1-35. 初めての「意識」
夜。
お風呂上がり。
花音は自分の部屋のベッドに座っていた。
ドライヤーの音が止まり、部屋が急に静かになる。
窓の外では、虫の声。
いつもと同じ夜。
――のはずなのに。
落ち着かない。
膝を抱えて、小さく丸くなる。
思い出すのは、昼間のこと。
植え込みの影。
すぐ隣にいた綾芽。
肩が触れそうで、触れなくて。
息が、少しだけ近くて。
花音は布団に顔を埋めた。
「~~~……」
声にならない。
(近かった……)
熱い。
顔が熱い。
耳まで熱い。
ごろっと転がる。
枕に顔を押しつける。
(なんであんな近くに来るの……)
いや、呼ばれたのは自分だ。
自分から行った。
そこまで考えて、さらに赤くなる。
「……好きって、友達として?」
思い出した瞬間。
枕を叩いた。
「ばか……」
誰に言っているのか分からない。
たぶん、綾芽。
たぶん、自分。
胸の奥が、少しだけ騒がしい。
でも嫌じゃない。
むしろ――
ぎゅっと抱きしめたくなる感覚。
コンコン。
ドアがノックされる。
「花音?」
母の声。
桃花。
「起きてる?」
「……うん」
入ってきた桃花は、娘の顔を見るなり止まった。
一秒。
そして。
にっこり。
「なにがあったの?」
即バレだった。
「な、なにも!」
「顔真っ赤だけど?」
「お風呂あがり!」
「さっきからずっと?」
逃げ場がない。
桃花はベッドの端に腰かける。
優しく髪を撫でた。
「綾芽くん?」
花音、停止。
図星。
反応が分かりやすすぎる。
桃花、笑いをこらえる。
「今日、一緒に遊んだんでしょ?」
小さく頷く。
「何かされた?」
ぶんぶん首を振る。
「じゃあ、何か言われた?」
少し考える。
そして、超小声。
「……好きって、友達として?って……」
一瞬。
桃花の肩が震えた。
完全に耐えている。
「そ、そう……」
声が震えている。
「それは……」
桃花は天井を見上げた。
「罪な男ねぇ……」
「つ、罪じゃない!」
花音が慌てる。
「綾芽は悪くない!」
かばうのが早い。
桃花、さらに微笑む。
「あらあら」
少しだけ真面目な声になる。
「ねえ花音」
「……なに?」
「嫌だった?」
花音はすぐに首を振った。
「……嫌じゃない」
小さな声。
でも、はっきりしていた。
桃花は優しく頷く。
「じゃあ、それでいいの」
沈黙が落ちる。
安心する沈黙。
花音がぽつりと言う。
「なんかね……」
「うん?」
「ドキドキした」
桃花の表情が、ふっと柔らかくなる。
「そっか」
それ以上は聞かない。
母親の距離感だった。
立ち上がり、電気を少し暗くする。
「まだ八歳だもの」
「ゆっくりでいいのよ」
ドアへ向かいながら、振り返る。
そして。
さらっと爆弾を落とした。
「でも綾芽くん、人気出るわよ?」
「え」
「早めに仲良くしておかないとね」
「~~~っ!!」
花音、布団に潜る。
桃花は笑いながら部屋を出た。
ぱたん。
静寂。
しばらくして。
布団の中から、小さな声。
「……もう仲良しだもん」
少し間。
「たぶん……」
胸に手を当てる。
心臓が、まだ少し速い。
昼間よりは落ち着いたけど。
完全には戻らない。
目を閉じる。
浮かぶのは、やっぱりあの距離。
あの声。
あの無自覚。
花音は小さく笑った。
「……ずるいよ」
誰にも聞こえない声。
でも――
その夜。
桜庭花音は初めて、
“友達”とは少し違う気持ちを、
はっきり自覚したのだった。




