07-02 高校の思い出★
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ベルゲルミル・カロッゾこと中身の藤堂慎吾は高校を出るまでガチガチの体育会系だったせいか先輩というものに対しては頭が上がらない。そしてそれはそのまま後輩に対してはがっつりと先輩風を吹かせて偉そうにするという、運動部にありがちな年功序列社会の中で生きて来た。それはそれで構わないし、先輩にあたるアリエルたちにしてみれば好都合でもあった。
ベルゲルミルが不幸だったのはロザリンドこと中身の常盤美月も幼少期からずっと剣道一直線のガチ体育会系だったこと、そして、ベルゲルミルと同じ高校に通っていた1つ上の先輩だったことだ。もちろんさっき野球部に居たと聞いて『瀬戸口』の名前を出したのは『俺たちはお前の先輩なんだぞ』という印象をより深くするための布石に過ぎない。
そこでだ、ロザリンドが『いっこ上に可愛い子いたでしょ』と言ったのは、当然、剣道部に常盤美月という可愛いコが居たよねという話をしろという命令だったにも関わらず、空気の読めないベルゲルミルは常盤美月の天敵とも言うべき柊芹香の名前を出して、超絶美少女だなんて言うから、機嫌が悪くなるのも当然だった。
昔っからロザリンドは柊芹香のことが大の苦手なんだ。
柊の方も、勝ったところでやめとけばいいのに、さらに追い込んで勝ち誇るという悪い癖があったから、美月は相当酷い目にあわされてる。
「私の前で柊の話を……」
……ゆらりと立ち上がったロザリンド。ベルゲルミルたちがクダ巻く四人掛けのテーブルに向かって、ゆっくりと歩き、テーブルの前に立って不機嫌そうな目で一瞥したあと、ベルゲルミルの隣にどっかと腰を掛けた。
たったいままで大股を広げて座り、二人掛けのベンチチェアーを独占していたベルゲルミルが小さく小さく内股になっているのが見える。もともとの体格差もあってか、遠近法が成り立たないほどベルゲルミルが小さい。……まるで遠くに行ってしまったかのようだ。
もうここでは序列が出来上がってしまったのだから、これ以上やるとイジメになっちまう。
「はいはい、ロザリンド、八つ当たりはナシナシ」
「柊の事はあなたのせいでもあるんだからね。わかってんの?」
「知らないよ、それも八つ当たりじゃん?」
「うるさい! フン……なんか腹立ってきたわ」
ハティは魔族の女性が大好きだから犬みたいに尻尾振ってハアハア喜んでるけど、お通夜みたいに沈んでるベルゲルミルのほうが可哀想に見えてきたので、ロザリンドの手を引いてカウンターに戻した。イオも緊張してるのか変な汗かいてるし。
ロザリンドの機嫌が悪くなったことだし、ミルクイベントも終わったしカリストさんトコ行かなきゃいけないしそろそろ……お暇しようかとしたその時、タイセーのアホが要らぬことを……。ホントに要らぬことを口走った。
「ああー、そういえばお前らが死んでから柊も学校に来なくなったな。急死したとか自殺したとか……変な噂が立ったぞ? 真相はわかんねーけどな。小学生の頃から柊はお前を好きだってのは有名な話だったけど、さすがあれは異常だと思ったぜ。……てか、なんで柊みたいに綺麗な子がお前の事好きなんだ? 実はこっそり会ってたとか、付き合ってたとか?」
「え――――っ!? マジかよ! あの柊先輩が? いっこも浮いた話なかったはずだろ? 難攻不落で有名だったじゃねえか。誰も柊先輩の彼氏にはなれなかったはずだ」
タイセーのせいで席を立ったまではいいけど、話が続いてしまった。
話せば話すほどロザリンドの機嫌が悪くなる話題を続けなければいけない。完全にタイセーのせいだ。
柊芹香という一介の異世界人少女の話で盛り上がるマローニのギルド酒場で、柊の話なんてしたところで、喜ぶのはベルゲルミルだけじゃないのかと思っていたら、考えてもいなかったところからも話すことを催促された。パシテーだ。
