094 その指輪は、救いと告白のあいだで
「あなたが殺人を犯す、その動機は? なぜそんなことをしたのですか?」
レナルドが、こめかみに指を押し当てながらサラに問いかけた。
彼の問いに対し、サラは静かに、しかし毅然とした態度で言葉を返した。
「私たちに子が恵まれなかったからですわ」
堂々たる発言に、マーティンは力なく項垂れる。
「そればかりは、仕方のないことだろうに」
「……分かっていますわ。でも、ジェーン・ミーハンが世継ぎとなる子を産み落としたら、私は、邪魔な存在になるではありませんか」
サラの声には、怒りも悲しみも混じっていない。
ただ純然たる事実として、自らの不要論を口にしている。
「そんな……そんな理由で、君は人を殺したのか!?」
「そんな理由、ですって?」
マーティンの怒声に対し、サラは冷めた眼差しを向けた。
「貴族に嫁ぎ、子が望めないこと。それがどれほどの苦痛か、あなたには理解できませんわ。だってあなたは、子が出来るまで、相手の女性を好きなだけ取り替えることが出来るのですから」
サラは突き放すように言い放ち、マーティンをじっと見つめる。
「子が望めないこと。それは、何も君だけの問題ではない。散々、話し合ったじゃないか!」
「あなたには分からないのよ。子に恵まれない女の気持ちも、愛人の子を我が子として育てる、その惨めさも」
サラの言葉は、どこまでも平坦で、それゆえに拒絶の深さが際立っていた。
泣き崩れることもなく、ただそこに「絶望した結果」として存在している彼女の姿に、誰もが言葉を失い、書斎には重苦しい静寂が満ちる。
「惨めさ……そうね。その通りなのかもしれないわ。妻に一番に望まれることが『世継ぎ』である以上、そのプレッシャーは、男性には決して理解できないものでしょうね」
エマが、静かな、しかし重みのある口調で語った。それは、この時代を生きる妻たちすべての声を代弁しているように、コートニーには感じられた。
(不妊という不可抗力。それが『無価値』と同義とされる社交界。彼女の心の中で、どれほど冷徹な化学変化が起きれば、これほどまでに感情を削ぎ落としてしまえるのかしら……)
「妻の苦しみを理解し、十分にケアしてきたつもりだった。……だが、愛人に子を産ませようとした私が、何を言っても説得力はないか」
マーティンは、それ以上言葉を続けることを諦めたように、口をつぐんだ。
サラはそんな夫を一瞥し、悲しげに、けれどやはり淡々と微笑んだ。
「もういいですわ」
「ジェーン・ミーハンを殺害した理由はわかった。しかし、他の女性たちは関係がないだろう」
ステアが、苦々しく眉をひそめて言い捨てる。
「いいえ、関係がありますわ。だって、私が手をかけた女性たちは『しくった』と言って、授かった命を平気で奪うような殺人者でしたから」
サラのきっぱりとした告白に、ステアの眉根がさらに深く寄る。
「それはどういう意味だ?」
ステアの問いに、コートニーが口を挟む。
「……恐らく、望まぬ妊娠をした女性たちのことだと思います。以前、修道院でジェーンさんが、望まぬ妊娠をした友人に『マーティンを紹介する』と、口にしているのを聞きましたから」
かつて修道院の食堂で耳にした会話を、ステアに伝えた。
あの時、ナナという女性が、妊娠した友人のことを「しくった」と、まるで今日の天気でも話すような気軽さで語っていた光景を。
(子を熱望しても叶わない女性から見れば、授かった命を軽んじる彼女たちは、許しがたい略奪者であり、殺人者に映ってしまったのね……)
だから二度と妊娠できないように、被害者の子宮をズタズタに傷つけた。
コートニーは、その犯行の動機を科学的に肯定するつもりは毛頭なかった。
ただ、彼女の憎しみの原理だけは、悲しいほど論理的に理解できてしまった。
「望まぬ所に子が恵まれ、望むところに子は恵まれない。理不尽で、とても悲しいことですわね……」
王妃エロイーズが、痛ましそうに目を伏せる。
