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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第十章:合理的王子は、彼女を手放す覚悟ができない
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092 婚約破棄疑惑と、家族会議という名の公開処刑

 父クレイグの書斎。

 ノックもなしに扉が開かれ、母エロイーズが登場した。


(どうやらこの王城内には、プライベートという概念そのものが存在しないらしいな……)


 ステアは脱力感に襲われそうになるのを必死にこらえた。


「母上、どこからお聞きに?」


 ルイが、まるで自分は無関係だと言わんばかりの平然とした顔で尋ねる。


「もちろん、最初からよ。だってあなたたちが書斎で話し込むなんて珍しいんですもの」


 エロイーズは悪びれた様子もなく、むしろ「当然の権利だ」と言わんばかりに言い切った。


(最初から、だと? 極秘の談義を盗み聞きしていたと、仰るのか……)


 一番知られたくない、そしてこの上なく厄介な人物に内情をすべて知られてしまった。ステアは思わずこめかみを押さえ、頭を抱える。


「あなた、ステアが婚約破棄をするというのは本当なのかしら?」


 エロイーズが、それはもう眩しいほど美しく微笑みながら、クレイグの逃げ場を塞ぐように詰問した。その微笑の奥にある「正解以外の回答は認めない」という圧力に、百戦錬磨の国王さえも一瞬怯んだように見えた。


「いや、私もまだ……そういう噂があると、報告を受けた段階だ」


 クレイグが助けを求めるような視線をステアへ向けてくる。ステアは覚悟を決め、一歩前に出た。


「母上、僕はコートニー嬢と婚約破棄をするつもりはありません」


 きっぱりと告げたその声に、迷いはなかった。エロイーズは意外そうに目を丸くし、次の瞬間、まるで待ち望んでいた答えを得たかのようにぱっと顔を輝かせた。


(嘘はついていない。心も痛まない。先日、彼女には僕の考えを……『結婚するべきだ』という結論を伝えたのだから)


 もっとも、その根拠がメリットの羅列だったせいで、彼女からは「過労による判断力の低下」と切り捨てられた。それでも彼女がフィデリア国行きを選ぶのなら、それは彼女の意思だ。

 だが、少なくとも自分の方から彼女を手放す選択肢は、ステアにはない。


「そうよね。やっぱりステアは私の息子だわ!」


 歓喜したエロイーズは、ステアの手をがしっと掴むと、力任せにぶんぶんと振り回し始める。


(……痛い。母上、このままでは腕の関節が外れそうです)


 王妃の凄まじい握力と熱量に圧倒されながら、ステアはなすすべもなく揺さぶられた。


 母には逆らえない。

 それは、切り裂き魔の正体を突き止めるよりも明白な、この家の絶対的な力学だ。


「ただ、コートニー嬢の元に、フィデリア国にいる祖父マイケル・スタイナー氏より手紙が届き、彼女自身もあちらの国へ渡りたいと願っているようです」


 ステアは、彼女が抱くあまりに純粋な「自由への憧れ」を、少しでも理解してもらおうと現状を伝えてみた。


「まあ、なんてこと……。でもステア、あなたはコートニーと恋仲なのよね?」


「まあ、あの本の内容が少なからず、遠からず……といった感じですかね」


(嘘ではない。あの小説に描かれた異常なまでの観察眼の描写と、振り回される主役の構図は、我々の日常そのものだ。ただ、中身が『溺愛』かどうかについては、彼女ふうに言うならば、成分分析が必要だが……)


 思わず泳いでしまった視線を、ルイは見逃さなかった。


「父上、母上。ステアのこの様子からすると、明らかに小説の内容と現実には、致命的な乖離があるようですね」


 ルイが冷徹に断じると、ステアの背中に嫌な汗が伝った。


(兄上……! そこで『乖離』という言葉を使うのはやめていただきたい。事実ではあるが、もう少しオブラートに包んでいただきたいのだが?)


「どうして嘘なんかつくのかしら?」


 母がステアの方をじっと見て、首を傾げた。その瞳は、逃亡を図る小動物を追い詰める猛禽類のような鋭さを帯びている。


「……嘘ではありません。ただ、現実は小説よりも少々、その……手続きが複雑と言いますか」


「さすがに赤裸々に国民に示す必要はないだろう」


 クレイグが低い声で補足する。


「色事の詳細は、王族の品位に関わるからな」


「ええ、父上のおっしゃる通りです」


 ルイが、わざとらしく肩をすくめた。


「二人だけの秘密にしておきたい、大切な思い出でもあるのでしょう。あるいは、あまりに甘すぎて、口にするのも憚られるとか?」


 含みを持たせて笑うルイ。


(……助かるが、絶妙にニュアンスが違う方向に補完されている気がする)


 父と兄の助け舟はありがたかったが、ステアの心境は複雑だった。


 実のところ、この婚約が「期間限定」の契約であることは、家族には伏せている。


 もし明かせば、この愛すべき、しかし干渉の激しい家族が総出で反対し、計画が破綻するのは火を見るより明らかだったからだ。


(だが、父上と兄上はどこで『婚約破棄』なんて言葉を拾ってきたんだ……?)


