05-10 爆炎のフォーマルハウト
対するフォーマルハウトは腰に差した短めの湾曲した剣を抜いて、切っ先をアリエルに向けた。
少し短めの剣だ。タルワール系の曲剣はこの世界にないと思ってたのだけど、まさかこんなところで見られるとは思わなかった
。
まるで『今から貴様を殺してやろう』とでも宣言するかのような大仰なパフォーマンスを見せると、刀身から炎が噴き出し、金属部分はみるみる赤熱しはじめた。相当な高温なのだろう。
そうか。剣に精霊を宿らせるとこうなるのか。
魔導師として世界最強と謳われるフォーマルハウト。エルフ族の長老であり、魔王軍魔導顧問。
肩書が御大層になるとこれぐらいのイントロダクションは必要なのか。子供のころ、師匠から習った魔法剣士の衰退を思い出してしまった。くだらないパフォーマンスが鼻につく。
「ミッドガルドを倒したという魔法を見せてみよ。我が点数をつけてやろう。さあ準備はいいぞ。かかってくるがよい」
フォーマルハウトの挑発に乗ってやってもよかったが、ここはあえて乗らず、落ち着いてルーティーンを組み立てる。……なるほど、これは……、いままでイライラしていたことや、フォーマルハウトと話した事によるストレス、また怒りといった邪魔なノイズが、すーっと消えてゆく。
ルーティーンで雑念を振り払うことにより、目の前の敵を倒すこと一点に集中できるとは、ちょっとは上達してるようだ。
「メルドの村の風使いアリエルの仇。アリエルの家族の仇、そして我が友、精霊テックを千年もの間悲しませたお前を今日この場で討ち倒し、アリエルへの手向けとしよう」
剣の鍔を前に目を閉じて、小さな声で口上を述べると、呼吸も乱れなく、闘気も迷いなく。気合が乗っていることが自分でもはっきりとわかる。まったく、これっぽっちも負ける気がしない。思考は冴え渡っていて、目から耳から、肌から、毛穴から、産毛の感じる風の感触まで手に取るようにわかる。精神統一がなされていて、気配も隅々まで読み取れる。
アリエルはゆっくり上段に構ると、伏せていた目に敵を映し出すと仇の名を叫び、戦闘が開始された。
「フォーマルハウトォ!!」
アリエルの叫び声が辺りに木霊するや否や、凄まじい衝撃波がこの試合場を襲った。
―― ドバン!
―― バン!!
フォーマルハウトは対魔導師の戦闘ではおよそ敗戦の記録がないほどに無敗を続ける伝説的魔導師だった。相手が起動式を入力する速度とタイミングで魔法の発動を先読みし、瞬時に対応する魔法を発動するという後出しジャンケンで有利に戦う戦法が染みついていたので、無詠唱で展開される強力無比な魔法にはまるで対応できなかった。
牽制であわよくばダメージと思って放たれた初撃の[爆裂]を避けることも防ぐこともできずに胸部と腹部に2発被弾し、屋敷の壁付近まで、実に10メートル近く吹き飛ばされた。
最硬最堅と謳われたフォーマルハウトの対魔導多重障壁を突き抜けて通るダメージ。
炎は魔法から生まれてもその熱は物理的な現象であるのと同じく[爆裂]の衝撃波は物理ダメージだ。至近距離で被弾するといかに強力な防御魔法をかけていようと、この世界には単純物理ダメージを防ぐのは鎧や鎖帷子など防具を除けば防御魔法しか存在せず、その防御魔法は往々にして、強力に張れる者であっても一週間のケガを2~3日のケガに軽減する程度でしかない。
耐魔法の属性障壁のように、完全にダメージをなくしてしまえるようなものではないのだ。そしてフォーマルハウトは後者、魔法防御に関しては鉄壁であった。
離れれば威力は減衰するとはいえ、周辺にいる人たちも防御姿勢を取らなければ、その衝撃波に耐えられるものではない。これほど簡単に食らってくれるのなら[爆裂]だけで戦った方が楽に倒せる相手だが、どうあっても剣で一撃入れておかないと気が済まない。
それは一発殴っておかないと勝った気がしないという男の矜持だった。
吹っ飛んだフォーマルハウトを追い打つ形で止めの一撃を放つアリエル。
―― ガギン!
