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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第七章:契約婚約は、例外だらけ
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061 今回だけの、特例

 ステアは、執務室の扉の前に立ち、あえて、少し大きめの足音を立ててから、堂々と扉を開けた。


「こんな時間に一体、君は何をコソコソしているんだ?」


「ひゃっ!?」


 コートニーは飛び上がり、勢いよく振り返った。その手には、まだ捜査報告書が握られている。完全なる現行犯だ。


 青ざめた顔で、彼女はステアを見上げた。

 数秒の沈黙。やがて、観念したように肩を落とす。


「……ステア殿下。お帰りなさいませ」


「お帰りなさいませ、ではない」


 ステアは資料の山を一瞥し、それから彼女の顔を見据えた。


「これは何だ。説明してもらおう」


「その……掃除、です」


「嘘をつくな。掃除係が治安局の捜査資料を読む必要はない」


 コートニーは唇を噛み、うつむいた。

 だが、すぐに顔を上げ、まっすぐにステアを見返してくる。


「分かっています。規則違反です。処罰も覚悟の上です。掃除係への降格でも構いません」


「降格? それで済むと思っているのか」


「でも……」


 彼女の声が、わずかに震えた。


「でも、家には帰りません。ここに居させてください」


 ステアは眉をひそめた。

 彼女の態度には、恐怖よりも強い決意が滲んでいる。


「理由を聞こう。なぜこんな危険を冒してまで、資料を盗み見た」


 コートニーは一瞬、言葉に詰まった。だが、やがて小さく息を吐き、語り始める。


「みんな、私と殿下の嘘の婚約にお祝いムードで、切り裂き魔のことを忘れています。でも、逮捕しない限り、再び現れる可能性があります」


 彼女はステアを射抜くように、しっかり見つめた。


「私にできることは限られています。それでも、少しでも、役に立ちたかったんです」


「役に立つ?」


「はい。事件の手がかりを見つけられるかもしれない。被害者を増やさないために、何か気づけることがあるかもしれない。そう思って……」


 彼女の言葉には、嘘がないように見えた。

 純粋な、正義感からの行動。


 だからこそ、ステアは頭を抱えたくなる。


(善意から規則を破る。最も始末に負えないタイプだ)


 ステアは内心で毒づきながらも、厳しい表情のまま告げた。


「君は、この資料がどれほど危険なものか理解しているのか。犯人の手口、凶器の詳細、被害者の状況……それらを知ることは、君自身を危険に晒すことになる」


「承知しています」


 即答され、ステアは言葉を失った。


 コートニーは、資料の山を見つめる。


「でも、知らないままでいるほうが怖いんです。何も分からないまま、ただ怯えて過ごすより……知った上で、自分で判断したいので」


 その言葉に、ステアは微かな既視感を覚えた。


 かつて、自分も同じことを言ったことがある。

 父に、治安局管轄となる、警察への配属を志願したときだ。


『何も知らないまま安穏と玉座に座っているなど、僕には耐えがたい。たとえ凄惨な現実であろうと、それを知った上で自分の進む道を選びたいんです』


(……似ている、のか。いや、そんなはずは)


 自分と彼女に限って、そんなはずはないと思いながらも、ステアは否定しきれなかった。


「歌っていたのは?」


 話題を変えるように、ステアが尋ねると、コートニーの頬が、みるみる赤くなる。


「一人で資料を読んでいたら、怖くなってしまって。気を紛らわせるために……」


「歌を?」


「はい……明るい気持ちになれるかと……」


 予想外の答えに、ステアは一瞬、唖然とした。

 凄惨な事件の資料を読みながら、怖いから歌う。


 その発想自体が、あまりにも彼女らしい。


(彼女は本当に……)


 ステアは肩を落とし、深く息を吐いた。

 怒るべきなのか、呆れるべきなのか。


「……今回だけだ」


 コートニーが、驚いたように顔を上げる。


「一部の資料に限り、閲覧を許可する。ただし、条件がある」


「条件……?」


「得た情報は、絶対に口外しないこと。そして、単独行動は慎むこと。もし事件に関わる何かを見つけたら、必ず私に報告すること」


 コートニーの目が、輝きを増した。


「本当に、よろしいのですか?」


「二度と許可はしない。そして、これは特例中の特例だ。感謝しろ」


「ありがとうございます!」


 彼女は深々と頭を下げた。その素直な喜びように、ステアは何とも言えない気持ちになる。


(なぜ、こんなことを許可したのか)


