【サイドストーリー】 敗残のステファノー その2
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―― 敗残のステファノー
ここは、ザナドゥの中北部に位置するアマルテアという小国。
温暖な気候で常に海からの東風に曝され続けることから文化的に風車がたくさん建てられていて、アマルテア国民の多くは風を利用して生活を楽なものにしている。井戸から水をくみ上げるのも、小麦を粉に挽くのも、およそ女の仕事で重労働というものは風がやってくれる。優しい国だ。
こんな小さくて貧しい国の王が偉い神さまに楯突いて激怒させたらしく、ザナドゥにある大国を含めた全ての国々を相手に、この小国は戦い続けている。
そう、信じられないような話だが全世界を相手にこんな小さな国が勝利しそうな勢いで快進撃を続けるものだから、ステファノーたち異世界からきたスヴェアベルム人が神々の敵を打ち滅ぼすための戦争を戦いにきたのだ。
こんなにものどかな風景の小国が全世界を相手に戦うことが出来たことには理由がある。
簡単な話だ。この世界、ザナドゥの民や一般の兵は魔法を使えないのだ。
アマルテアの国王が強力な権能を持つ爆破魔法使いであるということから、その国王とやらを倒せばこんな戦争も終わる。
ステファノーたち神兵は、アマルテア動乱から始まり拡大の一途を辿る戦争を終わらせるため、殲滅戦の命令を受けてアマルテア首都サマセットへと向かう途中だったのだ。
殲滅戦、要は皆殺しにせよという命令だ。
ここアマルテアに住むデナリィ族という少数民族を老若男女問わず根絶やしにするのがこの作戦の目的だ。未来に禍根を残さず、自分たちの世代だけで戦争を終わらせるためには殲滅戦を仕掛けるしかない。戦える戦士のみ殺して優勢勝ちなんてことをチンタラやってると、次世代を担う子どもたちが親を殺された憎しみをもって、戦争を知らなくとも新たな火種をくすぶらせることになり今後何百年にもわたって憎しみが継続することになる。それはこれまでどこの世界のどんな国でも、長い歴史の中で経験してきたことだ。
作戦が終了するとデナリィ族はこの世界から消え、アマルテアは地図から消去されることになるが、それもやむを得ないだろう。アマルテアの国王が何をしたのかは知らないが、神々にケンカを売るってことは、当然自らを滅ぼすようなことになるってことぐらい知ってのことだろうから。
女神ジュノーの寵愛を受け、魔法を使えるステファノーたちスヴェアベルム人との戦闘力の差は今見せた通り、左腕を失ったとしてもこの程度の者たちの10や20集まったところで、後れを取ることはない。
そのスヴェアベルムの魔導兵が2千もいて……皆殺しか。
生き残りは? 退却したか……。
いったい何がどうなったのか分からない。
さっきから記憶を整理するため、必死で思い出そうとしているが、思い出せたのは闇夜にぼんやりと光り、線を引いて流れるように襲ってきた紅い光。あれは眼だ。何か恐ろしい、猛獣のような眼。
奇襲を受け強化魔法の起動式を入力するまもなく、大勢が倒された。起動式が入力されても星明かりの中、混戦になりパニックになった……。
その結果が、今見えているこの一面死体だらけの丘だ。
街道からわずかに数十メートル。ステファノーたちは行軍していた街道から散会したところで倒されたということだ。
戦争を始める前に奇襲を受けて壊滅してしまった。
『情けない』と言えば自分の今置かれている状況を、一言でうまく説明できるのだろうか。
