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【サイドストーリー】 敗残のステファノー その3

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 この少女とはあまり会話することはなかったが、二人しっかりと手を取り合って歩き始めた三日前から今日まで寝食を共にすることで旅の道連れとして認め合ったように思う。



 そして昨夜、少しだけ雑談を交わした中で、少女は自分から名を名乗った。


 『ヒミカ』それが少女の名。名乗ったということは、その名で呼べと言う意味なのだろう。


 ステファノーのほうもそう呼んでくれと言ったが、ヒミカは短く『ステ』と呼んだ。どうせ愛称で呼んでくれるのならほかに『スティー』とか呼びようがあるだろうに。



 昼間は少し街道を外れた道をひたすら西に向かって歩いて夜は穴を掘ったり、石を積んで身をひそめて眠る。遠くから視認されるわけにはいかないから火も満足に使えないが、半獣人のヒミカは寝ていても接近するものの気配に鋭く反応するので思ったよりも安心して眠ることができた。食べ物は毎日食べるとすぐに飽きがくる軍支給の戦闘食糧に、その辺りに生えてる食べられる雑草。道すがら樹木に生った木の実をとったり、目の前を横切るウサギなどの小動物を狩って食料にした。



 ウサギを狩るのはヒミカの役目。


 そう、半獣人のヒミカはウサギを狩るのが得意だった。


 エルフ族の俺が強化魔法をかけるとヒミカよりいくらも早く動けるが、ウサギを手掴みで捕まえる狩りでは、強化魔法を使えなくとも動体視力と反応速度が獣人レベルのヒミカのほうが優れている。



 勝ち誇ったようにニィ――――――――ッと笑う顔。


 ものすごくいい笑顔でウサギをとってくるヒミカを見るのが好きになった。



 最初のころはトボトボと足取りの重いヒミカの手を引いて歩いていたが、いつの間にかヒミカと歩く速度は同じになっていた。歩幅は違うけど同じ方向を目指す二人は手と手を取り合って歩く。


 平和な時代ならば、平和な土地ならば、俺たちは仲睦まじい親子のように見えたかもしれない。


 ヒミカの表情にも少しだけど温かみが戻ってきた頃、街道を外れて歩く俺たちの行く方向に、激しい戦闘の跡が見えてきた。



 ここはステファノーたち神兵がアマルテアの首都サマセットを目指して行軍中にデナリィ族のゲリラに待ち伏せされ、激しい戦闘になった場所だ。敵は50人規模のゲリラ兵だった。強化魔法を使えるスヴェアベルム兵二個大隊を相手に、まともな戦いになどなるわけもない。まるで焼け石にかけられて蒸発する水のような運命を辿り、為す術もなく全滅してしまったのを覚えてる。

 その戦闘を経験したステファノーたち神兵は皆、敵の弱さを再確認し、ガイナックスもコンデンバーグも敵を軽く見て、舐めたことを言い合うのに十分なほどだった。いま思えば、あいつらの軽口も懐かしく感じる。


 戦闘の現場、どうやら遺体はすべて埋葬されたようで、土を掘り返し埋められたような跡があったが、大地に流れた血液はその跡をドス黒く染めたまま、死の痕跡は残されたままだった。


 少し土が盛り上がった場所、そこに両手持ちの剣が一振り突き立てられている。あれがここで倒れた50のゲリラたちの墓標なのだろう。



 ここはそれほど見晴らしがいいわけじゃないが、見える範囲に人がいないことを十分に確認し、ヒミカにお願いをして、この場で少しだけ時間をもらうことにした。



 そして少し離れた丘に咲き誇る草花を右手で不器用に摘んで集めるとヒミカにも手伝ってもらって、というか、ヒミカに花の編み方を教えながら、花冠を編み上げ、それをヒミカの頭にかぶせてやると、ころころと笑いながらとてもいい顔で喜んでみせた。



