07-06 嵯峨野の家と常盤の家
この話に出てくる『嵯峨野真沙希』は、アリエルの前世での実の妹で、
03-16 大精霊テックその4 の回想シーンに出てきています。ぜひ読み返してやってください。
子どものころの美月を襲ったハスキー犬を飼っていた近所の家が小岩井さん宅で、
ディオネはその小岩井さんトコの娘さん。こちらは過去エピソードなし。
03-15 大精霊テック その3 にゴルバチョフ出てきています。興味がございましたら読み返してみてください。
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ロザリンドやタイセーにはお留守番を頼んでおいたので、アリエルたちが出発するのにサオとディオネが街の南側郊外まで見送りに来てくれたけれど、アリエルはしばらくマローニに戻らないので、まずディオネにひとつ[スケイト]でも教えておいてやらないと、アリエルたちが留守の間、鍛錬することがない。
サオと並んで朝夕の鍛錬したとしても、無詠唱を使えないのでは魔法の方はお話にすらならないのだ。
帰るまでひたすらドーラ流拳闘術の足運びを練習させておくのも忍びない。
「んじゃサオはレダと遊んでて。30分ぐらい」
「了解ですっ」
「じゃあお姉ちゃんたち、私と競争する? 私すっごい速いからね。誰にも負けないんだからね!」
「生意気なの」
「根拠のない自身とその鼻っ柱、へし折ってあげます」
サオだけじゃなくパシテーまでレダの挑発に乗ったようだ。みんな[スケイト]には自信を持っていて、スピードのことを言われると引けなくなるらしい。まるで全員子どもだ。ロザリンドも全員一列に並ばせて『精神年齢、全員子ども』って書いた看板の前で記念撮影してやりたいぐらいだ。
「位置について……よーい、スタート!」
号令がかかると大量の花びらを散らしてすっ飛ばす大人げないパシテーと、それにサオが続く。レダは加速のGに耐えられないらしく、スタートで出遅れ、その後もじわじわと離されているけれど、あまり手抜きしてないこのメンツを相手によくブッちぎられずに着いて行けるものだと感心する。
レダは本格的な鍛錬を一つもしてなくてこのスピードを出せるのだから……10年もしたら大変な魔導師になるんじゃないかと期待せずにいられない。
ドロシーはアリエルのすぐ傍で娘がデタラメなスピードであのパシテーやサオと競争しているのを見て開いた口が塞がらないでいる。強化魔法をかけて走る一流の戦士たちの倍以上の速度でスイスイと地面を滑っているのだから。
「あのコに魔法を?」
「レダは才能があります。4年前フェアルの村でちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、地面を滑って移動する魔法を教えて火を囲んで踊ったんですよ。それから独学で鍛錬したのでしょうね。もうあんなスピードで滑れるようになってました」
「それでドラゴンをけしかけて追いかけまわしたんですね?」
「あははは、はい。ハイぺリオンは頭がいいですからね。しっかりと役目をはたしてくれました。結局はマナ欠でぶっ倒れてしまったけど、最終的に120キロ以上は出せるようになってましたから……相当なものです」
「ありがとうございます。我が娘ながら……感心します」
「本当ならマローニに留まるように説得して魔導学院に推薦すると特待生で学費免除になるぐらいの、すごい才能なんですが、残念ながら今は世界の情勢が芳しくありません。エルフの娘さんを街でお預かりする危険を考えると……」
遠い目をしてドロシーと話しながら、あんなに小さなエルフの女の子に温かな視線を送るアリエルを、ディオネはじっと背後から見ていた。
ディオネにとってこの男は兄弟子ではあるけれど、大切な仲間キャリバンとフェーベを殺した男でもあった。ディオネ本人は戦うことの意味すら理解できなくなったという理由で教会を離反したけれど、兄弟子アリエルは教会の重要指名手配犯で賞金を懸けられるような犯罪者。
その上、複数の女をはべらせている好色家だ。日本人として育ったディオネはまずこの『複数の女をはべらせている』という時点で好感度ゼロ。女の敵としか思えない。
ディオネこと小岩井麗美は、帝国の勇者召喚の儀でこの世界にやってきてから、バーバラという側女を与えられたが、奴隷制そのものが納得できず、バーバラは同じ召喚者として宿舎にいたアーヴァインに託した。そのせいで言葉の習得は少し遅れたが、もともと語学の習得に長けていたおかげで、この世界の言葉に慣れ親しむのにそう時間がかかることもなかった。