ステファノーはたったいま倒したばかりのアマルテア人たちの持ち物をあさった。
こいつらは死体から装備品をあさる農民だろう。さっきまでとは逆の立場になった、まさか次の瞬間には自分たちの死体を漁られて身ぐるみ剥がされることになるとは、こいつらも、今朝、パンかじりながらスープを啜ってるときには、これっぽっちも考えなかったろうに。
アクセサリー、ジャラジャラとした民族的なペンダントや帽子も。懐にはアマルテアの通貨か、貨幣のようなものも少しあった。あと、指輪と、なんだこれは? 青い石? 売れるかもしれない、これも持っとくか。
ステファノーは足もスムーズに動かない。ちょっと左の膝をいためてるようだ。
しかし、この国の民族服は悪くない。だぶだぶのローブのような形状なので戦闘など激しい動きにはまるで向かないが、とにかく隻腕でも目立たないところが気に入った。
丘の上に立って黙祷し、全滅してしまった大隊に別れを告げる。
草原には全滅したスヴェアベルム魔導兵二個大隊の遺体が生々しく放置されたままだ。
他に生き残りを探すよう常にあしもとに気を配って歩いてはみたが、ただ一人として動いているようなものは居なかった。ステファノーにはこの場をどうすることもできない。速やかにこの場を離れ、中継基地のあった村まで戻り、この惨状を報告するのがベストだ。
進軍してきた足跡を辿り、きた道を戻る。夜は満天の星空に覆われるくせ、ひとたび太陽が昇ると遠くに見える世界樹が常に視界に入っていて壮観としか言いようがない素晴らしい景観を作り出している。
丘が連続する谷の部分、風の通り道に林立するように建造された大きな風車が回転するギシギシという音も、敗戦し傷ついて家路を急ぐ敗残兵には心を苛む音だった。
あの音はこの世界の、この国の、この近くの村人たちが生活するのに欠かせない、営みそのものだ。
こんな異世界でも、人の暮らしがあって、温かい家庭を築いている。ステファノーも故郷に帰れば祖先からずっと守ってきた土地で、姉さんたちが汗水たらして畑を耕している。もうトマピの実が赤く色付いてるはず。もうすぐ収穫の時期だと思うと、なんだかいたたまれない気持ちになった。
風車から5ミロメルダも行けば村があったはずだ。あそこの村にはハルジア軍が駐留してるから、村まで行けばきっと食べ物も手に入るし、仲間の弔いもやってもらえるはずだ。
痛めた膝を庇いながら足跡を逆に辿って、来た道を1時間も歩けば村が見えた。
だが、村が……、燃えているのか? 広範囲で煙が上がっているのが遠目からでもわかる。
ここは一個師団、3万の友軍が駐留している中継地。
昨日、ステファノーたち2千の神兵が村を通過したとき、あそこにはアマルテア人なんて一人もいなかった。
この地域に住んでいたアマルテア人はもう、恐らくは誰もいないはずだ。もしアマルテア人が生きていて戦っていたとしても抵抗組織を作ってゲリラ的に小規模な抵抗をする程度だろう。さっき倒した死体漁りたちのように。
3万のハルジア軍に対抗できるアマルテア兵などいなかったはずだ。
ステファノーは煙の上がる中継基地に向かって、早足で歩きながら考えていた。
いま思えばおかしいことだらけだ。
昨夜の行軍にしたって今考えるとおかしい。アマルテアの首都までは、奇襲を警戒したのだろう森を避けるため直線距離を行かず大きく迂回して120ミロメルダ。4日の距離なのになぜ夜陰に紛れて進軍しなければいけなかったのか、ステファノーたち神兵が遭遇したアレの襲撃を避けるためだったと考えれば辻褄が合うのではないか?
