06-07 睨み合う戦場
街のあちこちでアルトロンド兵が武装解除に応じ、次々と投降しているようで通りの端っこから順番に座らされているのが見える。今のところその数25ぐらいだけど、こそこそと隠れているような気配もたくさん残っているから、このあとに控える残党狩りで捕虜の数はどんどん増えるだろう。
ノルドセカ市民から殴る蹴るの暴行を受ける兵士もいる。わずか数人程度だが、非道な行いをして、立場が逆転したことによりリンチを受けているような兵をかばうような者もいない。裁判を待つことなく被害者たちの手によって直接裁かれている。
そんな喧騒の中、ノルドセカ教会から火の手が上がり、司祭が引きずり出されてきた。護衛についていたであろう神殿騎士も同様にだ。住民が暴徒化しはじめたのかと心配したけれど、市長もただそれを眺めているだけだった。
ここに神兵たちが大挙して上陸してきたとき、大罪人であるアリエル・ベルセリウスの逮捕が目的だと説明した、その際の条件では街の住民には一切手を出さないと言って衛兵と住民たちを安心させておきながらノルドセカを制圧してエルフたちを奪ったのだから騙し討ち同然だ。
こいつらにしてみればエルフは人ではない。よって街の住民ではないのだから約束を違えたつもりはないとでも言うのだろうけど、そんなことでノルドセカの住民が納得するわけがない。
「ボトランジュでは神聖典教会の魔族排斥令にも領主さま以下、民間レベルで教会への説得を続けてきました。エルフ族が人ではないと言う司祭の言葉などここでは誰も信じていません。人と愛し合って子をなすことができるのは人である証なのです。私たちは女神ジュノーの子ですが、今はもう神聖典教会の信徒などではありません。だからもうこの街に教会なんか要らないのでしょうね。いま教会が焼かれているのは、住民たちが意思を示したということでしょう」
教会からあがった火は勢いを増し、もうもうとあがる黒煙をただ眺める市長の目は少し潤んでいるように見えた。延焼の心配もなさそうだし、それで少しでも市民たちの気が済むというのなら、反対する理由もないだろう。ボトランジュでエルフ族はよき隣人、よき友人なのだから。
しばらくするとセカからボトランジュ領軍の船が船着き場に着いた。
それから少し遅れて昨夜のうちにアルトロンド兵の目を盗んで下流に揚陸していたボトランジュ領軍の二千は陸路からノルドセカに入った。なにやら陸路から回った二千と河からの上陸部隊が挟撃する作戦だったらしいが、ノルドセカ市街から突然火の手が上がったので、大急ぎで船を出したのだという。
ボトランジュの旗のもと男が兜を脱いで、早足で近づいてきた。
「ボトランジュ軍北方統括司令、デミ・ベラスケスだ。市民たちの話によるとキミたちが五千もの敵兵を討ち滅ぼしたと聞いたが……」
「ノーデンリヒト人、アリエル・ベルセリウスです。こちら妻のロザリンド。マローニでヌクヌクと暮らしているわけにもいかなくなりまして……すみません、迷惑をおかけしています」
「教会が追っているアリエル・ベルセリウスというのはキミのことか。ノーデンリヒトのベルセリウス家というと、もしかしてあのトリトン・ベルセリウスの?」
「トリトンは俺の父です」
「なんと、ベルセリウス家の直系ではないか。しかもあのトリトンの息子とは『100ゴールドの賞金首』で見たぞ。まさか本物の天才少年剣士とこんなところで会えるとはな。……迷惑だなんてとんでもない。アルトロンドが今までどれだけ圧力をかけていたか、セカに住む者たちはみんな知っていますからな。気にされるようなことはありませんぞ」
「は、はあ……いまは2000ゴールドの賞金首になっちゃいましたけど」
「がはははは! ちがいない。おいお前ら! 本物の天才少年剣士だぞ! サインもらっとけ」
後ろに控えていた兵士たちは大喜びで拳を突き上げた。人気者はパシテーだけだと思っていたが、アリエルも満更ではないらしい。
「ねえ、誘拐魔? 天才少年剣士? 何なのそれ?」
本物の天才剣士を前にして語れる黒歴史ではないのだけど……。ロザリンドは100ゴールドの賞金首に興味があるようだ。できることなら知られたくなかった黒歴史が白日の下に晒されてしまった。
「昨日、マローニの教会にいくときギルドから出てきた中に弓もってたやつ居たろ? あいつユミルってんだけどさ昔、同じ学校の女の子が盗賊団に攫われたのを助けたんだよ。それを脚本家って人に話したらセカの劇場ですっごい脚色されて上演されたんだ」
「へー、劇場あるんだ。いいなあ、やっぱ都会だね。こんど皆で観に行こうよ。ドーラには何もないからさ。サオなんか劇場が何をするところかも知らないわよきっと」
