062 恋を書く令嬢は、殺意の配置を見逃さない
ステアの許可を得て、堂々と執務室の中に設置されたコートニーは、自分の机に向かって猛然とペンを走らせていた。
机の上には、いかにも令嬢らしい装飾が施されたノート。そこに綴られているのは、彼女が対外的に書き続けている捏造された恋物語——優しい王子と健気な令嬢が織りなす、甘ったるい架空のロマンスだ。
だが、その実態は、執筆するフリに過ぎない。
(……もっと。もっと右、レナルド様、もう少し資料を右に傾けて……!)
彼女は物語のプロットを練るふりをしながら、周囲で交わされる男たちの会話を余さず拾い集めていた。
執務室には、ステアを中心に、側近のマイロや、眼鏡を光らせたレナルドたちが集まっている。彼らが深刻な顔で突き合わせているのは、言うまでもなく切り裂き魔事件の最新報告書だ。
「円卓の貴婦人による考察の一つだと、犯人が女装していたのではないかということだが」
「小柄な男性の場合あり得なくはないが」
「そもそもドレスに血がついた状態で、夜道をウロウロしていたら、余計目立つのでは?」
「いや、それについては助産婦や看護師に変装していたのではないかと、推理してあるぞ」
「じゃあ犯人は小柄な男性?」
「犯人の身長は不明だが、そこまで小柄ではないだろうという情報もある」
交わされる話題が、数日前に参加した円卓の貴婦人ですり合わせた情報を含んでいるとあって、コートニーは、ペンを動かす指先に思わず力が入った。
(……惜しいわ、レナルド様。あともう少し踏み込んで!)
彼女はノートに王子の情熱的な告白シーンを綴るふりをしながら、脳内のホワイトボードに事件のピースを並べていく。
「助産婦の制服なら、返り血を浴びても不自然ではない。……だが、それならなぜ、遺体はわざわざ人目に付くイースト地区の路地裏に放置されたんだ?」
マイロが首を傾げると、ステアが静かに、けれど鋭い声で答えた。
「見せしめ、あるいは……儀式の一部か。犯人にとってあの場所は、物語の終着点でなければならない理由があるのかもしれない」
(物語……殿下、いい例えだわ)
コートニーは興奮を抑えきれず、ノートの隅に「犯人の動機:劇場型犯罪」と速記で書き殴った。周囲から見れば、感極まった作家がインスピレーションを得て、熱狂的に恋物語を書き進めているようにしか見えない状況だ。
「……コートニー嬢。顔が赤いぞ。そんなに恥ずかしいシーンなのか?」
不意に背後からかけられた声に、コートニーの心臓が跳ね上がる。顔をあげると、ステアがすぐ脇に立っており、彼女が広げているノートを覗き込もうとしていた。
「あ、あの、はい! 王子が令嬢を壁際に追い詰めて、『君のすべてを書き換えてやる』と囁く、それはもう破廉恥なシーンを想像しておりまして」
「ほう。それは……なかなか独創的な台詞だな」
ステアの口元が意地悪く歪む。
(この人、絶対わかってて意地悪してる……!)
彼女が耳を皿にして自分たちの会話を盗んでいることを、ステアは百も承知だ。その上で、彼女が羞恥心という名の防壁で自分を守っている姿を楽しんでいる節がある。
「殿下、あまりお邪魔をしてはコートニー嬢の筆が鈍ります。……コートニー嬢、今の『助産婦』という推論、作家の視点から見てどう思われますか?」
マイロが助け舟を出すふりをして、さらりと意見を求めてきた。
(チャンス……!)
コートニーはガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
部屋にいる者たちの視線が一斉に集まる。
「あ、あの……!」
一瞬、集まる視線に怯んだものの、彼女の有り余る行動力は、慎重さよりも先に言葉を紡ぎ出す。
「……作家の視点、として申し上げるなら。四番目の被害者、アン・タイソンさんの遺体の側には、堀の基礎部分に平行する形で、整然と彼女の持ち物が並べられていたとされています」
(資料を奪い取りたい。でも、ここは我慢)
コートニーは、レナルドが持っていた資料を奪い取りたい衝動を必死に抑え、しとやかな令嬢の皮を被り直した。
「傷んだ櫛が二本と粗いモスリンの布切れが一枚。遺体の頭の脇にはくしゃくしゃになった封筒が一枚。この並べ方って、女性しか持ち得ない、繊細で細やかな感性で満ちあふれていると思いませんか?」
「……続けて」
ステアが腕を組み、興味深そうに目を細めた。
その視線に、コートニーの心臓がトクンと跳ねる。
(落ち着いて……私の推理を、ちゃんと伝えなきゃ)
彼女の明晰な脳細胞が必死に言葉を紡ぎ出す。
「私たち貴族籍の女性は、整頓そのものを美意識として叩き込まれます。持ち物の向きを揃え、等間隔に配置する――それは、無意識に染み付いた所作です」
コートニーは、興奮で少し上ずりそうになる声を抑えながら、確信を持って言葉を繋いだ。
「男性が、もしくは無学な者が、単に遺留品を放置したのなら……もっと乱雑に散らばるか、証拠隠滅のために持ち去るはずです。それをわざわざ、遺体の傍らに『整えて』置く。そこには、死者への弔いとも、自分だけの儀式とも取れる、特有の几帳面さが感じられます」
「なるほど……」
レナルドが眼鏡の奥の瞳を鋭くさせ、手元の報告書に目を落とした。
「被害者の持ち物が、あたかも祭壇に供えられた品のように配置されていたという記録はあります……ですが、それが女性特有の所作だとあなたは思うと?」
「少なくとも、生活感と美意識が同居した配置です。もし、犯人が助産婦や看護師のような『日常的に整理整頓と清潔を求められる職業』の女性……あるいは、そういった教育を受けた経験のある人物だとしたら、その並べ方には強い意味が宿ります」
コートニーは、一拍おいて続ける。
(具体例を示せば、もっと伝わるはず……!)
「現にこの部屋の机の上を見て下さい。一番綺麗なのは、私の机の上だと思うんです」
彼女は自分の机の上、きちんと整理整頓された部分を指さす。
「それに対し、皆様は揃って、ステア殿下の机の上のように散らかっています」
ステアの机の上。乱雑に紙やペンなどが散らばっている部分に視線を移す。
ステアは、自分の机と彼女の机を交互に見比べ、それから少し決まり悪そうに鼻先を指で擦った。
「これはまあ、一見すると乱雑に見えるかもしれないが、一応自分なりにどこに何があるかは把握しているつもりだ……とはいえ、確かに乱れてはいるがな」
ステアの言葉に、マイロが「全くだ」と言わんばかりに深く頷く。
「殿下、把握しているとおっしゃいますが、昨日も重要書類を山の下から掘り出していたではありませんか。コートニー嬢の言う通り、私たちの整頓は『機能性』を重視しているつもりで、その実、ただ積み上げているだけだ」
マイロの指摘を受け、部屋の住人たちは、各々自分の机を見つめる。
書類の山、ペンの散乱、インクの染み。確かに、自分にとっては、どこに何があるか分かる配置だが、美しさなど微塵もない。対して、コートニーの机は凛としている。ノートは平行に置かれ、ペンは整然と並び、インク壺は正確に中央に配置されている。
「確かに私達の机の上は、汚いかも知れないな」
「あぁ、そこまで気がまわらなかった」
「家でも気づくと、妻があるべき場所に戻してくれるし」
捜査官たちが、どこか居心地が悪そうにソワソワしはじめる。
(あ、まずい……誤解されたかも……!)
