05-08 アリエル劇場
誰が接しても絶対に好きになれないであろうこのフォーマルハウトを前にして、あのアリエルが、こともあろうに『フォーマルハウトさま』などと敬称をつけて平身低頭、遜ったような態度で接するのには驚いて見せるのが普通の反応なのだろうけれど、天地がひっくり返ってもそんなことはないと断言してもいい。もうすぐ起こるであろう大爆発に、不安で気もそぞろになっているロザリンドをよそに、アリエルは少しだけニヤリとしてみせた。
「ありがたき幸せ。では、まずはフォーマルハウトさま、あなたさまにお礼を言いたいと言付かっていたことがあります。覚えておいででしょうか? 今をさかのぼること千年前。ドーラから遥か南、シェダール王国を通り抜けてさらに南に行くとアムルタ王国という小国があります。さらに南の山岳地帯に、エルフたちがひっそりと暮らすエドという村がありまして、そこには炎の精霊イグニスが住んでおりました」
「イグニスとはフォーマルハウトさまの剣! 精霊剣イグニスは世界最強の黒炎剣であーる」
フォーマルハウトの取り巻きを務めるローブの男が一歩前に出てイグニス自慢のついでに、分かりやすい解説を挟んでくれた。打ち合わせもしてないのに、なんとありがたいことか。
アリエルは一拍おいて話を続けた。
「しかしある日、精霊イグニスが突然狂います。イグニスは使役していた精霊使いトリムを殺した後、あろうことか村に火を放ち、村人たちは次々と焼き殺されるという大虐殺となりました」
「おお、エルフの村がや……。なんたることだ」
魔王軍の重鎮たちも物語に入ってきたようだ。こういう話は大好物なのだろう。
観客たちの反応を好感触と捕え、アリエルはさら話を進める。
「次々と倒れていく村人……、このままでは村人が全員焼き殺されてしまう……。しかし、エドの村最大の危機に救世主が現れます。そうです、近くを通りかかったフォーマルハウトさまが颯爽と助けに入り、狂って村に火を放ち続けるイグニスを退け、エドの村は救われました。……そのエドの村もいまやひっそりとしていて廃村同然ですが、わずかに残った村人たちはフォーマルハウトさまの偉業を讃え、事件から千年たったいまも感謝の気持ちを忘れていません」
「エドの村か……懐かしいな。エルフの村が狂った精霊に襲われておったのだから助けるのは当然のことだ」
フォーマルハウトは天井を見上げながら、過去に思いを馳せるような顔で、満足そうに答えたのを聞いたあと、アリエルはすかさず話を続けた。
「おっしゃるとおりです。また時を同じく千年前、エルダー森林の南の端にあるフェアルという小さな村でも、同じように土の精霊アスラがその使役者である精霊使いゼダンを殺害し、女子供の区別なく村人たちを虐殺しておりましたところ、なんとまたもや偶然に、近くを通りかかったフォーマルハウトさまが精霊アスラを倒し村を救っていらっしゃる。慰霊碑に刻まれた犠牲者の数はなんと157名」
「…………」
「…………」
周囲からフォーマルハウトに送られる視線が少し厳しいものになるのと同時に、この場の空気が少し重苦しさを帯び始めた。背後の方ではヒソヒソと小声で話をしているような声も聞こえる。
「静粛に願います、話はまだ終わりません。このドーラの地でも時を同じくして千年前、私の弟子であるサオの生まれた村、そう、メルドの村にも風の精霊テックが、奇しくも私と同じ名を持つアリエルという風使いの少女と仲睦まじく暮らしておりました。精霊王アリエル。私も幼少期に好きだった童話にも記されております、恐らくこの世界で最も有名な、精霊王アリエルの無二の親友だった精霊テックも狂ってしまい……村人を襲撃しておりました」
ハリメデさんの気配が変わった。
まるで冬のドルメイ山のように冷たい、まるで氷のような目で突き刺すようにフォーマルハウトを睨みつけている。
「そこになぜか、またもや偶然通りかかるフォーマルハウトさま。メルドの民を守るべく精霊テックと激しい戦闘を繰り広げ、あと一歩の所まで追い詰めましたが……倒しきれずドルメイの山へと逃げられてしまいました……。なあ、いったいどうすりゃそんなに都合よく村の危機に出会えるんだ? アンタ」
フォーマルハウトは重苦しい空気を吐き出しながら話を聞いていたが、まるで自分が1000年前にエルフの村を襲撃した犯人だと言われていることに気が付いた。