[爆裂]を腹に受け蹲っているところに、アリエルからみてまっすぐ正面、フォーマルハウトの左肩を狙って、一直線に剣を振り降ろす。だが、初撃の[爆裂]をクリーンヒットさせ、フッ飛ばしてしまったせいで、フォーマルハウトに一瞬、我に返るだけの時間を与えてしまったらしい。フォーマルハウトはアリエルの剣の軌道に辛うじてイグニスを割り込ませて受けることができた。
だがその剣はイグニスが宿っているだけのただの剣。
炎の攻撃力は凄まじいと聞くが、鉄そのものがナマクラだったのではアリエルの突進力と体重を乗せた捷い斬撃には耐えられない。
イグニスの宿った剣はいとも簡単に叩き折られ、左の耳と頬にざっくりと深く刃が入る。折られた剣の鍔がかろうじて切っ先を止めてなければこの一の太刀で勝負がついていたということだ。
フォーマルハウトは勇者に殺されかけて以来、忘れかけていた戦慄に身を震わせた。久しく感じることのなかった死の気配が、知らぬ間に背後まで歩み寄っていた。
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今を遡ること千年と少し前、フォーマルハウトは小さな村の族長としてノーデンリヒトで尊敬を集めていた。家族に囲まれて幸せな時間を過ごしていたが……悲劇は音もなく忍び寄る。
ノーデンリヒトでは何年も冷夏が続き、春になっても根雪が残ったため凶作が続いたのだ。翌年撒く種を食べねば餓死するところまで村人たちは飢えて追い詰められ、フォーマルハウトの妻も例外なく、赤子に飲ませる乳も枯れてしまった。
何年もの間、気候が悪いと山も森も何もかもがおかしくなる。自然界のバランスが崩れ、動物たちの数も激減する。
フォーマルハウトは苦渋の決断を迫られた。
ノーデンリヒトから南のボトランジュに移住する以外に生きる術がなかったのだ。
しかしボトランジュはノーデンリヒトと隣接する土地。
土地の標高が低いことと、多少南にあることでノーデンリヒトよりもほんのちょっぴり温暖ではあるが、ノーデンリヒトの気候が悪くて飢饉が起こっているというのに、ボトランジュが豊穣である訳がなかった。
そう、ボトランジュ北東部に暮らす民もこの食糧難を爪の先に火を灯すように、飢えながらギリギリで生きていたのだ。北の魔族が困っているからと言って、移住してきた大勢のエルフたちに施しを与えられるほどの余裕などあるわけがなかった。
その余裕のなさが更なる悲劇を起こす。
フォーマルハウトたちはノーデンリヒトの峠を下って半日ほど行ったところにあった人族の小さな村を襲わざるを得なかった。直接村人を殺害するようなことがないように細心の注意を払ったが、移住してきた者たちの飢えをしのぐには村を丸ごと奪うほかに選択肢がなく、その結果、村も食料も奪われた者たちは村を追われ、難民として彷徨ううちにほとんどが飢餓に倒れることとなった
更にフォーマルハウトが南進したという報を聞きつけ、ノーデンリヒトで飢えて死を待つばかりだったエルフたちは、皆こぞってボトランジュに下りて命を繋いだが、それも長続きするはずがなかった。
翌年には王国騎士とボトランジュ領軍が大挙して押し寄せ、魔族たちの暮らす集落は次々と焼かれていく。フォーマルハウトは、家族と村人を守るため勇猛果敢に戦ったが、圧倒的な数の暴力で襲い来る人族には敵わなかった。
フォーマルハウトは大切なものをすべて失ってしまった。
妻も、勇敢に弓を持って戦った息子も、年端もいかぬ娘も、幼い赤子に至るまで、何もかも、全てを焼かれてしまった。
ボトランジュ軍を指揮していたのは領主、猛将と謳われたタイタン・ベルセリウス。
その金髪に見覚えがある。その青い目に恨みがある。
ヒト族など、根絶やしにしてやると心に誓ったのだ。
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フォーマルハウトは意識が飛びそうになるのを強固な意志の力で保持し、ベルセリウスの末裔をしっかりと見据え、ガクガクと震えながらも地についた膝を伸ばして何とか立ち上がり、目の前の生意気な金髪の少年を睨みつけた。
「そうだ、ベルセリウスだ! ベルセリウスと和平などできるか! 全てを奪われたというのに」
炎の精霊イグニスの宿った剣は破壊され、折れた刃とは別に粘土のように重量感のある炎の塊がドサリと落ちたとでも言えば正しく表現できるだろうか。それが精霊剣の正体だった。
そして炎は立ち上がり、少女の姿に変化してみせた。
精霊イグニス。かつてエドの村で平和に暮らしていた炎の守護者が姿を現したのだ。
