第五話 2
ソエルの端末位置を追尾しながら、大通りを抜けた先には、先ほど丘から見えた煙突のついた建物があった。
その入口で、大勢の人が身を寄せ合って震えていた。
何が起きているのか、ほとんどの人間は理解できていないのだろう。ただ、不可解なのは建物の入り口で途方に暮れている人間が大勢いることだ。どう見てもここは工場で、こんなところに避難すべきではなかった。
「何でこの人たちはこんな所に……?」
不思議に思いながら周囲を見回して、エージュは呟いた。
「造船所、だそうです。この世界から逃げ出すための、船です」
「クオル様っ!」
エージュの疑問に返答をした主にいち早く反応して、ブレンが駆け寄る。
クオルがソエルと共に、いた。ソエルがエージュを心配そうに見ていたが、エージュは大丈夫、と頷いて見せ、歩み寄った。
「ブレン、ごめんなさい……でも」
「貴方の意思で、そうしたいんでしょう?」
「……出来ないとは、言えませんから」
淡く微笑んだクオルに、ブレンは呆れた様子でため息をついた。
「分かりました。リミットは解除しませんよ。……それと、もしもの時は……その責は、私も引き受けます。それだけ了承してください」
「はい。……ありがとう、ブレン」
クオルとブレンはエージュたちには不可解なやり取りを交わしていた。
そしてクオルはエージュへ向き直ると、軽く腕を広げ、問いかけた。
「この世界の人口、およそ三十四億人。その全員を連れて、かつ生活を維持するためにどれだけの規模の移動手段が必要か、分かりますか?」
「え? ……少なくとも、こんな小さな建物にあるもんじゃ、足りるわけな……」
言って、自分で青ざめる。そう。足りるわけがないのだ。こんな、小さな、船では。ここで嘆き、おびえている人々は、それに感づいてしまったのだろう。
言葉もないエージュに、クオルは微笑んで、頷いた。
「大丈夫です。……最善は、尽くします。でも……約束は、できません」
「え……何、言って……?」
エージュが問いかけるより先に、クオルはその手に杖を握った。
月を模した、杖……―――ムーンクレスタ。
きぃぃん、と甲高い音が、鳴り響く。広域転送術の音だ。
ゲートが、開く。
それは、かつてエージュも自分の目で見た、世界の終わりと変革の、一瞬だった。
◇◇◇
―――……ぃぃん。音が遠ざかり、空気の香りが変化したのを感じ、閉じていた眼を開く。
「ここ、学院の……外の森だ」
ぽつりと、ソエルがこぼす。いつの間にか、エージュの傍に寄り添っていた。
何か、怯えている様子で。エージュは周囲を見回す。
ゆうに、二百名を超えていたであろう人々の姿は、半数以下になっていた。エージュとソエルの足元で、倒れている人もいる。
いくら高レベルの監査官といえど、簡単には転送はできないということだろうか。その事実が、エージュを少しだけ落胆させていた。
勝手な期待だが、クオルには完璧を求めている自分がいるのだ。ただ、ひとまずは、倒れている人の介抱をする必要があった。
「おい、大丈……」
すぐ近くにうつぶせに倒れていた、青年の脇にエージュはしゃがみこむ。青年の肩に触れ揺すった瞬間、
ずるり――
肩が溶けるように崩れ落ちる。エージュの手は、その勢いのまま、肉片ごと地面へ触れる。崩れた肩から、堰を切ったように血があふれ出し、エージュの手首から先を赤に染めた。
「ひっ……⁈」
ソエルの押し殺した悲鳴が、茫然となったエージュの耳にも届く。
何だ、これは? ゲートの不具合が起こると、こうなるとでもいうのだろうか? 聞いたことがない。こんなのは。
震える手を戻そうとして、骨の先端が、指先に触れた。
「うっ……‼」
その感覚に嘔吐感がせりあがって、エージュは手をすかさず払って、目をそむけた。立ち上がって、数歩下がって、頭を振る。今見たもの、感じたものを振り払いたくて。
心拍数が跳ね上がる。訳が分からない。転送に失敗した? それとも、もともとあの世界はそういう脆さで成り立っていたのか?
答えを求めて、エージュは涙がにじんだ瞳でクオルを探す。
「え、エージュ……」
ソエルが震えながら、エージュにしがみつく。
エージュは懸命に自分を奮い立たせ、ソエルを励まそうと視線を向ける。
「……は……?」
ソエルの向こうに見えたものに、今度こそエージュは絶句する。
白の、小柄な姿が見えた。見間違いようがない。クオルだ。
その手には、蒼い透明な美しい刃を持つ、鎌が握られている。それを、水平に振りぬく姿。
同時に、ばしゃんっ、と赤が広がる。白が赤に染まった。まるで血のような赤。
だが、切り捨てたのは、どう見ても人間ではなかった。
それはまるで、人を一度バラバラに崩して、もう一度組みなおしたような、歪な存在。
――人ならば、足は背中から生えたりしない。
「……クオル様っ!」
ひゅん、と空気を裂いて、エージュのすぐ脇を、小さな竜がすり抜けた。
蒼い竜が赤いまだら模様の法衣をまとうクオルの傍へ寄る。疲れたような、うつろな瞳で、クオルはその竜へ目を向けた。
「クオル様、どうしてこんなっ……」
「ライヴ……」
「ライヴ、すみませんが、クオル様を連れて学院へ先に行ってください。……あとは、私がやっておきますので」
クオルより少し遠くにいたブレン。やはり、その姿も赤に染まっていた。
「でも……これは、僕が……」
「約束、しましたよね?」
「……」
口を濁したクオルに、ブレンが淡く微笑み、首を振る。
「大体、貴方のせいでもないんですから。それに、あの二人に事情を説明する人間も、必要です」
ブレンがそう言って、エージュたちを示す。
思わず二人でびくっと身を震わせていると、ライヴと呼ばれた竜が視線を寄越して、一つ頷いた。
「分かりました。……行きましょう、クオル様」
「……はい。ごめんなさい、ブレン……」
ブレンは再度首を振った。
クオルは鎌を消し振り返ると、エージュにひたりと視線を合わせて、そして、微笑んだ。
とても……申し訳なさそうに。
「ごめんなさい。……助け、られなくて。……こんな風に、なってしまって……」
べしゃん、と重いものが落ちる音がした。ソエルが小さな悲鳴を上げる。そろそろと視線を向ける。木から落ちた『何か』が見る間に赤を広げていた。
この場所に広がっていたのは地獄そのものの、光景だった。




