05-03 夜襲
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この船には風の魔法で船を加速させる役割の魔導師が二人乗船している。
いざというときマナ切れになると役に立たないので、平時はずっと船室にこもっているくせに他の船乗りよりも多めの給金がもらえるというのだから、普段は風魔法使いなど僻みも含んで『タダ飯食らい』と陰口を叩かれているのだが甲板に出でるといつも傲岸不遜で荒っぽい船員たちが縋るような視線を送った。
「お願いだ、早く船を加速してくれ。追いつかれたらまたアレが出る」
要領のつかめない風魔法使いたちはいったい何があったのか。何を恐れているのか分からないけれど、それでも何かに追われていることを察して、すぐさま配置についた。
「はやく! はやく追い風を!」
二人の風魔法使いが起動式を入力し、追い風を呼ぶ。
―― バサササッ!
無事メインマストのセイルが風の塊を受けたたようで、船はぐんぐん加速する。後方で火の手の上がる船たちを引き離し始めると船員たちから歓声が上がった。
船員たちの歓喜を横目で見ながら、どこ吹く風と気にも留めず『ゾフィー』という名前に過剰反応したアリエルの顔が頭から離れない二人。
「ねえどう思う? アリエルのやつ、ゾフィーと聞いたときのあの狼狽えよう。まだ他に女がいるのかな? 私、泣きそうなんだけど」
ロザリンドの言葉にパシテーは心当たりがあるのか、深く深く思考を巡らせた
。
一緒に過ごしていると忘れてしまいがちだけど、そもそもアリエルは『神子』と呼ばれる転生者だ。アルカディアにあるといわれる日本という国から異世界転移と死後転生を同時に行った上に、掛けて加えて、脳に前世の記憶を残すイレギュラー中のイレギュラー。
教会の勇者召喚の話では確か、一度に転移する人数が多ければ多いほど魔導結晶も大量に消費し、魔導結晶が足りなければ転移門に現れた時すでに死んでいることもあるらしい。それほどまでに転移魔法というのは魔力消費が激しいと考えられている。
エルダー森林からドーラのドルメイ山に飛んだアリエルは1つだけ魔導結晶をもっていたけれど3度の転移で魔導結晶を消費せずに転移した。うち1回は一度に5人も同時に空間転移したにも関わらず、魔導結晶は消費されなかった。
更にもうひとつ、北のドーラに転移したのと、帰るときは魔導結晶を持ってすらいなかったのに。
結論を出すのが早すぎるかもしれないが、ハリメデの言葉が正しいとすれば、ほぼ間違いなくアリエルは女神ゾフィーに許された者だ。
女神なんて突拍子もない話をどう組み立てれば真っ先に女神にたどり着くのか分からないのだけれど、女神に許された者、そう考えるのがしっくりくる。
「違うと思うの。姉さま、ゾフィーのこと教えて? 絶対に何か関係あると思うの」
「ごめん、わたし宗教とか興味なかったから、エルフの女神だって事しか知らないの。でも実家に帰ったら分かると思うわ。お母さまが熱心にゾフィー信仰してるからね」
「……またエルフなの! 兄さまエルフだったら神でも見境なしなの」
「ちょっ、パシテー、それも違うと思うよ?」
何もない虚空を見つめながら、ただ物思いにふけっているようなアリエルの姿を横目に、ロザリンドとパシテーの心配事の種は尽きない。
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一方、ハリメデたちは追撃がないことで一安心して、また船室に引っ込んでしまった。こんな追撃戦なんて不確かな戦術じゃあ確実性に欠ける。普通は海上で挟み撃ちにして確実に沈める作戦をとるから、当然、前方も警戒しておいたほうがいいのだけど、前方からくるということは風向きが逆になるから、いくら腕のいい風魔法使いが乗船していたとしても、文字通りの順風満帆で波を切って航行するこちらの方が有利なことは間違いないのだそう。
アリエルは心配性だから気配察知を張り巡らせていたけれど、前からは敵船舶は現れず。結局のところ襲ってきた敵船はというと、ハイペリオンにマストを燃やされた2隻の高速船で追いかけてきただけという、こっちの戦力を軽く見て舐められていたのか、それとも敵の海上戦力が乏しいのか。どちらにせよあれほど警戒していたのに何もなく、翌朝にはオーストの漁村に着いてしまって拍子抜けしてしまった。
この漁村、軍港としての機能がある以外は普通の寂れた漁村。ドーラに2本マストのブリッグ船が入れる規模の港がたくさんあると思えないのだけど、まさかこんな漁村の桟橋に直接、こんな大きな船をつけられるだなんて思ってなかった。
そしてこの村の住民のほとんどがカッツェ族。猫は水に濡れるのを嫌うから船で漁に出るなんて考えられなかったのだけれど、コレー曰く、カッツェは種族的に狩猟に向いていて、魚を捕るのも鳥や鹿を捕るのもなかなか上手なんだそうだ。
