01-09 かぜのまほう★
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2023 1211 修正と手直し
2024 0207 手直し
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座学でこの世界の事、ほんの上澄み部分だけを知れたように感じた。
前世で暮らした日本では、世界にはエルフ族も獣人族もいなかったが、ここスヴェアベルムでは人間以外の種族が暮らしていて、常に争っている者もいるという。
まだ戦争の渦中にある、この土地のことも。おおかたグレアノット先生に戦争の話をされて脅かされたからだろう、イメージが強く頭に残っていたせいか、その晩、アリエルは酷い夢を見た。
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とても悲惨な、目を覆いたくなるような映像だった。モザイクも何もかかっていない、リアルな死がそこにあった。空はどんよりと曇っていて太陽は大まかな位置を示すのみ。音もなく灰がしんしんと降っては大地を覆う。
多くの人が倒れ、死んでゆき、腐るのを待たず灰が積もってゆく。
アリエルは小さな集落にいた。
木造の小屋のような家屋のいくつかは焼かれ、くすぶった煙があがる。
その煙がまっすぐ上がっているのをみて、風が凪いでいることを知った。
集落の中に入る。
自分を中心に、その両側に人がいて、3人。そう、3人横に並んで、歩調を合わせて、くるぶしまで積もった灰を踏みしめながら、少し早足になる。
集落の中心にある広場につくと、そこには折り重なるように、大勢の人が倒れていた。
すぐ目の前にはおなかの大きな女性の死体があった。剣で背中から刺し貫かれたのが致命傷のようだ。
折り重なるその下には小さな死体があった。子供も同時に串刺しにされたかのような配置だった。
強大な力に対し、子どもを守ろうとしたのだろうか。
自分の左にいた女性は小さく首を横に振って、その場に膝をついてしまう。
自分の右にいた女性は、膝を屈して悲しむ女性に、手品のようにパッと花を出して手渡した。
自分たちには何もできなかった。
ただ花を供えて、祈ることしか、できなかった。
悲惨な大虐殺の痕跡を静かに、音もなく降り積もる灰が積もってゆく。
踵を返して集落の外へ向かうと、そこには数千、いや万に届こうかというほど大勢で集落を取り囲んでいた。何も言わず、なにも語らず、ただ眼前に広がってこちらを囲み、間合いをとるように流動する。
見たところ、相手は軍隊だった。動きに統制もとれていた。
自分の手のひらの上に炎の玉を出現させ、それを軍勢に向けて放った。
戦闘が始まった?
いや、戦闘などという生易しいものではなかった。
虐殺に対する報復として、虐殺で返しただけだった。
夢から感じたのは激しい怒りと、全てを焼き尽くす憎しみと、どこまでもどこまでも深く、底のない闇に落ちた悲しみだった。
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……っ!
なぜこんな夢を見たのだろうか。アリエルには理解できず、ハッとして目が覚めても、いま見ていたリアルな映像が夢なのか現実なのか理解するのに時間がかかった。
木目の揃った天井板を見上げている。ベッドから見上げる天井は木目までハッキリ覚えている。そこはアリエルの居室だった。
カーテンからは朝の光が差し込んでいて、針葉樹から飛び立とうとする鳥たちが騒いでいる。
アリエルはホッと胸をなでおろし、サイドボードにある水差しからコップに水を注ぐと、グイッと一気に喉へ流し込んだ。
夢と言うのはたとえ設定があり得ないものだとしても、少なくとも夢を見ている間は、そのあり得ない設定を受け入れて、現実味のある実体験だと思って見ているものだ。
真夏であっても寝苦しさを感じないこの北の地で、汗びっしょりで目覚めるほど恐ろしい夢を見た。地獄というものを映像化して表現したとするなら、きっといま見たものこそが地獄と呼べるものだ。
アリエルは二度寝することなく、木剣を持って庭に出て寝汗をかいたついでとばかり身体に鞭を入れ、もうひと汗流すことにした。
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アリエルが少し気合を入れて朝の鍛錬にひと段落つけると、クレシダが声をかけた。朝食の準備ができたらしい。その流れでグレアノット先生は食事の後の休憩時間すら惜しいと考えているようで、すぐさま授業を始めると言った。朝食終わってすぐなんて、まだ朝の7時前だというのに、先生のやる気にちょっと引き気味になってしまう。
