05-04 怖い女たち
影が跳躍しながら猛スピードで近づいてくる。
アリエルには気配で見える、ウェルフだ。
速い。
人のウェルフはこの暗がりでサオにも視認できる距離まで近づくと、二手に分かれた。二人で一人を相手にする時、よく取られるワンパターンな戦術だ。
一人は真っすぐ踏み込んで、もう一人は回り込むという単純なもの。ノーデンリヒト砦で停戦中、交流戦でウェルフの青年二人がとった戦法と同じだった。もちろんサオは機動力に優れ、先行してくるこの自信にあふれた二人のウェルフがこの戦術で来ることは十分承知していた。なぜならウェルフ族は戦闘訓練でツーマンセルになり、単純だが最強のコンビネーションを頭で理解するより深く身体が覚えるまで練習している。これは二人である優位性を最大限に生かす戦術であり、対処しにいからこそ定番なのだ。
特にウェルフのような高速戦闘を得意とする者たちにとっては常勝の戦術と言ってもいい。
スピードで圧倒されるヒト族相手だと、戦術が分かっていても防げない。
まずはサオに斬り込んでくる正面のウェルフ。迎え撃つのがエルフの少女たった1人ということを訝しみ、周辺に潜んでいるであろう伏兵の奇襲に注意しながら、まずは目の前に置かれた据え膳を平らげるため、深々と地面に爪を打ち込み加速する。以前のサオなら半身に躱すだけで精いっぱい、次の一手に繋がらず押し込まれて、2手3手でやられてしまうところであった。
しかし蓋を開けてみると、サオに襲い掛かったウェルフは、交錯する刹那、鈍い音が響いたと同時に動きを止める。高速で踏み込んだウェルフの鳩尾に、深々とサオの肘が突き刺さっていた。
「遅いです。師匠と比べたら……欠伸が出ます」
回り込むウェルフは初撃を放った牽制の戦友がすでに地に伏していることに驚き、瞬間的に頭に血を登らせ、大きく振りかぶった剣を右から飛び込むように首を狙って剣を薙いだ。
だが、毎日パシテーのオールレンジ攻撃に対応し、ロザリンドの二刀流から繰り出される強力無比な打ち込みをしのぐ鍛錬をしているサオに、見え見えの攻撃など、どれだけ力がこもっていようが通用するわけがない。
浮遊する盾で剣の一撃を軽く防御するのと同時に、腕をとってバランスを崩し、踏み込んできた足を払うと、一回転する空中でもう一方の盾が襲った。
「軽いです。私を殺したいのなら、ロザリィ並みの打ち込みをするべき」
相応の重量をもって高速で襲い掛かるハガネの盾のカドっこで顎を打ち抜かれたウェルフは、容易に意識を刈り取られた。そして首根っこを掴まれて引きずられてくる刺客2人。
「サオ、よくやったね。安心して見ていられたよ」
味方のウェルフたちは遠目からサオの戦闘を見て脂汗が流れるのを感じていた。
ほんの1年半ぐらい前まで、ウェルフの速い攻撃にはまったく対応できていなかった古流の盾術使いが、この暗がりという不利でしかも真剣を抜いた2人の戦士を同時に相手して圧倒し、数秒で倒してしまったのだから、内心は穏やかではいられない。
いまサオに倒されたその相手は、ウェルフたち皆の知る、相当名のある戦士だったのだから。
襲撃者を2人捕らえたとの報を受けてハリメデさんが出てきた。
顔を見せると『やはり』という顔と『まさか』という、この現実を否定したい感情が入り混じった、複雑な表情で頭を掻きながら不満をこぼした。
「レガルじゃないか。我が軍は二つに割れたのか。ウェルフを纏める総隊長の副官がなんたること……」
「ハリメデさん、暗殺にしては敵の数が多すぎます。いま近づいて来ている2つの小隊は、隊列を組んで進軍してますし、これって正規軍がクーデターを起こしたという可能性はないですか?」
「……まさか!!」
「パシテー、西側の20を。リーダーっぽいのを引っ張ってきて」
「ロザリンド、北側の30を。木刀で思い切りブッ叩いてリーダーをここに」
パシテーはふわっと浮き上がったかと思うと、花びらを散らして西に飛び、ロザリンドは先ほどサオが2人のウェルフを倒した丘に立ち、3列縦隊で進撃してくる獣人たちを迎え撃つ。
こちら西側から2列縦隊で進軍する20人は暗闇の中、足もとに何か冷たいものを感じると、その冷気に足を取られ、身動きが取れないまま鈍器のようなもので殴打され、次々と倒されていった。
自分がいま何に襲われているのか、なぜ身動きが取れないのか、敵は今どこにいるのか、何一つ情報がないまま襲撃者は次々と倒されていったが、パニックになる事もなく全員が闇の前に沈んだ、先頭で指揮していたエルフの男が意識を失い、体を強固に守っていた強化と防御の魔法が失われると、地面を引きずられるように魔法の縄に捕らえられた。