桟橋で整列して待っていた出迎えの兵は、数名のウェルフと、ひとりの魔人族。
魔人族男性を初めて見たけれど……てかロザリンド以外の魔人族を見たのが初めてなんだけど、相当カッコいい。
てくてくは機嫌が悪いらしく、ドーラに上陸したってのに、ネストから出て来ようとしない。まあ、イヤがってたのを連れてきたんだし、しょうがないのだけど。
出迎えの人たちに向けて特に会釈するでもなく表情を作るでもなく、アリエルたちノーデンリヒトの一行は頼りないタラップを踏んで確かめるようにしながら、ゆっくりと降りた。トリトンは人族で初のドーラ上陸だ! なんて感慨深げだったけど、実はアリエルがドルメイの山に転移していったことがあるので、人族で2番目かそれ以下だ。
ずっと青ざめていたパシテーはようやく地面の上に降りることができて、ホッと安堵の表情を見せた。まあ土魔法使いが海の上に居ること自体が危機なのだからその気持ちも分からんでもない。
逆にアリエルは水魔法が得意なので海上でもなんら不安はなかったのだけれど、ハイペリオンがトマホークミサイルのように飛んでって戦闘を終わらせたので、水魔法を披露することなく、みんな無事にドーラ側の港に着けた。
ここで休んで行く予定だったが海上で襲撃があったことは確かなので、軽く食事してすぐに出ることになった。てか船でも1日前に出られることを読まれて、それに対応できるほどの組織力を持ってる相手だということが分かったのだから、ここでしっかりと準備をしていった方が確実だと思うのだけど。
逃げ場のない海上で高速船を2隻出してまで暗殺しようなんて手堅い手を打ってくるような相手だから、それが失敗したからと言って諦めるとは考えにくい。やはり道中で襲撃はあるものと考えた方がいい。
「ハリメデさん、信じてない訳じゃないけど、一度襲撃に失敗したぐらいで諦めるとは思えないから、万が一を考えて、滞在中の食事は水に至るまでこちらで用意するという事でいかがでしょう?」
「アリエル、それは失礼というものだ。襲撃者が毒を使う心配をしてるのだと思うが、ドーラの戦士に限ってそれはない」
「そうよあなた、フォーマルハウトはいけ好かない奴だけど、エルフの長老として常に規範になることを求められてる。本気になったら毒なんて面倒なことせずに、大喜びで首を取りにスッ飛んでくるわよ」
なるほど。まあ命を狙われている本人がそういうならと、ここで食事していくことになった。
実はこの世界に来て以来、海産魚というものが滅多に口に入らない。セカの港は魚介類が豊富に流通しているけれど、あそこ淡水だし。
「じゃあ俺、なんでもいいや、海水魚の塩焼きが食べたい」
「塩焼きでいいの? ここには醤油なんて万能調味料ないわよ」
「じゃあドーラの調理法でうまいのを」
「青魚がいいなら香草焼き。でもたぶん赤身魚が出るわよ。日本で言うとマグロっぽいの」
「マグロとれんの? ますます醤油が欲しくなるじゃないか」
おすすめ料理をお任せでお願いしたらロザリンドの言った通り、マグロっぽい赤身のステーキが出てきた。それがまたクリームソースと和えて食べるのだけど程よい酸味のある新感覚で、マグロの味を引き締めていて、これを食べるためにここまで来るのもいいと思うほどの味わいだった。
コレーのおっさんが言うにはこれカッツェの家庭料理なんだそうだ。猫耳の女の子を嫁にもらったら、もれなくこの料理が食べられるぜ? なんて言って遠回しにエララを薦められるのだけど、うちの嫁がマジ怖いのと、あと残念なことに肝心の新鮮なマグロがボトランジュじゃ手に入らない。
食事を終えると雑談もせず早々に切り上げて、目的地エテルネルファンまで、魔族の足で残り2日の道程。トリトンやガラテアさんなら3日かかるかもしれない。何しろ、だだっ広い平原には道がなく、森に寄り添うように、ぐにゃぐにゃ曲がった道がついているだけだ。とにかく無駄が多い。直線距離なら1日ちょっとでつくような距離でも、蛇行した道をバカ正直にたどると2、3日かかる。
「なあロザリンド、なんで道がずっと森にくっついてんの? 直線のほうが……」
「これは突然空からミッドガルドが襲ってきたとき、森に逃げ込むためなのよ。ドーラの空には脅威があったの。でも今は安全なんでしょ? 整備されてないけど丘を突っ切るほうの道を通っても問題ないわね」
ハリメデさんコレーとその護衛に出迎えの魔人含む5名が加わって合計15名。
こちらはトリトンとガラテアさんと、あと俺、ロザリンド、パシテー、てくてく、サオの7人と、あとこっそりハイペリオン。
ここから襲撃があっても禍根を残したくないのなら皆殺しという選択肢はないのだけれど、アリエルのような[爆裂]系の魔導師には高速で動き回る相手に手加減するのはとても難しい。アリエルたちだけでやるなら逃げるが勝ちなのだが、こちらには足の遅い荷物持ちのサポーターたち非戦闘員が5名ほどいるので乱戦にもできない。
