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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第十章:合理的王子は、彼女を手放す覚悟ができない
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083 悪魔狩りの王子は、血に濡れた指輪と彼女の推理に囚われる2

「もし私がイースト地区に住まう娼婦で、切り裂き魔が騒がれる状況下で、命がけでお客を取る場合のことを考えてみたのです」


「そんなことをお考えにならなくとも……」


 マイロが遠慮がちに制止の声をかける。その意見には、ステアも心の中で激しく同意した。

 伯爵令嬢に売春婦の心理をシミュレートさせるなど、教育上も精神衛生上も最悪だ。


「いいえ。女の私だからこそ、彼女たちの気持ちがわかることもありますわ。そこからなにか糸口が見えてくるのではないかと、そう考えたのですけれど……」


 正義感に満ちたその瞳に射抜かれ、マイロは言葉を失い口を閉ざした。


「今回イースト地区に足を運んだ時、通りを歩く娼婦の方々は、殿下とマイロ様に分かりやすく視線を向けていました。なぜなら、あの場所を歩く人々の中で、お二人が一番身なりの整った『まともな』方々だったからです」


「なるほど。私はともかく、マイロがジロジロ見られていたとすれば、それは確実に身なりのせいだろうな」


 ステアは、最近少しばかり調子に乗っていたマイロにチクリと皮肉を投げた。


「その点については異論はありませんよ、殿下。我々は庶民を装っていたものの、明らかに土着の者よりは清潔でした。次回からはもう少しくたびれた服装にすべきでしょうね」


 マイロはいじけたように顔を背ける。


「もちろん、殿下の容姿が麗しく、マイロ様の筋肉が神の領域にあるほど素晴らしいので、女性の目を惹きやすいということもあるとは思いますけれど」


 コートニーのフォローに、ステアの胸の奥で微かな、しかし確かな不快感が泡立った。


(……筋肉が神の領域、だと?)


 ステアは、眉間に皺を寄せる。


「コートニー様、フォローをありがとうございます」


 得意げな表情を向けてくるマイロを無視し、ステアは内心の苛立ちを押し殺す。


 当のコートニーは、そんな男たちの機微には気づかず推測を続けた。


「つまり殿下やマイロ様は、不潔でも野蛮でもない。だから私は安心して、笑顔で近づくと思うのです。だってお金もしっかり払ってくれそうですもの」


  (つまり彼女は……犯人が『身なりの整った、イースト地区に馴染まないよそ者』である可能性を示唆しているのか?)


 ステアはコートニーの言葉を咀嚼する。


「イースト地区に実際に足を運んで感じたのは、あちこちから聞こえる罵倒の声と、不潔な臭い。そういう雰囲気を纏う人は、病気を持っているかも知れないと生理的に恐怖を覚えるし、サービスなんて出来ないと思うんですよ」


 伯爵令嬢が口にすることではない――そう言いかけて、ステアは口を噤んだ。


 ただ、彼女の細い背中が、ほんのわずかに張り詰めているのを、ステアは見逃さなかったからだ。


(彼女なりに切り裂き魔を捕まえたい一心なのか……)


 その気持ちが手に取るように理解できたステアは、余計な指摘をしないでおくことにした。それが、彼女を一人の協力者として扱うということだと、無意識に悟りながら。


「つまり、女性は野生の勘を働かせ、客を選ぶということか?」


 コートニーに問いかけると彼女は、頷き返した。


「はい。彼女たちは生きるために必死でお金を稼ごうとしています。だから自然に、商売相手となる男性に対する観察力は、私たちなんかより、よっぽど優れてくると思うのです」


「まぁ、毎日必死な気持ちで立っていれば、そうなるかも知れませんね」


 レナルドが、彼女の意見を受け入れる。


「小綺麗な人は、そもそも壁の内側から来た人。そう思われますし、お金払いも良さそうに見える。ただし、この推理が成り立つのは犯人が男性の場合のみです。同性であれば、警戒は下がります」


「……まあ、それは一理あるな」


 ステアは素直に首を縦に振った。


 ステアとコートニーの婚約発表があるまで、切り裂き魔の凶行は、連日新聞を賑わせ、民衆の恐怖は頂点に達していた。そんな極限状態において、彼女たちが生き残るために普段以上に慎重に「客」を選別するというコートニーの意見は、ステアからしても、極めて妥当な推論に思えた。


「もし、犯人が貴族籍のある男性だった場合……何なく彼女たちに近づけるでしょうね」


 コートニーが放った言葉は、部屋の空気を一気に氷点下へと引き下げた。


  万が一、犯人が貴族籍を持つ人間であれば、事態の厄介さは比ではない。最悪の場合、犯人が政務の中枢に関わる地位にいれば、その罪を白日の下に晒すことすら叶わぬかもしれない。


(あのような残忍な、悪魔に魂を売ったやからであっても、この国の法と特権がそれを守ってしまうのか……)


 胸に渦巻く昏い憤りを押し殺し、ステアは短く息を吐いて指示を飛ばした。


「とりあえず、コートニー嬢。君はレナルドと共に、母上の形見である指輪について詳しい資料の作成を頼む」


「はい」


「了解しました」


 コートニーとレナルドが揃って頷く。


「その他の者は、引き続き各々抱えている件について、捜査を進めてくれ」


 指示を出し終えると、ステアは椅子の背もたれに深く体を預けた。


 捜査官たちが退室していく中、ステアの視線は自然とコートニーへと向く。


 あの日、現場での出来事以来、彼女は特に変わった様子もなく平然と振る舞っている。


(……冷静を装うのに、これほど労力を使うことになるとは)


 一方のステアはといえば、平静を保つことに相当な神経を削られていた。


 衝動に任せて彼女を抱きしめてしまったこと。

 しかも、あれが間違いだったとは、どうしても思えない自分がいること。


 そして、彼女がそれに対して不快感を示すどころか、抗議の一つもしてこないこと。


(彼女は、一体どのような「理屈」であの行為を納得させているんだよ)


 論理的な彼女のことだ。あの状況において、抱擁が精神的な動揺を鎮めるために必要な「処置」であったとでも解釈しているのだろうか。


 彼はただ、一人執務室で答えの出ない問いに密かに、悶々とするしかなかった。


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