05-12 四柱の精霊たち
アルデール家の中庭練兵場で起きた爆発は皆が思っていたよりもずっと規模が大きく、見物していた魔王軍重鎮たちもフッ飛ばされてしまったようで、瓦礫と砂埃がもうもうと煙る中、あちこちからうめき声が聞こえるという惨状であった。いや、うめき声が聞こえる者などは殆ど居ない、だいたいは鼓膜がやられてしまって自分の上げたうめき声すら満足に聞き取ることができないのだ。
「あーん、兄さまひどいの。耳が……」
「いったあ………まだ耳がキーンとする……」
パシテーもロザリンドも耳を押さえながらだが、辛うじて立ち上がることができた。フッ飛ばされながらもほとんどダメージを受けていないのは、てくてく、ロザリンド、パシテーと、予め盾を構えていたサオ、あと物理防御、魔法防御でロザリンドに勝る魔王フランシスコだけだった。
さすがの魔王軍最精鋭とはいえ地べたに這い蹲るという体たらくを演じてはいるが、それもヒト族の代表としてドーラに渡ってきた屈強であるべき王国騎士のトリトンとガラテアふたりの王国騎士も、うめき声すら上げること叶わず、スヤスヤと意識を夢の中に移している。
やがて砂埃が晴れてゆき、その被害の実態が明らかになる。
ロザリンドが悲鳴を上げた!
「ああっ! 私の部屋がーーー。ひどい、ひどいよ……キャップはオーダーメイドなのよ! マローニじゃ手に入らないんだから」
「師匠……ひどいです。私の部屋も瓦礫に埋まってます。お気に入りの可愛い服が……下着が……」
アリエルの使った爆破魔法。フランシスコやアイガイオンが見知っていた『魔法』といった概念とは次元の違う破壊力を見せつけ、軍幹部たちの心胆を寒からしめた。
そもそも6年前、ベアーグ族長エーギル・クライゾル率いる軍が、まだ10歳だったアリエルの爆破魔法により甚大な被害を被ったという報告も受けて知っていたのも関わらずだ。
アリエルはノーデンリヒトの死神と呼ばれたその悪名を悪名たらしめる爆破魔法で、世界最強の名をほしいままにしていた爆炎のフォーマルハウトを打倒した。
ドーラ軍の幹部たちも、もはやこれまでのように剣を振っては戦争など立ち行かないという事を思い知らされる形となり、強硬派の旗印フォーマルハウトが手も足も出せず、為す術もなく打ち倒されたことで、急速に和平が進むこととなった。これは怪我の功名との名目であったが、何のことはない、アリエルとトリトンの狙い通りになった。
ハリメデはダメージを受け悲鳴を上げようとする身体を奮い立たせて被害状況の確認を急いだ。
「パシテーさんが作ってくれた防護壁とてくてくさまの多重障壁のおかげでなんとか重鎮たちは助かりました。ええい、ダフニスめ、また寝ておるのか。こいつは後回しでいい。その辺に転がしておいて構わん、ノーデンリヒト使節を最優先で起こして差し上げろ! 軍幹部連中のケガの程度を確認、すぐさま医務室へ」
屋敷の西側に隣接する離れの住居棟からは、いまの爆発音でガラスが割れてしまったこと、もうもうと立ち込める砂煙の中、大勢の人たちが倒れていることに急告と捕え、いったい何事かと魔人たちが押っ取り刀で飛び出してきた。フランシスコの兄と姉と、そして奥方たちである。
だけど非常事態に飛び出してきた面々が見た光景は、半壊した屋敷と、ロザリンドにガミガミ怒られてしょぼくれている若い男と、ケガの応急処置を受けている軍の幹部たちの姿だった。
駆けつけた魔人族の男は事態を把握できずに、少し焦りを含んだような面持ちで言った。
「べリンダ、いったい何が? 何が起こったんだ?」
「いまフォーマルハウトが死んだって。ハリメデが確認したみたい。誰がやったかは言わなくても分かるわね? 決闘のように始まったけど、あのフォーマルハウトが何も抗うことができずに一方的に処刑されたんだって……。いいなぁロザリィ……。私も連れてって欲しいな」
べリンダが羨ましがる中、いま剣をもって飛び出してきた連中は全員そのまま怪我人の救護にあたることとなった。まったくもって、災害現場で行われる人命救助のような様相を呈している。
