01-10 みずのまほう
2021 0719 手直し
2023 1211 修正と手直し
「ふむふむ。なるほどの、魔法ばかり追求しておっても到達できんわけじゃ」
グレアノット先生はノートを取りながらヘッドバンキングでもしてんじゃないのかってほど何度も頷いては感心している。
どうやら専門外の風魔法について空気が動くだけということがようやく理解できたみたいだ。
まず空気という、何もないと思われている物が実際にあるんだということを理解するまで時間がかかったが、空気の存在を理解してもらえたらあとはすんなり話が受け入れられるようになった。
「んー、でもさ、先生、いろいろと大きな意味じゃ、空気と水とは同じもの? っていうか、同じような法則?? なんだけどね? 水魔法ってどうなの?」
「む? どういう意味かの? 空気と水が同じとな?」
「いや、言葉の意味そのまま取られるとマズイんだけど、えーっと、そうですね、空気が気圧の高いところから低いところに流れるとその流れを風といいます。で、土地の高いところから低いところに水が流れると、その流れを川と言いますよね。そんな感じです」
「なぞなぞかの?」
「いえ……」
「では、なぜ空気よりも水のほうが下にあるのでしょう?」
「むう? とんちで答えたらええのか?」
「いえ、なぞなぞのつもりではないので、簡単に思ったことを答えてください」
「そうじゃの、それはそういう決まりだからじゃないのかの?」
「うーん、半分正解ですが、答えはもっと簡単でして、単純に空気よりも水のほうが重いからです」
「ほう、空気にも重さがあるという考えなのじゃな」
「はい、実際、空気に重さはありますし。水が空気よりも下にたまるのは、水が空気よりも重いからですし、じゃあ水に石を投げ入れると沈みますよね、これは水よりも石のほうが重いからです。同じ体積で比べないと意味ありませんが、だいたい重いほうが下に来るというのは間違いないですよ。元いた世界じゃ俺は、あんまり勉強しなかったので、ごく平凡な生徒でした。なのであまり難しい知識はもってません。てか、簡単なことしか知らないのですよ。だから、俺の言うことは基本的には簡単なことばかりです。なので、ちょっと見方を変えるぐらいで簡単に考えたほうが理解しやすいと思いますよ」
「うむう。そんなものかの」
「はい、そんなもんですよ」
グレアノット先生はアリエルから学んだことをノートに写し取ると、つぎは茶色い表紙の本を選んで持ち出した。この本は角のスレ傷が年季いってて、えらく古く感じた。
「ふむ。では水魔法いくかの。ひとつ手のひらいっぱいの水を得る魔法『セノーテ』というのがあるんじゃが、これを覚えることができれば旅をするのにずいぶんと役に立つこと請け合いなんじゃが、実はこれが難しいのじゃよ、なかなか成功せん」
先生の話では、四つの元素を操る属性魔法のうち、水魔法だけはとにかく使い手が少ない、難易度の高い魔法だという。
「この本はの、エルフの大魔導師であるフォーマルハウトが書いた魔導書の訳本での。もともと水の魔法は魔導に対して高い適性を持つエルフ用に書かれた書物じゃから、ヒト族には難しいんじゃ」
アリエルはエルフの魔導書を受け取った。
この本にはかなり高位の魔法も記録されているのだけれど、高位の水魔法を扱えたヒト族を先生は見たことがないという。前世で読んだファンタジー小説や映画、ゲームなどでエルフと言えば魔法使いか弓を使うレンジャーみたいな扱いが多かったのだが、ここでも似たようなものだという。
これは前世の日本と、この世界がどこかで繋がっているからなのだろう。