「さて、ぼちぼち生存技術で火魔法と同じぐらい大切な水魔法の学習を始めるかの」
「あ、先生、ファイアボールの起動式に風の神代文字が含まれていたことが気になるんで、先に風の方から教えてほしいのですけど……」
「ふむ。……風魔法は人気がないのじゃが希望するなら風から先にやるかの」
先生は本棚に風魔法の本を探しながら、ちょっと考えて、本を四冊引き抜き、筆記用具を抱えてまた庭に出た。どうせ室内じゃ魔法の実演はできない。
グレアノット先生はとても勉強熱心であり、メモ魔でもある。
アリエルがもとの世界でどうだったという言葉をぜんぶノートに書き留めているのだ。本当なら生徒であるアリエルのほうがノートびっしり取らなきゃいけないはずだが、もちろんアリエルはノートなんかとる気がないので、最初から筆記用具すら持たずに庭に出た。
グレアノット先生は前に立つと「おっほん」とひとつ咳ばらいをし、もったいぶった物言いで風魔法の解説を始める。
「さて、風の魔法じゃが、正直なところあまり使い道がないので、人気がない。高位の風魔法では真空を作って敵を傷つけたりすることもできるが、それも相手が頑強な鎧を着込んでおったらほとんど効果がない。防具をつけとらん相手にしか使えんの。ちなみにわしも風の魔法は初級の簡単なものしか使えんから、あまり難しいことはわからん。こればっかりは本を見て学習してくれとしか言えんでの」
アリエルは閃きのまま、ファイアボールにあった神代文字が使われている風魔法からやってみることにした。
「これが4字目で、こっちが最初の1字目。これと、これ、あれ? 最初の文字は高位だという話の真空で刃を作るやつか。じゃあえっと、もうひとつは? 普通に追い風、大風の魔法……」
アリエルは何やらブツブツ言いながら頭をひねっていたが、少しして大きく頷いた。妙に納得したようだ。
「ああっ!、もしかして。ちょっとファイアボールやってみます」
アリエルにはひとつやってみたいことがあった。
今朝見たあの悪夢でのこと、灰に埋まる戦場でおきた大虐殺、そのとき見た魔法がイメージとして残っていたのだ。
アリエルは静かに深呼吸した後、精神統一から始めた。
まずは集中力。
右手を上げて先日やったばかりの魔法をイメージし、ファイアボールを作る。昨日はサッカーボールぐらいだったが、今日は精神統一から始めたせいか直径1メートルぐらいの大きな火の玉が出来上がった。
そう、今朝の悪夢で見た魔法はここからが違う。
たしか小さく、小さく圧縮させたはずだ。
アリエルは直径1メートルもあった火の玉を、ギューっとサッカーボール大にまで縮めてみせた。
赤く光る火の玉がオレンジ色になり、明るさを増している。心なしか放射する熱も高くなっているように感じる。
だがまだだ。もっとだ。
ファイアボールという魔法は、起動式の一文字目で最初に風魔法を使って領域を作る。何も入って ない風船をイメージすれば分かりやすい。術者はこの風船にマナを詰めて点火する。
点火されたファイアボールは風魔法で作られた領域内で燃焼し、熱と光を発することになる。
このままずっと置いておくと、そのうち風魔法の領域に充填されたマナが燃え尽きてしまって消火するので、できるだけ早くこれを的に向かって発射するほうがいい。
だがアリエルはこれをさらに小さく小さく圧縮することに挑む。ファイアボールを圧縮するのはいいが、中に詰められたマナが同じ力で押し返してくるのを感じる。なるほど、ここからは力比べになるという事だ。
アリエルは更に集中力を高め、領域を狭めるよう気合を込めた。
このときサッカーボール大だったファイアボールはゴルフボール大にまで圧縮され、ますます光が強くなっている。明るくなったということは、温度が高くなっている証拠だ。
アリエルはぐっと目を閉じて、無意識のうち眉間に力をいれた。風魔法の領域を更にもっと小さく狭めることに注力する。するとゆっくりだがゴルフボール大だったファイアボールがパチンコ玉サイズにまで圧縮されてゆき、オレンジ色だったファイアボールの色が白っぽい色に変わると、放つ光が眩しくて見ていられないほど輝きが強くなった。
それは輝く高エネルギーの塊だった。
「いかん!! そ、それはいかんぞい! そ、空へ!!」
「ええっ? は、はいっ!」
アリエルは両手を天に向け、いま作り出した、小さく輝くエネルギーの塊を上空へむけて撃ちだした。
ヒュッ!!