アシュガルド帝国の神聖女神教団からシェダール王国にある神聖典教会に戦力供与という形で派遣されてきたなんて、聞こえはいいけれど単なる厄介払いだった。
キャリバンはアメリカ人という事もあり、人種差別には敏感で奴隷なんて以ての外という考え方を持っていて、ベルゲルミル、カリスト、フェーベもキャリバンの考えに同調していたから、奴隷制度に反対するような勢力が力を持って大きくなる前に国外へ出されたのだとしても、なんらおかしな話ではない。
ノーデンリヒト砦の戦いでキャリバンが敗れ、生き残った3人が雁首揃えて教会を離反したのも、もう教会に帰る理由なんて、これっぽっちもなくなってしまったからだ。
無詠唱魔導に手も足も出すことができず、大切な仲間を失ってしまった自分がこれからどうやって生きていくのか?と自問自答したとき、自らも無詠唱魔導を習得して強くならないと! と願い、カリストの紹介でグレアノット師の門を叩いた。まさかこの最大の敵を兄と呼ぶ羽目になるなんて、これっぽっちも考えていなかったのだが。
だけどそんな好色家の兄弟子が、遠くからレダを見守る、その視線の温かさを見てディオネは戸惑う。
「へー、ただの女好きじゃなかったんだ」と印象を上書きする程度には感心したらしい。
「さあ、ディオネ。お前にもあれぐらい出来るようになってもらわないといけないからな。スパルタ式で教えるからな。ちゃんと学ばないと死んでしまうぞ」
急に、しかも強引に、許可を得ることもなく無理やり抱き上げて[スケイト]を起動し、無遠慮に、抗う事すら許さず強制的にマナを流し込むアリエルの腕の中、ディオネは半ば観念したようにローブの裾がまくれ上がるのを両手で押さえて防ぐだけだった。悲鳴を上げるでもなく、まだ兄弟子に対する恐怖は依然として残っているのだろう。
しかしディオネは、兄弟子アリエルにどうしても確かめておきたいことがあった。
「あなたは私が敵になるとは思わないのですか? いえ、敵だったじゃないですか。私は大切な仲間をあなたに殺されています」
ディオネは声が震えていることに気付いて最初戸惑ったが、それでも最後まで言い切った。
アリエルは[スケイト]を解除して立ち止まると、抱き上げていたディオネをスッと降ろして、今まさに追いかけっこに興じているパシテー、サオ、レダの3人を目をやりながら答えを探していたが、結局うまい答えが見つからなかったのだろうか。ひとこと「あれは不幸な戦いだった」といった。
ディオネはチラッと兄弟子の視線がどこに向けられているかを確認するように、横顔を見た。
なにが不幸な戦いだとでも言いたげに、一瞬だけ内心の、仲間を殺された憎しみが表情に現れた。だけどアリエルはディオネの心情などまるで気にせずに言葉を続けた。
「ベルゲルミルに聞いたよ。戦争を終わらせて、この国の人たちが平和に暮らせるよう戦ってたんだって?」
「ええそうです。だけど皮肉ですよね。戦争は私たちが負けることで終わっちゃいましたし」
「いいや違うよ。そのせいで今度はアルトロンドが神兵を率いて攻めてきたし。あっちが終わったと思ったら、こんどはこっちだ」
「自業自得ってやつですよね」
「さっきまで震えてたのに言うねぇ。……まあ自業自得には違いない。だけどな、アルトロンドの狙いは俺じゃなくて莫大な利益を生み出すエルフ女だったんだ。現にノルドセカじゃあ俺を捕まえる目的で上陸したアルトロンド兵が街中のエルフ女性を攫って船に乗せようとしていたからな。あいつら、誰の所有物でもないエルフを捕まえて何が悪い? なんて平気で言いやがる。教会が目指す平和な世界ってのは、人族だけが平和と繁栄を享受する歪んだ世界だ。ディオネ、お前も日本人ならその歪みが理解できるだろう?」
「ではあなたがその歪みを正してくれるのですか? あと、細かい事ですけど、いまお前も? って言いましたか。他にも日本人がいるってことですよねそれって」
「うーん、どうなのかな。俺はあんまり深い事考えてなくてさ、ただ俺の大切な人たちが、未来に不安を感じることなく平和な世界で、ただ家族の幸せだけを考えて生きられるような、そんな世の中になればいいと思ってるだけなんだ。あと、細かい事だけど俺もロザリンドも日本人だ。いや、もと日本人だな」
「日本人? 嘘です。あなたはどう見ても日本人じゃないですし、魔人の奥さん? なんて絶対日本人には見えません」
「俺たちは召喚されたわけじゃなくて、転生したんだ。日本で死んで、それで転生してこの世界に生まれた」
