第四話 2
「さてと、じゃあ簡単な説明だけしたら、すぐ送るな。待ってるだろうし」
「えっと……誰と待ち合わせなんですか?」
「俺の知り合い」
簡単に準備を済ませたソエルとエージュは、ジノのデスクの前に並んでいた。
ジノは机の上に広げた羊皮紙の上に、微細な光を放つ筆でさらさらと書をしたためている。どうやら何かの古代語で、ゲート関連したものだということは辛うじて分かる。だが、結局は言語が読めないので何なのかは分からない。
エージュはちらりと傍らのソエルを見やる。難しい顔でジノの描く文字を見つめていたので、恐らくソエルも分からないのだ。無意味にほっとする。
「教官の知り合いっていうと……シスさんとか?」
「いや別に、シスとは知り合いとかいう、仲良さげな関係じゃないし」
曖昧に笑ったジノに、ソエルが首を傾げる。たまに研究室に姿を見かけるので、てっきりそれなりに仲が良いのだろうとエージュも思っていた。
確かに得体のしれない雰囲気はある男だとは思うが。
「まぁ、心配しなくても、悪い奴じゃないから。それじゃ、これ」
ジノは作業を終えた羊皮紙をくるくると丸め、エージュへ差し出した。恐る恐る受け取りながら、エージュは視線でジノに質問する。
「転送許可証だよ。本来、二人のパスじゃいけないレベルのところだから」
「そ、そうなの?」
ソエルは反射的に羊皮紙を受け取ったエージュから身を引く。
その羊皮紙自体が悪さをするわけでも、エージュがどうにかなるわけでもないのだが、感覚的なものだろう。反対に、エージュは高揚している気分を抑えるのに必死だったが。
「特段これをしろってんじゃないんだ。多分、荷物持ち的な役割が強いと思う」
「荷物持ち……ですか」
「そう。あ、向こうに行ったら、あいつの指示に従えよ? 反抗して迷子になっても知らないからな」
エージュは無言で頷いて、ソエルを促した。
研究室の奥にある、ゲートを起動させる魔法陣の元へと。初めて、管理の仕事に立ち会える。それは嬉しい反面、恐怖が伴う。
思っていたのと、違ったら、今までの自分はどうなってしまうのか。ゲートの先に待つのが、希望か絶望か、エージュには分からなかった。
◇◇◇
転送時の感覚は、昇っているのか、落下しているのか、いまだにわからない。縦方向にかかる重力。あるいは無重力で、最後の修正が落下方向なのかもしれない。
そんな考えても何も生み出さない思考をしていたエージュは、不意に新緑の香りに気づく。空気の変化は、転送が完了する合図のようなものだ。つま先から降り立って、エージュは無意識に閉じていた眼をゆっくりと開く。
唖然とした様子のクオルと目が合った。
「……えっ……」
エージュは思いもよらぬ人物の登場に、一瞬で頭が白くなる。エージュがクオルに抱く感情という物は複雑で、その存在を前にすると、いつも思考が上手くまとまらなくなる。それも、平時ならいい。
まさか任務の現場で会うなんてことは、ずっと先の事だと思っていた。
「あ、クオルさんだ! こんにちはー」
そんなエージュの戸惑いを他所に、ごく自然に、ソエルが挨拶をする。
ハッと我に返ったエージュは、慌ててソエルに続く。
「お疲れ様です」
「あ……」
ソエルと二人、首を傾げる。どちらかと言えば、クオルの様子がおかしいように感じたのだ。
「クオル様」
傍らに控えていたブレンが、そっとクオルへ声をかける。
クオルは一度何か言いたげにブレンを見やった。無言で頷いたブレンに、小さく頷き返すと、きゅっと手を握りクオルは視線を戻す。
「……支援は、お二人だったんですね」
「はい! クオルさんって、教官の知り合いだったんですね」
にこにこと笑顔で声を弾ませるソエルに、クオルは優しく微笑んだ。
「ええ。ジノさんには、良く相談に乗ってもらってますよ」
「そうなんですか? でも、研究室で見たことないです」
「僕は学園にはあまり、行きませんので」
ふーん、と相槌を打ったソエル。クオルはふと、窺うような視線をエージュへ向けた。
その視線に、エージュは不安と戸惑いを覚える。
「任務内容は、聞いてきたんですよね?」
「ほとんど何も……荷物持ち、とか」
エージュの返答に、クオルはくすっと楽しげに笑う。
その笑みに、生じた緊張が解けるのをエージュは認識した。
「ジノさんらしい説明ですね。……そう、間違ってもないんですけど」
「そうなんですか?」
管理の仕事はほとんど知られていない。
そのため、二人もほぼ無知識でここにいる。クオルは静かに頷いて、口を開いた。
「ソルナトーンというものを回収するお手伝いを、お願いしたいんです」
聞き覚えのない単語だった。思わずソエルと顔を見合わせ、再度クオルに視線を戻すほどには。
「現物を見たほうが早いと思います。行きましょう」
どこか痛みを堪えたような淡い笑みを浮かべ、クオルは促した。
◇◇◇
新緑に囲まれた、軽くならしただけの道。緩い傾斜の先に目的の場所はあるとクオルは言っていた。逆に言えば、それしかクオルは教えてくれていない。
聞きたいことは山ほどあるのだが、エージュはその問いを口に出来ずにいた。どことなく、クオルがぴりぴりとしているような気がするのだ。そんな空気を感じていながら、聞けるわけがない。
じっと白い背中を見ていたエージュに気づいたのか、ブレンがふと笑った。
「……クオル様、少し説明不足なんじゃないですか? 管理の仕事したことがある人は少ないんでしょう?」
「わぁ、知りたいです!」
ここぞとばかりに口を挟んで声を弾ませたソエルに、ブレンは苦笑する。
振り返ったクオルは、困ったように眉根を寄せていた。
「いえ、大丈夫です。見て学ぶ、が基本ですから」
咄嗟に辞退したエージュに、ソエルは口を尖らせる。ソエルの気持ちも分かるが、エージュとしてはクオルを困らせてしまうのが嫌だった。
クオルは微かに目を伏せ、意を決した様子でエージュを見据えた。その瞳に、緊張が全身に走る。
「管理の仕事で、一番多いのが、このソルナトーンの回収任務です」
「ソルナトーン……ですか」
言葉だけが先行しているが、現物を知らないエージュにとっては曖昧なだけだった。
クオルは戸惑うエージュの様子に、淡く微笑む。肩の力が抜けたように。
「……すぐそこです。現物を見ながら、説明しますね」
再び背を向けて歩き出したクオルに続き、たどり着いた場所は、小さな池のほとりだった。
透明度の高い水が満ちた池の水面は、鏡のように静止している。不思議というよりは、どこか不気味だった。
「少し待っててくださいね」
クオルはそう告げると、池の傍にしゃがみこんだ。
好奇心に駆られたソエルはクオルの脇に走る。エージュは躊躇したが、それでも好奇心には勝てなかった。池の水に手を浸したクオルを、ソエルと共に見守る。
透明な水は、底さえ見える。一見すると深くはなさそうに見えた。
――不意に。
ばしゃんっ!
