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06-10 殺戮者アリエル

 篝火から遠ざかり、そこそこ暗い夜の闇に、ぱあっと発光する魔法陣から飛び出したハイペリオンは、少し肌寒い夜の風の中、流麗な泳ぎで夜の世界へ高く舞い上がり、アリエルの[スケイト]に遅れることなく、まずは真上にポジションをキープした。


「ハイペリオンは左半分を。俺は右な。みんなやっつけてしまおう」

 アリエルの声はしっかり届いているらしく、急加速したハイペリオンのスピードにまったく着いて行ける気がしない。一瞬で引き離されてしまった。俗にいうブッチギリというやつだ。


 いや、敵陣にカチ込むんだから仏痴義理ぶっちぎりといったほうがやる気がでるかもしれない。


 飛び出していったアリエルを心配そうに見守るボトランジュの陣では、暗闇に不確かなものが飛び出していったことで、およそ見ている者たちはみな戦慄する。そしてそれはボトランジュ領主アルビオレックスも例外ではなかった。


「ロザリンドさん、アレは? 絵本などに出てくるアレか?」

「はい。ハイぺリオンの親はミッドガルドと言う35メートルの人食いドラゴンで、ドーラでは悪夢のような存在でした。誰もミッドガルドを倒せるなんて考えてなかったんですけどね、うちのひと、ドーラではちょっとした英雄なんですよ♪」


「なんと、子どものころオフィーリアに聞かされた怖いドラゴンの名前が確かミッドガルドだった。エルフを頭からガリガリとかじるらしいじゃないか。わしはその話を聞かされただけで怖くて夜も寝られんかったというのに」


 その怖いドラゴンよりも自分の孫の方が怖かったという。


「あれは何だ……」

 ひとりの兵士がつぶやくと、二人、三人と広がり始め、ざわめきは瞬く間にボトランジュの陣全体にまで広がっていった。アリエルに襲撃されたことで突撃してくるであろう敵兵を迎え撃とうと隊列を組んでいた者、飯を食っていた者、仮眠をとっていた者も、およそ誰も今まで聞いた事のなかった甲高い声と、そのあとの「ドラゴンだー!」という悲鳴にも似た叫び声に驚いてみんなテントを飛び出した。


 星明かりが頼りにならない薄曇りの夜、数百メートル離れた敵陣までは遠く、たまにキラキラと白銀の鱗が反射する光が目に入るだけで、あまりの速さと、その尋常でない出来事のせいで脳の処理が追い付かないのだろう、ボトランジュ兵の多くは、こんなにも危険なハイペリオンの姿すら見ることが出来なかった。


 ハイペリオンはアリエルが[スケイト]で滑るよりいくらも速く敵陣上空に侵入し、矢も届かないような上空から息が止まるほど強力な威圧を放ち、標的の動きを止めたのち、圧倒的高温 、高密度のブレスで薙ぎ払ってゆく。まずは外側をぐるりと焼き払い、稀にいる威圧がうまく乗らなかった敵兵たちをも炎の包囲から外に逃がさぬよう、周到に、丁寧に、真っ暗なキャンバスに絵の具を盛って塗りつぶすように焼き尽くしていった。


 アリエルとハイペリオンを見守るボトランジュの陣地からは闇の中で火柱が大暴れしながら次々と延焼しているようにしか見えない。そしてその直後には右側からも雷光のようなフラッシュがいくつも輝いた。その閃光により、滞空している龍の姿が一瞬だけ見られるといった、とても拙い状況だった。



―― ドン!


 ―― ドドドドォォォォ


  ―― ドドドーン!


 空気の裂ける音が聞こえる。まるでここは日本で、今夜は打ち上げ花火の夜であるかのような風情たっぷりに爆音が響いくる。遠くから見ていると、あそこで人が死んでいるとは考えにくいほど美しい閃光がパパっ、パパパッと輝いては消えてき、その炎上する大火災は、セカはおろか50キロ以上離れているであろう、領境の街や村からも観測された。


 ロザリンドが見ているボトランジュの陣では、光から1秒ちょっと遅れて激しい爆発音が一帯の空気を激しく振るわせる。この距離であっても、至近距離で大太鼓を打ち鳴らされたような音圧が腹に響き、一般兵士の中には耳を押さえてしゃがみ込んでしまうものまでいる始末だ。

 星のない闇夜、真っ赤に焼けて染まる低い雲が、見るものに畏怖を覚えさせる。



―― ドン!


  ―― ドドドドーン!


 ―― ドドドドオオオオォォォ――――ンンン!