「100ゴールドの賞金首以外なら観てもいいよ」
「やだ。私それが見たい」
なーんかニヤニヤしてるロザリンド。たぶん後でパシテーやてくてくを仲間に引き入れて、ひとの黒歴史を鑑賞しようという腹なんだろうが、多少強引に迫ってきてもたぶん100ゴールドの賞金首を見ることはない。この件に関しては自信がある。なぜならパシテーはこっちの味方に付いてくれることは明らかなのだから。もしヤバいことになりそうだったら熱血教師ポリデウケスを引き合いに出せば絶対こっちの方に傾いてくる。パシテーのほうは安泰だ。あんな黒歴史を家族で観に行っても赤っ恥をかくだけだし。
「ぐわあ! 何をするか。捕虜の扱いは協定に従っていただけるのだろうな」
ぼんやりしながらどうにか100ゴールドの賞金首を回避するための作戦を考えていたら、宿からアルトロンド軍の指揮官たちが引きずり出されてきた。捕虜とか協定とか言っちゃいるが、最悪の場合、軍人の誉なく犯罪者として裁かれるのだからいい気味だ。
この捕まっても偉そうな態度を改めようとしない男が、バミエ・エリストリス師団長。
大罪人アリエル・ベルセリウスを捕まえて十字架に架けるため『ベルセリウス討伐作戦』を指揮する師団長なのだそうだ。
ちなみにアリエル・ベルセリウスは教会の異端審問会で、本人不在のまま審問にかけられ死刑が言い渡されている。すでに確定死刑囚だという。とんでもない土地だ……。
てか、たった一人を捕まえるために一個師団の投入なんて聞いたことないのだが。
こいつらが乗ってきた船は帰りの便が奴隷船になるようで、数百人分の檻が積まれていたことからも、エルフを攫って行く気満々だったことが窺える。
ベラスケス司令はその二人を別々の場所に捕えておくよう命じるとすぐにまた渡船に向かうらしい。
副官と兵を300ほど残してすぐに戻るんだとか。
戦わずしてノルドセカを取り戻した上に敵の数もごっそり減らせたと言うことで、ボトランジュ軍のベラスケス司令はホッと胸をなでおろしている。何しろここにいた五千の兵と一戦構えて圧勝した上でセカにとんぼ帰りして休む間もなく南東に詰めてる三万の兵を相手せよなどという無理ゲーを強いられてるというし、なんというか、アルビオレックス爺ちゃんも人使いが荒い、ブラック企業さながらじゃないか。
「いやはや、助かりました。というか、いったいどうやればたった二人でこれほどの戦果を? 奥方は……魔人族ですね。いや失礼、初めて見たもので。街の者と衛兵の話ではドラゴンと思しき動物を魔法で操っていたとの報告が上がってきておるのですが?」
「そんな魔法ないからね。ハイペリオンはペット。家族なんだ」
ノルドセカに残る副官に避難を希望するエルフたちをマローニやノーデンリヒトに移送する護衛をしっかりとお願いすると、アリエルたちは軍の引き上げ船に便乗させてもらえることになった。
いつもの渡し船よりも船が大規模な分遅いかと思ったら船員の中に水魔法を操れる者が居て、水魔法を一つ見せてもらった。なるほど、水面を持ち上げて傾斜を作り、常に船尾を持ち上げることで推進力にするなんて発想はなかった。なんでもこの魔法がなければ、川下から川上に向かって船を進めることがとても難しいのだとか。でもこの魔法が使えれば、サーフボード1枚あれば船いらないよね? なんだかそっちのほうがカッコいいし速い。
それもそのはず、ノルドセカで戦闘したにも関わらず、だいたい予定通り、暗くなる前にセカ入りすることができたのだから、そのスピードは証明されたも同然だ。
「領主はどちらに?」
「サルバトーレ高原の陣におられるかと」
船を降りた兵たちが行列を作る先頭を、足早に歩くベラスケス司令について俺たちもセカ入りした。
このまま本隊に合流するのだとか。生まれて初めてこんなに忙しい軍人を見た気がするよ。だいたいマローニやノーデンリヒト砦じゃあみんなのんびりしていたんだけど、普段のんびりと何もせずに給料泥棒して帰ってる分、緊急事態になると一瞬すら休ませてもらえない。
やっぱり軍隊なんてブラック職場だな。過労死しても名誉の戦死として扱ってもらえるのか少し心配になってしまった。
アリエルたちがセカの港から南の大通りに合流し市街に入るとロザリンドは少し浮かれたようにキョロキョロしながらついてきた。大きな通りの両側に所狭しと密集する商店。すぐ外に3万の兵が今にも攻め込もうかとしているのに、セカでは殆どの商店が営業中だし、通りを歩く人たちに危機感もない。