「姉さま、柊さんもきっと転生者なの」
「なんでパシテーが柊を知ってるのよ」
「てくてくに見せてもらったの。姉さまの記憶」
「ああっ、あの時ね。何か言ってた? 私もあんまり覚えてないのよ」
「たしか『どっちみち私のものになる。何度でも』とか『深月は私の男だもの』って。私ずーっと怪しいと思ってたの。だって意味深すぎるの」
「言われた! そうよ! そう言ったわ。親しくもないくせに」
パシテーが衝撃的なことを口走った。よりにもよって柊が転生者だと言う。
アリエルは口を出せないでいる。なぜならロザリンドと一緒にセカの神々の道からエルダーのフェアルに向かった時、アリエルは無限かと思えるような長い時間、柊芹香のフラッシュバックする思い出を見ていた。あれが夢や幻ではなく自分の記憶だとするならば、柊芹香もアリエルやロザリンドと同じく転生者である可能性が高い……。
「アーヴァインさん。登録証できましたよ。限定解除の申請もしておきましたから、明後日以降にまた来てください。手続きしますから。って、何? そんな空気じゃない?」
カーリが話の腰を折ってくれたようで助かった。せっかく水を差されたのだから今日はもうその話から離れて、お開きにしたいと思った。
「いや、カーリ。ちょうど良かったよ。さあ、みんなそろそろ行かないと。カリストさんが待ってるし」
「ねえパシテー。あとでシメましょう」
「ええ姉さま、そういえば兄さま寝言で『ひいらぎ……』って言ってたことあるの」
「な!……」
ロザリンドが絶句して言葉を飲み込んだ。
拳を握って、指をボキボキと鳴らしている。
「たしかに寝言で名前を呼んでしまったことあるけどさ、でもそれはロザリンドと再会する前の話だからノーカンだろう?」
ロザリンドは無表情のまま無音でぬっと立ち上がった。
「勇者さま、哀れな魔法使いを助けてください。こいつら俺に酷い事をしようとしてるんだ……。なあ、タイセー、俺たち親友だろ?」
「いや、柊の話は俺も聞きたいからな。こっちに付く」
「ああ、タイセーよく言った、賢明な判断だ」
「俺もだ。柊先輩はみんなの憧れだったんだぜ?」
ベルゲルミル、先輩にそんな態度とってタダで済むと思うなよ……。
「…………レダちゃんは俺の味方だよね?」
「フン。ドラゴンをけしかけられたの忘れないんだから」
ドロシーはニヤニヤしてやがるし、コーディリアは口挟んでこないことが不自然なほどアリエルを睨みつけてる。穴が開きそうなほど視線が痛い。あれは浮気男を軽蔑する目だ。誤解だけでも解いておかないと、マローニでの立場がどんどん低下してしまう。しかも……味方なし、既に包囲されて逃げ場もないか。
「もし今逃げても、夜になったらてくてくに言いつけてアリエルの過去編を始めてもらうからね。観念しなさい」
確かに、てくてくに記憶を覗いてもらうのも手だとは思うけれど、それをやるなら一人のときにお願いしたい。ロザリンドとパシテーが同伴だと、へんなところに突っ込みが入ってヤバいことになる未来しか見えないし、無関係のハティもイオも、カーリまでもが話を聞きたそうにしてるから、このままギルド酒場を飛び出して逃げるなんてこともできないか。
「話したら怒らないか?」
「もう怒ってるよ。早く吐いて楽になりなさい」
「全部吐くの」
「あまり……はっきりしたことは思い出せないんだ。最初は夢か幻だと思ったし、なんだか断片的でさ」
「断片的でもいいから答えて。柊って何者なの? もしかして転生者?」
「ジュノーだ」
……
……
一瞬、ギルド酒場がシン……と静まり返り、皆一様に時間が止まったかのように動作を停止していた。
ジュノーを知らない人なんかいないと思ったのだけど、みんな知らないのか。
「柊芹香は、ジュノーだよ。有名人だからみんな知ってると思ったけど……」
「兄さま、違うの。みんなシンとしてしまったのは知らないからじゃないの」
「ねえ、ジュノーってあの? 神聖典教会が祀ってる女神の?」