今しがた丁重に叩き起こされるまで気持ちよく気を失っていたトリトンもガラテアも、ようやく事態が飲み込めてきたようだ。
「は……はは、ガラテア、これも私の責任なんだよな……ダメだ……心臓が痛い。胸が締め付けられるようだ……マジでクラクラする……」
「がははは、トリトンがまた倒れたぞ。エル坊、どうすればいい? サオさんの膝枕が必要だ」
「ダメだよ! そこに転がってるダフニスの腕枕でいいよ」
こうしてトリトンはガラテアの手によって、ダフニスの腕枕に抱かれてスヤスヤ寝ることになった。後で目を覚ましたときに自分の欲深さが生んだ悲劇を目撃するのだが、それもまた致し方ないことだ。女の膝枕で死にたいのなら、一目散にマローニへ帰ってビアンカの膝枕で死ねという、これはいわば、親の夫婦円満を望む息子からの愛情なのだから。
ロザリンドに耳を引っ張られて軍幹部や重鎮たちに一通り謝罪行脚し終えたアリエル。中庭の中央を見ると、てくてくが三柱の精霊たちと何か話してた。
てくてくは1000年前に死んだ精霊王アリエルの死体に憑依しているが、エルフたちには精霊テックであることは分かっている。
赤黒い髪が逆立っている子は炎の精霊イグニスで、黄色の髪と金色の瞳は精霊アスラだった。
もうひと柱、青い長髪とブルーの瞳で、いかにも女の子っぽい仕草をしているのは水の精霊アプサラス。
近くにいるエルフたちは戦士も弓師も、簡易牢に収監されている襲撃者も、アルデール家の従者も、エルフの誰もが跪いてこうべを垂れる。この世界に精霊が発生してから五千年余、公衆の面前で四柱の精霊が一同に会することなど未だかつてなかったこと。これは大事件だ。
眼前に顕現した四柱精霊たちの姿に畏れおののき、平身低頭を貫くという熱心な信者ぶりを見せるハリメデを横目に精霊四柱対談に割って入るアリエル。
「てくてく、その子たちは? 送っていかなくていいの?」
「大丈夫なのよ。自分のもと居た神殿に戻れるはずなのよ」
「そうだ、アスラってエルダー森林のフェアル村のトコだっけ?」
「そうなのよさ、テックのアルジ、アナタつよいのよさ」
「フェアルの村にさ、セキとレダっていう二人の女の子がいるんだけど、まあ気が向いたらでいいから、遊んでやってくれ。あーそれとイグニス……エドの村はもうほとんど廃村同然だし、あの土地は奴隷狩りが酷い。気を付けてな。それと……、えーっと……キミは」
「アプサラス。私は水を守護する者。はじめましてテックのアルジ。珍しいわ、アナタ水術師なのね……テックなんてオバケとは早々に分かれてワタシと契約するといいわ」
「初めましてアプサラス。お前の村はどこにあるんだ? 転移魔法陣が壊れてるみたいで反応しなかったから東には行けなかったんだ」
「シレンの村。カスタル湖のほとり。ガルエイアから人がよく来るわ」
「ああ、ガルエイアか。そこはもうダメかもしれない。アルトロンド領でアシュガルド帝国に近い。自由なエルフはたぶんもういないだろうな。転移魔法陣が使えないのもきっと教会のしわざだろうし。うーん、下手に帰ったら教会から討伐隊が組まれるかもしれないぞ」
「アプサラスはアタシが留守にしてる北の門に行けばいいのよ。麓にはメルドっていう村があるし、住民も少なくないわ。でも寒くて快適とはいえないわね」
てくてくの口からメルドの名が出たことにより、ハリメデさんが返事をした。
「ハッ! メルドの村は精霊アプサラスを歓迎します」
驚いたように振り返ったアプサラス。ちょっとうちに遊びにおいでよと誘われたかのような気軽さで返事をした。
「じゃあ北のお世話になろうっと。ゾフィーのそばにいられたらそれでいいよ。ねえテック、あなたのアルジ、いい匂いがするわ。わたしにおくれ」
「誰がやるか! やかましいのよ、アタシのマスターに手ェ出したら承知しないんだからね。用が済んだのなら早く帰りなさいよアナタたち」
「あはは、そうだね、そろそろ帰るよ」
「いつかまた、どこかで」
