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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第十一章:引き止めない恋
98/100

098 妖精みたいだと言われまして

「お待たせいたしました!」


 待ち合わせ場所である王城の馬車溜まりに駆け寄ると、ステアはすでにそこに立っていた。コートニーは息を弾ませながら、慌てて足を止める。


「お……おはようございます」


 視界に飛び込んできたのは、眩い陽光を反射して白銀にきらめくプラチナブロンドの髪だった。長い睫毛に縁取られた深い紫色の瞳が、真っ直ぐに自分を射抜いている。

 すらりとした四肢を際立たせる黒のパンツスタイルの軽装は、機能美と気品を完璧に両立させていた。


(……午前中の野外における殿下は、発光効率が通常時の三割増しだわ。可視光線の反射率の問題かしら、それとも単に私の網膜が驚いているだけ?)


「キラキラ」という擬音が相応しいステアは、コートニーの姿を見るなり一瞬だけ目を見開いた。けれど、すぐにいつもの落ち着いた表情を取り戻す。


(え、今のなに? まさか、顔にインクでも付いている?)


  コートニーは両手で頬に触れながら、脳内に保管してある「社交界ファッション事典」のページをめくり自分の装いを再点検した。


「おはよう。今日の君は、いつもと様子が違うな。なんだか、とても……妖精みたいだ」


 ステアは照れたように鼻をかいた。


「え……よ、妖精、ですか?」


(殿下はいま、ファンタジー系小説を愛読しているってこと? それとも、植物学の図鑑に出てくる花の精霊のこと?)


 コートニーは困惑し、思わず自分の服装を見下ろした。今日のドレスは淡い若草色の薄衣を重ねたもので、確かに森の緑に溶け込むような色合いだ。


  「いや、なんでもない。さあ、行こう」


 ステアに促され、エスコートを受ける。

 しかし、コートニーの頭の中は今、彼が絞り出した「妖精」という不確かな語彙で埋め尽くされていた。


(妖精。民俗学的な定義で言えば、自然界の精霊から悪戯好きな小人、あるいは美しき超自然的存在まで幅が広すぎるんだけど。彼はどの属を指してそう言ったのかしら? 褒め言葉? それとも単に子供っぽいと言いたいのかしら……ああ、気になる!)


 困惑の迷宮に迷い込んだまま、コートニーは馬車に乗り込んだ。


「失礼します」


 二人のお目付け役とばかり、見知らぬ近衛がステアの隣に座る。


「マイロ様は?」


「今日は、マリエッタ……彼の妻の誕生日だから、休みだ」


「……まあ! それはおめでたいことですわね。マイロ様、きっと張り切ってプレゼントを用意されたのでしょう」


 コートニーは微笑みながら答えたが、内心では「計算外だわ」と頭を抱えていた。


 いつもならステアと自分の間に立ち、二人の会話を適度に中和してくれる緩衝材マイロがいない。代わりに座っているのは、鉄面皮てつめんぴを絵に描いたような屈強な近衛兵だ。


 馬車が緩やかに動き出すと、車輪が石畳を叩く規則的なリズムだけが室内に響く。


(気まずい。沈黙が物理的な質量を持って私を押し潰しそうだわ)


 コートニーは、窓の外を流れる王都の景色を眺めるふりをして、視線を泳がせた。 しかし、意識はどうしても隣(厳密には斜め向かい)に座る美貌の王子に向かってしまう。


「……コートニー嬢」


 不意に名前を呼ばれ、彼女の背筋が跳ねるように伸びた。


「は、はい! なんでしょう、殿下。可視光線の屈折率について、何か新たな学説でも?」


「いや、そうじゃない」


 ステアは苦笑して、手袋をはめた指先で膝を叩いた。


「さっきの『妖精』という言葉だが。……誤解を招いたのなら訂正させてほしい。私は、その、君が非常に……」


 彼は言いかけて、一度言葉を飲み込んだ。 隣に座る近衛兵は前方を凝視したまま微動だにしないが、ステアの耳の端がわずかに赤らんでいるのをコートニーは見逃さなかった。


「非常に瑞々しくて、その場を清めるような……植物学的な意味での『生命の輝き』を感じた、と言いたかったんだ。決して、子供っぽいと揶揄やゆしたわけではない」


(生命の輝き。つまり、クロロフィルの活性化状態のようなものかしら?)


 コートニーは脳内で「ステア語」を「コートニー語」に翻訳しようと試みた。しかし、彼が向けた眼差しに含まれていた熱までは、見知った記号に置き換えることができなかった。


「ありがとうございます。殿下からそのような……有機的な賛辞をいただけるとは光栄ですわ。私も、今日の殿下はいつにも増してルクスが高いと感じておりましたから」


「ル、ルクス……?」


 ステアが呆気にとられたような顔をした。 すると、それまで石像のように黙り込んでいた近衛兵が、ゴホンと短く咳払いをした。


「……殿下。目的地まで六十分ほどを予定しております」


「分かっている」


 ステアは咳払いをして居住まいを正すと、少しだけ声を低くして言った。


「今日は公務ではない。 だから……あまり難しく考えないでほしい。僕はただ、君とこの景色を楽しみたかっただけなんだ」


 その景色の中に、若草色のドレスを着た自分もしっかりと含まれているのだと気づいた瞬間、コートニーの心拍数は一気に跳ね上がった。


(いけないわ。これでは私の顔面反射率まで、朱色に振り切れてしまう!)


