066 貴族の愛人は、幸せか?1
「コートニー様って、本気だすと、めちゃくちゃかわいいじゃん!!」
ジェーンが屈託のない笑みを浮かべて駆け寄ってくる。
(いえ、あなたには遠く及びませんわ)
すかさず心の中で苦笑まじりの反論を添えておく。
「お久しぶりです、ジェーンさん」
コートニーは穏やかに挨拶を返す。
もちろん、淑女がするような優雅な礼はとらない。ここでそれをすれば、ただの嫌味や壁として受け取られてしまう可能性があることを、この修道院での生活で学んでいたからだ。
「今日はシスター・セシルとお会いするために伺いましたの」
「もしかして、寄付?」
会って数秒で真実を射抜かれてしまう。
「……ええ、そんなところです」
苦笑いしながら返事をすると、ジェーンは大きく両手を上げて伸びをした。
「へぇ、すごいね。じゃあ、今日の食事は少しマシになるかな」
あけすけに生の喜びを口にする彼女の姿に、コートニーは思わず口元を緩める。
「ジェーンさんは、お変わりないですか?」
「なんとか生きてるって感じかな。ま、最近は切り裂き魔も出ないし、適当に男の人を引っかけては食事を分けてもらったりしてるから、少しはマシな生活に戻ったよ」
さらりとこぼれたその言葉に、一瞬、思考を止めた。
(適当に男を引っかけて……)
心の中で反復したその言葉が示すのは、ジェーンが今もなお、生きるために身を売る生活を続けているという事実だ。
(え、でもジェーンさんって、ハウエル卿の愛人なんだよね?)
かつて修道院の食堂で、ジェーンが彼との繋がりを匂わせることを口にしていたことを思い出す。
(愛人って、表に出られないけれど、その分、生活は保障されるものではないのかしら?)
そう考えるコートニーの脳裏に浮かぶのは、義理の母ソフィアの得意げな顔だ。
かつて父ウィリアムの愛人だったソフィアは、彼から潤沢な生活費を受け取り、邸宅まで与えられて不自由ない暮らしを謳歌していた。その背景があるからこそ、ジェーンが今も路上で男を引っかけなければならないほど困窮している現実に、強い違和感を覚えてしまう。
(上手くいっていないのかしら。それとも、私の勘違い……?)
コートニーの好奇心の芽が、むくむくと育つ。
「あの、ジェーンさん」
「なに?」
朗らかに首を傾げる彼女に、コートニーは、ほんの一瞬だけ視線を落とした。
「ハウエル卿とは……その、上手くいっているのですか?」
意を決して、核心に触れる問いを投げかけた。
「え? なんで突然、そんなこと聞いてくるの?」
途端、ジェーンが目に見えて動揺し始めた。
先ほどまでの屈託のない笑顔が瞬時に消え、大きな瞳が落ち着きなく泳ぐ。
(……この動揺の仕方。ただの噂話ではなさそうね)
あからさまな動揺は、何かしら後ろめたい自覚がある証拠だ。ただ、この反応だけでは、正式な「契約済みの愛人」なのか、それとも、もっと「別の不穏な関係」なのかまでは判別がつかない。
「いえ、以前食堂でお会いした時、望まぬ妊娠をしたお友達をハウエル卿に紹介されるとかなんとか……そんなお話をされていたのを思い出したものですから」
コートニーは努めてさりげなさを装い、探りを入れる。
「あぁ……。そんなこともあったよね。うん、まあ、上手くいってるかな」
返ってきたのは、ひどく歯切れの悪い、曖昧な返事だった。
「実はさ」
突然、ジェーンがコートニーの顔をじっと見つめた。その表情は真剣で、言葉を飲み込もうか、あるいは吐き出そうかと、激しく葛藤しているように見えた。
「……何があったのですか?」
静かに促すと、意を決したようにジェーンが唇を開いた。
「コートニー様はさ、お貴族様の愛人って幸せだと思う?」
唐突に投げられた、あまりに直球な問い。
コートニーは思わず言葉を失い、その場に固まってしまった。
「あ、失礼なこと聞いちゃってごめん。でも、私には貴族様の知り合いなんていないし、どうしても率直な意見が聞きたくてさ。それに」
言葉を切ったジェーンは、言いづらそうにモゴモゴと口を動かした後、意を決したように続けた。
「コートニー様のお父様って、長らく愛人がいたって話じゃない?」
ジェーンは、困ったような、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
そんな彼女を見て、コートニーの瞳に冷静な光が宿る。
(これは、情報を得る絶好の機会かもしれないわ)
そもそも、ソフィアが後妻として家に入ったのは周知の事実だ。その裏にある家族の軋轢や、コートニーが抱く激しい憎悪までは伏せられているものの、実母の死後、父ウィリアムが速やかに新たな妻と子を迎え入れたことは、隠しようもなかった。
コートニーは、ジェーンの整った顔を観察するように、真っ直ぐ見つめ返した。
「ええ。私には腹違いの兄がいますし、誕生月が数か月しか違わない――つまり、統計学的にも生物学的にも『同時進行』であったと断定せざるを得ない、同い年の妹もおりますの」
分析結果を提示するように、コートニーはさらりと肩をすくめてみせた。
「同い年って……つまりそれって、あんたの父親は、同時期に二人と関係してたってこと?」
「現象面から推察すれば、どう見てもそうなりますね」
淡々と、しかし確信を持って頷くコートニーに、ジェーンは露骨に顔をしかめた。
「何それ……デリカシーなさすぎじゃない?」
あまりに率直なジェーンの嫌悪感に、コートニーは思わず愉快そうに唇を綻ばせた。
腫れ物に触るような同情や、感情論による慰めなどは不要だ。事実を事実として「最低」と切り捨てるその潔さは、知識を愛する彼女にとって、どんな社交辞令よりも心地よかった。
「ええ、私も心から、論理性に欠ける最低な振る舞いだと思います」
「だね。それはさすがにない。というか、そんな人が父親なんて、何と言うか……ご愁傷さま?」
「ご愁傷さま、ね。ふふっ、適切な用語選択です」
コートニーは、その皮肉な響きに満足して、笑みを深めた。
「私があの人の血筋を継ぐという遺伝的要因は否定しません。でも、父に向ける敬意は、とうの昔に放棄しています。私にとってあの人は、観察対象以外の何者でもありません」
迷いなく断言した彼女に、ジェーンは一瞬呆気に取られた後、吹き出すように笑い出した。
「あははっ! 貴族の女の人なんて、みんなお高くとまってると思ってたけど、コートニー様って面白すぎ。変わってるね!」
(好感度の指数が上昇したわ。――今よ)
コートニーは、相手の警戒心が解け、心理的距離が縮まった瞬間を見逃さない。蓄積された知識から、相手が最も話しやすい問いの形を導き出し、穏やかに核心へと踏み込んだ。