「そうだよ」
「間違いないの?」
「俺の記憶が正しければ間違いない」
「はあああああぁぁぁぁぁっ!? 思いっっっっきり女神じゃないの!! あなた何に手を出してんのよ。女ったらしもここまでくるともう芸術的に思えてくるわ。ほんっと頭が痛い。あの柊がジュノー? 女神ジュノーだったの? 」
アリエルは無言でこくりと頷いた。
「納得したわ! すっごく納得した。ここ数年でいちばん納得してしまったよ! そりゃあ私なんて勝ち目がないわけだ。私にあれほどの敗北感を味わわせたのは前世も含めて柊だけ。女神ってことはもしかするとこっちの世界にも来るかもしれないってこと? だってこの世界の女神なんだからね。いいえ、柊は絶対に来るわ。もう来てるかもしれない。柊はそういう女。ああ、大変、刀を研いでおかないと……私……今度こそ殺される」
「ロザリンド落ち着け、な。ジュノーは敵じゃない」
「何を言ってるの? 未だかつて柊が私の敵じゃなかったことなんてない! いま私たちと戦ってる教会もアルトロンドも、帝国もみんなジュノーの息がかかってんじゃないの。柊は敵なの! 勇者たちもこの世界に召喚されたとき、ジュノーの子として名前を拝領したって言ってたじゃない。ノーデンリヒト砦で私の部下たちが殺されたのも柊の差し金だったの? なんで?……なんで柊がジュノーなのよ。きっと、ジュノーがラスボスなのよ。絶対そうに決まってるわ」
「違う。誤解だロザリンド、お前が取り乱してどうするんだよ。さあ、深呼吸して落ち着けって」
「パシテー、私が柊に殺されたらサナトスのことお願い。アリエルからも目を離さないで。この人は自爆する癖があるし、この前は自分の爆破魔法で服ぜんぶ吹っ飛ばして全裸で戦ってたほどのおっちょこちょいだから、絶対に目を離しちゃダメよ」
「パシテー、ダメだロザリンドの心が折られてる」
「折れるわよ! あなたは柊がどんな女か知らないの。あいつはそう、性格の悪い姑を地で行くような奴なの。あなたにだけいい顔をして、私を見るときは常に阿修羅みたいな顔だった。常にいびられてた。常によ!」
そういってロザリンドはがっくりと肩を落とした。思い出したくないことを思い出したかのように。
確かに。そう言われてみればそうだった。
ジュノーは美月に対して敵対心むき出しだった。
「兄さま、ジュノーとはどういう関係なの?」
いったいジュノーとロザリンドの間に何があったのだろうか。美月と柊の仲が悪いってことは中学の時は有名だったけど、その理由まではよく知らない。
「兄さま」
「ん?」
「ジュノーとはどういう関係だったの?」
「…………んー」
「答えてよ。柊はあなたの何なの?」
「……いや、思い出せないんだ。ただ断片的な静止画が頭に浮かぶだけ」
「そ……そう。でも怪しいわ。柊の口ぶりだと絶対に何か色恋沙汰があるはずだし。いま思えば私からあなたを奪おうと必死だった。で……それはいつ思い出したの?」
「セカの神々の道からエルダーに飛んだ時だ。転移魔法陣のせいかな、最初は転移する場所を間違えたのかと思ったけど、どうやら幻を見ていたらしい。いや違うか……。幻じゃなくて、忘れてしまった記憶? なのかな」
「転移魔法陣はゾフィーが作ったんでしょう? ジュノーは関係ないわ」
「だからさ、俺どうやらゾフィーとも親しかったみたいでさ。あの紅い眼のダークエルフはゾフィーだな。そう……、ゾフィーがいて、ジュノーがいて、俺が居たんだ」
「兄さまはゾフィーの転移魔法陣をタダで何度でも使えるの。きっとそんなことだろうと思っていたの」
「そうよね、神々の道をタダで使えるのはゾフィーに許された者だけよね」
「そうなの。私がどんなに頑張ってもウンともスンとも言わないのに、兄さまは触れただけで魔法陣が起動して完ぺきに動作するの、やっと白状したの!」
「ちょっとちょっと! ちょおっと待ちなさいよ!」
ぐいっ!と身を乗り出してきたコーディリアの目の輝きが半端ない。