「えええっ、じゃあなんで私たち戦わなきゃいけなかったんですか。なんでキャリバンとフェーベは死んでしまったんですか……私たちと同じところを目指してたんじゃないですか! なんで、なんで……」
ディオネは瞳にいっぱいの涙をためて俺をアリエルを糾弾した。キャリバンとフェーベの死が悼まれる。大切な仲間が死んでしまった事に意味がなかっただなんて、考えたくもなかった。
「不幸な戦いだった。だけどな、キャリバンからは信念の塊のようなものを感じたよ。俺はそれに圧倒されたんだ、ま、そのせいでロザリンドたちは逃げることができずに門から出てきて、一緒に戦うことになったんだけどな。あれは俺が弱かったせいだ」
「今更そんな事言わないでください」
ディオネは"キャリバンもフェーベも、もう戻ってこないのに" と言いかけて、その言葉を飲み込んだ。
「お前も信念があってここに立っているのだろう? だから妹弟子として魔法ぐらい教えるさ。だからお前は信念に従えばいい。たとえ将来、俺たちと敵対することになったとしてもだよ、日本人、小岩井麗美。ぶっちゃけて言うとだな、お前たちが殺そうとしていたロザリンドは、小岩井さんトコから斜め向かいに住んでたし、お前の兄弟子になった俺もすぐ近所に住んでたんだぞ?」
「え?」
ディオネは今のアリエルの言葉に少しの混乱を覚えた。
「でっかいハスキー犬のゴルバチョフ飼ってた小岩井さんトコの麗美ちゃんだろ?」
「ゴルバチョフ? 私が物心ついたころにはもういなかったからほとんど覚えてないですけど、ええっ?」
「俺とロザリンドは転生したって言ったろ? 日本にいた頃は、小岩井さんの向かいのスジに住んでたんだけど、分かるかな? 俺は嵯峨野で、ロザリンドは常盤」
「嵯峨野さん? もしかして真沙希お姉ちゃんの?」
「おお、真沙希は元気だったか? 俺の実の妹だ」
「え――――――――っ、真沙希お姉ちゃんの兄ちゃんは死んだはずじゃあ……常盤さんって、もしかして……」
「ああ、それが俺だ」
ディオネの話によると、うちの妹、真沙希はディオネより8つだか9つだか年上なので幼少期から知ってはいるものの、あまり遊んでもらったという記憶はないそうだ。真沙希は兄、深月と同じ高校に進学して、その後どこか遠い大学に一人暮らしで行ってしまったまま現地で就職してしまったらしいということまでは知っていた。
親父とお袋はずっとあの家に住んでいて、真沙希が家を出た後も、ずっと嵯峨野の家の玄関横には、青いマウンテンバイク(ボイジャー号)がピカピカに整備された状態で停まっていたそうだ。
常盤さんの家は、深月と美月が死んでしまってからしばらくすると家を売ってどこかに引っ越していってしまったらしく、ディオネは話の中でしか美月を知らないらしい。
仕方ない。俺たちが死んだ時、小岩井麗美は5歳か6歳だよね。年が違いすぎる。そもそも俺がその小岩井麗美ちゃんのことを『居た』ことしか覚えてないのだから。
「そか。ディオネありがとうな。俺が日本に行って戻ってこられたらお前も連れて帰ってやるからな」
「は、はい! お願いします」
「それと、俺のことは兄さんだ。真沙希のことをお姉ちゃんって呼ぶなら俺を兄さんと呼んでくれても構わんだろう?」
「あ、はい。気を付けます」
「んじゃあ、次は二人三脚で[スケイト]特訓だからな。紐で足を縛るぞ」
「えっ? はい。でもこれって私が浮かないと危険ですよね? ちょっと、なんで浮いてるんですか」
「ぼけーっとしてんなよ。マナの流れを感じて。マナの作用を身体で覚えるんだ」
「は、はい」
「ほら、レダはこれだけで覚えて、あんなに滑れるようになったんだぞ。絶対できるから」
二人三脚をしてみるとさすが日本人といったところ。ディオネは突然浮かんだ足もとにすぐ対応して高い順応力を見せた。あとはマナのコントロールだけ。手と手を取り合ってフィギュアスケートのようにクルクル回りながらマナの調節を学ばせると、ものの30分もしないうちに一人で滑れるようになった。これは俺の教え方がうまいんだけど。
「ディオネ、何かやってたのかい?」
「日本でローラーブレードを少しだけ。あとスケボーとスノボも」
「おお、滑り芸だいたい全部できるってことか」
「言い方が……」
「よし、それじゃあ今後は起動式禁止。トーチや防御魔法、自分の得意魔法に至るまで、魔法のすべてを無詠唱で行う事。最初は何もできなくてもいいから、とにかく今後は無詠唱で」
「え? 私まだ無詠唱を教わってません」
「おいおい、お前その[スケイト]を起動するのに起動式を書いたのか? 術式は? ディオネ、お前はもう魔法に起動式なんて必要としないんだ」
「あっ……」
