モヤシっ子のポエム
とても小さな社会に生きる僕たちは「井の中の蛙大海を知らず」である。限られた狭い行動範囲で無理に背伸びしても、そこらの大人たちには勝てない。中学生とはいえ、まだまだ可愛いはな垂れ小僧である。だが友達内では僕たちは大人気取りになれるのだ。
親や教師、周囲の大人たちを『反抗の標的』にしているけれど、僕たちも大人になるとはいえ、「吐いた唾が自分の顔に掛かる」のと同じ。つまり僕たちの反抗は一過性の病で、当然いつかは消え去るもの。否応なしに受験勉強をしなくてはならない。
解放感に満ちた夏休みだから、何かしら青春めいたことがしたいもの。とはいえ、彼女がいない、もちろん遠出をする気力がないのだ。月並みの言い方をすれば、僕の発想力が「最悪」である。塾通いの友達とは、殆ど会うことができなくて本当に寂しいものだ。僕は何もすることがなく、半端なく手持ち無沙汰である。
ベッドで大の字になり天井を見つめながら夏休みってやつを恨みたい気持ちと、何かしらポエムが書きたい気持ちで葛藤しているのだ。ふと、ひらめいた。「僕は僕なりに夏休みを思う存分、満喫すればいい」と。一人寂しく部屋で、ひたすらポエムを書き続けて、『引きこもりのモヤシ』になれば良いのである。何となく『引きこもりのモヤシ』に一人きりの部屋で、大ウケしているとは本当に空しすぎる話だ。
突然、右目から一粒の涙がこぼれる。幼き日の僕を彷彿させるような泣き虫が脳裏に浮かぶ。他の仲間ではなく、まさしく僕に似たはな垂れ小僧である。たとえ思春期とはいえ、一人きりで生きられないのなら、はな垂れ小僧と揶揄されるのは仕方がない。
僕は悔しまぎれの寂しいポエムのように呟いた。
「誰かモヤシっ子の僕を優しく構ってよ」と『キモい』という月並みな言葉に習い。
まあ、僕らしくないけれど呟くぐらいは良いだろう。
とにかく夏休みは女々しくポエムを書くことに専念する。