 花を編むのは幼いころに両親を失い、姉に育てられ妹とばかり遊んでいた俺の内緒の特技の一つだ。

 片手で編むのはそれなりに苦労したが、ヒミカの手を借りればそれほど難しいことではなかった。


 仲間たちには口が裂けても言えないけれど。ヒミカを喜ばせられるなら封印した特技を披露するのもいいと思った。機嫌をよくしたヒミカにお願いして、もうひとつ、少し大きな花輪を編んでもらったので、さっき立ててあった剣の墓標に掛けてやることにした。



 ゲリラたちと戦った時には、まさかこんなに感傷的になるとは思わなかった。


 人の命の重さなんて、考えた事もなかった。


 知らない男が一人死んだところで眉ひとつ動かさない。むしろ知らない男が一人死んだという事実よりも、酒場の女の子をどうやって口説くかという問題のほうがよっぽど大事なことのように思っていた。


 ここで戦闘があってゲリラ兵を殲滅してからまだ14日ぐらいしか経ってないというのにこの心境の変化はどうだ。



 ヒミカは瞑目し、合掌して祈りを捧げている。この地の祈りはこうするのが慣わしなのだろう。


 だけどステファノーは合掌するための片腕を失った。仕方なく、片方の手だけでヒミカを真似て祈りを捧げた。



「いこう。ヒミカ」


「ん」




 ……っ!!!!!!!


 ヒミカの肩を抱き、また歩き始めようと振り返るとそこに、目の前に、いつのまにか人が立っていた。目の前も目の前、1メルダも離れていない、吐息が聞こえるぐらいのすぐ後ろに人が立っていた。



「……くっ!」



 どっと汗が噴き出すのを感じた。


 身長180サンチあるステファノーが見上げるほど大きい女が、足音も、気配もさせず、すぐ背後に立っていたのだ。


 肌の色は浅黒く、ウェーブのかかった黒髪、尖った大きめの耳。



 そして悪夢を呼び起こされる……紅い眼、あいつだ。

 ステファノーたち2千の神兵を襲い、成すすべなく壊滅に追いやった紅い眼の……、


 眼前に立つ女は、紅眼のダークエルフ。



 まさかと思った。そんなことがある訳ないと否定した。


 だけど、ガンディーナに住むエルフなら……知らない者はいない。


 人族以外でただ一柱、上級神第一位にまで登り詰めたエルフ族の英雄。



 ステファノーは20年前、故郷のガンディーナでこの戦神の凱旋を見た。


 7日前に戦死した腐れ縁の幼馴染たちも、ガンディーナからきた兵士たちはみんなこの戦神に憧れて戦士になったのだ。見間違えることはない。


 戦神の名は……、そう、


「ゾフィー……」


 あの女神ゾフィーが……、アマルテア紛争の初期に死んだはずの戦神が、ステファノーたちの憧れた当時の姿そのままに眼前に立っていて、その手には花束が握られている。ここで倒れたアマルテアの戦士たちを慰める花を?


 奇しくも同じ目的でここを訪れたこの戦神と鉢合わせになったらしい。



 無意識に一歩、二歩と下がってしまう。身体の芯からくる震えを抑えられない。




―――― ヒミカは……。



 ヒミカは最前線ではない軍の駐留地で雑用を担っていた民間人だった。


 兵士である兄が出征してしまったら12歳の子どもが故郷にたった一人残されることを案じ、軍に掛け合い、雑用などの仕事することで従軍していたのだ。



 ヒミカはあの夜、襲撃され次々と仲間たちが倒されてゆくという悪夢と混乱の中に居て、兄に手を引かれて逃げ惑った。気のいいおじさんたちが血飛沫をあげて殺されていくのを見たヒミカは、ただただ恐ろしかった。