「しかし、だからといって殺人を犯していい理由にはならない」
ステアの言葉は、氷のように冷たく、正論だった。
コートニーもまた、その言葉に力強く頷く。
どれほど情状酌量の余地があろうと、殺人は最悪の選択だ。
「ええ、そうね。自分が子を望めないことを受け入れ、愛人に子を産んでもらう。それを覚悟して生きた貴族の妻は、他にもたくさんいるもの」
エロイーズが、ふとコートニーをじっと見つめた。
(……お母様のこと、ですよね)
コートニーの母は体が弱く、彼女を産んだこと自体が奇跡だったと聞いている。
だからこそ、父がソフィアを迎え入れることを、母は許容するしかなかったのかもしれない。
(お母様はどうして、サラ夫人のように憎しみに囚われなかったのかしら……)
母を支えたのは愛だったのか、あるいは別の信念だったのか。
感情を押し殺し、淡々と犯行を語るサラの姿を見つめながら、彼女は自身のドレスの裾を指先で頼りなく手繰り寄せた。
(それに……)
サラの行動に対し、不可解に思うことがもう一つあった。
コートニーは、円卓を囲む一同の視線を一身に受けるサラへ、ずっと胸に溜まっていた疑問をぶつけた。
「サラ夫人……どうしてあの時、指輪をつけていらしたのですか? 円卓を囲んで、私たちが捜査会議をしていた、あの時に」
もし彼女が、あの指輪を宝石箱の奥にでも隠し続けていれば、捜査は今も迷走を続け、彼女に辿り着くことはなかったはずだ。
「そうね。理由は二つあるわ。一つは、一番憎い人を……きちんと始末できたからかしら」
サラは事も無げに言って、にこりと微笑んだ。
その春の陽だまりのような毒を孕んだ穏やかな笑みに、コートニーは思わず背筋が凍るのを感じた。
氷水を流し込まれたような感覚が、背骨を伝って走る。指先がわずかに痺れ、無意識に円卓の縁を掴んでいなければ、姿勢を保てなかったかもしれない。
(不純物が取り除かれ、純化された殺意。その果てにあるのが、あの無垢な笑顔だなんて……。毒性を持ったまま結晶化してしまった心は、もはや解毒することすら不可能なのかもしれない)
コートニーは、目の前の女性が抱える深い闇を科学的にすら捉えられず、ただ生物的な戦慄を覚えていた。
「そしてもう一つの理由は……これはきっと、私なりの罪滅ぼしね。あの指輪には刻印があったから、エレノアのものだとすぐに分かったわ。だから、彼女が愛したあなたに返そうと思ったの」
「返す、ですか? でも、そんなことをすれば、自分が犯人だと周囲に知らせるようなものではありませんか」
コートニーは首を傾げた。たとえ母の形見だとしても、それを持ち主に返すという個人的な義理が、自白のリスクを上回るとは、論理的に考えにくかった。
「ええ。でもね、私にとってエレノアという女性は、本当に眩しい人だったのよ。たとえ子を成せなくても、愛する人のために尽くすことが一番大切なのだと……不妊に悩む私を、彼女は心から励ましてくれたわ」
サラの表情に、懐かしむような色が混じる。
「それに彼女はいつだって、まるで魔法をかけたように不幸を幸せに変換してしまう、不思議な魅力のある人で……私は彼女を、心から尊敬していたの」
サラは、ここにはもういないエレノアを追憶するように目を細め、遠くを見つめた。
「だから、あなたとステア殿下が結婚した時……ああ、これでいいのだわ。もう二度と殺人は犯さないと思えるくらい、本気で嬉しかったのよ。まあ、結局、罪を重ねてしまったけれど」
サラは力なく目を伏せた。
(お母様……。あなたは亡くなってからもなお、誰かの心の淵で、善の側へ引き戻す重石になっていたのね)
コートニーは、母が誰かの心に輝かしい記憶として刻まれていることを知り、不謹慎だと自覚しながらも、胸が温かくなるのを感じずにはいられなかった。
しかし、サラの告白には残酷な続きがある。彼女のブレーキとなっていた母の記憶。それを振り切ってまで、犯行を再開させた「原因」がいったい何だったのか。
コートニーは、静かに次の言葉を待った。