グレアノットはアリエルに手渡した本を自ら開き、ペラペラとページをめくって、起動式の書かれたページにたどり着いた。
「よし、この魔法が『セノーテ』という手のひらいっぱいの水を出す魔法じゃ。これが使えると便利じゃぞ? まずは飲料水の心配をしなくてよいからの、旅人になりたいと言うなら、まずはこれじゃ。この魔法は特訓してでも学ぶ価値はあるからの、では、とりあえずやってみるから見ておれ」
先生の魔法はトーチ以来だ。
アリエルは3歩ほど下がって、全身を観察することにした。
先生が集中している。呼吸も深く整ってる。心音までは聞こえないが、精神と肉体をリラックスさせて最良の状態を作っている。これは前世で嵯峨野深月が、2軒隣の美月から教わった明鏡止水という境地に近いのかもしれない。
とにかく、起動式を書く前の段階で、アリエルとはかなりの差がある。感心するほどに。
先生が右手で起動式を書くと、そのまま顔の前で両手のひらを器のように作った。
アリエルには空気が冷たくなったように感じた。集中力が増してくると、先生の身体から何かうっすらと煙? のような霧がユラリと立ち込めた。実際に目に見えるような物じゃなく、違和感としか言いようのない煙というか霧? のようなものが広がる。それを見たアリエルは少し危険を感じたのか、もう少し先生から距離をとるようにした。
「セノーテ。喉を潤す生命の水をここに」
術式を展開した瞬間、冷たい風が頬を撫でて、先生の手の平の器に水が集まってくる。みるみる満たされて、少しこぼれるぐらい溜まって止まった。
「これが初級の水魔法じゃが、他の魔法と比較すると中級ぐらいの腕前は要る。じゃがの、これが使えると旅をするときに水を持ち歩く必要がない、旅人や行商人が使えると何かと都合がよいし、遠征の兵団に使い手がおると重宝されておるからの。……さあ、やってみるがええ」
「……ちょっと待ってください。さっき先生が起動式を書いたあたりから、身体からなにか違和感のようなものが……湯気? というか霧? みたいに立ちのぼったのを感じたのですが……。あれがマナ? ってものなんでしょうか?」
「なぬ? マナが見えたのかえ?」
「いいえ、見えません見えません。ただ、何か違和感? を感じたというだけです。でも今の魔法、分かりましたよ。冷却? して空気中の水分を結露させて手の平に集めたんですよね」
チラと本を見てみると、起動式の神代文字は、5字。
ああ、やっぱり、この1文字目は、ファイアボールの1文字目と同じで[減圧]だった。
4字目もファイアボールで使った[加圧]
驚いた。マナって冷却もできるのな。
はっ!
アリエルの頭上に電球の光がともるように閃いたことがある。
「ああ、そうか、気化熱か……」
気化熱だとしたら液体から気体に相転移しているのだろうから、マナの放出は、液体? のまま、霧のように違和感を感じたアレかな。霧化したマナを減圧で空気中に薄く放出していって、一気に気化させて空間を冷却すれば結露して、さっきのファイアボールのとき使った加圧? で手の平に集めてる? だとするとそんなに難しいわけじゃない。
まずは起動式を使ってやってみる。
集中して、右で起動式を丁寧に書く。広がるイメージ……。
あ、手の平で器を作って……。ちょっと寒い。結露した水滴を手の平に集めるイメージ……。
あれ?ファイアボールの時とは違う水滴だけが集まっているのが分かる。そして手の平に少しの水が……。
あれっ? 少ない。飲料用としても量が少なすぎて不満が残る。失敗の原因は何だろう?
