065 救われるべき人は、誰が決めるのか
コートニーが執筆した『愛と名誉の結びつき。華麗なる貴族の物語』の売上は上々だった。まとまった金額が入った彼女は、以前一時的に世話になった第三女子修道院へ寄付をしようと足を運んだ。
「このお金は、みなさまの心を満たすためにお使いください」
通された修道院長室で、「修道院で暮らす女性たちに」とシスター・セシルに寄付金を手渡した。
「まぁ」
シスターは驚きつつも、寄付金を受け取ってくれた。
(ようやく恩義を返すことができたわ)
ホッと胸を撫で下ろす。
「私たちのために……なんとありがたいことでしょう」
シスター・セシルは感謝の言葉を口にしながら、少しだけ涙ぐむ。
(そこまで喜んでもらえるなんて……)
コートニーは少し面食らってしまう。
「何か、お辛いことでもあったのですか?」
思わず声をかけると、シスター・セシルは、震える手で寄付金の袋を握りしめ、重く沈んだ溜息をついた。
「お恥ずかしい話ですが、元々資金繰りには、以前から頭を悩ませていたのです。ただ、切り裂き魔事件以降、さらに寄付をされる方が減ってしまいまして」
シスター・セシルは歯切れの悪い口調で答える。
「寄付が減ったですって?」
(え、逆じゃないの?)
思いがけない言葉に首を傾げながら問いかける。
「事件がこれほど世間を騒がせているのですから、むしろ不幸な女性たちを救おうと、貴族の方々がこぞって慈悲を施されるものだと思っておりました。現に、ハウエル伯爵などは……」
コートニーがその名を口にしようとした瞬間、シスター・セシルは小さく首を振った。
「それが、そうとも限らないのです。確かに、多額の寄付をしてくださる支援者はいらっしゃいます。ですが」
シスターは窓の外の、冷たく澄んだ空に視線を移した。
「この地区で暮らす女性に対し『ふしだらな社会不適合者』だと一括りにする世論の高まりが、この修道院にも及んでいるからです」
彼女は顔を伏せ、続けた。
「殺されたのは、ふしだらで、だらしのない女たち。だから、殺されても仕方がないと、そう考える人が多いのでしょうね」
「そんな……殺されてもいい人間なんて、この世に一人だっていませんわ!」
コートニーは思わず身を乗り出す。
怒りで胸が熱くなり、指先が微かに震える。
「ええ、本当に……。ですが、一部の心ない方々は『街の浄化』などという言葉を使い始めています。清廉潔白でない者に施す金はない。そんな冷淡な空気が広まり、私たちの活動を支援してくださっていた方々まで離れていってしまいました」
シスター・セシルの寂しげな横顔を見て、胸を締め付けられるような思いがした。
以前の自分なら、ここを寄付先に選ぶことなど想像もできなかっただろう。伯爵家の令嬢として生きてきた彼女にとって、女子修道院も、切り裂き魔の犠牲となる女性たちも、どこか遠い世界の出来事でしかなかったからだ。
心の片隅で「自分は彼女たちとは違う」と無意識に線を引いていた傲慢さに、シスターの話を聞いて初めて気づかされたのだ。同じ女性でありながら、立場の違いを盾に安全圏から彼女たちを眺めていた自分を、コートニーは深く恥じた。
「切り裂き魔の事件以降、この場所も自警団や警察の見回りが頻繁に行われるようになりました。それ自体は喜ばしいことです。しかし彼女たちが相手にするお客からすれば、迷惑な話なのでしょう。そもそも女性を買うという行為は、褒められたものではないですから」
シスター・セシルは一呼吸置くと、さらに続けた。
「ですから、修道院への寄付が減りつつも、生活に困窮し、ここへ逃げ込む女性は増える一方だというのが、現状なのです」
「……なんてこと。それでは、救いを求める人が増えているのに、それを支える手だけが奪われているということではありませんか」
コートニーは唇を噛む。
警察の監視が強まれば、路上での「商売」はしにくくなる。それは治安の面では正解かもしれないが、その日暮らしの女性たちからすれば、死活問題に直結する。
追い詰められ、居場所を失った彼女たちが最後に辿り着くのがこの修道院だ。しかし、肝心の修道院が資金不足でパンク寸前だとしたら、彼女たちはどこへ行けばいいのか。
「……申し訳ありません、シスター。私も、お恥ずかしながら今の今まで、彼女たちの苦しみを本当の意味で理解していなかったかもしれません」
コートニーは、俯きながら漏らす。そして、自分の膝の上で握りしめた拳を見つめ、静かに、しかし力強く顔を上げた。
「『街の浄化』だなんて、そんな悲しい言葉に負けないでください。このお金は、彼女たちが再び胸を張って生きていくための光として使っていただきたいのです」
「コートニー様……。あなたのようなお優しい方がいれば、きっと神もお見捨てにはならないでしょう」
シスターは、皺の刻まれたカサカサと乾いた手でコートニーの手を包み込み、静かに微笑みを浮かべた。
「あぁ、愚痴を溢してしまいましたね。ごめんなさい。ただ、あなたはいずれ、妃殿下となる。ですから、この地区で暮らす女性を取り巻く環境は決して生きやすいものではない。それを知っていて欲しいのです」
手を離し、真剣な表情でこちらを見つめるシスター・セシル。
彼女の口から飛び出した「いずれ妃殿下となる」という一言に、コートニーの胸が、羞恥と戸惑いで強く跳ね上がる。
(未来の妃殿下、か)
本まで出版し、最近では嘘八割、真実二割の熱愛話を口にすることにも、正直慣れてきてしまっていた。
けれど、こうして市井の人から真顔で期待を寄せられると、胸の奥がチクリと痛んだ。
自分たちが演じているのは、あくまで事件を解決するための、そして家から自立するための「偽りの婚約」だ。
(私は、シスターが信じているような立派な人間ではないのに……)
その誠実な眼差しから逃れるように、一度視線を落とす。しかし、すぐに思い直して顔を上げる。
嘘から始まった関係であっても、今こうして自分が抱いている「力になりたい」という決意だけは、決して偽物ではないはずだ。
「……身の引き締まる思いです、シスター。現状を教えてくださってありがとうございます」
コートニーは優雅に、けれど心からの敬意を込めて会釈した。
「誰もが屋根のある場所で、怯えずに夜を越えられる日が来るよう、私なりに努めてまいります」
その誓いは、シスターだけでなく、自分自身への宣言でもあった。
「ご無理はなさらないで下さい。ただ、お気持ちだけはしっかりと受け取っておきます」
シスター・セシルはそう言って、寄付金の包みを大切そうに胸に抱いた。
「ありがとうございました」
コートニーは深く一礼し、修道院を後にした。
ソフィアたちによる嫌がらせや、サラ夫人に対する不気味な疑惑。それらが消えたわけではない。けれど、今のコートニーの背筋は、寄付をする前よりもずっと真っ直ぐに伸びていた。
「私に出来ること……か」
日傘を広げ、馬車を停めた場所を目指し、修道院内を歩いていると――。
「あ、コートニー様!!」
背後から弾んだ声が飛んできて、コートニーは、ハッとして振り返る。
そこには、修道院の回廊に差し込む鮮やかな夏の光を一身に浴びて、一人の女性が立っていた。
陽光に透けてきらめくブロンドの髪、一度見つめれば吸い込まれてしまいそうなほど深く、大きな青い瞳。スッと通った鼻筋に、形の良い唇が愛らしく弧を描いている。
(め、女神様が降臨してるわ!)
あまりの鮮烈さに、コートニーは思わず息を呑んだ。