 爆発音は無数に、断続的に聞こえてくる。まるで遠くの国で起こっている絵空事のように現実味のない光景が眼前に広がった。当事者意識が薄くなり、ただ茫然と見ているだけだったボトランジュ領軍兵士たちはその目で目撃する。


 あれこそがボトランジュ領主の孫、

 あのトリトン・ベルセリウスの息子。


 セカでは音に聞こえた天才少年剣士の成れの果て。


 彼こそ、ノーデンリヒト戦争で、獣人たちから"死神"と恐れられたアリエル・ベルセリウスだ。


 傲慢なるアルトロンドは色と欲に目がくらみ、無知なる神聖典教会は、間違った信仰を貫こうとしたため死神の怒りを買ったのだ。


 そこには勝利の喜びも、共闘の歓声もなかった。ただ俯瞰的ふかんてきに、他人事のように、夢うつつの事象を見ているように、ボトランジュ兵たちは言葉もなく立ち尽くし、ただことの成り行きを見守るしかなかった。


 大規模に炎上する敵陣ではハイペリオン起こした大火災のせいで"火災旋風"が発生し更なる追い打ちをかけられており、およそ5分の夜襲であれほどの阿鼻叫喚だったアルトロンド軍、32000の陣は沈黙。警戒を促す叫びも、救援を呼ぶ悲鳴も、もう何も聞こえなくなってしまった。まだまだ多くの気配が残っていたがわざわざ念入りに止めを刺しに行くこともない。放っておけばこれからさらに多くの命が消えてゆくだろう。


 トドメを刺して急激に命を奪うか、それとも放置しておいて緩やかに死ぬのを待つのか、愚かなアルトロンド軍にはそのどちらかしか選べなかった。



 サルバトーレ高原にいる者は皆言葉を失って、真っ赤に染め上がる大火災現場を遠くから見守り、しばらくするとアリエルはハイぺリオンを伴って無事に戻ってきた。



 ……両手で前を隠しながら。


「何で裸なのよ!!! なんで全裸なの? いったい何をしてきたの? ケガもいっぱいしてるし……また自爆? あれだけ言ったのにまた自爆したの!」


 アリエルはまたロザリンドに怒られた。

 最初こそ順調だった。しかし敵もバカじゃないのだから戦局が混乱すると散開しようとする。爆破魔法やドラゴンのブレスが来ることが分かっていて密集しているなんて愚の骨頂だ。


 広がって逃げようとする奴らに[爆裂]を効果的に当てるためには至近距離に詰めないといけないし、至近距離に詰めたら詰めたで爆風をモロに食らっちゃってこのザマだし……。



「今そこで気が付いたから服を着るの間に合わなかったんだ」


「殺し合う敵に対しても敬意を払わないとダメ! 最後に見た者が全裸の魔導師だなんて気の毒すぎるわ。早く服を着てよもう。全裸にソックスとシューズだけって、まるっきりストレートに変態だからね。……すみません、おじいさま、さっきの英雄の話は聞かなかった事に……」


「わはははは、アリエルお前も尻に敷かれとるな。それは夫婦円満に過ごすコツだからな、嫁に怒られておるうちは安泰安泰。だが、全裸はダメだ。服を着なさい」


「この前買った革のズボンがあるでしょ?」


 この前ロザリンドがマラドーナ装品店で買ってきたのは革ズボンだ。

 普通にカッコいいかもしれない。普通の革ズボンなら。


 でもロザリンドが買ってきてくれたのは太ももがピチピチで裾が広がった黒革のラッパズボンだった。

 日本で言うと70年代アイドルしか穿いてないようなデザイン。いくらロザリンドが買ってきてくれたものでも恥ずかしい。サナトスに変な服着せないよう言っておかないと。


 アリエルはいつも普通の旅装りょそうを[ストレージ]から出し、その上から誰が見ても魔導師にしか見えない黒のローブを羽織るスタイルだ。軽いし楽だし、雨も風も日光もそして寒さまでしのげる素晴らしい旅装だと思うのだけれど……、

 ロザリンドいわく『ダサい』のだそうだ。ラッパ選ぶような奴に言われたくないんだけどね。


「……ラッパは勘弁して。明日セカで買うから」

「次裸になったらラッパ履かせるわよ」


 ……。



----


 その夜アリエルたちはアルトロンドの陣が見渡せる丘の上の端っこでカマクラ作って仮眠をとらせてもらった。夜襲をかけられた側の突撃を想定して待機していたボトランジュ軍は、サルバトーレ高原に朝霧が覆うまで、くすぶる敵陣を見張っていたが、何の動きも見せなかったことを確認し、炎が収まるのを待って領軍の兵たちが敵陣を検索した結果、32000の軍勢は、その数のほぼ全てを炭素に変えていて全滅状態だった。