 小さな小屋に放り込まれてドアを閉める前の兄の笑顔が忘れられない。

 最期に「ヒミカ、大丈夫だよ。兄ちゃんは強いんだ」と言って笑った、その笑顔が目に焼き付いて離れない。



 しばらくして、ドアを開けて入ってきたのは兄ではなかった。


 真っ暗闇の小さな小屋の中を探索するために入ってきた眼を忘れられない。暗闇にぼんやりと光る紅い眼を忘れられるわけがなかった。



「グルアァァ!!」


 ヒミカが唸り声をあげた刹那、肩を抱いていたステファノーの腕を振り払い、闘気と牙をむき出しにして、腰に差した短剣を抜いて襲いかかった。



 ヒミカの攻撃を受けようとも避けようともせず、とくに意にも介さずただ棒立ちのゾフィー。


 ヒミカの踏み込みは迅く、強化魔法を展開していなかったステファノーは反応することもできなかった。さしもの戦神ゾフィーであってもこの至近距離からの不意打ちに対処できない。



 花が散った。


 ヒミカがかぶっていた花冠がはらりと解けて、はらはらと儚げに散りながら、ヒミカと同じ放物線を描いて飛ぶ。ヒミカがドサリと音を立てて地に倒れたと同時に花冠も落ち、崩れ散った。


 ヒミカの攻撃は確かにゾフィーに届いたように見えた。だが、その攻撃を受けたのはヒミカだった。何が起こったのか分からない。


 ヒミカの胸が大きく切り裂かれて大量の血液がこぼれ出すのが見えるとステファノーは反射的にヒミカを庇える位置に飛び出して剣を抜き、かつて憧れた存在に向けて構えた。


 ガタガタと震えてはいたが、その魂は恐怖に沈まず、ただただ倒れたヒミカの身を案じていた。



「ヒミカ! ヒミカあぁぁぁぁ! 返事を、返事をしろ」

 ヒミカは今にも消え入りそうな声で応えた……。


「……ステ……」



 ゾフィーはヒミカが命を落とすような傷を負って倒れたことを意にも介さず、ただ目の前の同族を値踏みするように観察し、半ば呆れたように吐き捨てた。


「その娘を抱くかと思ったけど剣を構えるの? 隻腕のあなたが掴めるのは、どちらか一つだけよ?」



 そうだ。

 どうせ殺されてしまうのだと、ステファノーは観念した。

 姉と妹たちが買ってくれた命よりも大切な剣を投げ捨てると、ヒミカに駆け寄った。


 大量の血を流し、もう動くこともできず、呼吸も絶え絶えになったヒミカを右腕一本で抱きあげて、ステファノーは死んでゆくヒミカの狭いおでこに自分の頬をくっ付けて「ごめんな」と呟いたあと、ぐっと力強く胸に抱き寄せた。



 ヒミカの生命が失われていくのを止められない。


 自分の無力が悲しい。あの時、ヒミカが飛び出すのを止められなかった自分を責める。



―― パチン。


 指を鳴らしたような音がすると……地面が石畳に変わっていることに気が付いた。



「お帰りゾフィ……え? 誰?」


「ごっめーん、お願いよ。ちょっと間違えちゃった」


「はあ? 間違えた!? なにそれ……、ってこんな小さな子を傷つけたの? 何やってんのよホントにもう……」


 赤髪の少女が手をかざすと同時にヒミカを包む温かい光。

 ヒミカ自身が光を発しているようにも見えた。



「ほんとゾフィーったらなんでこうガサツなのかな。キュベレーも言ってやってよ。いっつも後始末は私に丸投げなんだからホントにもう」



 致命傷と思われたヒミカの傷がみるみるうちに癒えていく。いや、傷そのものが消えていく。まるで最初から何事もなかったかのように、斬り裂かれてしまった衣服がその痕跡を残すのみ……。


