1-31. 覚えていたくなる夜
今日は、花音の家に呼ばれていた。
少し遅れたけど――俺の八歳の誕生日祝いらしい。
リビングに入った瞬間、まず目に飛び込んできたのはホールケーキだった。
チョコプレートには、
『おたんじょうびおめでとう あやめくん』
やけに気合いが入っている。
(……でかくない?)
八歳の祝いにしてはサイズがおかしい。
もう完全に、“みんなで食べる”前提の大きさだ。
「いっぱい食べてね!」
桃花さんが満面の笑みで言う。
いや、このサイズは“いっぱい”で済む量じゃない。
絶対、誰かが本気を出している。
……たぶんこの人だ。
そしてその予感は、すぐに当たった。
「ねえ綾芽くん」
桃花さんが、やたら近い距離で言った。
「もうさ、うちの子にならない?」
「桃花」
母さんが即座に止める。
「冗談よ冗談!」
笑っている。
でも――目が少しだけ本気だ。
怖い。
「花音とくっつけば、ワンチャンあるんじゃない?」
やめろ。
その話題を本人の前で振るな。
「ねえ花音、どう思う?」
突然パスを投げられた花音は――固まった。
耳まで真っ赤。
俯いて、完全に停止している。
(処理落ちしてる……)
助け舟を出すべきか一瞬迷う。
でもここで何か言えば、燃料投下にしかならない。
沈黙が正解だった。
その後、なぜかワインが開いた。
桃花さんが。普通に。
「今日はお祝いだから!」
祝い方が大人すぎる。
母さんも止めない。むしろ楽しそうだ。
数分後。
桃花さんは上機嫌だった。
つまり――酔っている。
「綾芽くん、ほんといい子よねぇ……」
ほら来た。
「花音、逃がしちゃダメよ?」
やめろ。
逃がすってなんだ。
花音はもう、真っ赤を通り越している。
それでも、小さくこちらを見て――すぐ逸らした。
食事が終わる頃には、すっかり“母親同士の時間”になっていた。
そして母さんが、さらっと言う。
「じゃあ、私は帰るね」
帰るのか。
一瞬だけこちらを見て、
「あんたたち、お風呂入って早く寝なさいね」
完全にいつものトーン。
泊まり確定だったらしい。
花音は素直に、
「はーい、わかりましたー」
と返事をしている。
さっきまで耳まで赤くして黙っていた人と、同一人物とは思えない。
(……いや待て)
風呂?
一緒に?
ちらっと花音を見る。
目が合う。
そして――また赤くなる。
「……い、いこ?」
小さな声。
断る理由はない。
というか、ここで変に拒否したら余計に意識させるだけだ。
「うん」
立ち上がる。
子供の頃から何度もこうしてきた。
ただ一緒に遊んで、
一緒にご飯を食べて、
一緒に眠る。
それだけのことだ。
……たぶん。
浴室に向かいながら、ふと思う。
もう少ししたら、きっと終わる。
恥ずかしいとか、男女とか、距離とか。
そういうものを知る年頃が来る。
今みたいに自然では、いられなくなる。
だから――
まあ、今はいいか。
花音がいいなら、それでいい。
脱衣所の前で、花音が小さく言った。
「……誕生日、おめでとう」
視線は下。
でも、声は震えていなかった。
ちゃんと、自分の言葉だった。
「ありがと」
花音が、ほんの少しだけ笑う。
その表情を見て、思った。
(ああ)
(今日は、いい日だな)
派手なことは何もない。
でも――
静かで、やわらかくて、
ちゃんと覚えていたくなる夜だった。
たぶんこの記憶は、ずっと残る。
理由はまだ、よく分からないけど。




