06-12 神々の道★
ここには石板は全部で7枚。……5枚だと思ってたけれど、ここセカの神々の道は2本追加されているようで、東に3枚のうちたぶん真ん中がアプサラスの居たシレンの村。乗ってみたがやはり起動しない。北東に1つ、南東にも1つで、南東のほうは乗っても起動しないけれど、北東の1つは起動した。
北の石板はきっとドーラのドルメイ山脈、麓にはメルドの村がある、てくてくの神殿。
西のはエルダー、フェアルの村、南はアムルタ、エドの村だろう。どれも起動した。
初めての時は手で直に触らなければ起動しなかったのだけれど、いまは靴のまま上がっても起動する。 転移魔法陣の使い方をアリエルが覚えた訳じゃなくて、まるで魔法陣のほうがアリエルを覚えてくれているような奇妙な感覚……なんだか、とても懐かしく感じるのはなぜなんだろう?
「ロザリンド、俺の手を握って。飛べるかテストしてみよう」
「え? え――っ? 飛ぶ? え?」
ロザリンドの手を引いて西側の大石板に乗ると高いモスキート音のような小さな音がして魔法陣が起動した。マナを吸われる事もなく、魔導結晶を奪われることもなく。魔法陣は静かに光を放ち二重に分かれて展開する。これが多重魔法陣ってやつなんだろう。
そしてふたりは光に包まれ、空間が歪むのを感じた。
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ぐっ……何だ……頭が。
突然頭を何か硬い物で殴られたような衝撃があった。
「ツゥ……」
ズキズキと後を引きながら急激に引いてゆく痛みに安堵感を感じ始めると、ようやく周囲にまで気が回るようになった。
ここは? どこだ?
フェアルでもなければ、エドの方でもない。西を指し示す転移魔法陣に乗ったら必ず西に位置するエルダー大森林に転移するはずだと思ってたのに、もしかして見立てが間違っていたのか。
岩山から大樹海を見下す雄大な景観が楽しめるはずのアスラ神殿のはずが、ここは小高い丘の上? すっごい見晴らしがよくて、地平線まで見えるような大平原が見渡せるのだ。
どこだ? 振り向くと大河が見える……ジェミナル河だとしたらここはセカか? いやセカの地形に似てるけど、家が一軒も建ってない。ただ視界の全てが大草原で、風になびく草が波打っている。
頭痛が晴れて目を開けると、否が応でも分かったことがある。どうやら転移先を間違えたようだ。
少し呆然としながらこの大眺望に見入っていると、バッと乱暴に後ろからいきなり腕を掴まれた。いきなり力加減なしに身体ごと持って行こうかというほど急激に腕をとられた。
「ねえ、なにみてるの? スヴェアは風が凪ぐことあるからね、やっぱ風がないと寂しい?」
見知らぬ赤い髪の女の子がそこにいた。いや知ってる……この子を知ってる……。
ロザリンドが腕にくっついて胸を押し付けてくるなんて今までなかったことだから一瞬喜んだのに、腕を掴んだ女の子はロザリンドじゃなかった。この細い腕にグイグイと胸を押し付けてくるこの赤い髪の女の子……。
血だらけになったこの子を腕に抱きながら泣いた……のも覚えている。
いま見ているのは幻なのだろう。だけど幻にしては細部まではっきりと見える、まるで記録映像のように。
「西の転移門、接続完了。さすが私、完璧だわ。ねえベル、何してるのー? 飛ばないの?」
「ベルは景色に見とれてるよー。私に見とれてくれたらいいのに」
転移門、接続完了? と言って魔法陣が起動した石板の上から自分のことをベル? と呼ぶ女性……ロザリンド? いや違う、角がない。
魔法陣の立ち上がった石板の上からこっちに向かって手招きをする女性……ロザリンドほどの長身にウェーブのかかった黒髪。そして浅黒い肌と……紅い眼……。大きくて尖った耳。……この女性はエルフ、ダークエルフだ。
この人が誰なのか、ハッキリと覚えてはいなかったけれど、頭の中で何かがカチッとはまった。
アリエルはこのロザリンドから角と牙と爪を取り払ったような女性こそ、ゾフィーだと直感した。
この赤い髪の女の子も、そして『ベル』と呼ばれるその名前にも……。
知らないわけじゃない。絶対にこの人たちを知っているのに、まだ思い出せない。
何かとても大切な事を、絶対に忘れちゃいけないことのような気がして、心がざわめく。
「ホントにもう! いつもいつも……。まるで子どもね。少しは離れたらどうなの? じゃあどうする? もう少しここで風が吹くまで景色を眺める?」
……あっ!
