側を守る砦の守備隊長に任命されるという、ダブル大出世なのだから、トリトンは頭を抱えざるをえなかった。


 トリトンは正室の子ではあるが五男。家の跡継ぎなら余るほど居るのだから、ベルセリウス家に留まっても良いことはあまりない。

家からは領地を割譲するとか、どこの町を治めろとかいう話もなし。この五男には大した財産が回ってこないということだろう。


 思い起こせばトリトンが15歳の頃だった、生まれ故郷の領都セカでは知らない者がいないほどの悪ガキで、その辺のチンピラを拳でもって〆て回るというバイオレンスに興じるほどエネルギーを持て余していたのを不憫に思ったのか、父であり領主でもあるアルビオレックスが鉄拳にてこれを制裁。縛り上げた上に牢馬車に放り込んだ。幾日か囚人護送のような情けない気持ちを体験させられ、どこへ連れていかれるのかと思ったら、シェダール王国では最も厳しいことで知られる王国騎士団本部屯所の門前で牢馬車の格子戸が開かれた。職業選択の自由なんてあったもんじゃない。


 ただ、ちょっと剣が好きで腕にも覚えがあったので、王国騎士という仕事が苦痛ではないというのが幸運であった。なので家には何の期待もしていなかったし、男としてこの世に生まれてきたのであるから野心もないわけではないのだけど。


 それでも、何年も音信のなかった父がボトランジュから馬車に揺られて訪ねてきたもんだから、まったく何事かと思っていたら、いきなり領主を拝命せよとのお達し。これには驚いた。


 あれよあれよという間に国王の御前で跪き、正気に戻った時には領主様になっていたし、騎士団のほうも根回しが済んでいて、翌日にはノーデンリヒト北砦守備隊の隊長を命ずるとの辞令をいただいた。


 そもそも王国騎士団員になるとき王国に忠誠を誓った身である。

 トリトン・ベルセリウスはノーデンリヒトという、ただ生きていくだけでも厳しい土地で、死ぬまで、その指先すら動かせなくなるまで、魔族と戦うことを宿命付けられてしまった。そしてその骨は北の地に埋めよとの命令なのである。


 しかし……。


 しかし、トリトンには幸せにすると誓った女がいる。


 ビアンカに何といえばいい?


 一緒にノーデンリヒトに来てほしいなどとはとても言えない。



 トリトンはこの話をどう切り出せばいいか悩んでいた。

 燭台に立てた3本セットのロウソクのうち、中央の1本だけに火をつけて薄暗くした居間でくつろいているフリをしながら、この話をどう話せばいいものかと頭を悩ませる。いくら考えても事実は曲げられないのだから考えるだけ無駄なのだけれど……。その話を聞いて、幸せそうな幼な妻の笑顔が曇るところを見たくないのだ。


 トントントントンとリズムを刻む人差し指が、空になったぶどう酒のグラスを思い出させ、もう一杯飲むか……と思ったその時、ノックの音がした。


 もう夜半近く。こんな遅くにトリトンの居間を訪問したのは幼な妻、ビアンカだった。

 もう寝たはずだと思っていたのに、ネグリジェ姿のままやってきて、水差しとグラスをサイドテーブルにコトッと立てると、トリトンに寄り添うようにソファーへ身を沈めた。

 これはもうお酒はほどほどにして、水で喉を潤してくださいというビアンカの優しさだった。


「ねえ、ノーデンリヒトってどんなところですか?」

「そうか、知っていたか。……はぁ、ビアンカは賢いな」


「今日、うちの兄が実家から早馬を飛ばしてきました。大変なことになったとか」


「そうか、すまんな。義兄にいさんの言う通りだと思うよ、大変なことになってしまったようだ」

 国王から直接領地をいただいた件、まるで用意してあったかのように騎士団からノーデンリヒト北砦の守備隊長を任された件。加えて、ノーデンリヒトがどれだけ厳しい土地で、どれほど危険なのかということも滾々と説明した。


 それでもビアンカは落ち着いた面持ちでトリトンを安心させるかのような口調で言った。


「でもね、私にはそれが、そんなに大変な事だとは思えないのです。私はあなたと一緒に行けるならそれで幸せなんですよ。女神ジュノーの前で誓ったばかりじゃないですか……。病める時も健やかなる時もです。もしそれで二人の命が尽きてしまったとしても、お互いに手が触れ合えるぐらい近くに埋葬してもらえたら私はそれでいいのですよトリトン。私はあなたの妻です。どこへなりと連れて行って、そして幸せにしてください。ねっ」