そこには倒された19人の兵をなぐさめるかのように、花吹雪が舞っていた。
パシテーとしては殺すなとのお達しなので、刃のほうではなく、柄尻のほうで殴打する格好になったが、いくら軽い短剣とはいえ、目に見えるか見えないかの速度で繰り出される攻撃なので、それが柄尻の打撃でも金槌で殴られたぐらいの破壊力である。打ち所が悪ければたやすく命を奪ってしまう。
一方ロザリンドのほうは新しく作ってもらったばかりの樫の木刀を二刀流で対応することにした。もともとは素振り用に誂えた木刀だったが、人をブッ叩いてびくともしないぐらいの強度はある。
襲撃者30人の主力は丘の上に佇み、暗闇に溶ける2メートルの巨躯を確認した刹那、剣を抜くか抜かないかの間に次々とブッ飛ばされていった。
闇の中でしか見えない程度ではあるが戦闘時にぼんやりと発光する紅い眼が引く航跡が見えた時にはもうやられているという避けようのない悪夢であった。
相手が素人ならまだしもウェルフ族の精鋭たちがまるで手も足も出せずに、次々とぶっ飛ばされてゆく。
同じ一族でありながら、そのケタ違いの戦闘力を遠目に見ながら愕然としたのは、他でもない、同族の戦士アトーセだった。剣を持って殺しに来る30もの軍主力を相手に木刀などいくらなんでも舐め過ぎだと思った己の『相手の力量を推し量る目』を恥じることとなった。そう、このルビスの女傑を甘く見ていたのは他でもない、己だったのだ。
ロザリンドは30人分のうめき声のなか、一人ずつ『むんず』と掴んでは顔を確認し、違っては投げ違っては投げ、20人ほど投げたところで手が止まった。
「なーんだ、やっぱりお前だったのか」
意識も朦朧としてハッキリしないエルフ男の髪を掴んだまま片手でズルズルと引きずりながら陣に戻ると、先にパシテーが西の20人を片付けていたようで、リーダーと思しき男が正座させられていた。
「はい、こっちもつかまえてきたよ」
「ケガないか?」
「ないわよ。どうせ心配なんかしてないくせに」
「俺の心配をしてくれ。ロザリンドがケガをしたら母さんに言いつけられるんだ」
さてと、勝敗は決したようだし、ボコられた二人を正座させて尋問しているのだけど、こいつら土性骨が座っていて、なかなか口を割らない。口を割るぐらいなら死んだほうがマシだから名誉の死を遂げさせろとまで言いだす始末。まったくめんどくさいったらありゃしない。
「ねえ、口を割ろうが割るまいが、こいつら二人ともフォーマルハウトの弟子なんだから。フォーマルハウトの命令なしにこんな反乱のようなことをするわけがないでしょ。協力しないっていうなら望み通りにしてやればいいじゃん。こんな奴らハイぺリオンの餌にちょうどいいわ。成長期だし、エルフは好物だし。あなた、ハイペリオン出して」
「そうだな。わかった。ハイぺリオン、出ておいで」
―― キュイ?
俺が『出ておいで』って言うのを待ってましたとばかりにネストから意気揚々と飛び出してきたハイぺリオン。ロザリンドが何か餌をくれそうなことを言ってたのを聞いていたのか、飼い主の俺なんて目もくれず、大喜びでロザリンドにじゃれついてる。……マジで現金な奴だ。
「ハイぺリオン、こいつら私たちの敵なんだ」
ロザリンドがそう言うとハイぺリオンが重厚な威圧を放ち、怒気を含んだ紅い眼が捕虜たち2人の精神力を根こそぎ奪っていく。味方の護衛たちの精神力もごっそり削られてしまうのだけど……。
パシテーが連れてきたほうの男はハイぺリオンの姿を見た瞬間に狼狽えはじめ、龍族の威圧が放たれると途端にガクガクと自分を保ってはいられなくなり、ゆっくり近づいてくるハイぺリオンの吐く息の音が耳元まで近づくと、女の子座りで涙を流しながら命乞いを始めた。
大の男が嗚咽しながらボロボロに泣いて許しを請う様はちょっと引いてしまう。
戦いに敗れて処刑されるのは名誉が残る。だが、生きながらにしてドラゴンの餌になるなど無駄死ににしかならないのだそうだ。ロザリンドの冷気を纏った妖艶な微笑が怖い。
「よし協力的になったな。証言はひとりでいいんだ。お前は強情を張った分の報いを受けることになった。さて、お前はドラゴンに食われるという死に方を想像したことがあるか? 今ここにある現実を受け入れろ。震えてないで考えるんだよ。涙を流してる暇があるなら思考を働かせろ。なぜ気配を押し殺す? 息を止める? マナを隠そうとする? 今さらそんな事をしても、もうどうにもならないだろう? お前は数日後には、ハイペリオンのウンコになるんだぞ?」
と一押しすることで、あれほど頑固に尋問を拒否して死を望んでいた男が落ちた。