強化、防御魔法を展開する間もなくやられたとはいえ、2千もの兵に魔法展開させる間もなく倒し切った戦闘力も異常だ。ってことは、2千のスヴェアベルム兵が数秒で? いや、あり得ない。
圧倒的に情報が不足している。敵が何人いたのかすら分からない。
ただ、闇にぼんやり光る紅い眼が光跡を引いて襲ってきた。それだけだ。
痛めた左膝は痛むが、中継基地のあった村に着いた。
中に入るとあちこちの建物が燃えてしまったようだが、すでに火災の勢いはそれほどでもない。建物が燃え尽きて自然鎮火したようだ。
地べたに転がっているのは、ステファノーが居た大隊の全滅状況と同じ、おびただしい数の死体・死体・死体……。死体の血の固まり具合と攻撃を受けた傷の検分をする。
およそ大多数の死体は鋭利な刃物で切断されれている。まるで紙細工のようにスパッと。防具もろとも。だがしかし、血の付いた剣を握り締めて倒れている者も少なからずいる。あの敵に手傷を負わせたとは考えにくい、これは同士討ちの疑いが強い。
建物火災の方はというと、状況を見るに深夜の襲撃に松明を持って応戦に出たものが倒されたことによる延焼という線が濃厚か。ハルジアンは魔法が使えない。炎術師がいないなら魔法の誤射もないだろう。
恐らくはアマルテア首都制圧に出たステファノーたちがあの草原の続く丘陵地帯で襲われたのとほぼ同時か、もしくは二個大隊を全滅させた後にこの中継基地が襲われたと考えるべきかもしれない。
だいたい誰もが剣を抜いたまま倒されている。これは昨夜ここで戦闘があったという事だ。
いや、戦闘があったのは当然だが、中継基地の外から魔法で射撃するといった攻撃方法ではなく、夜戦を得意とする半獣人のハルジアンを恐れず、中継基地に堂々と飛び込んできて、思う存分暴れて帰ったということだ。
いくら魔法を使えないハルジア兵だとしても3万の兵が剣を抜いて皆殺しだと? イヤでも脳裏をよぎる。昨夜のあの赤い眼は、通りがかりに遭遇したステファノーたちをあっさり倒したあと、この中継基地に来て3万の兵を皆殺しにしたのだ。
ここまで圧倒的な力を持った敵。状況証拠を整理するだけで敵の正体はおよそ窺い知れる。
2千の神兵を襲い、中継基地に駐留していた3万のハルジア兵を全滅させた敵の正体は……神だ。
ステファノーたちスヴェアベルムで組織された神兵は、主神である十二柱の神々の神託を得て戦っている。その力は絶大で一般の魔導兵など何万いたところで物の数ではないと言われているが……。
十二柱の神々でないとすれば、この四つの世界に二十四柱いると言われる上級神でも相手にしたのか。
いや、上級神で暗闇で紅い眼を持つ戦神……、となるとステファノーたちダークエルフには真っ先に思い浮かぶ者がいた。
ステファノーの故郷、ガンディーナの英雄であり戦神でもある。
いや、戦神ゾフィーは何年か前に死んだと聞いた……。
ステファノーは湧き上がる疑念を振り払いながら中継基地を探索した。すると焼かれていない建物の中に食料や医薬品など使えそうなものがあった。見つけた食料はクソまずい戦闘食糧だが、これがあると命を繋ぐことができる。左腕を失い、食べ物にも困るであろう逃避行を助けてくれる最も重要なアイテムだ。これをさっき拾ったショルダーバッグに詰め込めるだけ詰め込んだ。
―― カサッ……。
物音と同時に強化魔法を展開し、柄に手を掛けた。
衝立の向こう側、さっき見たときは誰もいないと思っていたが、油断したようだ。
建物の奥の隅に背を任せ、小さくなってガクガク怯えている。半獣人の……子ども? 少女か。
ハルジア人はハルジアンと呼ばれる種族で、スヴェアベルムには居ない半獣人と言われるザナドゥにしか住んでいない。その姿は毛皮を持たない獣人といったもので、外見は普通にエルフや人と変わらないが鋭い爪と牙をもっていて、耳が長い点はエルフに似ているが、ハルジアンの耳は獣の耳。そして獣人なのに尻尾もない。
装備品から見るに、この少女は兵士じゃない。この村に駐留していたハルジア兵の家族だろう。
「俺は敵じゃない。怖がらなくていい」
ハルジアンの少女は大袈裟にガクガクと震え、涙を湛えた目でステファノーを凝視すると、何かを察したように視線を落とし、しくしくと泣き始めた。