そうだ。
少しその手を離せと言われてもまるで耳に入ってない様子で左腕にぶら下がる、この赤い髪の女の子の顔、見覚えがあるはずだった。知ってるはずだった。
中学、高校と同級生だった柊芹香だ。
バレンタインデーに柊からもらったチョコ、ぜんぶ常盤美月に奪われたんだった。
残念ながら柊と美月とはあまり仲がよろしくない。いや、犬猿の仲と言って過言ではなかったはずだ。むしろあの美月の天敵のような女性だった。
そんな子がなんでこんな所にいて、腕にぶら下がっているのか?
パラパラと記憶の断片が脳裏に浮かんでは消える。
小学生のころ、柊が転校してきた日のことも、中学時代、なぜか帰り道に良く会って、くだらない話をしながら帰った思い出が、風にめくれるカレンダーのように、次々と脳裏に浮かんでは消えて行った。
断片的ではあったけど鮮明に。高校時代、必死で自転車こいでるところを追い抜いてゆくバスの中から微笑みながら小さく手を振ってくれた事……。高い塔のてっぺんで肩を寄せ合ったりという、まるで心当たりのないような映像まで……。何枚も何枚も写真のような映像のカケラが様々な場面で映し出され、いくつもいくつもいくつもいくつも……現れては消えてゆく。
これは記憶? てくてくに見せられたものに似ている気がする。
場面は移り変わる。
傷ついて血まみれになった柊を、強く抱きしめながら、傷を治そうとして……、だけどこれほどの傷を治すには再生者程度の治癒力じゃ、まるで足りなくて……。
「うわぁ……ジュノー! ジュノォォォォー!」
薄れてしまった記憶の中で叫んだ名前。
ジュノー?
ああっ、そうだ。思い出した。
てくてくに見せられた記憶の中で、自分の隣で磔にされて処刑された赤い髪の女がいた。
そうだ。
ジュノーだ。
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ハッ……。
このむっとする多湿環境。風に乗って流れてくる緑の木々の醸し出す香り。
エルダーの転移魔法陣か? アスラの神殿?
フェアルの村近く、岩山の神殿。別の場所に転移してしまったと思ったんだけど?
いったいなにが起こったのか? もしかしてジュノーの幻でも見たのか?
「うっわ。前触れもなくいきなり転移するのね。なんかヌルっとしたわ」
横を見るとロザリンドがいて、永遠にも感じるほど長い夢を見ていたというのに、まるで『どうしたの? 何かあった?』みたいな目で見ている。どうやら幻影は、一瞬の、瞬きほどの時間だったらしい。
「んー……」
「どうしたの? なんか様子がおかしいわ?」
「いや、何でもない。ちょっと頭がクラッとしただけ」
「ヌルっとするよりいいじゃない?」
柊の夢を見ていたなんて言ったら、ロザリンドにアイアンクローされて、ギリギリと締め上げられて、納得に行く答えを言うまで締め上げられるんだろうから、ここは何も言えない。言えるわけがない。
「あ、そうそう、この岩山の道を降りて森に入ったら木の上から虫が落ちてくるかも知れないけど、絶対に殺しちゃだめだからね」
「ドーラにはあんまり虫いなかったけど、ここは羽虫多いわね。蚊とかも居るの?」
そういえばこの世界に来て蚊は見たことないな。ノーデンリヒトやマローニは北国だからいないと思ってたんだけど、南のアムルタ王国でも見なかったし、ここエルダーでも刺されて痒くなったことはない。ハエは地域の区別なく普通に見かけるけど……。
二人は小さな陽炎に似た羽虫が煩わしい山道を、岩山からフェアルの村へ降りる道をスタスタと小走りで駆け降りる。
しばらく急勾配の、ひとつひとつ段差の大きさが違う階段を下りてゆくと、すぐに道かどうかわからないような薄暗い森に入った。とはいえ、何日かに一度は誰かが歩いているのだろう、村の方に続く踏み跡が獣道を作っていたので、以前ここに来た時と比べると、幾分か歩きやすくはなっている。
ただひとつ、ここから少し離れた巨木の上から俺たちを監視しているような気配を感じるだけだ。
「ねえ、さっきから見られてるんだけど?」
「ああ、そこの木の上な……。隠れても無駄だよ。レダ」
ほとんど気配を読めないロザリンドにすら一発で看破されるほどバレバレだった。
バレないと思っていたのだろう、自信のあった隠れんぼで負けたせいか、なんとも決まりの悪そうな表情を取り繕おうともせず木の幹の後ろ側からレダが現れ、後ろから……ひょこっとアスラが覗く。
昔からバカと煙はっていうけど、なんでレダがこんな高いところに……。
左腕を骨折でもしたのか、添え木をしていて、その腕をグルグル巻きにしてる布はもう何が染み込んだのか分からないほど汚れていた。てか、怪我してんのにそんな高い木に登って大丈夫か?
