07-01 望郷
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今日は朝から忙しい。アリエルたちはゾロゾロと大人数でベルセリウス別邸を出た。
とりあえず、役所組は役所に行って手続きを済ませノーデンリヒト領民になるグループがドロシーと、タイセーの2人の奥さんたちエマとバーバラ。こちらは手続きを円滑に進めるためコーディリアも役所に同行してくれる。コーディリアはノーデンリヒト領主トリトンの妹で、ボトランジュ領主アルビオレックスの末娘だ。コーディリアが役所に行くと、とにかく手続が簡単に済む。
1:名を名乗る
2:用件を言う
3:サインすれば終わり。
ノーデンリヒトのチームはコーディリアに任せておいてこっちはタイセーの冒険者登録に同行することになった。マローニでの職業は書庫番という、今風に言えば図書館の職員だ。魔導学院の書庫番なんか、エルフ文字で書かれた書物ぐらいならまだいい。焚書にされないよう表紙と中身が差し替えられてることがあって、それがまた難解なんだ。
転移魔法陣のことを調べた時も難儀したっけ……果たしてタイセーにできるのか?と心配したけれど、タイセーの2番目の奥さんになる予定のバーバラがエルフ文字読めるらしいってことで、タイセーは軽く引き受けてしまったのだそうだ。能天気勇者め。
で、その能天気勇者は通りに出てすぐ、鷹の旗が翻る冒険者ギルドに着いたので、手を振って役所組と分かれ冒険者登録組がウェスタンドアを跳ね開けて中に入るとまたもや歓迎されない重苦しい空気が充満していた。この一見さんお断り感がすごい。だいたいどこの冒険者ギルドもこんな感じで、ヨソ者にはとてつもなく厳しい目で威嚇されるのが日常だ。
今日も朝っぱらから冒険者ギルドは平常運転のようで嬉しい。
ギルド酒場の方では、マローニじゃあ見慣れない男が入ってきたことで聞き耳を立てている。
ぴーんと少し張り詰めた空気の中、アーヴァインの低い声が響いた。
「冒険者登録をお願いしたい」
「やあカーリ。また限定解除でお願いするよ。こいつ腕が立つんだぜ?」
「はい。えーっと、またアリエルの紹介? いま支部長は留守にしてるから申請しておくね。認定は後日になるけど登録証だけは発行するわ。ちょっと時間かかるから酒場の方ででも待ってて」
「なあアーヴァイン。お前は何も言わなくても分かってるだろ?」
「ああ、アリエル。一生に一度のイベントだろ? 抜かりはないさ」
アーヴァインはひとりギルド酒場に入っていくと、刺すような視線には目もくれず、酒場の一番奥、カウンターの床から生えた丸椅子に腰かけ、テーブルから目線を上げずに低い声で注文を言った。
「おっちゃん……ミルクを一杯。ジョッキでな」
「ゲハハハ! おいおい兄ちゃん、ジョッキってのはビアーをつぐもんだ。生っちろいミルクをつがれちまっちゃジョッキのメンツってのが立たねえんじゃねえのかい?」
アリエルとロザリンドはギルドエリア衝立の隙間から覗いている。ギルド酒場のほう、奥の4人掛けボックス席から聞こえるのはすごいドスの効いた声。ベルゲルミルが訳の分からん理屈でアーヴァインに絡んでる。横でニヤニヤしてるのはハティと……あれ? あれはイオだ! イオがベルゲルミルと組んでアーヴァインに絡もうと言うのか。こいつは見ものだ。怪獣大決戦を見ているようだ。
「ねえあなた……ものすごく嬉しそうよ?」
「ロザリンドお前……いますっごくニヤニヤしてるの分かってる?」
「イオもアホなの……」
パシテーも覗いていた!
