1-4. 布団の中
夜。
道場から帰り、風呂に入り、布団に潜り込む。
体は正直、限界だった。
腕も脚も重い。
五歳の体力は、今日もきっちり使い切っている。
でも、不思議と嫌じゃない。
(強くなる場所じゃない)
(崩れないほうが大事)
日向道場で言われた言葉が、意味ではなく感触として残っていた。
布団の中で横向きになる。
そのときだった。
胸の奥に、妙な違和感を覚える。
痛いわけじゃない。
苦しいわけでもない。
ただ――
「何かが、ある」
へその少し奥。体の芯。
温度はない。
光ってもいない。
でも、確かにそこにあった。
(……なんだこれ)
意識を向けた瞬間、ふっと消えた。
(逃げた?)
もう一度、探る。
今度は、ぼんやりと。
するとまた、そこにある。
触れようとすると散る。
気にしすぎると分からなくなる。
(めんどくさいな……)
でも、昼間の道場を思い出す。
踏み込もうとして、力んだ瞬間に転びかけた、あの感覚。
(あれと同じだ)
力を入れた途端、全部がズレる。
なら――押さない。
引っ張らない。
まとめない。
ただ、観察する。
布団の中で、呼吸を整える。
深呼吸じゃない。頑張らない。
吸う。
止めない。
吐く。
そのとき。
吸う息が、体の奥をかすめた気がした。
吐く息が、そこを通って抜ける。
(……通った?)
もう一度。
吸う。
吐く。
逃げない。
散らない。
そこにあるまま、静かだ。
熱でもない。
光でもない。
(これ、多分……)
名前は知らない。
本能が理解していた。
これが、魔力だ。
嬉しくなりかけて、すぐにやめる。
調子に乗ると失敗する。
今日、もう学んだ。
回数を決める。
三回だけ。
吸う。
吐く。
二回目。
体の内側が、ほんの少し軽い。
三回目。
それはまだ、そこにある。
増えてはいない。
でも、減ってもいない。
ただ、整っている。
(……ロスがない)
五歳の体力なんて誤差だ。
だからこそ――無駄を出さない。
道場で言えば、転ばないだけで前進だ。
布団に顔をうずめる。
今日は、これ以上やらない。
派手じゃない。
音も光もない。
でも、毎日積み上がるやつだ。
(本格化って、こういうことか)
静かに目を閉じた。
次の道場。
裸足で床に立つと、ひんやりした感触が足の裏に広がる。
準備運動。
走る。
跳ぶ。
止まる。
体力は相変わらずどんぐり。
でも――
(今日は、崩れにくい)
理由は分からない。
筋肉でも体力でもない。
ただ、息が乱れない。
走りながら気づく。
吸う。
止めない。
吐く。
昨夜と同じ呼吸を、無意識にしていた。
組み手の時間。
相手は、ひまり。
「いくよ!」
勢いだけで突っ込んでくる。
前なら慌てて転んでいた距離。
踏み込む瞬間、息を吐く。
それだけ。
速くない。
強くもない。
でも、足が残る。
押される。
下がる。
――転ばない。
「……あれ?」
ひまりが首をかしげる。
「なんか今日違わない?」
「そう?」
「当たってるのに、崩れない」
勝てない。
触れないことも多い。
でも――転ばない。
稽古の終わり、床に座り込む。
汗だく。
脚はガクガク。
なのに、体の奥は静かだった。
そのとき。
ひまりの母親が、ちらっとこちらを見る。
一瞬だけ。
何も言わない。
でもその視線は、気づいている人の目だった。
夕方。家。
リビングで休んでいると、母さんが本を読みながら言った。
「……今日は、転ばなかったでしょ」
心臓が少し跳ねる。
「え?」
「全部じゃないけど。前よりね」
それだけ。
理由も説明もない。
でも十分だった。
(見てたんだ)
強くなったわけじゃない。
増えたわけでもない。
ただ――崩れなかった。
夜。
布団に入る。
修行はしない。
でも呼吸は自然と整う。
吸う。
吐く。
体の奥で、魔力が静かに巡っている。
(……壊れないって、強いな)
勝つより前に。
倒すより前に。
まずは、続けられること。
布団の中で、小さく拳を握る。
派手じゃない。
でも確実に、前に進んでいる。
(よし)
(これ、長期戦だな)
なぜか――それが少し楽しかった。