 といって小首を傾げる。なんという笑顔で微笑みかけるのか。

 男冥利に尽きて尽きて、尽き果ててしまいそうな殺し文句を平気で言ってのけた。


「いい女だな、おまえは」

「ええ、あなたの妻ですから」


 ノーデンリヒト領では先行している工兵と魔導建築の技術者が屋敷の建設が進めている。

 開拓した土地の一部を与えると約束したので、土地を持たない小作農家の家族が50家族ほど同行することになった。


 北の砦にはすでに王国騎士団の守備隊が100名ほど駐留している。

 ノーデンリヒトがベルセリウス家の領地になったことで、新たに100名の領軍を出さなくてはならなくなったので、領軍の引継ぎがてらセカの実家に挨拶に寄ると私が子供のころから世話をしてくれていたポーシャと、同い年で割と何でも相談し合えたクレシダが同行を希望してくれた。


 箱入り娘のビアンカと剣を振る以外にはまるで能がないトリトンだけで家事が回るわけがないとえらい剣幕でまくし立て、ある意味強制的についてくることになったのだ。


 まーた毎日ポーシャの小言を聞かなきゃいけないのかと、少し懐かしい気持ちになった。



 ノーデンリヒト領について屋敷での生活が始まってすぐビアンカの妊娠が発覚した。

 いや、実はこの長い旅の途中でデキていたことをポーシャに看破され、母体や胎児への悪影響を柱とした長い小言を延々と聞かされる羽目になった。

「まさかデキるとは思ってなかったもんで」というのはトリトンの弁明だった。


 ビアンカのお腹が大きく目立ってきたころ、ちょっとした拍子に破水し、死産するかもしれないと大騒ぎになったことがあった。ビアンカは意識を失うほど苦しんだが、何もできずオロオロと狼狽えるだけのトリトンとは対照的に、ポーシャとクレシダの適切な処置により状態は安定し、以来出産までの2ヵ月は寝たきりで過ごしたが、無事に元気な男の子を出産した。

 もちろん出産の時もトリトンは狼狽に狼狽を重ね、邪魔だから出ていけとクレシダに蹴り出されるという醜態を演じてしまった。


 それ以来、ビアンカはもとより、クレシダにも頭が上がらない。

 あ、ポーシャには子供のころから頭が上がらない。今更ってもんだ。


 王国騎士団ノーデンリヒト北砦守備隊長 ノーデンリヒト領主 なんて肩書だけは偉そうに見えるが、家に帰ると役立たずの昼行灯で通っている。部下には知られたくないもんだ。

 女ばかりだというのに、医者もいないこんな僻地でよくぞ頑張ってくれたものだと思う。


 生まれた男の子は両親に似て金髪碧眼。顔はビアンカに似て目がクリッと大きく、可愛い。

 強い男に育ってほしいという願いを込めて古の神話に出てくる獅子の名をもらい、アリエルと名付けた。


 だがほとんどの人は童話に出てくる精霊王アリエルを想像するだろう。



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 アリエルは5歳になり、とても愛らしい外見とは裏腹に、およそ子供らしいと言える要素は微塵も感じられなかった。そう、一つの行動を除いて。


 一つの子供らしい行動というのは、生まれてからずっと今に至るまで、ビアンカの胸から離れようとしないぐらいのことであるが、まあ母離れできないのだろう。

 しかし、まず何もなくても、そこにビアンカの胸があると、それだけで胸に飛び込み、腕を背中に回して抱き着いたあと、胸に顔をうずめるという、とても子供とは思えない、むしろ長い間『男』をやってきた人間が到達する境地のようなスムーズさで、さも当たり前のようにそれを行うのである。


 それを最近はクレシダにもするようになった。

 なぜかポーシャだけはされているところを見たことがない。というか口うるさい小言が売りのポーシャならいざ知らず、今まできつく叱ったことのないトリトン本人にも懐かないなど訳が分からない。やはりとてつもなく現金な嗜好が根底にあるのではないかと疑ってしまう。


 何度かアリエルに「そのおっぱいは私のものだ」と注意を促してみたのだが意に介する様子はなし。

 男の子は成長するうちに父親を最大のライバルと認識するというが、こういう意味でのライバル視はいただけないなあ……と苦笑しきりだ。



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 そして、アリエルが7歳になった。

 我が息子アリエルは、いまだビアンカの胸が定位置である。ちょっと腹たつので、弟でも作ってやって、世代交代の憂き目を見せてやろうかと本気で考えているところだ。


 屋敷の外にでて遊ばせてあげたいのだが、村から少し離れただけで危険な肉食獣が目撃されるような土地で、7歳の子を遊ばせるわけにいかない。村人たちにも子供はいるが、そもそも開拓地の村人の同世代の子供は、遊びどころではなく、しっかりと働いている。土地を持たない小作農家たちが得た土地をものにするため、必死になって働いているのだから、子供にでも遊ばせておく余裕などないのだ。


 要はアリエルには友達がいないのである。周りみんな大人だからなのか、妙に大人びたような目で、大人びたことをいう事がある。友達のいない幼年期を強いられてている息子が不憫でならない。



後編に続きます。

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