1-19. 火宮道場
次の日の夕方。
菖に連れられてやって来たのは、少しだけ大きな道場だった。
木の引き戸。
磨かれた床。
外にまで聞こえてくる、乾いた踏み込みの音。
(……昨日と空気が違うな)
日向道場が「体を作る場所」なら。
ここは――
もっと、まっすぐに強さへ向かっている。
扉を開けた瞬間。
「こんにちは!」
反射で声が出た。
道場の中央にいた女の子が振り向く。
赤みがかった髪。
姿勢がきれいで、立っているだけなのに目を引く。
そして、見覚えがある。
(あ)
同じクラスの子だ。
「火宮さん?」
名前を呼ぶと、ぱっと表情が緩んだ。
「真咲くん!」
小走りで近づいてくる。
「来てくれたんだ!」
来てくれた、という言い方に少しだけ驚く。
「ここ、火宮さんの道場なの?」
「うん、そう!」
にこっと笑う。
強そうなのに、柔らかい。
安心する笑顔だった。
「母さんが先生なの」
なるほど。
この張り詰めた空気の理由が分かった気がする。
そのとき、奥から落ち着いた声が届いた。
「紅羽、お迎えはいいけど、まずは挨拶」
振り向くと、一人の女性が立っていた。
無駄のない姿勢。
静かなのに、存在感がある。
強い人だ、とすぐ分かる。
菖が軽く会釈する。
「今日は見学から、お願いします」
女性は頷いた。
「ようこそ、火宮道場へ」
それだけ。
余計な言葉はない。
でも、圧迫感はなかった。
紅羽が俺の袖をちょん、と引く。
「こっち!」
道場の端へ案内される。
歩きながら、小声で言った。
「ここね、ちょっとだけ厳しいよ」
「ちょっとだけ?」
「……たぶん」
今、目逸らしたな。
稽古が始まる。
号令。
踏み込み。
床を打つ音が揃う。
(速い)
子供なのに、動きに迷いがない。
無駄がない。
紅羽も列に戻ると、空気が変わった。
さっきまでの柔らかさが消える。
背筋が伸び、視線が真っ直ぐ前を向く。
踏み込む。
鋭い。
でも、乱暴じゃない。
(綺麗だな)
強さって、本来こういう形なのかもしれない。
休憩時間。
紅羽が駆け寄ってくる。
「どうだった?」
「すごいね」
正直に言うと、少し照れたみたいに笑った。
「まだまだだよ」
その言い方が、もう強い。
「真咲くんもやる?」
「やる」
即答だった。
紅羽の目が少しだけ大きくなる。
それから、嬉しそうに笑った。
「よかった!」
「一緒に頑張ろうね!」
自然な言葉だった。
たぶんこの子は。
誰かと競う前に、誰かと強くなろうとするタイプだ。
稽古の終わり。
帰り支度をしていると、紅羽が真剣な顔で言った。
「真咲くん」
「なに?」
「無理しないでね」
一瞬、言葉の意味を測る。
「体、弱いんでしょ?」
自己紹介を覚えていたらしい。
「でもね」
紅羽は続ける。
「ここは、ゆっくりでも強くなれる場所だから」
迷いのない声だった。
守るみたいに言う。
(……ああ)
面倒見がいい。
菖の隣に戻ると、小さく聞かれた。
「どう?」
答えは決まっていた。
「ここ、好き」
菖は少しだけ笑った。
帰り際。
もう一度だけ道場を振り返る。
日向道場とは違う。
でも、どちらも必要だ。
動ける体。
折れない芯。
(悪くない)
強くなる場所が、また一つ増えた。
そしてきっと。
ここにも通うことになる。
紅羽がいるから。