「そうよね、二人だけの思い出は秘密にしておきたいものね」


 エロイーズは納得したように頷き、次の瞬間、ぱっと顔を輝かせた。


「じゃあ、コートニーはステアとの結婚準備をしに、フィデリア国へ行くということなのかしら?」


「いえ、その……まあ、そうかも?」


 エロイーズの凄まじいポジティブ・バイアスに引き寄せられたステアは、歯切れの悪い返答を返す。


「まあ、そうなのね! でも、コートニーがフィデリア国へ渡ってしまったら、ステアは寂しくなるでしょうね。だって、あなたがついていくわけにもいかないし……海を越えた遠距離恋愛になるのね……」


 頬に手を当て、心配そうにステアを見つめるエロイーズ。


「いや、僕は……」


「それで、どのくらいで戻ってくるのかしら? そう言えば、婚約はしたけれど、そろそろ結婚の時期も決めないとよね」


 あまりに突拍子もない話の飛躍に、ステアは目を見開いた。


「母上、落ち着いてください。どうやら根本的な部分で勘違いしているようですよ」


 ルイが、冷水を浴びせるような冷静さで口を挟む。


「勘違い?」


「はい。私が仕入れた情報によると、どうやらコートニー嬢は、フィデリア国に永住するつもりのようです」


(兄上、そこまで露骨に言わなくても……!)


 ステアは、兄の容赦ない情報開示に、思わず目眩を覚えた。


「あら、どうして? 第二王子とはいえ、ステアがこの国を離れられないのは分かっているでしょうに」


 エロイーズの素朴な疑問に、ルイは丁寧に、そして致命的な一撃を重ねる。


「コートニー嬢も、その点は理解しているはずです。その上で戻らないというのなら……結婚どころか、最初から婚約破棄を考えているのではないか、と父上と私は推測したわけです」


 ルイの補足によって、書斎の空気が一気に張り詰めた。

 ステアは、もはや母の追及から逃れられないことを悟る。


(兄上……火に油を注がないでください)


「……永住、ですって?」


 エロイーズの声から、温度が消えた。

 彼女はゆっくりと、獲物を定めるようにステアへ視線を戻す。


「一体、あなた達は何を企んでいるの?」


「何も……」


「正直に話しなさい」


「母上、落ち着いてください」


 ルイがなだめに入るが、母は聞く耳を持たない。

 紫の瞳は、もはや審問官のそれだった。


「ステアはコートニーに愛想を尽かされそうなの? それとも、あなたが彼女をいじめているの?」


(いじめる? むしろ、消毒液を噴射されたり、逃げ回られたりしている僕の方が被害者では……?)


 反論を飲み込み、ステアは慎重に言葉を選ぶ。


「母上、僕は別に……」


「はっきり言いなさい! 本当に、昔から口下手なんだから!」


(話をさせてくれないのは、母上の方では……)


 感情の奔流に巻き込まれるたび、女性という存在を煩わしいと感じてしまう自分を、ステアは内心で戒めた。


 その時、再びルイが助け舟を出す。


「母上、ステアはコートニー嬢をいじめてはいません」


「だったら、どうして婚約破棄なんて話になるの?」


 矛先は逸れない。

 ステアは深く息を吸い、覚悟を決めた。


「……コートニー嬢自身が、婚約破棄を望んでいるからです。僕は、彼女の意志を尊重するつもりです」


 エロイーズは目を見開いた。


「どうして? あんなに仲が良かったじゃない!」


(仲が良い……。事件の話をしている時だけなら、確かにそう見えるだろうが……)


 恋や愛で結ばれた関係ではない。

 だが、それを正直に告げれば、事態は悪化するだけ。


 窮地に陥ったステアは、話を逸らす意味も含めて父に向き直る。


「ところで父上と兄上は、なぜ僕が婚約破棄を考えていると思ったんですか?」


「いつまでも、お前が婚約指輪を贈らないと聞いてな」


 クレイグの率直な言葉に、ステアは言葉を失った。


(指輪……。契約ばかり意識して、形式を怠っていたのか)


「……確かに」


 ルイも頷く。


「二人の関係があまりに淡白すぎる。例の本では熱愛のようだが、城内では噂一つ立たないと、妻のレイラも言っていた」


(義姉上まで……)


 客観的に見れば、疑われるのも無理はない。

 ステアは妙に納得してしまった。


「でも、ステア。彼女が嫌いじゃないんでしょう?」


「……だとしても、彼女にその気がない以上、僕にできることはありません」


 彼女の自由を尊重する。

 それが自分なりの、最も誠実な合理性だった。


「そう……なの?」


 納得しきれない母に、ルイが静かに告げる。


「逃した魚は大きかったと、あとで後悔しないよう最善を尽くすべきだ。そもそも、一人の女性も幸せにできない者が、この国を幸せにできるはずがない」


 その言葉が、重く胸に残った。


 書斎の窓の外、夜の闇を見つめながら、ステアはまだ見ぬ結論を探すのだった。

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