第三話 2
「アリシアよ」
「……アリシア?」
その名に、聞き覚えがあった。
傍らのソエルも、怪訝そうにアリシアと名乗った少女に視線を向ける。
「アリシアって……まさか」
緊張に震えるソエルの声。
エージュも、不意に思い出す。
――世界を繋ぐ源泉。名を、アリシアとエリスという――
「まさか……ゲートの……源なのか?」
「そうともいうかな?」
にこにこと微笑むアリシア。
エージュはソエルと思わず顔を見合わせる。
文献上に出てきた、ゲートの源であるという二柱。その片割れが、よもや人間とは予想だにしない展開だったのだから。
二人の反応に、アリシアは若干呆れたように眉尻を下げた。
「凄い驚きっぷりね」
「だ……だってまさか、人間だったなんて……想像してなかったんだもん……」
「そう? まぁ、今回は借り物がたまたま人間なだけよ。私には、本来肉体が与えられてないから」
「アリシア、余計なことは言わなくていい」
強い口調で咎めたアルトを横目で見やって、アリシアはにやりと笑う。
悪戯を思い付いた子供のようだ。
「あら。アルトよりよほど監査官向きじゃない」
「それは良かったな」
「少しは見習ったら?」
「断る」
素っ気なく返すアルトは、むしろ監査官としての立場を嫌悪しているように感じた。
エージュとしては、監査官に向いていると言われるのはむしろ喜ばしい事なのだが。
「あの……監査官に向き不向きって、あるんです、か?」
恐る恐ると言った様子で、ソエルが問いかける。
どんな場面でも、ソエルの好奇心は留まる事を知らないらしい。
アリシアは顎に指を当て、思案気に視線を彷徨わせた。
「そうね……貴方たちに分かりやすいように説明すると、いかに世界になじむか、なのよね」
「馴染む……ですか」
「そう。異物として認識されない事。要は、世界の干渉に対して振れ幅が小さいほどいいのよね」
アリシアの説明は後半部分の方が難解だった。
だが、逆にそちらのほうが重要なのだろう。
「いちいち目くじら立てるなってことよ」
くすっとウインクしてみせたアリシアに、エージュは目を瞬かせる。
やはり上手く理解は及ばないが、教官であるジノを思い出す。
確かにいつも、ジノは冷静だ。抵抗しないわけではないが、上手く受け流す。それはクオルも同じかもしれない。
先ほどからアリシアの発言を拒絶するアルトと照らし合わせてみれば、納得できる。はるか上の上司を捕まえて、照らし合わせるというのも失礼な話だが。
「世界は色んな形があるわ。狭い世界、広い世界。言葉さえない電気信号だけの世界。でも、その全てが王の生み出した、大切な物よ」
不意にアリシアは軽く腕を広げてそう告げた。
白の少女はさながら天使が啓示を授けるような神々しささえ持ち合わせている。
「貴方たち監査官は、それを見守る役目を担うことが出来た光栄な存在ね」
そのアリシアの言葉に、エージュの心の古傷が痛む。
「……なら、どうして世界は死ぬんだ?」
気付けば、冷たく問いかけていた。
アリシアは笑みを崩さず、楽しげにエージュを見据えている。予想していた反応、とでも言いたげに。
その態度か、あるいは自分の中に封じておいた痛みの蓋が開いたか……激情がエージュの口から零れ落ちる。
「大切なものが壊れるのを、造物主は黙ってみてるだけなのか? それが王のやり方なのか?」
「……貴方はいずれ死ぬでしょう?」
「そういう短いスパンの話をしてるんじゃ……」
「貴方の尺度で語らないで」
初めてアリシアが強く言い切った。
思わず息を呑んだエージュに、アリシアは悲しげに微笑む。
親が、子供の失敗を優しく宥める時のように。
「世界だって生きているの。懸命に抗って、生きているのよ。貴方と同じで、いずれ死ぬのは自然な話。……大体、それを内側から食い破るのは、そこに住まう存在よ?」
「な……」
「そんな世界を見つめる王は、どんな気持ちなのかしら? そんな世界を一人で抱えなければいけない王は、どれだけ大変なのかしらね?」
笑顔ながら、それは確実にエージュを責めたてる。
言葉もなくアリシアを見つめていると、心配そうにソエルが袖を掴んだ。
ぎこちなく視線を向けると、無理に笑ったソエルと目が合う。それだけで、エージュを自省させるには十分だった。
「……ったく。だから言ったろ。アリシアと会話するなって」
不意に割り込んだアルトの声は、呆れているというよりは心配しているようだった。
申し訳なさを抱えながら視線を向けると、アルトは肩をすくめる。
「お前がどーいう思いで監査官になったのかは、俺は興味ない。でも、世界は確かに生きてるし、いずれは死ぬ。本来は緩やかな死を迎えるんだ。一つずつ命が消えて、最後は世界と僅か一握りの命だけ。だけど……そうじゃない世界も確かにある。お前みたいに」
アルトの言葉に、エージュはハッとする。
エージュの存在の意味を、アルトは知っている。
議員だから、とは少し違う気がした。じわりと、握った手のひらに汗が滲む。
「ほんとは……兄貴がお前を助けたことは、そのルールを無視してるんだよ」
「で、も。……少なくとも俺は」
「いーんだよ。それは、兄貴らしくて。でも……俺はそれでも、兄貴に無理はさせたくないんだ。お前を助けたみたいな無茶な行動は、命を差し出したようなもんだからな。俺は、兄貴を死なせたくはない」
流石に、言葉がなかった。
エージュだってクオルを死なせることはしたくない。無知ゆえに、殺すところだった。
だから、そうならないようにエージュは世界の仕組みを、知ろうと努力しているのだから。
沈黙したエージュに、ふとアルトは苦笑する。
「だから、お前は早く特級になれよ。で、自分で世界を救って見せろ。そしたら、兄貴の気苦労も少しは減るだろ」
「水虎様……」
「アルト。……俺は、肩書きで生きてるわけじゃねーよ」
「……はい。アルト様」
一瞬アルトは表情を引き攣らせたが、諦めたらしく大きくため息をついただけだった。
流石に、議員を呼び捨てには出来ない。外見が見るからに年下でもだ。
くすくす笑うアリシアを睨み付けて、アルトは準備を完了させたゲートを解放する。
世界は、生きている。だからいずれ死ぬのは通常で。それでも、唐突に崩れゆく世界にはそれなりの意味があるのだろう。
だからこそ、エージュは上を目指す。
一刻も早く特級監査官となって、真実へ辿り着くことを。
それが、世界を救う監査官と言う理想を持ったエージュなりの、目標だからだ。
――ゲートが、機能不全に陥ったのは、それから数日後のことだった。