 気を失っちゃいるが、いまやヒミカはスース―と気持ちよさそうな寝息を立てるまで回復した。


 これが治癒の権能か。実際に見たのは初めてだ。



 安堵するステファノーの目に涙がにじむ。


 ホッとしたことで涙が溢れてきたことなど生まれて初めての経験だ。


 右の腕しかないが、不安定になりながらも、片腕で強く強くヒミカを抱きしめた。



 ヒミカを抱き寄せて顔を上げると、そこには3人の女性が立っていて、ステファノーは皆の視線を集めていた。面倒くさそうな仕草で不機嫌そうにしている……赤い髪の少女。この少女が? ヒミカを? 赤い髪? ……まさか、赤い髪と言えばソスピタの王族の証だ。そして治癒の権能を持っているソスピタ人の少女というのは……。



 呆然として言葉も出ないステファノーを尻目に赤髪の少女は言葉を続けた。



「分かってないわね、女の子を抱きしめるときは、両腕でギューッと強く抱きしめるものよ」


 さっきまで不機嫌そうにしていた赤髪の少女が微笑みを見せ、人差し指を立ててそう言うと、失ったはずの左腕にピリッと痺れに似た幻肢痛を感じた。



 ……!!


 痛っ……、



 え?



 腕に感覚? 失ったはずの腕に?



 ハッと腕に目が行く。


 失われたはずの左腕が、このわずかな間に戻っていて、まるで問題なく動く。



 左腕が戻った喜びもあったが、それよりステファノーはヒミカの命が助かったことを喜び、強く強く抱きしめた。


 寝ているヒミカの頬に顔をぐりぐりとこすりつけるほど力強く抱きしめた。


「ん……ステ、痛い……痛いってば」



 溢れかけていた涙がボトボトとこぼれて頬を伝う。


 もうとっくに枯れ果てたと思っていた涙まで戻ってきた。



「ふうん、アマルテア装束のダークエルフねぇ……あなたたち、どこに行くつもりだったの?」


 キュベレー? と呼ばれていたか? 髪も肌も服も何もかもが真っ白な……精霊?


 まさか精霊さまからお言葉をいただけるとは思っていなかったステファノー、少し畏まった表情で答えた。



「は、はい、この娘とゲランの門に……」


 キュベレーと呼ばれた精霊は無機質な表情を少しだけ変化させ、目を細めたように思えた。

 


―― パチン。




 また指を鳴らす音が聞こえたのと同時に、目の前から精霊さまも、赤髪の少女も消えてしまった。

 また景色も変わった。



 ここはどこだ?


 風向きが変わった。温度も変わった。

 空気の匂いもずいぶんと湿気を含んだ海の香りが混ざっていて、さっきまで石畳だった地面も草原になっている。


 なんだ? 遠くに見えるあれは、ゲランの神殿?


 いったい何が起こったというのか。



 振り返って周りを見回しても誰もいない、精霊さまは? ゾフィーは? ……赤い髪の少女は?



 きょとんとしてるヒミカ。


 夢か? 夢を見たのか?



 いや、夢じゃない。俺はいま強く強く、両の腕でヒミカを抱きしめている。



「ステ……苦しいよ」


「あ、ああ。ごめんな」





―――― 敗残のステファノー エピローグ



 ヒミカを連れてスヴェアベルムに戻ってから5年がたったころ、ステファノーたちが戦ったザナドゥは滅んだと聞いた。



 あの美しい世界に何があったのかは知らないし、知りたくもない。


 ステファノーは姉と妹と、そして、若くて可愛らしいハルジアンの押しかけ女房と一緒に畑を耕して暮らすことを選んだ。



 順調にいけば来年には新しい命が生まれてくる予定だ。


「もう、ステったら目を離すとすぐにサボるんだから!」


 早くも尻に敷かれつつある。……ウサギをとるのが下手で花を編むぐらいしか能がない、どんくさい男だから、一生面倒をみてくれるんだそうだ。



 幸せは、ここガンディーナにある。


 女神ジュノーは妻と、そして生まれてくる子を抱くための腕をくださったのだから。



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 【サイドストーリー:敗残のステファノー おしまい】



次話から新章に入ります。

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