「小僧……、何が言いたい?」
「いや、いまのところ俺からは何も。アンタに文句を言うのは俺じゃあない」
「なんだと? 我はこれから文句を言われるのか?」
呆れたという表情でやれやれという仕草を見せるフォーマルハウト。
そんな道化のようなパフォーマンスじゃあ、この強張った空気を変えることはできない。
「それでは、メルドの村の精霊使いアリエルさん。どうぞこちらに」
アリエルが名を呼ぶと、待ってましたとばかりに、てくてくが影からす――――っと音もなく出てきた。跪き、お辞儀をしたポーズのまま微動だにせず、ネストから上がってきた。
10歳てくてくだがフォーマルハウトは苦々しい顔でてくてくを睨みつけていて、奥歯からギリギリと噛み締める音が聞こえるほど表情が一変してしまう。それもそのはず、目の前の少女は、1000年前、フォーマルハウトが殺したときと同じ服を着ているのだ。他の誰も知らない、知るものが居たとしても生きてるはずもない1000年後の今、目の前に、この人族の男の影を媒介として顕現したのだから焦らないわけがない。
影から出たてくてくは、一歩、二歩と前に出てフォーマルハウトに詰め寄り、聞いたことがない少女の声で話し始めた。
「やあ、フォーマルハウト。久しぶりだね。千年ぶりかな? えらく老けたじゃないか。ボクを覚えてるかい?」
おそらくはこの声こそ精霊王アリエルの声なのだろう。
てくてくに睨まれたフォーマルハウトの表情からは今までの余裕など微塵も感じられなくなってしまった。暑いわけでもないのに額や首筋からは汗が噴き出し、すこし呼吸も荒くなっているようにも見える。
「ボクの母さんや、爺ちゃんや、幼い弟たちまで、よりによって風の魔法を使って、よくも殺してくれたね。そういえば後を追って山に入ったボクもアンタに殺されたんだった。覚えてないとは言わせないよ。フォーマルハウト」
「こ、小僧!……、死霊術師であったか! 侮っておったわ」
「小虫の鳴くような魔法が爺さんの耳にも聞こえたようで何よりだ」
「おのれベルセリウス! フォーマルハウトさまを愚弄するか! タダでは済まさぬぞ」
フォーマルハウトも収まりがつかない様子だし、その弟子たちも前に出てきてやる気満々だ。
だけどここは和平の話し合いをする場であって、フォーマルハウトにケンカを売っていい場ではない。成り行き上こうなってしまったけれど、もう相手も収まりがつかない様子なので、トリトンにはひとつ断りを入れておくことにした。
「父さん、避けようと思ったんだよ。俺」
「構わん! サオさんもてくてくさんも、うちの家族だ。責任は私がとってやる。でも、心労で倒れたら女性の膝枕で死なせてくれ」
トリトンも和平を進めるためフォーマルハウトは取り除かねばならない障害だと言う事を理解しているからこそ、アリエルを止めなかった。
ロザリンドの父、アイガイオン・アルデールのほうも思わぬ展開に歓びを隠し切れない。
「おおお、ロザリンド。お前の婿は、なかなかええ気を放っておるじゃないか。フォーマルハウトに正面切ってケンカを売るなんぞアホのやることだが、儂は嫌いじゃないな」
トリトンと同じで、根っからのケンカ好きのようだ。何なら飛び込んで行って自らの拳で語り合いそうな勢いだ。
「神聖典教会とも正面切ってケンカしてるわよ。これ終わったら勇者たちが行列作って殺しに来るかもしれないのに、なんで厄介事ばかり増やすかなもう」
「待たれよ。フォーマルハウト魔導顧問どの、今の話、返答次第によってはメルドの民は黙っておりませぬぞ」
メルド村長の息子だというハリメデさんも当然だが黙ってはいられない。ずいずいっと前に出てフォーマルハウトを問い詰める。
「はあ? 知らぬよ。どうせ狂った精霊の戯言であろう。証拠がないのでは話にならん」
しらばっくれようとするフォーマルハウトに、そうはいくかと追撃する声があった。てくてくだ。
「フォーマルハウト、精霊のことならボクに聞きなよ。精霊は神々の道を通るときに消費される魔導結晶から溢れる余剰魔気から生まれた魔力の特異点。四精霊はみんな女神ゾフィーの子なんだ。たとえ狂ったとしてもエルフの村を襲うなんてことは絶対にないのさ。もし狂ってしまったとするなら、それはもう精霊じゃない。魔物だよ。ならばフォーマルハウト、なぜおまえは3柱もの精霊を使役してるんだい?」
「ぐ…この……」
