第二十四話
「う~ん、魔球っていうか、俺にはただのへなちょこボールにしか見えねえがなあ」
ベンチで宝生がぽつりと呟いた。
「いや、球威は80km/h、ってとこだろうけど、そこまで抑えられているのがすげぇよ。左右だけでなく前後にも揺れる、ありゃあ誰にも打てねぇよ。確かに魔球だ」
そう言って梅さんが腕を組んで唸った。
「だめ……打てない」
聡子の顔に苦渋の色が滲んだ。
そんな聡子の表情を見て取って、秋人の口角が上がる。
「苦しむ必要はない。バットを置きこちらに来い。お前の望みならば、なんでも叶えてやる」
放たれた白球がキャッチャーミットに吸い込まれた。
「ストーラーイク!」
アンパイアの声が無常にも2ストライクを告げる。
聡子の手に汗が滲んだ。
「金か? 宝石か? さあ、お前は何を望む?」
放たれた白球が、空しく聡子のバットをすり抜けた。
「三振! アウト!」
アンパイアの声に聡子が苦し気に天を仰いだ。
(どうしよう。私じゃ……打てないよ)
「そうだ。力の差を思い知るがいい、そして俺のものになれ」
秋人の赤い舌が、ひどく艶めかしく唇を湿らせた。
聡子に続く、新之助と源さんも共に三振をとられ、チェンジとなった。
「なーに、湿気た顔してんの? 聡子さん」
宝生がぽんと聡子の肩を叩いた。
「あの……せっかくのチャンスだったのに……すいません」
聡子がしょんぼりとした口調で謝った。
「なーにいってんの。まだ3回の表だよ? チャンスなんていくらでもあるある」
明るく、軽く、調子よく言い放った宝生に、聡子は真剣な眼差しを向ける。
「本当にそう思いますか? 社長。本当にあの秋人さんから、私たち点を取れるでしょうか? 私は……私は……打てなかった」
そう言って苦し気に目を伏せた聡子を、宝生が背後から抱きしめた。
「焦るな。野球は九人でやるもんだろ? 周りをちゃんと見ろ。そしてもっと信頼しろ。そのためのチームメイトだろうが」
「あっ……」
聡子は弾かれたように顔を上げた。
グラウンドの選手たちが、一様に聡子を見つめている。
「ひとりは皆の為に、皆はひとりの為に、だろ?」
ダケさんがにっこりと笑ってみせる。
それは商店街チーム『ボロ勝ち』が発足して以来、ずっと掲げてきたスローガンだった。そしてそれはそのまま青葉商店街の理念でもあった。ひとつひとつの店は小さくて力の無い存在だったが、皆で肩を寄せ合い、どんな時も助けあってきた。
そのことを思い出し、聡子の胸にあたたかいものが満ちる。
(この場所を失いたくなくて、私はひとりで守るって気負って……だけど本当に守って貰っていたのは私の方だった)
「それから、お前は俺を一体誰だと思っている?」
宝生は聡子の顔を両手で包み、自分の方に向かせた。
「誰って……社長です。宝生社長」
「そう、俺は宝生グループの総帥だぞ? この俺がついているってことをお前はひょっとして忘れていないか? しかもこの俺がお前の味方だってのに、なんで秋人にビビっている?」
「あっ……」
金髪が笑う。
真夏に咲く向日葵のような笑みに、聡子もつられて笑顔になる。
「そうですね。忘れてました」
「バカモノ! 俺様の辞書には『負け』の文字はないんだよ」
少しおどけてセンターのポジションに向かう宝生の背中が、なんだか頼もしく見え、聡子は赤面してしまう。
「ひとりは皆の為に、皆はひとりの為に……か」
聡子は皆のあたたかさを胸に抱いてマウンドに向かった。
不思議と秋人への恐れは無くなっていた。
「うん、大丈夫。私はやれる。皆の為に」
白球がうねり、次々と打者を屠っていく。
軽く2アウトをとって迎えるのは主砲の二宮だった。
「あんまり調子に乗んなやあ、お嬢さん。いくら球威が早いといっても、所詮女の投げる球や。タイミングさえ合えば捌かれへん程ではない」
そう言って二宮がバットを構えた。
聡子は放ったスライダーを捉え、二宮が痛烈にセンターに打ち返した。
白球を追い、宝生が飛んだ。
身体ごとフェンスに突っ込む。
「社長!」
宝生を案じた聡子の悲鳴が飛ぶ。
宝生はむっくりと起き上がり、グローブの中の白球を見せた。
「聡子! お前は俺が守る」
「いや……セリフはカッコいいけど、とにかく鼻血を拭けよ」
そんな宝生に、思わず新之助が突っ込んだ。
スリーアウトチェンジでベンチに戻った宝生からの打順だ。
グラウンドのフェンス越しに、男がひとり佇んでいた。
「Oh! あの男盛大に鼻血噴いていますネ、なんかエッチなことでも考えていたんでショウカ?」
「今どきそんな古風なヤツはいねえよ。つうか誰だよ。オッサン。ボビーオロゴンか?」
真面目に突っ込みを入れる新之助に、男は不敵に笑って見せた。
「うーん、新之助の年齢じゃあ、知らねえのも無理はねえかな」
梅さんが腕を組んで、ゆっくりと歩いてきた。
真っ黒の肌に、まっ白な歯を見せて男は不敵に微笑んでいる。
笑うと少し目尻に皺がより、しかし鋭い眼力がその男が強者だと告げている。
「宝生の奴、まさに最強の助っ人を用意しやがったな」
梅さんは、にやりと笑った。
「新之助この男はな、ウォーレン・クロマティーといってな……」
梅さんが新之助に説明しようとしたときだ。
クロマティーの横に、もう一人の男が姿を現した。
「ソウデス……かつての私の最大のライバルであり、今は親友です」
その男の出現に、『ボロ勝ち』のベンチは凍りついた。
「あ……あなたは……」
――――ランディー・バース――――




