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循環世界は彼方に夢を見るか?  作者: 翡翠しおん
第一章 Lost Garden
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第一話 2

「疲れたー」

 ぐてっと机に伸びるソエル。机の上にはフラスコやら試験管やらが乱雑に存在していた。赤や緑、あるいは虹色に色を変える液体が入ったそれらを倒さないように、しかし目一杯ソエルは自分の場所を確保していた。

「運動量は俺の方が圧倒的に多かったけどな」

「エージュってば、追いかける身にもなってよー!」

 がばっとソエルが体を起こすと、反動で倒れかけたフラスコをエージュが慌てて掴む。エージュは安堵の息を漏らした。

「……ソエルがさっさと中級後期に上がればな」

「うわ、地味にぐさっと来ること言う……」

 膨れながらソエルは上着のポケットから通信端末を取り出す。手のひらに収まるくらいの黒い端末は、音声通話機能と組織内ネットワーク通信機能を持つ。

 ソエルはネットワーク通信を開き、メールや仕事状況を確認し始めた。エージュはそれを横目に、乱雑に並ぶフラスコ類を仕分ける。カビが生えたものは、流石にもう使えない。

(赤いカビとか、初めて見たな)

 フラスコの底にたまった赤いカビ。薄っすら雪を被ったように表面は白い。これも、この世界独特のものかと、エージュは一人で納得する。

「うわっ、赤いカビ! 初めて見た!」

 声を上げてはしゃぐソエルも、同意見だったらしい。

「そう驚くことないだろ。ランティスなら特に」

「エージュってば、さも知ってる風だけど、さっき興味津々で見てたの知ってるんだからねー」

 けらけら笑うソエルに、エージュは目をそらした。見られていたとは、恥ずかしい。

「二人とも、任務帰りなのに元気だなぁ……」

 そう口を挟んだのは、二人の教官であるジノ・アイギス。外見こそ若く見えるが、実際は二人よりも十歳年上だ。

「若手は元気が取り柄です!」

 ない胸を張って言い切ったソエル。ジノは苦笑した。

「まぁ、監査官は常時五分待機ってのが普通だもんなぁ」

 しみじみと呟くジノに、エージュは無言で頷いた。

 エージュとソエルは次元総括管理局と言う組織の職員……監査官である。

あまたある世界を守るために設置された組織の、前線要員。監査官にはランクが設定されており、そのランクに応じて仕事が振り分けられる仕組みになっている。

 エージュは中級後期、ソエルは中級前期。監査官として丁度一人前として認められたという所だ。

「まぁ、気張りすぎても、上手く行かない時は上手く行かないもんだけどな」

 けろりと言い切ったジノ。思わず二人は口をつぐむ。流石に反論の余地がないせいだった。そもそもジノの監査官レベルは特級……つまり、一番上のランク。数々の修羅場を潜り抜けた証と言ってもいい。

 そんなジノから紡がれた言葉は、重さが違う。何でもない表情で赤茶けた液体の入った試験管を振るジノの様子からして、まず悪気はない。

 悪気はないのだが、エージュたちは地味に、傷ついた。お前らはまだまだひよっこだと、言われたような気分になる。

「……あ。ごめん」

 黙り込んだ二人の様子に、ジノは自分の発言のせいか、と苦笑した。

『魔法学院ランティス』

 あまたある世界の一つであり、現在エージュとソエルが生活の中心とする場の名称だった。ありとあらゆる魔法に関しての蔵書が納められた図書館が特徴的な世界。そして、二人にとっての教官――ジノ・アイギスが、居る世界。