 彼女は慌ててドレスのポケットから日記帳を取り出し、開いたページに「本日の大気透明度:良好」と、震える手で書き殴った。



 ◇✧◇✧◇✧◇



 普段、当たり前のようにステアの視界に映り込むマイロがいない馬車の中。

 ようやく今日の近衛に慣れてきたコートニーは、重要な問いを投げかけた。


「どちらへ向かっているのですか?」


「秘密だ」


 ステアは、茶目っ気のある微笑みを浮かべ、屋根を叩いて御者に合図を送る。


(なるほど、目的地は秘匿事項ってこと)


 コートニーは少しだけ残念に思いながらも、好奇心のアンテナを外界へと向け、窓の外を眺めることにした。


 ゆっくりと道を進む馬車は、巨大な王城の門をくぐって王都の街並みへと滑り出す。賑やかな商業地区を抜け、静謐な貴族街へと差し掛かる。やがて、ヒスコック伯爵家のタウンハウスがある見慣れた通りが近づくと、コートニーは反射的に窓から顔を背けた。


「君は、本当にあのタウンハウスが嫌いなんだな」


 ステアがくすりと笑う。


「ええ……。だってあそこは、不快な記憶の集積地ですから」


「君がそこでどんな仕打ちを受けたか、僕が知る由もないが……。けれど、いつまでも目を背けているわけにはいかないだろう? 特にフィデリア国に行くつもりなら、過去の遺恨ともどこかで折り合いをつけた方がいい。どんなに気に入らない奴らでも、君にとっては家族なのだから」


「……はい」


 コートニーはしおらしく頷いてみせたが、内心では否定的な意見が激しく火花を散らしていた。


 ステアの言う家族の定義は、相互扶助と情緒的結合を前提とした理想論だ。


(でも、我が家の住人にその方程式を当てはめるのは、不可能よ。だって、あの家で『家族』という集合体に属しているのは、私を除いた者たちのことなのだから)


 コートニーはそっと唇を噛み、窓の外の景色に視線を戻した。


「とりあえず今日のところは、保留でいい。出過ぎた意見だったのなら、すまない」


 コートニーの強張った横顔を見て、ステアがすぐさま気遣うような言葉を添えた。


「いえ、とんでもありません。気にかけてくださって、ありがとうございます」


 コートニーは慌てて、完璧に整えた令嬢の笑顔を貼り付けた。

 せっかくの休日に、過去の不愉快な記憶の処理に時間を割くのは時間を無駄に浪費するだけだ。


(負の感情は、脳内の裁断機に放り込んでしまえばいいんだわ)


 心に浮かぶ、どろりとした気持ちに、コートニーは一人決着をつけ、窓の外を見つめた。


 有り難いことにステアは彼女の意図を察したのか、それ以上は家族について触れることはなかった。


 馬車は貴族街の重々しい石造りの街並みを抜け、活気溢れる商業街へと滑り込む。さらにしばらく進むと、舗装された道はやがて郊外のなだらかな起伏へと姿を変えた。


「どこへ行くのかしら……」


 窓の外の景色を観察しながら、コートニーは小さく呟いた。


 建物の高さが目に見えて低くなり、代わりに整然と並ぶ畑や、たわわに実をつける果樹園の緑が視界を占める割合を増やしていく。


「もうすぐ着くよ」


 窓の外を眺めていたステアがこちらを向き、にこりと微笑んだ。

 その瞬間、コートニーの胸の奥が不意にキュンと締め付けられた。まるで未知の抗原に対する過剰な免疫反応のように、心臓が不規則なリズムを刻み始めた。


 反射的に、胸元のあたりをぎゅっと掴む。


「どうしたんだ?」


「……いえ、問題ありません。大丈夫です」


 不思議そうに覗き込んでくるステアに、まさか「あなたの笑顔の破壊力が想定外の数値に達しており、私の心筋が一時的にパニックを起こしました」などと、説明できるはずもない。


 コートニーは必死に冷静を装って誤魔化した。


「もう少しで着くから、楽しみにしていてほしい」


 そう告げる彼の表情は、いつになく穏やかだった。


 コートニーは改めて、目の前の男性を観察する。


 今日のステアは、切り裂き魔という難解なパズルを解こうと神経を尖らせていた姿や、自分の突飛な行動に対して眉をひそめていた姿とは、全然違って見える。


(そうか、私が今まで見てきたのは、仕事モードの『ステア殿下』だったのね)


 仕事というフィルターを通さない彼の素顔は、驚くほど純粋で、かつ破壊的な魅力に満ちていた。


 そのことに気付いたコートニーは、未知の事象に直面した学者のように、呆然とステアを見つめてしまうのだった。

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