1章 王たる資質-Endowment by Solomon-
1章王たる資質-Endowment by Solomon-
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生き物の気配のしない静かな空間に本をめくる音だけが響く。
「お待たせ、エリー。」
その静寂を破る、古いドアの軋む音とまだ幼さの残る少年の声。
「兄様、もう今日の修行はお終いですの…?」
とてとてと駆け寄ってきたエリーと呼ばれたその少女は窺うように少年を見上げる。
ここはとても大きな表向きは交易会社の社長の邸宅となっているがソロモン王の血を継いだ魔術師の城。
侵入者を拒み監視する砦。
紫色の髪の瓜二つのこの二人の名はセルシア・レン・メイザースとエリアーデ・ルイ・メイザース。
魔術結社Psalmの現頭首の子供達。
後継者は兄のセルシアに決まっている。
エリアーデは平穏な世界で守られ、幸せに暮らしている。
もちろん、魔術的資質がある以上、エリアーデにも魔法の修行はある。
しかし、セルシアのように、王に必要な素養の勉強はない。
…が、兄を待っている間に書斎の本を片端から読んでいるエリアーデの知識は時に兄のセルシアだけでなく両親さえも凌駕し、セルシアの勉強の補填をエリアーデが行うのも最近では珍しくない。
「もちろんだよ、可愛いエリアーデに会うために頑張ったからね。」
至極幸せそうな笑みを浮かべてエリアーデの頭をなでるセルシア。
「おつかれさまですの、兄様。」
ふわりと笑みを浮かべ兄を労う言葉をかけ、セルシアに手を引かれて庭に遊びに出る。
絵に描いたように仲の良い兄妹が手を繋ぎ広い庭を新しい発見を求めて歩き回る。
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「そろそろ、おやつの時間だ。戻ろうか、エリー?」
空を見上げ時間を確認したセルシアがエリーに声をかける。
「はい、兄様。今日のおやつは何か楽しみですね。」
セルシアの声にエリアーデが素直に頷く。
「お気に召しましたか、姫?」
「とてもおいしいわ、兄様」
幸せそうにケーキを頬張るエリアーデを向かいで同じくケーキを食べていたセルシアが尋ねると満足げな笑みを浮かべてエリアーデは兄に応える。
どこにでもある幸せな光景。
エリアーデはこの幸せが永遠にあるのだと信じて疑ったりはしなかった。
「セルシア様。」
幸せな時間に水を差したのは徒弟の一人。
「…、エリー、ちょっと話してくるから、おとなしくおやつを食べて待っていてくれるかい?」
僅かに兄の表情が硬くなったのをエリアーデは見逃さなかった。
きっと何か問題があったのだろう。
「もちろん、待っていますわ。」
おとなしく頷く。
本当はさみしいが、ここでわがままを言っては兄にも徒弟たちにも迷惑がかかる。
関わらせて貰えなくてもそれくらいはわかる。
だから、あらゆる感情を押し殺して笑顔で見送る。
何も知らない少女のように。
仲間外れのさみしさを押し殺す。
「すぐに戻ってくるからね。」
セルシアがエリアーデの頭を笑顔で撫でて食堂から出ていく。
「…。
……えりごーる…」
セルシアを見送ったエリアーデの脇に現れた霊体に驚いたようにエリアーデは目を見開く。
「…心配しなくても大丈夫ですわ。
兄様もすぐに戻るとおっしゃっていましたし、慣れていますもの。
王が忙しいのは仕方のない事ですわ。
それくらいはわかっています。」
エリアーデが生まれて初めて喚起した騎士の姿をした魔神は自らに言い聞かせるようなエリアーデの言葉を静かに聞いている。
その視線にエリアーデは泣きそうになる。
あまりにも優しい目。
魔神と呼ばれようと悪魔と呼ばれようとエリアーデにとってはかけがえのない家族で、遊び相手だった。
兄のセルシアは優しいし大好きだがそれでも迷惑をかけないように、少しでも負担にならないように気を使ってしまう。
でも、彼らは違う。
彼らに時間という概念はあっても仕事という概念はない、あるのは私たちとの契約のみ。
契約をしている以上彼らはエリアーデのものでもあるのだ。
その魔神たるエリゴールがついてこいとばかりに歩き出す。
甲冑を着ていても霊体ゆえに物音ひとつしない。
「ついてこい、ってどういうことですの?」
エリアーデはエリゴールの背におとなしく続く。
エリゴールはエリアーデの質問には答えず小さなエリアーデを気遣うような速度で歩みを進める。
**
「…できるわけないだろ、考えろ!
父様も反対されるはずだ。
魔術師として生まれたからって、生贄になんてできるわけないだろっ!!」
静かな廊下に響くセルシアの怒声。
普段怒らない兄はいったい何に怒っているのだろう。
「エリアーデは生贄にしない。
…そういうお前が贄になるか?」
心臓を掴まれたような気がした。
…私を…何…?
冷たく凍りつくような兄の声が現実感を狂わせる。
全て悪い夢だと思いたい。
セルシアがもうすぐ揺り起こしてくれる。
覚めない夢はないのだ。
「…えりごーる」
自身を導いた魔神に声に声をかける。
霊界から空気を押しのけて現実界へ顕現した騎士がエリアーデを抱え上げる。
その感触が、ここは確かに現実世界なのだと告げる。
喚起呪文を唱えた記憶はない。
けれど、異界の騎士は顕現し私を抱えて来た道を戻る。
「自分の見たい風景を貪欲に求め、自分の守りたいものの為に戦うのが王だ。」
そんなセルシアの言葉だけがなぜかエリアーデの耳には、はっきりと聞こえた。
(私は…、王でない私は…、兄様の為に、戦う資格はないのですか…?)
仲間外れの少女は小さく息を吐いた。