ロザリンドはさっきまでの苛立ちがすっかり消えていて、落ち着いた面持ちでアリエルを問いただした。
「ねえ……二柱の女神と知り合いなの? もしかしてあなたも神ってこと?」
「違う。俺は俺だ。神なんか最初からこの世界には存在しないんだよ。ジュノーはヒト族だし、ゾフィーはエルフだった。生まれつき誰にも教わらずに魔法を使える者が神と呼ばれた時代の話だ、魔法は力の象徴だった。神というのは古代の貴族だとか領主だとか王家だとか、そういう称号が神格化されただけなんだ。そんなものを神というならベルセリウス家も神だし、アルデール家も神だ。ただの支配者階級さ」
コーディリアが我慢できなくなったように質問を繰り返す。
「待った! アリエルちょっとまって、それは教会が古代の書物を焚書にした原因の一つだとされている黒歴史の一つよね?」
「黒歴史って厨二病のことを言うんじゃなかったっけか!」
「なによそれ? 病気?」
「違うの。アリエルは皮肉で返したのよ。あとで〆ましょう」
「姉さま、ゾフィーは族長の娘で女神だったのに、畑を耕すような貧しい男と結婚したって言い伝えられているの」
「ああーー、なるほど! あなたゾフィーの元夫だったわけ?」
「俺ですら覚えてない話をどんどん前に進めないでくれるかな!」
「じゃあなに? ジュノーとはどういう関係なの? 全部話して」
「大きな風車が見える丘の上から、緑の大地と……あと、すっごい綺麗な夕焼け空の下、3人の女かな。ジュノーとゾフィーと。あともう一人、真っ白な人……、いやヒトじゃなくて精霊だな」
「ジュノーの記憶はそれだけ?」
「いや、それが……血まみれになったジュノーを俺が必死でこう……、怒らない?」
「もう怒ってるって言わなかったっけ?」
「……、俺の治癒じゃ治せなくて……」
「ほーう。あなた柊を抱いたの? その手で」
「ジュノーも魅了されたの」
「違うって、そんな冗談抜きにあれは……」
ここまで話すと、アリエルは言葉に詰まった。何枚もの静止画がパラパラと脳裏に浮かんでは消え、
刹那、記憶の奥底から少し顔を覗かせる微かな思い出。
5歳ぐらい? 赤い髪の小さな女の子の手を引くジュノーの姿と、そして、その女の子の、屈託のない笑顔……。
その女児の姿と、微笑みが脳裏に浮かんだところで、シーンの移り変わりは止まった。
アリエルの思考も、時間も静止した。
流れる涙を手のひらで受ける。ぼたぼたと音を立てて落ちる涙に驚き、戸惑い、狼狽してしまう。
「お、俺……?」
アリエルはボトボトと音を立てて零れ落ちる涙に驚いた。
悲しいことなんてない。
ジュノーに手を引かれて笑っている女の子の姿をみて、愛おしいと思っただけだ。
それなのに、なぜこんなにも涙が流れるのか分からない。
いや、アリエルはその手にぬくもりを覚えていた。
あの小さな、愛くるしい娘のぬくもりを。
じっと手を見る。
涙にゆがむ視界と、脳裏に浮かんで、離れることがなくなった記憶。
「兄さま、大丈夫?」
「ごめんねあなた、もういい。もういいから」
「い、いや、なぜだろう? よくわからないんだ……」
ロザリンドはもういいと言った。きっと深月と柊は過去に何か、色恋沙汰がいろいろあって、その結果こうやって涙を流しているのだろうと、そう思ったから、これ以上はもう、柊のことを思い出してほしくなかったのだ。
もっとも、柊芹香にしてみれば、自分は邪魔者でしかなかったというわけだ。今思い返せば、柊は本当に深月に対してだけは誠実だった。
「私もまた柊に会いたくなった。聞きたいことがたくさんある。柊が日本に居るならできるだけ早く日本に帰る方法を見つけましょう。怖いけどね。今思い出しても手が震えるけど」
「なあロザリンド。ジュノーは敵じゃないからな。……意地悪ではあるが」
「知ってる。すっごい意地悪。本当は二度と会いたくないけどね、決着をつけてやる」
「私も会ってみたいの」




