白い穴
彼女が通った後には、白い花道ができる。
点々と緑の廊下に落ちる白い四角い固まり。透明なビニール袋に入った、手のひらサイズの紙の束。
掃除時間になればそれらは跡形もなく消え去るが、焼却炉に置かれたその白い四角い物体の数は尋常ではなかった。
一度教師が彼女に注意したことがある。道にゴミや物を捨てない事、これは社会のルールなのだと。
彼女が何と答えたのかは知らないが、その教師はそれから暫くして学校から消えた。彼女の仕業だと言う声もあるが、単に病気だという説もある。
はっきりとは分からない。誰もその教師の行方を知らないから。
不思議なのは、彼女が落とすのは決してゴミでは無いという事である。
封の開いた、使用されていないポケットティッシュ。彼女は使用していない、真新しいポケットティッシュを、ヘンゼルとグレーテルよろしく、今日も次々と廊下に落とす。
「いい加減やめさせろよ、このヘタレ」
「なんで俺が。別に害もないし放っとけばいいんじゃないのか」
「それが風紀委員の言う台詞か。校長がうるさいんだよ、指導しろって」
「あまり変なやつに関わりたくないんだけど」
「今日の放課後、彼女に注意してくれないか。お前が彼女の注意をはらっている間、俺らがばらまかれたティッシュを一気に始末するから。机の中も片付ける。一気に攻め落とすんだ。彼女の電波行動をやめささなければ、いずれこの学校の風紀は乱れ、誰かがティッシュで足をすべらせ転倒する事態になるぞ」
彼女の奇行をおもしろがって、声をかけた輩なら何人か知っている。皆彼女の眼光にやられ、無視され、精神に傷を受けたという。何があったかはよく知らないけれど。
左腕に風紀委員の腕章を翻し、廊下の壁に背をもたれさせながら彼女を待つ。教師に報告する言葉を考える。
「やれるだけの事はやったんですけど、ええ、風紀委員としましても最善の努力を尽くしたんですけど、ええ、生徒の自治は生徒自らが取り締まらねばなりませんからね。しかし、彼女の行動は一向におさまりませんで、ええ、ポケットティッシュどこから仕入れてくるんでしょうね、えらいお金かかってますよねー絶対」
彼女の教室は2年3組である。チャイムが鳴りはじまる放課後、待っていればこの2階の廊下を通るのは確実である。教室に赴き注意をしないのは、正直関わっている所を見られたくないからである。
君子、危うきに近寄らずとか何とか。
「踏んでいる!」
目を開けると、ティッシュ女が目の前にいた。夢想していたので気づかなかった。大層お怒りのようだ。彼女の視線の先には、俺の上履きで踏みにじられた白い四角い紙の束。
「えっ、あっ、ごめん」
思わず足をのけてポケットティッシュを拾う。
「おかげで出られなかったじゃない、もう少しで時空に閉じ込められるところだったわ」
何だろう、何を言っているんだろうこの女は。俺は聞こえなかったフリをして華麗にスルースキルを発動させる。
「そう、紙谷さん、その事で話があるんだ。俺は風紀委員長の大矢なんだけど、わかるよね?廊下にポケットティッシュ、捨てられると困るんだけど」
「捨ててるんじゃないわ、置いているの」
「一緒じゃないの」
廊下に点在する白い紙。彼女は後ろを振り向いて、自分が通って来た道に置かれているポケットティッシュを眺めた。
「そうね…あなたは他の人と違う。単に面白がって私に話しかけてくる人たちじゃない。教えてあげてもいいわ。ただ少し、リスクが伴うけど」
早く帰って教育テレビが見たい。頭の片隅で考えながら、俺ははぁ、と空返事をした。
「まず、足を入れて」
「足?どこに」
「ティッシュ」
ポケットティッシュを指差す彼女。
「入るわけないだろ、何言って…」
「つま先を、ほんの少しでいいから」
グンと世界が一周した。ジェットコースターと船酔いとバス酔いを3で足して2で割ったような気持ち悪さの後、重心が定まった感覚がし、胃がストンと元あった場所におさまった。
白い空間。ただただ白い空間が、一直線上にのびている。まるで、トンネルのような。
「これは…」
「虫の穴」
「え?」
「ワームホール。どこでもドア。まぁどこでもってわけじゃないんだけど」
足下がふわふわする。薄い繊維を絡め合わせて作られた白い薄い生地が、2枚折り重なっている。しゃがんでつまんでみると、やんわりとした触り慣れた感触が。
「…ティッシュ?」
「そう、ここはポケットティッシュの中。うちの家遠くって、これで移動してるのよ。ティッシュを置いた所としか出入り口が繋がっていないから、どこでも出れる訳じゃないけどね。沢山ティッシュを置いているのは、ほら、誰かに捨てられちゃったり、拾われたり使われたりするでしょ。私が持ってるこの特別なティッシュでしか出入り口が開かない上に、一度も使われていない新品のティッシュでしか駄目なの。これを見つけるのには苦労したのよ、前に靴を出入り口にしようとした事があったんだけど、臭いし閉じ込められるしで散々で」
「ど、どうしてあんなに沢山ばらまく必要があるの。出口なんか一つでいいだろ」
「出られなくなると困るから。時間も移動できるんだけど、未来にしか進めない。未来では大抵、こんなポケットティッシュは使われたり捨てられたりして、出口がなくなってしまうの。一度でも使われると効力が切れて、出口として役目を果たせなくなるの」
「そう…」
呆然としながら白い空間を眺め、彼女と一緒にトンネル内を進みだす。出口を探しながら。
ぼんやりと頭の中で、出口はどこにあるんだろう、とどこまでも白い空間を見ながら考えた。