そしてイグニスは問うた。狂った精霊が村人を襲っていたなどと言われた事よりも、もっと大切なことを、可及的速やかに問い質さねばならなかった。主が戦闘中で、尚且つ現在進行形で戦いに敗れようとしていても、その力量の差を肌で感じていて、このまま戦闘を継続させると主の命が失われてしまうことが分かっていても、それでも問い質すのを優先しなくてはならなかった。
「フォーマルハウト……、聞いていたよ。お前がトリムを殺したのね……」
「イグニス。そこに居ては危険。アタシの後ろに。マスターの邪魔になるのよ」
フォーマルハウトはイグニスの問い掛けなどまるで意に介すことなく、離れて行ったものに対しては、興味すら失ってしまったかのように、今しがた命を繋ぎ止めることで折れてしまった剣を投げ捨てた。
「くっ、久しいな。口の中が鉄の味だ。まさか無詠唱でこれほどの魔法を放つとは」
ふらふらしながらも両足でしっかりと立ち上がり、もう一度あらためてアリエルの姿をその網膜に映すと、いまだ衰えぬ闘気を放出し「まだまだやれるぞ」とばかりに胸を張った。
そしてアリエルではなく、見物している軍の重鎮たちに向けて強い言葉を吐いた。
「我は千年の昔から勇者軍と最前線で戦ってきたが、力及ばず何度も辛酸をなめさせられた……いいかよく聞け、我が精霊の力を求めたのは勇者に勝つため、この戦争に勝つためである! それの何が悪いか。ひいては魔族全体のため、我らドーラ魔族の未来を拓くため、ノーデンリヒトを我らが手に取り戻すためだ!」
フォーマルハウトの言葉は空気を振動させただけにすぎない、聞いていた誰の魂も震わせることはなかった。
「他に言いたいことはないのか?」
「このフォーマルハウト。魔法戦闘では手足をもがれようが断じて引かぬ!」
「そうか……」
―― ズバン!
―― ドババドーン!
フォーマルハウトが起動式の入力を始めたと見えた刹那……、[爆裂]を4発同時転移で起動させ、フォーマルハウトの望み通り、いつかミッドガルドと戦った時と同じ規模、同じ威力を見せつけた。
ビシビシと身体を突き抜ける衝撃波は、建物の壁際にまで追い込まれていたフォーマルハウトを直撃し、その周囲にあるすべての物体を巻き込んで破壊の限りを尽くした。アルデール家の建物、ロザリンドの部屋、サオの部屋は言うに及ばず、中庭を囲むように建築された土魔法建築の一部三階建ての魔王軍本部は建物の一部が倒壊。窓ガラスはすべて割れてしまい周辺の民家までその被害は及んだ。
もうもうと立ち込める砂埃と、耐風障壁をしてなおキーンとする音のない世界。
アリエルの魔法に点数をつけることなくフォーマルハウトは意識を闇に落とした。
フォーマルハウトの、弱々しく、地面に埋もれてしまった気配を感じながら、アリエルは自分が受けた被害を確認する。今回は服がビリビリに破れただけで済んだ。髪もチリチリになってない。
爆心から近かった割には上出来だろう。
まあ、障壁を覚えたし。そういつもいつもチリチリになるのは、あまり格好のいい話ではない。
背中越しに振り返るとパシテーが作った壁の前でてくてくが倒れている。
女の子が大の字で倒れるなんて絵面見せちゃダメだ。見事にノックアウトされているじゃないか。
アリエルはフォーマルハウトの方を向いたまま、てくてくに声をかけた。
「てくてく!……大丈夫か!」
「う……、うー……、痛いのマスター、全然大丈夫じゃないのよ。応援頼むっていうから素直に応援してたら死ぬとこだったのよ!」
「あー、ごめんごめん。フォーマルハウトはギリギリ生きてるけど?」
てくてくは いまもう満足に使えないはずの風魔法で砂塵を吹き飛ばし、視界を確保しながら、半ば地面に埋まってしまったフォーマルハウトにゆっくりと歩み寄った。
傍らに立つと顎をくいっと上げ、凍るような冷たい視線を投げつける。そして右腕を振り上げると、僅かに瘴気が漏れ始めた。
簡単だ。その振り上げた手をフォーマルハウトに向けて振り下ろすだけで宿願が叶う。
言いたいことが山ほどあったのだろう。
だが眼下に見えるそれは千年もの間、あれほどまでに死を望み、呪うほどに憎んだ者の姿ではなかった。
感慨深げにじっと思考を巡らせるてくてく。
そこにあるのはフォーマルハウトだったものの残骸。形骸化してしまった憎しみの入れ物。
既に呼吸も絶え絶え、部位の欠損も大きく血も流れすぎている。
てくてくが手を下さずとも、すぐに生命活動を停止するだろう。
しみじみとした声が出た。
「あーあ、こんなんなっちゃったのね。アタシのやる分がもうないのよ」




