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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第十章:合理的王子は、彼女を手放す覚悟ができない
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085 血の指輪は、円卓に戻ってきた

 サラの指に輝くのは、本来この場所にあるはずのない指輪だった。


 父ウィリアムが母エリノアへ贈った、唯一無二の愛の証。オーバルカットのサファイアを、ダイヤモンドが光の輪のように縁取る、特徴的な意匠の金の指輪。


 それは、母の形見としてコートニーが大切にしていたはずのものだ。


 盗まれ、巡り巡って娼婦ジェーンの指を飾り、そしてあの惨劇の夜。無惨な遺体となった彼女の薬指から、何者かによって荒々しく抜き取られた。


 それが今、何度も温かな言葉で自分を励ましてくれたはずのサラの指に平然と、美しく収まっている。


(……間違いないわ。お母様の形見だわ)


 驚愕に震える脳裏に、ステアの冷徹な分析が鮮明に蘇る。


『指輪を所持している者、もしくは質屋に売った者が、切り裂き魔と何らかの繋がりを持つ可能性がある』


 それが真実ならば、目の前で優雅に微笑むサラは、街を恐怖に陥れている「切り裂き魔」の正体を知る者、あるいは協力者だ。


 ごくりとコートニーの喉が鳴る、


 本来なら椅子を蹴って逃げ出してもおかしくない。けれど、事件を解決したいという思いが、恐怖より速く、事態の解析を始めてしまう。


(なぜ? どのような経緯で、この指輪は現場からサラ夫人の元へ渡ったの? 質屋? それとも、犯人から直接の贈り物? 高潔な貴婦人と、猟奇的な殺人犯を結びつける接点はどこ?)


 恐怖は、未知の謎を解き明かしたいという探究心へ形を変えていく。


 コートニーは視線が吸い寄せられそうになるのを必死に抑え、サラの手の温もりを感じながら、内側で嵐のような思考を巡らせていた。


「あら、急に青ざめてしまって。どうかしたの?」


 隣のエマが身を乗り出し、顔を覗き込む。

 弾かれたように、王妃エロイーズの案じる声も飛んできた。


「やはり今日は休んだほうがよろしいわ。顔色が真っ白ですもの」


「いえ、あの……その……」


 コートニーは、サラの指先から目を逸らせなかった。


(だって、言えない)


 今、優しく手を包み込んでくれている女性は、慈愛に満ちた淑女そのものだ。立ち居振る舞いも、他者への慈しみも、サラは、目指すべき完璧な見本であり、憧れの女性だった。


(たとえ母の指輪がそこにはめられていても、受けてきた恩が消えるわけじゃない……けど、事実は事実だわ)


 恩義と友情は別問題。このまま黙っていれば、真相を闇に葬り、犠牲となったジェーンの無念を放置することになる。


(私は『円卓の貴婦人』の一員。そして何より、ステア殿下の捜査官。真実を追求することを、自分に禁じてはダメ。証拠は嘘をつかない)


 コートニーは意を決して、サラの手から自分の手をそっと引き抜いた。離れていく人肌の温もりに一瞬だけ寂しさが走る。それでも押し殺し、用意していた捜査資料を震える手で開く。


「……皆様、資料の最後を。参考資料として添付してある紙をご覧いただけますか?」


 勇気を振り絞った声が、静かな室内を震わせた。


「参考資料?」


「これのことかしら」


「まあ、指輪の精巧なイラストだわ」


 円卓を囲む視線が、一枚の紙に集中する。そこには、レナルドがコートニーから詳細を聞き取り、執念で描き起こした、あのサファイアの指輪が描かれていた。


「コートニー様、このイラストがどうかしたの? もしかして、これはジェーン・ミーハンさんの遺品なのかしら?」


 エロイーズの鋭い眼差しが、コートニーを射抜く。

 思わず喉が詰まり、言葉を飲み込んだ。


「はい。事件当日の持ち主はジェーンさんでした。けれど……元々は、私の母エリノアが父から贈られたもので、私にとっては何にも代えがたい母の形見なのです」


「まあ、エリノアの……!」


 エロイーズは驚愕に目を見開き、口元を優雅な扇子で覆った。


「でも、なぜエリノアの形見がジェーンの手に渡っていたの?」


 エマの至極真っ当な疑問に、コートニーは苦い記憶を紐解く。


「私が事情により第三女子修道院でお世話になっていた時、持ち込んだ私物をトランクごと盗まれてしまったのです。それが巡り巡って、彼女の手に渡ったのだと思われます」


 トランクを奪い去ったナナ・ボーンズの顔が、脳裏をよぎる。


 その事実を明かすと、斜め向かいでハンカチを目元に当てていたケイトが、憐れみに満ちた視線を向けてきた。


「コートニーの財産を狙う放蕩者の貴族青年に酷い言葉を投げつけられて、その傷を癒やすために逃げ込んだ修道院で、そんな仕打ちにまで遭うなんて。本当にお辛かったでしょうね」


(ああ、ケイト夫人は読んでくださったのだわ……)


 コートニーはその視線を受け止めながら、自著『愛と名誉の結びつき。華麗なる貴族の物語』の核心部分を、苦い思いで反芻する。


 真実二割、嘘八割を心がけて執筆した作中には、コートニーとの結婚を望む厚顔無恥な青年が、彼女に冷酷な言葉を浴びせる場面がある。


 ケイトはそれを、現実のコートニーの身に起きた悲劇として、深く同情してくれているらしい。


 そのモデルは、間違いなくテニソン子爵ネイサンだ。


 ケイトが涙ぐんでいるのは、その「二割の真実」に宿る切実な痛みが、行間から溢れ出していたからだろう。


 しかし、今はその感傷に浸っている場合ではない。


(悲劇のヒロインを演じるのはいつだってできるわ。それよりこの指輪がなぜ『今』ここにあるのかを、解き明かさなくては)


 コートニーは強引に思考を切り替えた。


「つまり、修道院で盗まれたエリノアの指輪は、ジェーン嬢に買い取られ、彼女の手元に渡ったわけね」


 エロイーズは、複雑に絡み合った糸を一本ずつ解きほぐすように状況を整理し、納得したように頷いた。


「問題は……」


 指先が冷えていくのを感じながら、コートニーはそこで言葉を切った。


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