「アリエル兄ちゃん?」
レダは落ちたら軽く死ねるような高さからひょいと飛び降りて、こちらに向かってスルスルとなめらかに滑ってきた。
[スケイト]だ。
そういえば村の祭りでちょっとだけ[スケイト]教えたっけ。あれから独学でここまでできるようになったってことか。だけど木の上じゃあ[スケイト]の土魔法は弱くなるから、木登りは難しいはずなんだけど……。
「やあ、レダ。おっきくなったな? よう! アスラ久しぶり」
「テックのマスター。神々の道を通ってきた?」
「ん。アスラ神殿使わせてもらってるよ。しかしすごいな、レダ。ちょっと見ない間に倍ぐらいに大きくなってんじゃん」
「何年たったと思ってるの? 私はもう9歳なんだからね。もうすぐ兄ちゃん追い抜くんだから。……えと、……そっちのおっきい人は?」
「俺のお嫁さんだよ」
「なーんだ。私をお嫁さんにしてくれると思ってたのに」
「あはは、レダ、側室なら空いてるけど?」
「そんなの興味ないよ。イーだ。兄ちゃんなんか嫌いだ」
「ロザリンドです。よろしくね。レダ」
「フン!」
ぷいっと横向いて意地悪をするレダとロザリンドの苦笑い。
レダもそんな歳になったんだな。
「セキとレダに手を出したらドロシーに怒られるからね」
「ドロシー?」
「うん。レダのお母さんだね。いまマローニって街にいるんだ」
レダには母親を安全に保護してあることをまず最初に告げて、道中でアルトロンド軍と戦闘になることは分かってたから連れて来られなかったことも、言い訳ついでに言っておいた。
まずはドロシーを受け入れてもらえるかを村長のタキビさんにお願いしにきたというのもある。
「本当に!? アスラごめん、村に戻ってくるね。……また遊ぼ。お父さんに知らせないと」
アスラはまだ村には入れないのかな……まだ村人を殺したことになってるとしたら弁明してやらないといけない。いつまでもフォーマルハウトの罪をかぶったままにしているのはよくない。
「わたしにはトモダチがいるから平気だよ。テックのマスター」
「そか、レダをお願いな」
「ところで、そのケガは? どうしたんだ?」
「おととい木渡りしてて落ちたの。折れちゃった」
「そか。ちょっとこっちにおいで」
レダをひょいっと抱きかかえお姫様を抱っこしつつ、左腕に手を添えてケガの治療をするのにちょっと集中したせいで、途中の芋虫ゾーンを忘れてたんだけど……。
「ヒヤァァァァ!!」
「ロザリンド、殺しちゃだめだぞ。この虫は村のものなんだからね」
「ぞわぞわずる……見てよこの鳥肌、ダメ、柔らかい虫ダメ! 大きいのはもっとダメぇー!」
ロザリンドの叫び声に驚いてバサバサと鳥たちが飛び立って逃げるもんだから、客の来訪はあらかじめ村人たちの知るところとなった。
趣味の悪いチャイムみたいなもんだ。