ディオネは足の裏から生えるマナの感覚にすこしうっとりとした表情を見せた。
全身を駆け巡るマナの流れを生まれて初めて感じているのだろう。
「無詠唱魔導の難しいところはマナの調節。細かい微調整はもっと難しい。起動式では威力やマナ消費の量までぜんぶ決められているから何も考えなくていいけど、無詠唱はぜんぶ自分で決める必要がある。大きな魔法を使う必要はない。[ファイアボール]でも[スケイト]で高速移動しながら連射されると相当な脅威になるはずだからね。無詠唱できるようになったら、それからはひたすら毎日マナ調節だぞ。調節は日々の鍛錬の賜物だからな。サボってると大変なことになるんだ」
「さ、サボったらどうなるんですかぁ?」
「爆発する!」
「ひ……ひぃぃ」
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ディオネが一人で[スケイト]の鍛錬を始めたころ、レダが悪態をつきながら戻ってきた。
どうやら負けてしまったらしい。
「キーっ! 勝てなかったーーー。もう、次会った時は絶対に勝つんだからね」
「私は師匠の正式な弟子ですからね。次会った時にはもっと差が付いています」
「ディオネさんは? そこそこ滑れるようになりましたか?」
「は、はい」
「はい、では私たちは私たちの鍛錬をしましょう。お師匠、それでは気を付けて」
手を振るサオと、ぺこりとお辞儀をするディオネの姿。
「帰ってきてディオネが家出してたらどうしようかな。師匠に怒られるだろうなあ」
「大丈夫なの。あの子は自分が力不足なのを思い知らされたから、教会を離反して師匠の弟子になったんだと思うの。だから兄さまの魔導を学ぶ価値は身をもって知ってるはず。少し辛い目に遭ったぐらいで投げ出す事はないの。その証拠に、ディオネはブツブツ言いながらでも帰りたいなんて一言もいわない。魔導に魅せられた者なの」
「そうだな。まあパシテーも頼むわ。あれで妹なんだから」
マローニからノルドセカに向かう道中、俺たち3人[スケイト]で華麗に滑っている中、一人だけ強化魔法がっつりかけてドドドドドドド!って足音を響かせながら、ものすごい勢いで走るドロシー。時速で言うと50キロぐらい出てるけど、こんな速度で長時間走行すると確実に足を痛めてしまう。
「私だけスピードが遅くてごめんなさい」
なんて恐縮したように言うドロシーだけど、タレスさんには1~2週間ほど時間もらってるし、別に急いで帰る必要もないのだけど……いや、早く帰りたいのはドロシーのほうか。セキが子ども生んだって言ったらソワソワしてたからな。早く孫を抱きたくって仕方がないのだろう。
「ハイぺリオン呼びましょうか?」
「いえいえいえいえ、すみません、勘弁してください」
「いや、そうじゃなくて、ハイぺリオンに乗せてもらうという選択肢もあるので」
「兄さま、ハイぺリオンに落とされて大ケガ→治癒魔法→魅了という流れが目に浮かぶの。私が一緒に飛ぶから大丈夫」
「ホントマジで俺、魅了なんてないからね。じゃあドロシーはパシテーお願い。じゃあレダ、こんどは兄ちゃんと競争しようか」
「フフッ……今日は負けないよ」
「んじゃいいかな? よーい、スタート!」
ビュン……と一足飛びにノルドセカに到着したアリエルたち一行。レダは昨日マナ欠になったところに、サオたちと30分ばかり全力で競争したから、あれでも60キロは滑ったはずだ。そのあとすぐノルドセカまでの約300キロを滑ってきて、ちょっと軽く汗ばんだだけなんて、信じられない。
「ふう、兄ちゃんにはもうすぐ勝てる! 次会ったときが年貢の納め時だからね」
「年貢なんて言葉よく知ってるね!」
ノルドセカの市街地はだいたい片付いたようだけど、ハイペリオンが焼いた東側の軍キャンプからはまだ焦げ臭くくすぶったような匂いが流れてくる。
いやあ、フードかぶってないのに誰も気づかないのな。やっぱロザリンドとハイペリオンの印象が強すぎたのか、それともやっぱり金髪碧眼なんてボトランジュには腐るほどいるので埋もれた没個性なのか。
いや違うかもしれない。ハイディングスキルは前世 嵯峨野深月からずっと鍛えられてきたものだ。たとえ2000ゴールドの賞金が懸けられても誰の目にも留まらない。たとえ網膜にその姿を映していたとしても、アリエル・ベルセリウスがここにいるとは、だれも認識できないんだ。
なんという存在感のなさだろう、自分で言ってて悲しくなってきた。でもまあ存在感うすいおかげで、誰にも声をかけられたり、絡まれたりすることもなく、無事に渡船に乗れたのだから良しとしよう。
「うー、船は苦手なの」