超スピードで上空へと撃ち出されたエネルギーの塊は、輝きが衰えることなく高度を上げていくと、アリエルが拳を握り締め、気合を込めた。
「いけえええええっ!」
まず最初に、アリエルの放った白銀のファイアボールが激しく光を放ったとおもうと、何やら炸裂したように、煙のようなものが見えた……。
遅れてくる衝撃波。
…………ドッゴォォォ!!
とても地味ではあったが、小さな花火よりも爆発音は響き渡った。
夢で見た大殺戮を引き起こすようなものではないが、夢で見た魔法を見よう見まねでやってみたら、大きな花火程度にはなった。これこそが魔法なんだと思い、アリエルは満足げに鼻を鳴らした。
だけど先生が空へと言ってくれなかったら屋敷が大変なことになっていただろう。
ヤバかった。
魔法は人を死なせる威力があるってことをちゃんと性根に叩き込んでおかないと、失敗したからごめんなさいじゃ済まないことになる……。
「ふう……も、もう驚くまい……さて、今のを説明してほしいのじゃが、ええかのう?」
「え?今の魔法ですか? 普通に[ファイアボール]のつもりだったのですが」
「では質問の仕方を変えようかの。なぜ普通の[ファイアボール]があれほどの威力になったのか教えてくれんか?」
んなこと言われても……[ファイアボール]に詰め込むマナの量を多くして、その後、みっちりと力いっぱい加圧して、夢で見た魔法の通りやってみただけなのだが……。
「ではすまんがの、アリエルくんは風をどう考えておるか聞かせてくれぬか」
風? 風って、単に空気が移動する流れ?……どう説明すればいいのかが分からない。
「え? 風って何か? ってことですか?ちょっと大雑把すぎて説明するのに難儀します。えーっと、じゃあ逆に聞きますが、この世界では、風って何です?」
「これも4元素のひとつであり、属性じゃな。季節の訪れを知らせたり、悪いものを運んできたりもする」
アリエルは少し感心した。季節風という常識と、風が伝染病を運んでくることも分かっているのだ。
「俺の常識だと、自然の風というものは、おおよそ気圧によって移動する空気の流れです」
しかしアリエルは、たったいま空気中に領域を作り出し、その中にマナを詰めて燃やすことでファイアボールになることを体験した。この世界の風魔法というのは、アリエルの常識のなかにある風とは異なるものである可能性が極めて高い。
「わっはっはっ、分からんのう。ノートに記しながらながら聞いておるのでな、ゆっくり進めてくれると助かる」
魔法に知識深いグレアノット先生だからこそ話が通じるのだろう。とにかく先生は風そのものを理解しようとはしないようだ、何にしてもとりあえず魔導師として風を理解しようとする。アリエルがうまく魔法を理解できないのは、逆に常識という前世の知識を土台にして魔法というものを理解しようとしているからじゃないのかと思うほどだ。
アリエルはグレアノットに対し、高校3年レベルの日本人がだいたい普通に持っている知識をかいつまんで教え、グレアノットはアリエルを7歳の子ども扱いすることなく、神子として、自分の知る限りで、アリエルの望む知識全てを与えた。
そしてアリエルはファイアボールを何度か繰り返し上空で爆発させては、ああだこうだとグレアノット相手無茶な要求をした。アリエルはとにかく起動式の解読をすすめたかった。
なぜなら『トーチ』のように、起動式の示す意味が分かれば、起動式すら省略することができるのだ。
アリエルがなんとなく解読してみたファイアボール起動式だが、神代文字5文字のうち4文字は、たぶん、言葉のアヤはあるにしても、意味としては[減圧][燃焼][充填][加圧] そんな感じだと思う。神代文字を解読するとか、そんな大それたもんじゃなくて、起動式を入力して得られた結果から、そのオーダーシートに書かれた内容を推察しただけなのだが。
「ファイアボールの魔法は、メラメラと炎があがる訳でもなく、ただの火の玉で安定しますよね。これがまずおかしい。空気がある以上は、燃焼状態のマナを出すと空気が対流を起こして、不定形に揺らいで、普通の炎のように燃えるはずです」