プライドの高いエルフ族の武人であるが故に、己の死に様にもこだわる。そこに弱みがあったというわけだ。うちの身内で最も拷問に長けているのはロザリンドで間違いない。一切肉体を痛めつけることなく、精神と魂を根こそぎ削り取り、ひっくり返してしまうその手法には、背筋に寒いものを感じる。
「みんなもう大丈夫だよ、息しても平気。この子はうちの家族なんだ
」
「ハイぺリオンご苦労様。サオ、ちょっとあっちでこの肉あげてて」
[ストレージ]からディーアのもも肉を出してサオに預けた。ご褒美をあげるのはサオの役目。『待て』をするのもサオの役目。ハイペリオンの愛情ポイントが加算されるのもサオ。だからハイペリオンはサオにばっかり懐くのだけれど。
「はいっ、ハイぺリオンえらいです。これはご褒美ですよー」
その後、ロザリンドとハリメデさんの強面に囲まれた尋問で、フォーマルハウトの弟子たちは全てを吐いた。いや、全てを吐かされた。
海上であった船の襲撃から、この二手に分かれた50人の襲撃までは、一連の作戦で、作戦の第一目標はノーデンリヒト領主トリトン・ベルセリウスを殺害すること。
そして第二目標はドーラの土を踏んだヒト族を皆殺しにすること。目撃者も生かしておくなとの指示があったので、本来味方であるはずのハリメデやコレーたちも殺すことを厭わなかったという。半ばクーデター気味に突っ走ったような作戦内容だった。もちろんその命令を下したのはフォーマルハウト。
海上で二隻の船が襲い、万が一失敗したら陸路で確実に仕留めるという二段構えの作戦だった。
まさか軍を離反したロザリンドたち元将軍の一行が同行しているとはこれっぽっちも考えていなかったらしく、それが敗因だったと悔し涙を流していた。
これで襲撃は終わったと思って、少し気が緩んだ折のこと。
明日の魔王との会談で、フォーマルハウトとどう接すればいいのか? なんて、考え事をしていたら、ざわっ……と後頭部の毛が逆立つのと同時に、生暖かい西風が強者の気配を連れてきたのを感じた。数も……10……50……、100以上いやがる。
「西の方角! 敵の第二波だ。数が多い……正確にはわからないけど100以上! ちょっと手こずりそうな強い奴が混ざってる。速いぞ」
静寂を引き裂くような急告を受けて、アリエルの影から波のように瘴気が流れ出し、暗い底から闇の守護者が現れた。
「あーもう、次から次へと面倒! アタシがやったほうが早いのよ」
「……」
「……」
「……お……オバケだあぁぁ!」
「パニックになるな! こちらにおわすは精霊さまだ。失礼であるぞ!」
アリエルの影ってやつは本当にもう、ドラゴンは飛び出すわ、てくてくのような死体が出てくるわ、ドーラの戦士たち、エルフたちしてみると、とんでもないビックリ箱のように見えたのだろう。
引っ張って引っ張って、ここぞというタイミングで登場したはずが、てくてくを見た護衛の者たちがパニックを引き起こしてしまった。
「てくてく、大丈夫か? 顔が引き攣ってるけど……」
「大丈夫じゃないのよ、せっかっくタイミング計ってて、今だ! と思って出てきたのにオバケだぁぁ! とか失礼極まりないのよ!」
瘴気の演出で妖気を振り撒いて出てくる大人バージョンてくてくの妖艶な登場シーンは俺好みだけど、知らない人が見たらホラーでしかない。船上で飛び出したように演出なしでポンと出てくりゃ誰にも怖がられなくて済むのに、登場シーンにいちいち凝った演出を挟もうとするからこんな事になるんだ。
「数えるの面倒だから正確な数は分からないけど西から100以上。一人先行してくる奴は強いよ」
「じゃあ先行してくるのは私が」
ロザリンドが長刀美月を握って鯉口をカチンと鳴らした。
「遅れてくる100はアタシが。眠らせればいいのね?」
「ああ、それでいい。サオは拠点防衛! パシテーとハイぺリオンは空から援護! いいか、可能な限り殺すなよ。俺たちは戦争しにきたんじゃない、和平の話し合いをしに来たんだ」
ロザリンドが愛刀美月を顔の前で抜くと、ひときわ鋭い剣気が放たれ、高速で接近する敵を迎え撃つ。
対照的に、気配をその姿ごと闇に溶かし、消えてしまうてくてく。
丘の下に向かって、ゆっくりと歩いてくロザリンドに目をやると、ものすごいスピードで迫りくる紅い軌跡に対して、縮地で対抗しようとするロザリンドが見えた……ような気がした。
―― ガッ!
―― キィン!
縮地 vs 縮地 超速度で交わされる刹那の剣撃。
まさかの邂逅。唐突に起きた兄妹の再会。
「あら、お兄さま? 久しぶりね」
「ロ、ロザリィ?」




