1-30. 出どころ不明の噂
昼休み。
教室はいつも通り騒がしい。
その中で――
木村由衣が、突然立ち上がった。
「ねえ!!」
声が大きい。
綾芽は悟る。
(嫌な予感しかしない)
由衣がこのテンションのときは、だいたい爆弾を持っている。
そして、投下された。
「真咲ってさ!」
一拍。
「魔王の子供なんでしょ!?」
教室が止まった。
完全に。
誰かの鉛筆が転がる音だけが響く。
綾芽はゆっくり由衣を見る。
(どこから仕入れた)
向葵がぽかんとしている。
花音は瞬きすら忘れている。
ざわ……
「え?」
「魔王?」
「なにそれ」
由衣は腕を組む。
得意げだ。
「ママが言ってた!」
なるほど。
情報源:保護者。
一番広がるやつだ。
綾芽は静かに聞く。
「……魔王ってなに?」
由衣、止まる。
「え?」
「何する人?」
想定外だったらしい。
数秒の沈黙。
由衣は必死に考えて――
「……すごい強い人!」
ざっくり。
向葵が即座に食いつく。
「強いの!?」
「たぶん!」
「じゃあいいじゃん!」
いいのか。
花音が小声でつぶやく。
「こわそう……」
由衣が続ける。
「だってさ!」
「真咲のお母さんってすごいんでしょ!?」
ああ、そっちから来たか。
教室の何人かが頷く。
「なんか聞いたことある」
「強いって」
「元なんとかって」
噂はいつも曖昧だ。
でも、芯だけは残る。
綾芽は少し考えて、答えた。
「母さんは母さんだよ」
それだけ。
由衣がむっとする。
「でも!」
「魔王なんでしょ!」
綾芽は真顔で言う。
「違うよ」
教室がまた静まる。
「なんで分かるの!?」
綾芽は肩をすくめた。
「夜、ごはん作ってるし」
沈黙。
そして――
吹き出す声。
「魔王、ごはん作るの!?」
「エプロンしてるの想像した!」
向葵が大笑いする。
花音も小さく笑う。
由衣だけが赤くなる。
「そ、それとこれとは別でしょ!」
綾芽は追撃する。
「あと洗濯もしてる」
もうだめだった。
教室が笑いに包まれる。
ちょうどその時、担任が入ってきた。
「はい、席ついてー」
でも空気は柔らかいままだ。
由衣は座りながら、小さくつぶやく。
「……でも絶対強いじゃん」
綾芽は窓の外を見る。
(強いけど)
(魔王ではないな)
たぶん。
その日の夜。
どこかの家庭で、新しい噂が生まれる。
――魔王、エプロンをする。
尾ひれは、いつだって自由だった。