神兵の目的は罪人の逮捕で、領民たちを脅かしたりしないという教会の言葉を信じているのだろうけど、ノルドセカの状況を見た限りでは誘拐も略奪も普通に行われていたのだから、教会の言う事なんかアテにしてたらエライ目に遭わされるのがオチだ。どうせ奴らの言う『領民』は人族だけ。他種族は人にあらずだ。
「ねえねえ、ここがセカ? すごいね、大都会じゃん。こりゃ劇場もあるわ」
「ああ、30万都市だからね。セカ近郊の都市群を含めると50万以上の人が暮らしてる。……そういえばセカの神聖典教会ってどこにあるのかな?」
アリエルの素朴な、まるで独り言のような問いには同行していたベラスケスが応えた。
「神聖典教会はここから見える、あの小高い丘の上に中央教会があって、その他にも四か所東西南北にあります。小規模な礼拝施設が約四十か所。個人の施設は把握できていません」
ベラスケス指令はこれからまた戦をはじめようというのに、観光ガイドまでしていただいて、本当に恐縮してしまうんだけど……セカ市民の中に衛兵がひとりも見当たらないことがとても気になった。
「戦時だというのに衛兵が少ないように見えるのはなぜ?」
アリエルの何気ない問いにベラスケスは当たり前のように答えた。
「サルバトーレ高原にアルトロンド軍、神殿騎士を中心に三万の精鋭が集結していて、今もどんどん増えていますから、そっちに回って。ノルドセカに行った三千のうち二千はすぐ戻って本体に合流する予定ですね。いま予備役も招集していますが……」
「こっちの兵力は?」
「ノルドセカから二千戻って、一万二千」
「えっ?」
アリエルはロザリンドと顔を見合わせた。
現在進行形で圧倒的に不利じゃないか。しかも市街は手薄で、市民を守る衛兵たちまで戦場に駆り出されるんじゃ相手の思うつぼだ。戦闘が始まると同時に市街地から火の手が上がってパニックを誘発すると浮足立った一万二千じゃ勝ち目はない。
「明るいうちに敵陣を見ておきたいからちょっと急ごうか」
---- サルバトーレ高原 ----
アリエルたちがサルバトーレ高原の最も高く、戦場を一望できるであろう丘の上に敷かれたボトランジュの陣では祖父アルビオレックスが忙しくそうにあちこちへ呼ばれつつ陣頭指揮をとっていて、大将のテントを訪れたアリエルに気が付いたアルビオレックスは気を張ったまま、ほんの少しだけ面持ちが柔らかくなった。
「おおおっ、アリエルではないか。ノルドセカは通れんかったろう? 大丈夫だったか? すべてわしの力不足が招いたことだ。迷惑をかけてすまん」
「そんな事ないよ爺ちゃん。原因作ったのは俺なんだしさ。ノルドセカでもケンカしてきたけどね」
「お前のケンカっ早さはベルセリウスの血だな。トリトンが親にどれだけ心配をかけたか……いまは十分反省しておるだろうがな。ふぁははは」
「そんな事よりもほら、嫁さんもらったんだ。息子も生まれたからね」
「ロザリンドです」
「アルビオレックス・ダグラス・ショルティア・ダラーラ・フォン・ド・アマール・ベルセリウス。あなたの義理の爺ちゃんになる。初めまして、魔人族の姫さま。ボトランジュ300万の民を代表してあなたを歓迎しますぞ」
「えーっ? ロザリンドってお姫さまなの?」
「魔人族でルビスというと王族ではないのか? シャルナクからの手紙を見たオフィーリアがそう言って大騒ぎしておったぞ? ドーラの王族のお姫さまだって」
「王の資格を持つルビスという意味では間違ってないです。現に兄が王を襲名していますし」
ってことは、ルビスを受け継いだサナトスにも王の継承権があるってことか。混血だから揉めるだろうな。下手すると継承争いとか面倒なことになるし、魔王フランシスコですらハリメデさんの監視が常にあって不自由な暮らしを強いられていたし、やっぱり王なんてなるもんじゃないと思ったし。
ドーラのどなたかかが紅眼を産んでくれますようにと祈ろう。
「爺ちゃん、敵の配置と数は?」
「ここから見ての通りだ。敵は今朝の段階で三万。今も続々と増え続けておる。主力は神殿騎士で、高名なアウグスティヌス騎士団長が率いておる。アルトロンド領軍の方はノゲイラ将軍が来ておるからな。こっちもその剣力は千人力で『絶対強者』の異名で呼ばれておる。手強いぞ」
主力は神殿騎士という事なのでざっと眺めているけれど、うーん、どっちも前のほうに陣取ってる奴らはフルプレート鎧を着込んでいて、こちらボトランジュ陣営とは装備品からして違うようだ。
アリエルはすぐ横で鼻歌交じりのロザリンドをちらっと見た。
えらく上機嫌である。
「なあロザリンド、どっちがいい?」
「絶対 ☆ 強者 ♪」
「なにそのロザリンドホイホイ……まあいいや、じゃあ俺は騎士団長でいいや」
そりゃ『絶対強者』なんてエサぶら下げるとロザリンドが大喜びで食いつくよなあ……。