 状況を正確に把握するのと生存者の捜索をするのにずいぶんと時間がかかったが、敵陣にいた生存者は重軽傷者あわせて304名しかいなかった。これによりアルトロンド軍は99%の兵を失ったことが判明した。


 まごうことなき全滅、明らかなる大敗であった。


 その内訳は、アリエルが全裸になりながら攻めた右側のアルトロンド領軍の陣から生存者304名。

 ハイペリオンが攻めた左側の神聖典教会の陣は生存率0%だった。


 アリエルたち夫婦が仲良く、揃って朝の体操を兼ねた素振りをしていると、昨日少し話した将軍付きのソーサレス親衛隊長が連行されてきた。ピカピカだった鎧はコゲコゲで見る影なく、マントも下から半分以上が焼失てしまったらしい。

 ボトランジュのテントへ連行され、アリエルの横を通るときに横目で一瞥くれてから天幕に入って行った。


「アリエル、朝の鍛錬か。熱心なことだな」

 サナトスが生まれてからサボりがちになってる朝の鍛錬の途中、祖父アルビオレックスが出て来たので『おはよう』と元気よく挨拶を交わす。とても清々しいとは言い難い戦場の朝だけど、昨夜のうちにアルトロンド軍は掃討しておいたので、昨日までずっと頭の中にズンと重くのしかかっていた『俺のせいでボトランジュが戦争に巻き込まれる』といういきどおりは少しだけ治まったように感じる。


「鍛錬の途中悪いが、捕虜にした親衛隊長な、これから尋問を始めようと思うのだが、お前も聞きたいことがあるんじゃないか? 鍛錬が終わったらでいいから、本陣のテントに顔を出すがええぞ」


 アリエルたち夫婦はかなり高さに差はあるけれど、仲良く肩を並べ黙々と木刀を振っている背景では、昨夜の夜戦で大勢の命を焼き尽くした火災現場から煙があがっていて、ボトランジュの兵が後始末に追われている。


「……はぁ」


 ひとつため息がこぼれたのを察したのか、アルビオレックスはアリエルの背中をポンポンと叩きながら「すまんかったな」とこぼした。孫に戦わせたことを気に病んだのだろう。


 違うんだ、そんなことどうでもいい。

 今のところは奴隷の利権を奪うための侵攻だけど、ここで領軍が同士が衝突して大勢の人が死んでしまったら、すぐに戦争は憎しみを原動力として回ることになる。


 愛する女を奪われ犯されたら男は死ぬまで剣を手放すことはしないし、親が無残に殺されたら憎しみは子に伝播し、自分たちの住む土地を追われたら、今度は民族的に禍根を残すことになる。ノーデンリヒトがそうであったように。


 アルトロンドは、ボトランジュに敵対心を隠すことなく牙を剥いたのだ。


「ところでダリル領とフェイスロンド領の状況は?」

「ダリルも奴隷売買で得た莫大な利益で兵力を増強しておるのは間違いないが、その兵をフェイスロンドに向けるか、それともこちらに向けるかはまだ分かっておらん。利権がらみなら間違いなく西のフェイスロンドだろうが……」


 今日、アルトロンドが敗北したことは当然どこかで見ているはずの斥候が本国に走っているだろうから、情報は一両日中にアルトロンドにもダリルにも届くはず。アルトロンドは引くに引けないだろうけど、ダリルの動きは分からない。軍備を増強してるってことはその兵をどこに向けるのか?って話になるんだから。


 まあダリルが狙うとするならきっと、街を歩けばエルフの奇麗な姉ちゃんがプラプラしてるフェイスロンドなんだろうなと思ってる。わざわざ王都をぐるっと迂回してボトランジュに派兵して来るとは考えにくい。


「今のところ俺たちダリルとは喧嘩してないから触らぬ神に祟りなし作戦で切り抜けたいな」


「俺たち? 俺たちといったのか? アリエル、いい加減にしろ。お前は個人で戦う気なのか? この戦争を」

「うん。もしかすると魔族排斥を進めてる王都まで敵に回すかもしれないからさ。てか王都が口を出してこないことのほうが不思議なんだけどね」


「王都?もちろん口を出して来とるよ? お前の身柄を要求しとる。まだ引き渡しの要請だがな。返事を無視しとったらアルトロンドが攻めてきたんで、当然裏で繋がっておるのだろうな」


「なーんだ、シェダール王国はとっくに敵に回ってたのか……」



 なら王国をぶっ潰す……てか、潰して俺が国王になるのも面倒だ。どうすっかな。

 ……爺ちゃんに押し付けるってのはどうだろ。名案かもしれない。考えとこう。



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