「わわっ⁈」
唐突に静かだった水面から水柱が上がる。突然の現象にソエルが仰け反って驚き、後ろへバランスを崩した。
エージュは手を伸ばして、ソエルの背中を受け止める。唖然とするソエルを地面に座らせ、エージュは息を吐いた。
「あ。ありがと、エージュ」
「気をつけろよな……」
えへへ、と照れくさそうに笑ったソエルにため息をついて、エージュは視線を前に戻す。
水面は波紋を広げる以外、静かなものだった。
「これです」
不意に、クオルが手を差し出した。ぴたぴたと雫が滴る手の中に納まっていたのは、透過性の高い緑の丸い石だった。
「うわぁ……綺麗な石」
ソエルが感激の声を漏らすと、クオルは苦笑して、ソエルの手にその石を渡す。吃驚した表情でソエルは石とクオルを交互に見やった。
「大丈夫ですよ。今はだたの石です。それがソルナトーンです」
「これ……ソルナトーン……?」
掌で転がしてみたり、光を透かしてみたり。ソエルは首を傾げつつ、エージュにも差し出した。
エージュは緊張の面持ちでソルナトーンを両手で受け取る。重くもなく軽くもなく。このサイズの石から想定できる重さだった。本当に、見た目にはただの石。
だが管理監査官が回収するとなれば別の意味はあるはずだ。
「その中に、世界の記憶が刻まれています」
「世界の記憶って……この世界の?」
目をぱちぱちと瞬かせながら、ソエルが問いかける。
クオルは頷いて、ブレンが自然に差し出したハンカチで手を拭きながら立ち上がった。
「世界は、生きていますから。そして、世界の記憶は王の柱に刻まれるんですよ」
「お、王の柱?」
また知らない言葉に戸惑いを隠せないソエル。
エージュも同じだった。クオルは困ったように視線を泳がせる。どう説明すればいいのか、決めかねているのだろう。
「世界の王が居る場所、ですね。世界は王の柱から生まれて、王の柱に帰る。全ての世界の記憶が、集まる場所です」
「そうなんだ……」
ため息を漏らす様にソエルは零す。エージュも視線を手の中のソルナトーンに戻した。
こんな小さな石が、世界の記憶を凝縮したものだという。意外であると同時に、流石だとも感じた。世界は未知の出来事に溢れている。それは素直に、楽しくて嬉しいと、エージュは感じた。
「これをたくさん回収するの?」
「ここは……十個あるかないかです。ただ、大きさが予想できないので」
なるほど。だから荷物持ち、という話か。
ソエルも納得したように頷いたが、すぐに眉根を寄せて首を捻った。
「けど、管理の人がどうしてこんな簡単そうな任務してるんですか?」
その発言には、エージュもハッとさせられる。
確かにソエルの言う通り、ただこの石を回収するだけなら、自分たちにでも出来る。捜索法が特殊である可能性は捨てきれないが、管理担当が少ない理由としては少し妙だった。
クオルはソエルの問いに、僅かに表情を曇らせ、視線を伏せた。
「簡単なんかじゃないですよ。とても……残酷で、つらいものです」
「え……?」
残酷、とクオルは言った。
だが現状から考えると、変だ。あるいはこんな簡単に手に入るのが珍しいのか。ただ、クオルの様子からしても別段珍しい気配は見せていない。
まだ、何かあるのかと勘繰るには十分だった。
エージュがその意味を問いかけようと口を開くより早く、傍にいたブレンがそっと声をかける。
「貴方のせいじゃないんです。それだけは、間違えないでください」
「はい……」
小さく答えて、クオルは顔を上げた。どこか苦しげに。和やかだったはずの空気に、重みが増した。
そんな空気を振り切るように、理解できていないソエルとエージュにクオルが微笑む。
「わかります。いずれ。……さ、次へ行きましょうか」
そう告げて、踵を返すクオル。ブレンは黙ってそれに続いた。ソエルと顔を見合わせ、だが互いに何も言えない。
明確な答えはもらえなかった。だが、嫌な予感だけが、二人の胸中に広がり始めていた。