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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第十一章:引き止めない恋
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094 その指輪は、救いと告白のあいだで

「あなたが殺人を犯す、その動機は? なぜそんなことをしたのですか?」


 レナルドが、こめかみに指を押し当てながらサラに問いかけた。

 彼の問いに対し、サラは静かに、しかし毅然とした態度で言葉を返した。


「私たちに子が恵まれなかったからですわ」


 堂々たる発言に、マーティンは力なく項垂れる。


「そればかりは、仕方のないことだろうに」


「……分かっていますわ。でも、ジェーン・ミーハンが世継ぎとなる子を産み落としたら、私は、邪魔な存在になるではありませんか」


 サラの声には、怒りも悲しみも混じっていない。

 ただ純然たる事実として、自らの不要論を口にしている。


「そんな……そんな理由で、君は人を殺したのか!?」


「そんな理由、ですって?」


 マーティンの怒声に対し、サラは冷めた眼差しを向けた。


「貴族に嫁ぎ、子が望めないこと。それがどれほどの苦痛か、あなたには理解できませんわ。だってあなたは、子が出来るまで、相手の女性を好きなだけ取り替えることが出来るのですから」


 サラは突き放すように言い放ち、マーティンをじっと見つめる。


「子が望めないこと。それは、何も君だけの問題ではない。散々、話し合ったじゃないか!」


「あなたには分からないのよ。子に恵まれない女の気持ちも、愛人の子を我が子として育てる、その惨めさも」


 サラの言葉は、どこまでも平坦で、それゆえに拒絶の深さが際立っていた。

 泣き崩れることもなく、ただそこに「絶望した結果」として存在している彼女の姿に、誰もが言葉を失い、書斎には重苦しい静寂が満ちる。


「惨めさ……そうね。その通りなのかもしれないわ。妻に一番に望まれることが『世継ぎ』である以上、そのプレッシャーは、男性には決して理解できないものでしょうね」


 エマが、静かな、しかし重みのある口調で語った。それは、この時代を生きる妻たちすべての声を代弁しているように、コートニーには感じられた。


(不妊という不可抗力。それが『無価値』と同義とされる社交界。彼女の心の中で、どれほど冷徹な化学変化が起きれば、これほどまでに感情を削ぎ落としてしまえるのかしら……)


「妻の苦しみを理解し、十分にケアしてきたつもりだった。……だが、愛人に子を産ませようとした私が、何を言っても説得力はないか」


 マーティンは、それ以上言葉を続けることを諦めたように、口をつぐんだ。

 サラはそんな夫を一瞥し、悲しげに、けれどやはり淡々と微笑んだ。


「もういいですわ」


「ジェーン・ミーハンを殺害した理由はわかった。しかし、他の女性たちは関係がないだろう」


 ステアが、苦々しく眉をひそめて言い捨てる。


「いいえ、関係がありますわ。だって、私が手をかけた女性たちは『しくった』と言って、授かった命を平気で奪うような殺人者でしたから」


 サラのきっぱりとした告白に、ステアの眉根がさらに深く寄る。


「それはどういう意味だ?」


 ステアの問いに、コートニーが口を挟む。


「……恐らく、望まぬ妊娠をした女性たちのことだと思います。以前、修道院でジェーンさんが、望まぬ妊娠をした友人に『マーティンを紹介する』と、口にしているのを聞きましたから」


 かつて修道院の食堂で耳にした会話を、ステアに伝えた。

 あの時、ナナという女性が、妊娠した友人のことを「しくった」と、まるで今日の天気でも話すような気軽さで語っていた光景を。


(子を熱望しても叶わない女性から見れば、授かった命を軽んじる彼女たちは、許しがたい略奪者であり、殺人者に映ってしまったのね……)


 だから二度と妊娠できないように、被害者の子宮をズタズタに傷つけた。


 コートニーは、その犯行の動機を科学的に肯定するつもりは毛頭なかった。

 ただ、彼女の憎しみの原理だけは、悲しいほど論理的に理解できてしまった。


「望まぬ所に子が恵まれ、望むところに子は恵まれない。理不尽で、とても悲しいことですわね……」


 王妃エロイーズが、痛ましそうに目を伏せる。


「しかし、だからといって殺人を犯していい理由にはならない」


 ステアの言葉は、氷のように冷たく、正論だった。

 コートニーもまた、その言葉に力強く頷く。


 どれほど情状酌量の余地があろうと、殺人は最悪の選択だ。


「ええ、そうね。自分が子を望めないことを受け入れ、愛人に子を産んでもらう。それを覚悟して生きた貴族の妻は、他にもたくさんいるもの」


 エロイーズが、ふとコートニーをじっと見つめた。


(……お母様のこと、ですよね)