 ジノは、普段はこのランティスの研究室で調合作業をしていることが多かった。

「教官、次の任務はまだ見繕ってもらえないんですか?」

 問いかけたエージュに、ジノは呆れたと言わんばかりの目を向ける。

「エージュ、元気が有り余るのはいいけど。……適度な休憩も、必要なことだからな?」

「それは分かってます。……でも、俺は強くなりたいんです。早く、強くならなきゃいけないんです」

 強い口調で反論したエージュに、ジノはすっと微かに目を細める。

「何のために、なんてことは……聞かないけどさ」

 こと、と試験管を試験管立てに置き、ジノはエージュをまっすぐ見つめる。その視線にエージュは思わず姿勢を正した。

「エージュは、管理担当になりたいんだろ?」

「……はい」

 迷わず頷くエージュ。

 監査官は、上級以降任務が専門化される。討伐、渉外、管理の三つへと。

 討伐は、数時間前の異形のような、ゲートを越え、かつ異世界へ悪影響を及ぼす存在の対処。渉外は、各世界の干渉を軽減し、円滑に回すために活動する。

 そして管理は、世界の存続そのものに関わる任務を与えられると言われている。しかし、実際は管理の仕事はほとんど知られていない。

 管理は担当監査官が少なく、危険度も桁違いに高いのが理由の一つだ。望んでなれる物でもなく、逆に望む監査官の方が少ない。その理由は、下級クラスには伝わってこないままだったが。

 それでも、エージュは管理を目指す。そうでなければ、届かない願いを抱えているから。

 ジノはそれを理解しつつも、頑なな弟子にため息を吐く。

「……だったら余計に。視野が狭い生き方は、管理から遠ざかるだけだぞ」

「俺は、そんなつもりは……」

「なら、今は休む時間」

 断言され、エージュは反論の言葉を紡げなくなった。エージュはぎゅっと手のひらを握りしめ、奥歯を噛み締める。

 微かに俯いたエージュの表情を、ぱらりと髪が覆い隠す。傍らのソエルが心配そうにエージュを見やり、次いでそっとジノを盗み見た。

 ジノはソエルの視線に軽く肩をすくめる。ソエルは逡巡したが、こくん、と一つ頷いた。

「エージュ、本部に報告にいこっ! まだ報告してないでしょ!」

 ソエルは立ち上がるとエージュの腕を強く引いた。

「ちょ……ソエルっ?」

 驚いた声を上げるエージュをソエルはぐいぐい引っ張りながら、研究室の奥へ向かう。ジノはその様子に笑みを浮かべながら、特に何も言わない。あえての、見ないふりだった。

 研究室の奥には、本棚が壁を埋め尽くしたスペースがある。そしてその床には独特の魔法陣が存在した。円の中をぐるりと囲う、数字の列。その数字は絶えず変化していた。ゆっくりと明滅する魔法陣の光が、薄暗い部屋を足元から照らしている。

 ソエルは上着のポケットから一枚の硬質なカードを取り出す。顔写真と、ナンバリングだけが記された、シンプルなカード。そのカードを本棚の一部と化しているカードリーダーへ読み込ませた。

「はい、エージュもさっさと準備準備!」

 今度は背中をぐいぐい押され、エージュは反論さえままらならない状況で、ソエルと同じ行動をとる。この一見何の変哲もないカードは、ゲートパスと呼ばれる。このゲートパスが、世界と世界を繋ぐ唯一の魔法であり科学技術『ゲートシステム』を起動させる。

 まだエージュとソエルのランクではゲートパスに制限が課され、行ける世界に限りがある。それがエージュには、歯がゆかった。

「エージュ」

 ぽん、とソエルが軽く腕を叩く。知らずパスを見つめていたエージュは、脇から頭を覗かせたソエルの笑みに視線をスライドさせた。

「だいじょーぶだよ! エージュが努力してるのは、私と教官が一番知ってるよ」

「ソエル……」

「だから、一緒に頑張ろ! ねっ」

 屈託なく、向日葵のように笑うソエル。エージュはその笑みに、知らず張り詰めていた気持ちが解けるのを自覚する。

「ああ。……行くか」

「うん!」

 元気良く頷いたソエルに、心の中で感謝しながら、エージュはゲートシステムを起動させた。

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