ここでアリエルは分かりやすいよう指先にトーチで炎を灯すと、ゆらゆらと炎が揺らめいた。
起動式の1字目。球形の領域を減圧して球形の領域を作る。
真空の魔法に使われている文字なので真空にもできるだろうけどこれが大事。
2字目で、燃焼状態のマナを、3字目、減圧した領域に充填。ここで減圧した量と同じ量の燃焼マナを流し込むと、これがファイアボールの原型。
そして加圧。これでギューっと圧縮する。
たぶん、縮めたほうが炎の密度が高くなって、温度も高温になるのを狙ってるのだと思う。あとは飛ばすときの空気抵抗とか、飛距離とか。
5字目のアレはたぶん安定させるための文字だと思うけど、今のは4字分しかイメージしてないからよくわかんない。
「さっきも言いましたが、ちょっと減圧魔法の領域を大きくしてマナ多めに詰めたのと、加圧でちょっと強めに圧縮して小さくしてみました。したら威力高くなったみたいですね……。でもこれらの調整は、慣れたら自在に調整できると思います」
「ちょ、もっと、ゆっくり頼むといったろう……。ふう、ところで、気圧ってなにかの?」
空気の圧力で通じない相手に気圧を説明するのは骨が折れる。
「たとえば、ここの気圧よりも、北の山の気圧が低ければ、こっちから北の山の方に向かって空気が流れます。それが風です。乱暴な例えですが、空気だけじゃなく世界中のいろんなものは、だいたい高いところから低いところに移動すると言って間違いないんですよ」
グレアノット先生は夢中でペンを走らせている。
アリエルが言ってることはこの世界じゃ非常識もいいところなんだからメモとらないと絶対に後でわからなくなるのだ。アリエルの授業が終わった後、部屋に引きこもって論文をひとつ書いているらしいことは聞いているのだが、気象についての論文でも書いているのだろうか。
アリエルは空いた時間で風魔法の本を見ながら、[強風]という中位魔法の起動式を入力して試してみることにした。
中位魔法ともなると入力する起動式の文字数が一気に増える。
火の魔法では使わなかった、新しい神代文字だ。こんなにも複雑な文字を正確に指でなぞる必要があるのだが……。
文字数が多い……、8文字、16文字……32文字か
……?
「えっ?」
アリエルは僅かな違和感を感じ取った。
この起動式に使われている神代文字の羅列……、初めて見るはずなのに、どういうわけか、昔から知っているような、懐かしい感覚に陥った。
フッと鼻に抜ける、懐かしい匂いのような、一瞬だけの違和感だった。
アリエルはこの魔法に使われている神代文字の順序ですらどこか記憶にあったのだ。
自身にとって初めての神代文字であり、長大な起動式だったが、その入力には迷いがなかった。
素早く、書き損じることなく、指は走り、起動式の入力が完了した。
そして両手を広げ、風の魔法をイメージする。
風が吹き、やがて強くなった。
「ま、またんか! わしのノートが、ペンが! うぉい! インクがこぼれたわい」
「あらら、すいません。すいません。風は操るの難しいですね。もしかしたら空を飛べるかな? とか甘いこと考えてましたが、これじゃあ無理そうです。ちょっと飛べたとしても絶対に墜落しそうな気が……」
「……空を飛ぶか、なかなかやりがいのあるテーマではあるじゃろう。意外とアリエルくんならいつか成功するかもしれんの」
グレアノットはそういってお茶を濁そうとするが、アリエルはたったいま、初めて行使した [強風] の魔法に、並々ならぬ、強烈な既視感を覚えていた。グレアノット先生がノートを取るほうに注力してくれていたおかげでその違和感にも気付かれず、やり過ごすことができた。
いや、正確には魔法そのものではなく、起動式に使われている神代文字そのものに既視感があった。
どこで見たのか、なぜ覚えているのか、もしかすると夢で見たかのような変な感覚でもあった。
しかしこのときアリエルは、この事について、そこまで深く考えることはなかった。