 コートニーの母は体が弱く、彼女を産んだこと自体が奇跡だったと聞いている。

 だからこそ、父がソフィアを迎え入れることを、母は許容するしかなかったのかもしれない。


(お母様はどうして、サラ夫人のように憎しみに囚われなかったのかしら……)


 母を支えたのは愛だったのか、あるいは別の信念だったのか。

 感情を押し殺し、淡々と犯行を語るサラの姿を見つめながら、彼女は自身のドレスの裾を指先で頼りなく手繰り寄せた。


(それに……)


 サラの行動に対し、不可解に思うことがもう一つあった。

 コートニーは、円卓を囲む一同の視線を一身に受けるサラへ、ずっと胸に溜まっていた疑問をぶつけた。


「サラ夫人……どうしてあの時、指輪をつけていらしたのですか? 円卓を囲んで、私たちが捜査会議をしていた、あの時に」


 もし彼女が、あの指輪を宝石箱の奥にでも隠し続けていれば、捜査は今も迷走を続け、彼女に辿り着くことはなかったはずだ。


「そうね。理由は二つあるわ。一つは、一番憎い人を……きちんと始末できたからかしら」


 サラは事も無げに言って、にこりと微笑んだ。

 その春の陽だまりのような毒を孕んだ穏やかな笑みに、コートニーは思わず背筋が凍るのを感じた。


 氷水を流し込まれたような感覚が、背骨を伝って走る。指先がわずかに痺れ、無意識に円卓の縁を掴んでいなければ、姿勢を保てなかったかもしれない。


(不純物が取り除かれ、純化された殺意。その果てにあるのが、あの無垢な笑顔だなんて……。毒性を持ったまま結晶化してしまった心は、もはや解毒することすら不可能なのかもしれない)


 コートニーは、目の前の女性が抱える深い闇を科学的にすら捉えられず、ただ生物的な戦慄を覚えていた。


「そしてもう一つの理由は……これはきっと、私なりの罪滅ぼしね。あの指輪には刻印があったから、エレノアのものだとすぐに分かったわ。だから、彼女が愛したあなたに返そうと思ったの」


「返す、ですか? でも、そんなことをすれば、自分が犯人だと周囲に知らせるようなものではありませんか」


 コートニーは首を傾げた。たとえ母の形見だとしても、それを持ち主に返すという個人的な義理が、自白のリスクを上回るとは、論理的に考えにくかった。


「ええ。でもね、私にとってエレノアという女性は、本当に眩しい人だったのよ。たとえ子を成せなくても、愛する人のために尽くすことが一番大切なのだと……不妊に悩む私を、彼女は心から励ましてくれたわ」


 サラの表情に、懐かしむような色が混じる。


「それに彼女はいつだって、まるで魔法をかけたように不幸を幸せに変換してしまう、不思議な魅力のある人で……私は彼女を、心から尊敬していたの」


 サラは、ここにはもういないエレノアを追憶するように目を細め、遠くを見つめた。


「だから、あなたとステア殿下が結婚した時……ああ、これでいいのだわ。もう二度と殺人は犯さないと思えるくらい、本気で嬉しかったのよ。まあ、結局、罪を重ねてしまったけれど」


 サラは力なく目を伏せた。


(お母様……。あなたは亡くなってからもなお、誰かの心の淵で、善の側へ引き戻す重石になっていたのね)


 コートニーは、母が誰かの心に輝かしい記憶として刻まれていることを知り、不謹慎だと自覚しながらも、胸が温かくなるのを感じずにはいられなかった。


 しかし、サラの告白には残酷な続きがある。彼女のブレーキとなっていた母の記憶。それを振り切ってまで、犯行を再開させた「原因」がいったい何だったのか。


 コートニーは、静かに次の言葉を待った。

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