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1-5. ピンクの座敷わらし

 土曜日、午後二時前。

 

 今日は完全オフだった。

 

 空手の自主トレも午前中で終わり、母さんは「友達とお茶してくるね」と出かけている。

 

 つまり――予定ゼロ。

 

 「……よし」

 

 久しぶりに、何もしない日だ。

 

 ベランダにレジャーシートを敷き、絵本を広げる。

 

 日向ぼっこをしながら読書。

 

 完璧だ。

 

 ぽかぽかと暖かい。

 

 風もやわらかい。

 

 ページをめくった、そのときだった。

 

 ――じっ。

 

 「……ん?」

 

 視線を感じる。

 

 ここはそこそこ高い階のマンションだ。

 

 まさかと思いながら、ゆっくり顔を上げる。

 

 そして、見つけた。

 

 隣のベランダとの仕切り。

 

 そのわずかな隙間から――

 

 ピンクの髪。

 

 ピンクの瞳。

 

 小さな女の子が、半分だけ顔を出してこちらを見ていた。

 

 「……」

 

 「……え?」

 

 目が合う。

 

 それでも逃げない。

 

 ただ、じっと見ている。

 

 よく見ると、同じくらいの年頃だ。

 

 ワンピースの裾をぎゅっと握って、隠れているつもりなのか、いないのか微妙な位置にいる。

 

 思い切って声をかけてみる。

 

 「こんにちは」

 

 女の子の肩が、ぴくっと揺れた。

 

 けれど返事はない。

 

 数秒の沈黙。

 

 やがて――

 

 こくん。

 

 小さく頷いた。

 

 (通じた)

 

 「あやめ。君は?」

 

 少しだけ間が空く。

 

 風に溶けそうな声が返ってきた。

 

 「……かのん」

 

 「かのんちゃんか。よろしく」

 

 そう言うと、彼女はほんの少しだけ目を丸くして――かすかに笑った。

 

 一瞬だけ。

 

 でも、確かに。

 

 (あ、今笑った)

 

 次の瞬間にはもう真顔に戻り、再びこちらを観察し始める。

 

 じーっ。

 

 (そんなに珍しいかな、俺)

 

 試しに手を振ってみる。

 

 すると、少し遅れて――遠慮がちに、小さな手が振り返された。

 

 ゆっくり。

 

 控えめに。

 

 まるで野良猫みたいだ、と思った。

 

 本を少し持ち上げてみせる。

 

 「読む?」

 

 かのんは、ほんの一歩だけ前に出た。

 

 けれど仕切りは越えない。

 

 あと一歩が出ない。

 

 それでも、ページをめくるたびに彼女の視線も一緒に動く。

 

 結局、絵本を読み終えるまで、かのんはずっとそこにいた。

 

 玄関のドアが開く音がする。

 

 母さんが帰ってきたらしい。

 

 「あ、俺もう行くね」

 

 手を振ると、かのんは少し慌てた顔になって――両手で、ちょこんと振り返してくれた。

 

 仕切りの向こうへ隠れる直前。

 

 小さな声が届いた。

 

 「……また、見るね」

 

 (見るんだ)

 

 

 夕方。

 

 「何してたの?」と母さんに聞かれる。

 

 「ベランダで本読んでた」

 

 少し考えてから付け足す。

 

 「あと、ベランダの隙間からピンクの座敷わらしが覗いてた」

 

 母さんは一瞬きょとんとして――吹き出した。

 

 「なにそれ、ちょっと怖いんだけど!」

 

 「実際ちょっと怖かった」

 

 「それ、たぶん桜庭さん家の花音ちゃんね」

 

 「……え?」

 

 「すごく人見知りなの。でもね」

 

 母さんは楽しそうに笑う。

 

 「気に入った相手のこと、ずーっと見ちゃう子なんだって」

 

 ベランダの隙間を思い出す。

 

 まっすぐだった、あのピンクの瞳。

 

 (そっか)

 

 座敷わらしじゃなかった。

 

 たぶん――懐かれた。


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