「あいよ。ニイちゃん、5ブロンだ」
酒場のマスターがミルクのなみなみと注がれたジョッキをゴトっとカウンターに置くと、人差し指でテーブルにブロン貨を一枚ずつ一直線に5枚並べ、敢えてベルゲルミルたちの絡みを無視するアーヴァイン。絡む男たちに目もくれずに立ち上がると、左手を腰に当てて出されたミルクを一気に飲み干した。
「おいおいミルクマンのくせにシカトたあちっと生意気が過ぎるぜ? センパイに対する礼儀ってもんから教えてやらなきゃいけなさそうだ」
イオもひでえ。あのくっそ厳つい顔でそんな絡みをしてたらマローニじゃあもう誰も逆らえないだろう。ロゲなんていうクソ盗賊もいたが、実力が伴ってる分アレよりも相当タチが悪い。
「おっちゃん、ありがとう。うまかったわ……。んー、ところでベルゲルミル、お前……俺にケンカ売ってんのか? ああ?」
空気が急激に冷え込み、アーヴァインが殺気を放出した。
「え……? ちょ、ちょっ、アーヴァインさん? なんで? もしかして俺たちを捕まえに来たのか?」
「な、なんだと! お前が帝国の! このイオ、許さん」
「イオやめろ! 抜くなよ。アーヴァインさんは勇者だ。お前なんか鼻クソで撃ち殺される」
「久しぶりだなベルゲルミル・カロッゾ。他の仲間はどうした?」
「み……みんな死んじまったよ。生き残ったのは俺だけだ。それにこいつらは、ここで知り合ったただの飲み友達だから関係ない。手を出さないでくれ」
「へー、いまお前、俺『たち』を捕まえに来たって言ったよな? ベルゲルミル」
「い……言ってねえよ」
やばい、アーヴァインの殺気を受けてミルクイベントに参加していない、普通の飲み客たちががテーブルに突っ伏し始めた。アーヴァインの放つ殺気に耐えられないらしい。
このまま放っておくと吐く奴が出るぞ。
ベルゲルミルも頭に脂汗びっしょり。加えてこのストレスは頭皮にも毛根にもよくない。
助け舟を出してやってもバチあたらんだろ。
パシテーを衝立のところに残して、アリエルとロザリンドが酒場エリアのほうに入って行き、アーヴァインの横を通り過ぎてカウンターに座ると、ロザリンドが白々しく声を掛けた。
「タイセー、お前の知り合いだったのか?」
「ああ、ここに来たのはこいつの方が早いんだけど、実は高校の1コ下の後輩でさ」
ベルゲルミルの視線が安定しない。アリエルを見たりロザリンドを見たり……。
「ちょ、ちょっとアーヴァインさん、そいつらはあの、夫婦合わせて2500ゴールドの賞金首で……教会の敵なんだけど? アンタなんで一緒なんだ?」
「賞金首? じゃあお前が戦え。ほら、今すぐ戦っていいぞ。てかお前も生きてて軍を離反したって事がバレたら敵前逃亡やら脱走兵やらで軍法会議に掛けられて最悪斬首刑だぞ? わかっててやってんのか?」
「覚悟の上さ。って、なんだよアーヴァインさん、アンタなんでアリエルたちと一緒にいて冒険者登録してんだよ……どう考えてもおかしいだろ?」
「タイセーの高校の1コ下ぁ? ってことは私の後輩でもあるのね?」
「俺の後輩なのか? 藤堂って知ってる?」
「知らない。部活は?」
「え? ええ? 部活? なんで? 俺は野球部だけど何? アンタらも召喚者だったのか?」
「いやちょっと事情が違うけどな。野球部ってことは、瀬戸口らの後輩か」
「ああ、瀬戸口さんは俺の先輩だけど、ってなんでお前が瀬戸口さん知ってんだよオイ」
「瀬戸口はクラスメイトだ」
ちなみに瀬戸口ってのは、むか――し幼少期にガンツらと一緒にアリエルの前身、嵯峨野深月を虐めてたやつで、虎の威を借る狐のような奴だった。当然、美月には嫌われていたので、何度か角材でシバかれたやつ。
今目の前に居たら[爆裂]の一発でもくれてやりたい男の一人だった。
「ああ、タイセーも幼馴染だからね。まさかお前が後輩だとは思わなかったわ。ちなみに私は剣道部だからな。バット振り回してたような奴に剣で負けるわけがないんだ」
「そんなことよりも、このハゲが俺たちより1コ下の後輩だったって事の方が大事件だ」
「俺はハゲじゃねえって」
ベルゲルミルの半分禿げた頭から脂汗やら冷や汗やら、いろんな触りたくないベタベタした液体が流れ始めたころ、パシテーを先頭に、サオ、ドロシーにコーディリア。そしてレダ、タイセーの嫁二人がぞろぞろとギルド酒場に入って来た。どうやら略式手続きを完了して、ノーデンリヒト領民になって戻ってきたようだ。ドロシーたちは奴隷という身分から解放され、ニコニコしながらテーブルにつき、みんなミルクを注文してる。
「わはは、イオ久しぶり。チャンスだぞほら、みんなミルクを注文してる」
「おお、アリ……パシテー先生! ちっとも変わらないですね」
「…………イオ……お前もか。てか俺ずっとここに居たよね? わざとアリで切ったよねいま」
「イオ、久しぶりなの。騎士団クビになったって本当?」
「いいえクビじゃあないです。騎士の身分を返上して自分から辞めてやりましたよ。でもアルトロンド出身のアホどもは全員この拳でのしてやりましたからね」
シカトされた。イオにきっぱりとシカトされた。ベルゲルミルの言うように、本当に鼻クソで撃ち殺せるかどうか試してみたくなったけど、鼻クソをほじって弾を作る段階でロザリンドに殴られそうだから今日のところは見逃してやるとして、イオってば騎士団辞めていま冒険者やってんのか?
