第1章 全ては効率のために
効率化が進んだ。無駄は削られた。すべてが数値で測られるようになった。
しかし、測れないものは、本当に存在しないのだろうか?
「全然関係ないんだけど、、、」
有本恒一が口を開いた瞬間、会議室の空気が変わった。
第三会議室。製品開発部の定例ミーティング。プロジェクターには新製品の仕様書が映し出され、リーダーの山本が淡々と説明を続けていた。
資料は完璧だった。数字も揃っている。しかし、何かが引っかかる。誰もそれを言葉にできないまま、議論は平行線をたどっていた。
会議室の隅に座っていた有本が、唐突に話し始めた。
「先週の案件、結局どうなったんでしたっけ」
脈絡のない質問。しかし、その瞬間、何かが変わった。
山本が「ああ」と声を上げた。若手の佐藤が「そういえば」と続けた。硬直していた議論が、ふいに動き出す。
「あの時も、同じ問題があったんですよ」
「だったら、仕様をこう変えれば」
「それなら、スケジュールも間に合う」
会議は、結論に向かった。
有本は、何も言わなかった。ただ、少しだけ頷いただけだった。
*
ロビーには、企業理念が掲げられていた。
「すべての企業に、最大限の効率性を。」
装飾のない、白い壁に、黒い文字。それ以上の説明はなかった。
この会社には、システムがあった。
EVA――Evaluation & Value Algorithm。エバリュエーション・アンド・バリュー・アルゴリズム。皆がエヴァと呼んでいる評価・価値アルゴリズム。
全社員の業務を数値化し、最適な判断を提示する生産性最適化AI。
勤怠、会議の発言量、成果指標、メールの文字数、資料作成にかかった時間。あらゆるデータを統合し、各社員に「効率スコア」を付ける。人の主観が入らない分、正確だとされていた。
導入後、確かに無駄は減った。
会議時間は平均で23パーセント短縮され、残業時間も削減された。経営陣は、EVAの成果を高く評価していた。
中堅の電子部品メーカー。売上は安定し、赤字もない。しかし、成長も止まっていた。業績は横ばい。五年前と同じ数字が、今年も並んでいる。
効率化は進んだ。無駄は削られた。
それでも、何かが足りなかった。
*
休憩室で、若手の佐藤が有本に話しかけた。
「有本さんって、学生時代、落研とクイズ研だったんですよね」
「ああ、そうそう」
有本は、缶コーヒーを手に、気楽に答えた。
「両方掛け持ちで。まあ、無駄なことばっかりやってたよ」
「でも、話すの上手いですよね。会議でも、有本さんがいると、なんかまとまるっていうか」
「そうかなあ」
有本は、少し照れたように笑った。
「全然関係ないんだけど、クイズ研の先輩がさ、『無駄な知識こそが人生を豊かにする』って言ってて、それ聞いて入部したんだけどさ。実際、日常ではほとんど役に立たない知識ばっか増えて。例えば、植物にも血液型のような分類があるとかさ」
佐藤は笑って言った。
「植物の血液型。ちょっと聞いてみたいですけどね」
「いいね、2時間ぐらい話してやろうか?」
「2分ぐらいで行けます?」
有本の周りには、いつもこういう空気があった。
*
西園寺直哉は、自分のデスクでEVAの画面を眺めていた。
経営企画専務として、彼はこのシステムの導入を推進した一人だった。効率化は正しい。数値化は必要だ。それは、今でも信じている。
しかし。
画面には、社員の一覧が並んでいる。それぞれに「効率スコア」が付けられている。
そして、一番下に、ひとつだけ、グレーで表示された名前があった。
_____________________
有本恒一
生産性貢献度:測定不能
説明可能性:低
データ不足により評価不能
_____________________
西園寺は、小さく笑った。
「評価できないものは、存在しないことになるのか」
誰にともなく、呟いた。
有本がいる会議といない会議。データ上、決定時間に有意な差はない。しかし、現場の感覚は違う。有本がいると、なぜか、話がまとまる。
それは、雰囲気というものだろうか。空気、とでも呼ぶべきものだろうか。
言葉にできない。数値にもできない。
しかし、確かに、そこにある。
西園寺は、EVAの画面を閉じた。
廊下の向こうで、鷹宮礼二が誰かに指示を出している声が聞こえた。効率的で、明確で、無駄のない指示。
人事役員。冷徹な合理主義者。EVAを絶対的に信頼している男。
西園寺には、嫌な予感があった。
*
その日の夕方。
有本が自分のデスクで書類を整理していると、内線が鳴った。
「有本さん、人事部までお越しいただけますか」
鷹宮の声だった。
会議室に入ると、鷹宮が一人、モニターの前に座っていた。
「お疲れ様です。何か」
有本は、いつもの調子で尋ねた。
鷹宮は、モニターから目を離さずに言った。
「有本さん、EVAの評価を確認されていますか」
「ああ、まあ、一応」
「測定不能、とあります」
「そうですね」
有本は、特に気にした様子もなく答えた。
鷹宮は、初めて有本の方を向いた。表情は、変わらない。
「人事部として、判断しました」
モニターに、配置転換の辞令が表示された。
「来週付で、倉庫管理部への異動を推奨します」
有本は、少しの間、黙っていた。
「……倉庫、ですか」
「はい。再現性のない成果は、成果ではありませんから」
鷹宮の声に、抑揚はなかった。問い詰めているわけでもなく、ただ事実を確認しているだけだ。
有本は、ふと何かを思い出したように言った。
「全然関係ないんですけど、倉庫管理って、古代エジプトの時代からある職業らしいですね」
鷹宮は、わずかに眉を動かした。それが驚きなのか、呆れなのか、判別できない。
「……そうですか」
「ピラミッド建設の時に、石材とか食料を管理する専門の職人がいたって。記録に残ってるんですよ」
有本は、少し嬉しそうに続けた。
「つまり、五千年くらい前からある仕事ってことですよね。歴史ある職種だなあ、と思って」
鷹宮は何も答えなかった。
ただ、視線を再びモニターに戻した。
会議室の外では、社員たちが黙々とデスクに向かっていた。無駄な雑談はなく、空調の音だけが静かに流れている。
この会社は、最大限の効率で運営されている。
少なくとも、そう信じられている。