アリエルはグレアノット先生の一挙手一投足をくまなく思い出すことに専念した。
たしか先生は、マナを空気中に霧状にして散布し、気化熱で冷却する。と、氷を入れたグラスの表面が汗をかくのと同等に、手のひら一杯の水が手に入ると言う単純な仕組みの魔法だった。
そうだ。グレアノット先生がいま周辺の空気から湿度を取り出して水にした。つまり除湿したということ。なるほど、アリエルの『セノーテ』で水がちょっとしか手に入らなかった理由は、空気が乾燥していたからだ。
「ちょっと空気混ぜますね」
さっき覚えたばかりの風魔法で乾燥した空気を吹き飛ばし空気の流れが止まってから、さっきと同じのを試す。
今度は起動式はいらない。もうイメージできる。
手の平で器を作って集中する。集中する。マナを霧化させるイメージを明確に。集中する。
さっきよりももっと丁寧にマナが気化する感覚をイメージする。空気が冷たくなってきた。
呼吸し、吐き出した息が白く煙る。
てか寒い。……そして冷たい。
手にサラサラ……と、
「ええっ、雪かよ!」
手のひらでは受けきれない量のカキ氷のような白い雪が……バケツ一杯ぐらい零れ落ちていた。
「おおっ、まさか雪が出るとは思わんかったぞ……アリエルくん。実はの、水魔法は先にやったもん勝ちなんじゃよ。じゃから先にわしがやって見せたというわけじゃ。ちょっとしたイジワルのつもりだったんじゃがの、お見事としか言いようがないの。やられたわい。ほっほっ」
「空気の中にも少し水が混ざっています。その水がたくさんになると雨が降るんですよ」
「む。今回は分かる気がする。が、端折らず分かりやすいように説明してくれんかの」
「はい、では、えーっと、器に水を入れてその辺に置いておくと、徐々に減っていきますよね?それは、水が少しずつ空気に溶けていってる? と考えてもらえれば理解しやすいかと」
「なるほど! そういうことじゃったのか」
「たぶん、理があるとするなら、結露させて大気中から水を取り出すほうだと思います」
「それは雪を出したそれかの?」
「は、はい、この魔法はちょっとやり過ぎると雪になってしまうようです……。結露って分かりますか?」
「よくわからんの」
グレアノット先生は恐ろしいスピードでノート取りながら、なぜか機嫌がいい。水が蒸発して空気に溶けるという話は身近な現象なので、理解しやすいようだ。
「はい、えーっと、夏の暑い日に、コップに氷水とか入れておくと、コップの外側に大量の水が付着する現象なんですが」
「……夏の暑い日にどうやって氷を手に入れておったのか、そっちのほうに興味があるの」
「あ、そうなんですね。分かりました。ちょっとまってください。器をもってきます」
アリエルは先生を待たせておいて、自らは走って屋敷のキッチンに行くとクレシダが家事をしているところだったので、銅製のジョッキを借りて戻った。
戻るや否や、さっき手の平からドサドサこぼれ、小山になっている雪を入れて先生の手に握らせた。そしてしばらくすると銅のジョッキの外側にびっしりと水滴がついて、滴り落ちるまでになった。
「おおっ、これが結露というものか」
「応用すると氷魔法とかできるかもしれません」
「氷魔法……聞いたことがないの。しかし雪が出たという事は氷魔法が完成したのじゃろうて。本当に勉強になるのう……200年早く出会いたかったわい……」
「今のはセノーテの失敗例なんですが……」
「ちなみに、他にもセノーテの魔法で水が得られない条件があるのわかるかえ?」
「んー、そうですね、、砂漠や乾燥地域では得られる水が少ないんじゃないかと思うのと、あと、ちょっと強めの風が吹いただけでこの魔法は困難ですよね」
「満点じゃ。教師であるわしのプライドはすでにボロボロじゃよ。ほっほっ。アリエルくん、恐らくお主はもう既に人族の中では最高クラスの魔導師になっておるぞい?」
まともに成功した魔法はトーチとファイアボールぐらいなのに、もう人族最高クラスとか、褒め過ぎとしか言いようがない。そこまで褒められてもアリエルは素直に喜ばなかった。なにしろエルフの大魔導師が書いたという魔導書の初歩の初歩ができたに過ぎないのだから。
「でもこれ以上の水を得ることって困難ですよね? 旅先で風呂やシャワーは難しいかなあ……」
「風呂の心配をしておるのか。ほっほっ。本当に愉快な男じゃの。……ところで水の高位魔法はどうじゃ? わしは使える人間をしらんがの」
「ふうん、この本を書いたエルフって、すごいんですか?」
「すごいのう、エルフ族最高の魔導師にして最長老フォーマルハウト。フォーマルハウトには『爆炎』の二つ名がつけられておる。ひと呼んで爆炎のフォーマルハウトじゃの」
そして強化魔法をかけた剣士たちを前にして魔法のみで圧倒した最後の戦場魔導師という。この世界でもっとも有名な魔導師であり、その戦いは伝説として語り継がれているらしい。
「爆炎かー、、なんかカッコいいね。俺もカッコいい名前で呼ばれたいな」
「ふむ。ならば偉業を成すがええ。そうすれば人は必ず何がしかの二つ名で呼ぶじゃろうな。この本は500年ほど前に書かれたものじゃから、フォーマルハウトはまだ生きておるかもしれんの、エルフの里を探せばもしかすると会えるかもしれん」
「それはそれは、楽しみが一つできました」