そういうと精霊たちはキラキラと光る粒になって空に上がっていき、風に流れ、すぐに見えなくなってしまった。
「なんでアナタ残ってるのかしら。アプ」
「だって北の門がどこにあるか知らないものー。歩いていくからいいわよ」
「精霊さまを神殿までお連れするお役目、どうか私にお申しつけください」
跪いて懇願するハリメデさんを無碍にもできず、『それなら案内してもらおうかな』と軽い言葉で承諾するアプサラス。もう一人、さっきフォーマルハウトから離反したメルド村出身の男も同行を願い出た。村に戻って親の仕事を手伝うことにしたらしい。
ハリメデさんは王フラシスコにメルドの村千年ぶりの神事であると直訴し、この忙しい折にひと月の休暇を得て、アプサラスを連れてメルドの村へ帰省する許可をもらったところだ。
簡易牢に収監されている襲撃者たちは強化・防御魔法を禁じられている上に、障壁の一枚も張ってもらえなかったので、数十人が鼓膜が破れるなどの症状を訴えたが、そんなことよりも強硬派の旗印であったフォーマルハウトが一方的な敗北を喫し、討ち滅ぼされるのを目撃したほうが、よりショックが大きかったらしい。
己が陣営の敗北を悟った強硬派の者たちは、それから5日後、和平の調印がなされたと知らされ絶望に打ちひしがれたが、終戦による慶事にかかわる恩赦が適用され免責を言い渡された。
「お前たちが襲撃した敵は、お前たちの命を二度助けた。そろそろ懲りるがよいよ」
釈放の折、牢番のベアーグ戦士はそう言って強硬派の戦士たちをたしなめた。
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遡ること二日前、マストを焼失した高速船が二隻、オーストの漁村に命からがら着港したらしい。突然空から火の玉が落ちてきて火災に見舞われたが、決死の消火後にシーツやシャツなどで帆を張り、全員が力を合わせて生還したらしいという、聞くも涙の美談を聞かされた。
とても気の毒な話だが、この41人もそのまま逮捕され5日間の収監の後に釈放されるのだそうだ。
終戦の祝賀会は、簡易牢を撤去した中庭で行われ『どんだけ飲むねん?』ってほどの酒が消費された。
種族対抗ハガネの肝臓大会はベアーグと魔人がだいたい互角の勝負を繰り広げた。
ダフニスはここでも潰れてその辺の地べたでぐっすり寝る羽目になったが、だいたいいつもその辺で転がる癖があるのだそうだ。このぬいぐるみ野郎は。そう言えばエテルネルファンまでくる途中でも、そしてフォーマルハウト戦を見物していてもその辺で寝ていた。
アリエルはというと酔い潰しに加えて色仕掛けを含むありとあらゆる既成事実作成の手管により縁談を持ち掛けられ、言質を取った後で押しかけ女房に収まろうという縁談詐欺に引っかかりそうになり、それ以降はロザリンドとパシテーが両脇で護衛についてくれたせいで、せっかく美女ぞろいのエテルネルファンだというのに、女性の手を取って踊りにも出してもらえないという酷い扱いを受けることとなった。
ちなみに色仕掛けを仕組んだのはロザリンドの姉、べリンダだった。
べリンダのことだから夜這いをかけてくるかもしれないとロザリンドが警備の重要性を訴えるとパシテーがてくてくを巻き込んで24時間の監視体制となり、とにかく単独行動をこれでもかというほど制限されたと言うのに、翌日からはアリエルへの縁談が次々と申し込まれ、滞在中に30件も集まるという、人生最大のモテ期を、なんと惜しい事か、ロザリンドたちの監視下で過ごすこととなった。
トリトンとガラテアは羨ましいやら妬ましいやら、ロザリンドとパシテーが『くれぐれも丁重にお断りしてください』と念を押すので仕方なく、次々と集まる縁談の話を片っ端からお断りしまくっている。なんでも、パシテーが作成した『お断りマニュアル』に沿ってお断りを続けるという、まるで自動お断り機のような単純作業を繰り返すこととなった。
「なあガラテア、ロザリンドさんもパシテーさんも、目が笑ってなかったよな」
「ああ、いま立合いをお願いしたらマジ殺されそうだ」