さっき入手したばかりの保存食を目の前に差し出すと、最初は目線をそらしたりして取り付く島もなかったが、なるほど、そういえばアマルテア人の服を拝借したままだった。これじゃあ敵だと思われても仕方がない。まさか村が壊滅的な被害を受けているなんて思いもよらなかったので、変装を解くことなく村に入ってしまったようだ。まったく、生き残りのハルジア兵がいたらいきなり矢を射られても文句は言えなかった。
ステファノーは迂闊な行動を反省すると帽子を取り、スヴェアベルムから来たエルフだと明かしたうえで、このアマルテア人の服は敵を倒して奪った事、昨夜ここを素通りしたスヴェアベルムの魔導兵だという事と、そしてただ一人生き残ってここまで歩いてきたことを話すと、少女は小さく何度も頷いたあと壁伝いにヨロヨロと立ち上がった。
改めて見ると小さい。130サンチぐらいしかない子どもだ。
短剣を腰にさしてはいるが布の服を着ているし、所属を示すタトゥーもない。
明らかに民間人だ。
少女はステファノーを敵じゃないと判断すると小屋を飛び出した。あたり一面に散らばるおびただしい数の死体の中から一体の亡骸を見つけて、その亡骸の胸に伏してまた泣き始めた。
襲撃者からこの小屋を守るために戦ったのだろう、剣を抜いてはいるが、一太刀で袈裟斬りにされてしまっている。肩から入って胸を深く斬り裂き腰までを一直線に斬られていて、背中の皮で繋がっているようなものだった。その深い傷を見るに即死だったことは誰の目にも明らかだ。
遺体に伏したまま動こうとしない少女の傍ら、ステファノーはなぜかここから立ち去る気が起きなかった。なぜなのかはわからない。もちろんこの少女に特別な感情が芽生えた訳でもない。ただ、この少女をここに置いていくことはできないと思った。それだけなのかもしれない。
ステファノーはガキの頃からの腐れ縁だった友を失い、所属していた大隊も全滅、逃げ帰ってきた駐留地では一個師団3万もの兵が全滅していた。自分以外の兵士は例外なく、皆ひとしく死んでしまった。
小屋を飛び出して亡骸を探し当てた少女ならこの惨状の意味するところを理解しているだろう。
だけど、この惨状……、目を開けると視界の全てが死というこの有様の中、たった一つの命が失われたことに心を痛め、涙する少女を放ってはおけなかったのだ。
ステファノーには、この少女こそが“まとも”に見えた。
狂ってるのは世界の方だ。
この狂った世界にありながら、正しくあろうとする、この少女の命が愛おしいと思った。
しばらくすると少女は泣き疲れたようで、亡骸の前に座ってただ茫然としている。
ステファノーは手を伸ばし、小屋を守って力尽きた戦士の瞼を閉じてやった。
これでゆっくりと眠れるだろう。
日暮れが近くなってきた。
太陽が西に傾き、スヴェアベルムで見るのとは違う、風に流れる厚い雲が多層に折り重なる夕焼けが一日の終わりを壮大に演出し、藍に染まりゆく刹那のグラデーションを経て、また夜がくる。
「夜がくる前に、ここを離れよう」
驚いたように顔を上げた少女は差し伸べられたスラッと長い手を、綺麗な手指に目を奪われる。
「おじさんの名前はステファノ―。キミの味方だよ。ここにいると危険だ、とりあえず安全なところに行こう」
少女は少し困惑した表情でステファノ―をじっと凝視していたが、やがて差し伸べられた手を取ろうとし、いや、少し迷ったのか手が止まる。
ステファノーは視線を合わせるべく片膝をついてしゃがみ込み、優しく囁く。
「こんなところは嫌だろう? うちに帰ろう」
少女の獣のような耳にはその言葉がとても魅力的に響いたのだろう。声を振り絞って答えた。
「……ない」
初めて聞いた少女の声は少しかすれていて、耳を凝らして聞かないと聞き逃してしまうほどにか細い声だった。『うちなんかない』そう言いながら少女はステファノーの手を取って立ち上がる。
ステファノーは一つしか残っていない手で少女の手を引いて、この世界から逃れることを選んだ。
ここからハルジアとの国境まで軍人の足で20日かかる。そこからゲランの門まで更に20日。
だがこの少女の足では国境まで30日かかるかもしれない。
二人はほとんどなにも話すことなく、握り合った手のぬくもりだけを確かめ合い、ハルジア軍の拠点だった村を離れた。