ドーラにはもっと雪が残っているかと思っていたが、春そのものの麗らかな景色。
花でいっぱいの丘があって、向こうの方に針葉樹の森。
なんだ、この辺りはノーデンリヒトと大して変わらない、美しい自然に包まれてる。
少し頬に冷たい、清々しい風だ。
明るい間は何もなく、気持ちのいい風に背中を押されて、のんびりとした物見遊山の旅になった。
春にはなったがまだ寝雪が凝っている。ドーラの春もノーデンリヒトの春も変わらず清々しい。
空はまだ明るいけれど野営予定地に着いたらしく、サポーターたちは早速野営の準備をし始めた。だだっ広く周囲を見渡せる丘の上。守るにも向いてないけれど、その分、敵の接近は早く察知できるので逃げるにた易いキャンプ地というべきか。囲まれでもしたらどうにもならないというのに。
パシテーが整地とコテージ建築を15分で済ませるのを最初から最後まで目を離さずにじっと見学していたサポーターたちは、素晴らしい出来栄えに息を飲んだ。
いくらエルフちょっと混ざっているとはいえ、その手際の良さと仕上がりの精度を見るに技術の差をまじまじと見せつけられたのだ。
「うーん。勉強になる」
サポーターたちがパシテーの後についてまわって細かい技術を盗もうとしているのだろう。パシテーは先生だからこういう時、ちゃんと理解できるまでしっかりと説明してしまうのが玉に瑕で、案の定、パシテーの建築を見学していた技術者たちは「おいおいお前たち、何をしている。はよう設営を済ませんか」と一喝されていた。ハリメデさんのコテージそっちのけで女の子に見とれてるからだ。
パシテーはトリトンとガラテアさんには個室を作った。外トイレも。
女性たちの強い要望により、パシテーが風呂と脱衣所を作ってるところ。
サオが作ったかまどにはもう火が入っていて、今日の夕飯も簡単にガルグの焼肉になりそう。
皆に風呂を勧めたが、まさかこんな襲撃される確率のほうが高いような状況でのんびり風呂に入る気が起きないとかで、明日は王と会談する予定のトリトンやガラテアさんですら辞退。
トリトンには風呂ぐらい入ってもらいたかったのだけれど致し方ない。
アリエルたちはいつもの順番で風呂に入ることになった。
女性たちが風呂に入ってる間は脱衣所の前にハイペリオンでも置いておこうかと思ったけれど、帯刀したロザリンドが睨みを利かせているだけで覗き防止の警備員として十分すぎる効果があり、おかげで女性陣の風呂に関してはみんな安心して入ることができた。もちろんドーラ側にロザリンドの風呂を覗こうなんて命知らずがいるとは思えないのでこっちは放っておいても安心なのだが。
食事後、数時間ほど仮眠したあと、二方向から2人が先行、20人、30人の小隊が近づいてくる気配を察知した。最も夜目の利くカッツェ族の者が見張りをしていたけれど、やはり敵の接近には気配察知スキルのほうが敏感なようだ。
「敵襲! 二方向から合わせて52人。2人が先行してきてるよ」
「ロザリンド、パシテー、サオ、襲撃だけど、死なせないように頼むわ」
「分かってるわよ」
「分かってるの」
「承知してます師匠」
ハリメデさんとコレーはトリトンとガラテアさんを建物の中に引っ張り込もうとするのだけれど、いやいや、二人とも簡単には納得しない。
「アホを言わんでくれ。エル坊と愉快な仲間たちに守られてわしがそんなとこに隠れていられるか。そこの薔薇の騎士殿だけ守ってもらえば十分だ」
「バカ野郎! 私が息子に守ってもらって、コソコソ隠れていられるか! あと薔薇の騎士はやめろ」
「父さん、敵の狙いは父さんなんだ。和平を阻止することが目的なんだから、父さんは万が一にでもここで死ぬわけにはいかない。だろ? じゃあ引っ込んでて」
「ぐっ、こ、この、アリエルおまえ、そこまで言うなら誰一人としてケガさせずに切り抜けろよ、分かったな。もしケガでもしやがったらビアンカに戦争してたって言いつけてやるからな」
「わはははは、エル坊、そいつぁ大変だなオイ」
トリトンはまだ何か言い足りないようだったがハリメデさんとコレーの手により、無理矢理カマクラへと引きずり込まれてしまった。
慌ただしく防御態勢を敷く護衛隊の隊長は魔人族の人で、テキパキと防衛線の指示をしているところ、ロザリンドが話に割り込むように声をかけた。
「応戦はこっちに任せておけばいい。お前、名前は?」
「はっ、センダアの村のアトーセ。ルビスの女傑と共に戦えて光栄です」
「畏まらんでいい。私は裏切り者だからな。じゃあアトーセ、お前たちはここで隊列を組んで守りを」
「北方面から先行して来る敵2人が速い。そろそろくるぞ」
「師匠、私を使ってください。殺さずに制圧するのは私が適しています」
「よし、先行する2人はサオに任せる。ロザリンドは拠点防衛。パシテーもそこで待機ね」
サオはアリエルの指示した方向に向かってスケイトで高速移動で2つほど先の丘の上に立ち、盾二枚を無手で展開して目を閉じた。