「答えられないよね、フォーマルハウト。そうさ、お前が契約したとき、精霊たちは狂ってなんかいなかったってことさ。精霊の力に魅せられたお前は、この世界にたった四柱しかいない精霊を奪うために一芝居打ってマスターたちを殺し、そして奪ったんだ」
「お前は……、アリエルではない! 殺したはずだ。確かにこの手で殺したはずだ!」
「あはははは、語るに落ちたねフォーマルハウト。そうさ、アタシはテック。お前に殺されたエルフの娘アリエルに宿った風の精霊テック。今はこちらのアリエル・ベルセリウスをマスターと仰ぐ闇の守護者」
ここまで言うとてくてくは、ぐっと言葉を飲み込んでしまう。
いや、感情が先走ってしまい、手を伸ばせば届く距離にいる、愛する人を殺した仇に対する怒りの感情が怨念となって言葉を詰まらせる。
「………… フォーマルハウトォォ!! よくもアタシの愛する者たちを奪ったな! よくも大切な人の未来を奪ったな! マスター…… 仇討ちの許可を。アタシ……、こいつだけは許せないの」
「てくてく、確実に勝てるか? 分が悪いとまでは言わないが、この時間帯に三柱の精霊と炎術師を同時に相手するとなると、有利には戦えないだろう?」
「マスター、譲れないのよ。アタシ……刺し違えてでも……」
「ダメだ。刺し違えるのは許さん。てくてく、お前の仇は俺の仇だ。……フォーマルハウト、俺がお前を討っても問題ないよな?」
椅子に座ったまま睨みを利かせるフォーマルハウトに対し、まるで見下したような表情で指さして宣言するアリエル……。
フォーマルハウトは何も答えず、ただニヤリと唇を歪ませた。
「ドーラの王よ、聞いての通り、この者フォーマルハウトは俺の大切な家族の仇です。仇討ちの許可を申請し、フォーマルハウトに一騎打ちを申し込みます」
てくてくがアリエルの家族だという事実は、ロザリンドが嫁いだこどで同じくアリエルと義兄弟になったフランシスコの身内でもあるということだ。つまりだ、たったいまフォーマルハウトは明確に魔王フランシスコの敵となった。
「フォーマルハウト、貴様、正々堂々と受けるか?」
「フハハハハ! 僥倖なり僥倖なり。受けますとも。このベルセリウスの子倅を殺したあと、そこで見ている親が挑むであろう仇討ちのほうも今から受け付けるが? どうかなノーデンリヒト領主?」
生まれて初めて殺気を放つトリトンを見たアリエル。
そこで座っている男は、いつものボンクラ親父ではなく、まぎれもなく歴戦の騎士そのものだった。
トリトンが椅子から立ち上がろうとしたその時、フォーマルハウトの弟子4人のうち3人が前に出てきた。
「フォーマルハウトさま、それでは小僧のほうは我らが。先ほどからこの小僧の言動、聞くに堪えませぬ。ヒト族の小僧に身の程というものを教示してさしあげましょう」
「そこな小僧、聞いた話では昨夜の戦闘でお前は女の背に守られるばかりで自分は一度も戦わなかったそうだな。そのようなクズ、フォーマルハウトさまのお手を煩わせるまでもない」
サオは師の傍らで大人しく事の推移を見ていたが、敬愛する師匠に向かって放たれた『クズ』の一言はどうあっても許容することができなかった。
「……何? いまクズと言いましたか? 私の師匠に向かって……」
アリエルに用意された椅子のすぐ後ろで控えていたサオは、眦を吊り上げたまま一歩二歩と前に進み出て、アリエルの横に立った。
エテルネルファンに居たころのサオは、普通の女の子だった。
フォーマルハウトの弟子たちはその頃のサオを知っている。ただ古流の武術を少し使える程度で、魔導にも、体術にも、特に突出しておらず、贔屓目に見ても並以下の実力だった。将軍の近衛侍女などと、御大層な肩書であったが、その実ただの召使い。満足に戦えるなどとは誰も考えてはいなかった。それが、たかがヒト族の魔導師に弟子入りしてから1年足らずで、何を偉そうな口を利くようになったのかと、まるでこけにされたような気分になった。
「言ったがどうした。ヒト族の好色は皆の知るところである。サオ、お前はこのような男の弟子になって、いったい何を教わっておるのだ? 布団の中で教わったことを披露してくるというのか?」
腹を抱えて笑いながら、サオに下卑た笑いを投げかける弟子たち。
「師匠のみならず、師匠の御父上を前にしてその物言い、聞き捨てなりません。あなたたち4人まとめて、不肖、弟子のサオが相手をします。師匠、許可を」