「で、冒険者になって、朝っぱらからこんなトコで飲んでんの?」
「ノルドセカにアルトロンド軍が集結してるらしいからな。俺がマローニを守らなければ誰が守るんだ?」
「ああ、ノルドセカの5000とセカの32000は片付けておいたから今のところは大丈夫だよ。また次来た時頼むわ」
「んなっ! ……さんま……ん……だと」
「ほらな、これだ。ベルゲル分かったろ? アリエルたちには逆らわない方がいいぞ」
「もっと早く言ってくれよ。なんか爆発して殺されかけたしよぉ。左腕を2回斬り落とされて1回叩き折られたしな」
ここでアーヴァインが思い出したようにポンと膝を打ち、これなら知ってんじゃね? 的な話題を出した。
「あ、そうだ。お前覚えてないか? 高校の時、事故で二人死んで、全校集会あったろ? 俺らはクラス総出で葬式に出たし」
アーヴァイン(タイセー)の情報によると、嵯峨野深月と常盤美月が事故に遭ったことで全校集会になってしまったらしい。まあ妥当な線か。
「ああ、ハッキリ覚えてるよ。ダンプ乗ってた奴が知り合いだったんでね」
「ほう、そいつの事ちょっと聞かせてくれないか? 帰ったらぶっ殺してやる」
携帯電話を見ながらダンプカーの運転。そして信号無視からの死亡事故……。被害者としては絶対に許せない。日本の法律じゃ飲酒運転でも何年か交通刑務所入れば済む話だろうけど、お天道さまが許してもロザリンドが許さない。
「いや、あの事故で電柱に突っ込んで死んだよ。あの下垣内が死んだと聞いて五中出身の奴らはみんな内心喜んでたけどな……」
「ちょっとまて。誰だって?」
「下垣内だよ。土建屋のドラ息子さ。家のダンプで飲酒運転だったらしい」
「もしかしてそいつ、下垣外誠司って名前か?」
とんでもない名前が出たので聞き間違いかと思ったが、フルネームで確認しても五中出身の下垣外誠司で間違いないらしい。
この下垣外誠司は、嵯峨野深月よりも3つ年上のヤンキーで、ハタチ過ぎてんのに中学生から金たかったり、パチンコ屋で後輩から玉たかったり、後輩の額に根性焼きと称してタバコの火を押し付けたり、女に睡眠薬入りの酒飲ませてやっちまったり、クズエピソードだけでバイブルができそうな奴だった。
そんなやつでも二千年も生きてその人生の大半を人の上に立って行動していると魔王でも簡単に手を出せないほどのリーダーに成長するのか。
あのクソフォーマルハウトに殺されたんだと思ったら、もっと念入りに苦しみを与えておくべきだった。何しろあれはてくてくを殺した分の仕返ししか含まれてなかった。美月を殺した分はまだ残ってる。
……まてよ、ってことは、あの場で死んだ3人がみんなこの世界に転生してきたってことか?
とはいえどうやれば2000年も時間がズレるのかは分からないのだけれど。
ベルゲルミルこと藤堂慎吾は中学生のころ下垣外に500円カツアゲされたことを今でも恨んでいるらしい。何年たってんのか知らないけど、こういうのは金額じゃない。受けた屈辱を晴らすには、屈辱を与えた相手をやり込めてスカッとするしか方法はないのだから。
「なんだと? 下垣外もこの世界に転生してて、フォーマルハウトになってるってか? ブッ殺してやんよ、あんな野郎この世界には要らん」
あの時死んだという下垣外誠司も転生していると知ったベルゲルミルがフォーマルハウトを倒す旅に出るとか言い出したのでフォーマルハウトはもういないってことを説明するほかなかった。殺してしまった事は伏せておきたかったのだけれど。
で、よくよく話を聞いてみると、あのフォーマルハウトも教会の最重要賞金首で、300ゴールドの賞金が掛けられているらしい。もちろんその賞金を受け取る権利はこっちにあるのだろうけど、受け取りに行ったら絶対また戦闘になってしまう上に、賞金はもらえそうにない。襲撃犯の汚名を着せられてまた賞金額が上がってしまいそうだ。
あーあ、300ゴールド損した気分。
300ゴールドっていやあ日本円にして3000万だよ? セカのいいとこに家が買えてお釣りがくる金額じゃないか。
「しかしアンタらが高校で1コ上の先輩だったとは……」
「そうだよベルゲルくーん、高校の1コ上に可愛い女の子いたでしょ? ほら私の名前を言ってみな?」
「1コ上なら超絶美女の柊先輩だな。俺はファンクラブと親衛隊に入ってたんだぜ」
ああっ……それはロザリンドに禁句だ!
「なんでっ、いちばんイラつく名前を出すかなあ……」
まずい。ロザリンドのイライラゲージが急激に上昇しているのが見える……。