コートニーは慌てて、両手をぶんぶんと振って否定した。
「殿下や皆様はいつもお忙しいから、つい書類を机上に放置してしまうことがあります。ですが、私はその状態を見て『汚い』とは決して思いませんので、ご安心を」
誤解を生まないよう、しっかり付け加えておく。
「私が自分の机の上を整理整頓してしまうのは、そうしなさいと躾けられてきたからです。ですから、私のように貴族籍に所属する女性は自然と物を置く時、つい見た目にすっきりとした空間を作ってしまいがちなんです」
コートニーがそう告げると、一瞬執務室に沈黙が落ちた。
「コートニー嬢、君の説に付け加えるなら」
レナルドが眼鏡をクイッとあげ、やんわりと口を挟む。
「細かいディテールやセンスを重視し、空間を美しく整えること。そう記載されているのは確か『淑女のためのエチケット全集』だと記憶しておりますが間違いないでしょうか?」
「ええ、意地悪な継母に、全ページ暗記するようしつこく言いつけられていたので、間違いないです」
コートニーは、さり気なくソフィアの悪口を加えつつ、肯定する。
「だとすると、犯人はそういった類の本を読む環境にある人物だということになる」
レナルドが、ステアに視線を向ける。
「つまり、文字を読む事が可能で、マナーブックを購入できる層の女性。となると、貴族籍もしくは、中流階級に属する者であるということか?」
ステアは眉間に皺を寄せた。その瞬間、部屋の中の空気が、なんともいえない重苦しさで支配される。
(……貴族階級か中流階級。犯人が、私たちと同じ生活圏にいるかもしれない……)
犯人像が、急速に絞り込まれていく。
その事実が、コートニーの胸にも重くのしかかる。
(でも、ここで立ち止まるわけにはいかない)
沈黙を破るように、コートニーが遠慮がちに口を開く。
「……それに、六番目の被害者であるキャサリン・ウッズさんの死体近くの血だまりで、女性のブーツに使われる小さなボタンが三個発見されたとあります。以上のことから、犯人が女性である可能性も、視野に入れるべきだと考えます」
コートニーの発言に、レナルドが弾かれたように資料をめくり直した。
「……確かに、ボタンの発見記録があります。しかし現場は泥と血にまみれた路地裏。被害者本人のものか、あるいは格闘の末に落ちた浮浪者のものだろうと、重要視されていませんでした。ですが、これが『女性のブーツ』特有の意匠だとすれば……」
「ええ。それも、ただのボタンではありませんわ」
コートニーは、まるで見本を示すかのように、自分のドレスの袖口にある細工を指し示した。
「資料のスケッチにあるのは、くるみボタン……それも、自分では留めるのが難しいほど小さなものです。これを使うのは、身の回りを整えてくれる侍女がいるような階級の女性か、あるいは、職務としてその扱いに習熟している者。少なくとも、力任せに暴れるだけの暴漢が好んで身につけるものではありません」
執務室の空気が、ピリリと張り詰める。
「……盲点だったな。被害者がすべて女性だったからこそ、我々は無意識に『狩る側』を男だと決めつけていた」
ステアの低い声が、夜の静寂に響く。
「凶器による傷の正確さは解剖学的知識によるものだと考えたが、それが『仕立て』や『刺繍』、あるいは『看護』といった、女性が深く関わる技術の延長線上にあるとしたら……」
言葉を切り、ステアは深く息を吐いた。
「……なるほどな。教育と習慣、か」
ステアは椅子に深く背を預け、改めて自分の散らばった机と、コートニーの凛とした美しささえ感じる机を見比べた。
「僕たちは『犯人の異常性』ばかりを追っていたが、君は『犯人の日常』を見ているわけだ」
(そう……異常性じゃなくて、日常性なのよ)
コートニーの胸に、確信が湧き上がる。
「僕らにとっての『無意識な散らかり』と同じように、犯人にとっては、その整列こそが無意識の、剥き出しの日常だということか」
ステアの瞳に、獲物を見つけた猟犬のような鋭い光が戻る。しかし、その光は冷酷なものではなく、彼女の機転に対する深い感銘を含んでいた。
「ああ。君のその有り余る行動力と、鋭すぎる機転。……どうやら僕は、とんでもない掘り出し物を婚約者にしてしまったらしい」
ステアの口元に、いつもの皮肉ではない、心からの柔らかな笑みが浮かぶ。
(え……今、なんて……?)
コートニーの心臓が、大きく跳ねた。
契約だけの偽りの関係。期限が来れば別れるはずの二人。だが、この瞬間、コートニーは確かに感じていた——どんな誓約書よりも強固な「共犯者」としての絆が、二人の間に結ばれようとしていることを。
彼女の洞察は、事件の核心に一歩近づいた。そして同時に、後戻りできないほど確かな距離で、ステアとの関係もまた、静かに形を変え始めていた。




