バス停で飲み会が始まりました。
この作品は短編です。人気がれば、連載版を書きたいと思います!
退社する寸前に仕事を回すのは、パワハラで訴えていいか考えながら歩いていた。
今日は暑かった。
7月ならば当然であろう。しかし、私は突如、歩いて帰りたくなった。唐突にだ、私の家は徒歩20分くらいなので、歩いて帰れる。
私はスーパーで買った惣菜が入った袋を握りしめ、今日の晩酌をイメージしていた。
唐揚げ、餃子、寿司、
今日は金曜日、しかも月末だ。
私はウキウキした様子で帰っていた。
家までもうすぐのところで、声が聞こえた。
私の家の近くには、バス停があるのだがそこからしているようだ。
酔っ払いなら面倒だし、無視しよう。
そう思って通り過ぎようとした瞬間。
「そこのおにいさああああああああああああああんッ!!」
夜の住宅街に響き渡る大声。
反射的に肩が跳ねた。
「ちょっとぉぉぉぉぉ!! 付き合ってぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
完全に出来上がっている。
片手にハイボール、もう片手に唐揚げ棒を振り回しながら、こちらを指差している。
関わりたくない。
悟は足早に通り過ぎようとした。
「無視しないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
絶叫。
次の瞬間、足首をがっちり掴まれた。
「ちょ、ちょっと……!」
「なんでぇぇぇぇぇぇぇ!! 冷たぁぁぁぁぁい!!」
彼女の声はほぼクラクション並みだ。
まずい。近所迷惑だ。
「困りますって、本当に……!」
そう言った瞬間。
「うわあああああああああああああああああああああんッ!!」
号泣。
しゃくり上げるどころではない。
全力の大号泣だ。
肩を震わせ、顔をぐしゃぐしゃにしながら、足を掴んだまま泣いている。
「なんでぇぇぇぇぇ……ひどいぃぃぃぃぃぃ……!」
これはまずい。
足を掴まれている女性。
それを振りほどこうとしている男。
どう見ても、悪者はこっちだ。
「はぁ……どうしたんですか?」
すると彼女は、自分が座っている席の横をバシバシと叩いた。
私は、気怠く感じながらも、そこに座った。
「っ……ふ……っ」
少し落ち着いたのか、泣く声が小さくなった。
彼女はぽつぽつと喋りだした。
「実は……私、教師志望なんです。でも、全部の大学に落ちちゃって……もう自分の将来を考えるのが嫌いになっちゃって。もう3浪してるんです。3浪ですよ?同級生は楽しそうなキャンパスライフを送って自分はずっと勉強……もう嫌になっちゃって」
彼女はさっきとは打って変わり、絶望した顔をしていた。
私は、咄嗟に声をかけた。
「君は、なぜ教師になろうとしたんだい?」
彼女は一瞬、驚いたようにこちらを見た。
そして、少しだけ視線を落とした。
「……小学校のときの担任が、すごく好きだったんです」
ぽつり、と。
「私、いじめられてて。そんなに大きなことじゃなかったけど、毎日ちょっとずつ、削られる感じで」
さっきまで騒いでいた人間とは思えない、静かな声だった。
「でも先生だけは、気づいてくれたんです。何も言わなかったけど、毎日、私の机に一言メモが置いてあって。『今日はよく発表できたね』とか、『その笑顔、いいね』とか」
彼女は鼻をすすった。
「それで、救われたんです。だから今度は、私がそういう先生になりたいって……思ったんです」
街灯の光が、彼女の涙を反射していた。
なるほどな、と思った。
「いい理由じゃないですか」
私は言った。
「でも……3浪ですよ?向いてないんじゃないかって、ずっと思ってて……」
「向いてない人は、そんな理由で目指さない」
彼女が顔を上げる。
「楽な道を選びたいなら、とっくに諦めてる。3年も続けたってことは、それだけ本気なんでしょう」
自分で言いながら、少しだけ胸が痛んだ。
退社寸前に仕事を投げてくる上司のことを思い出す。
「俺なんて、やりたい仕事でもないのに、なんとなく続けてるだけです。君のほうがよっぽど立派だ」
彼女は、じっとこちらを見ていた。
「……ほんと?」
「ええ。少なくとも、泣くくらい本気なら、向いてないわけがない」
そのときだった。
彼女のバッグの中から、スマートフォンの着信音が鳴った。
「……え」
彼女は慌てて取り出す。
画面を見た瞬間、固まった。
「大学……?」
震える指で通話ボタンを押す。
「も、もしもし……はい……はい……え?」
沈黙。
数秒がやけに長い。
彼女の目が、ゆっくりと見開かれていく。
「……補欠合格、ですか?」
今度は、言葉を失ったのは私のほうだった。
「は、はい……はいっ……行きます!行きます!ありがとうございます……っ」
通話が切れる。
彼女は数秒間、動かなかった。
そして――
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
今度は、さっきとは違う泣き声だった。
勢いよく、私に抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと」
「受かった……! 受かったぁ……!」
バス停のベンチで、号泣する未来の教師志望者。
通報される確率、再び急上昇。
しかし、私は少しだけ笑っていた。
「ほら、向いてないわけないって言ったでしょう」
彼女は涙だらけの顔で笑った。
「……おにいさんのおかげです」
「いや、俺は何も」
「約束してください」
「何を?」
「私が先生になったら、最初の報告、ここでします」
バス停のベンチを指差す。
「……ここで?」
「ここで!」
私は少し考え、
「じゃあそのときは、俺の奢りで」
彼女は、ぐしゃぐしゃの顔で笑った。
金曜の夜風が、少しだけ涼しく感じた。
――スーパーの惣菜は、たぶんもう冷めてる。
でも悪くない夜だ、と私は思った。
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