 自分でも理解できなかった。

 規則を曲げることなど、今まで一度もなかった。


 法の猟犬と揶揄される自分が、私情で例外を作るなどあってはならないからだ。

 だが、彼女の真摯な目を見ていると、拒絶することができなかった。


「ただし」


 ステアは厳しい口調で続けた。


「くだらない歌は、禁止だ」


「く、くだらなくないです! あれは情報整理のための……」


「犯人は〜、夜の仕立て屋〜、のどこが情報整理だ」


 コートニーは口を噤んだ。

 耳まで真っ赤になっている。


 その様子を見て、ステアは思わず口元が緩みそうになるのを堪えた。


(やはり、彼女は……)


 予測不能で、常識外れで、それでいて妙に憎めない。


「それと、もう一つ」


「はい?」


「次からは正面から入れ。窓から侵入する必要はない」


 コートニーは目を瞬かせ、それから小さく笑った。


「では、次回からは堂々と扉から参ります」


「……次回などないことを祈るよ」


「先ほど、閲覧を許可すると仰いましたけれど?」


 言い返され、ステアは軽く舌打ちした。


「今日だけだ」


「うわ、後出しずるい」


「さっきもそう言っただろ。で、何かわかったのか?」


「いえ、これから閃くところです!」


 調子よく言い切る彼女に、ステアはついに盛大なため息を漏らす。


「閃くところか……君のその、根拠のない自信だけは高く評価しよう」


「失礼な。これからが本番ですよ! ほら、この現場の配置図を見てください。ここ、何か変だと思いませんか?」


「……どれだ」


 呆れながらも、ステアはコートニーの隣に歩み寄った 本来なら部外者を近づけることすら許されない一級資料だ。だが、不思議と嫌な気はしなかった。


 彼女の放つ石鹸のような清潔な香りと、知性に裏打ちされた熱っぽい声。それらが、冷え切っていた執務室の空気を、少しずつ塗り替えていく。


 ステアは、彼女の指差す資料に目を落としながら、ふと自嘲気味に思った。


(マイロの言う通りかもしれないな)


「愛」だの「安心感」だの、そんな甘っちょろいものは自分には無縁だと思っていた。だが、こうして予測不能な行動力を持つ彼女に振り回され、あまつさえ例外を認めてしまっている現状は、自分でも驚くほど心地よい。


「ねえ、殿下。犯人はわざと、このボタンをここに置いたんじゃないでしょうか? まるで、次の『物語』への伏線みたいに……」


「……伏線、か。君らしい発想だな」


 ステアは、自分一人の視点では決して辿り着かなかったであろう「捏造された恋物語」の作者ならではの推論に、わずかに眉を動かした。


 法の猟犬としての冷静な分析と、彼女の有り余る想像力。この奇妙な組み合わせが、長らく霧に包まれていた事件の真相に、予想外の光を当てることになるのかもしれない。


「いいだろう。君のその閃きとやらに、少しだけ付き合ってやる」


「やった! それでは殿下、夜食と紅茶の準備をお願いしてもよろしいですか? 名探偵にはエネルギーが必要ですので!」


「……君、調子に乗りすぎだぞ」


 口では厳しく言いながらも、ステアは自分でも驚くほど軽い足取りで、休憩室の呼び鈴へと手を伸ばした。



 ◇✧◇✧◇✧◇



 翌朝、マイロが執務室に出勤したとき、机の上に二組の資料がメモ書きと共に、置かれているのを見つけた。


『これを、僕の侍女に』


 一組は、被害者の基本情報と事件の概要のみを抜粋した、簡略版。

 もう一組は、通常の捜査資料に、ステアの書き込みが加わったもの。


「殿下……」


 マイロは、小さく笑った。


 主は、自分が思っているよりも、ずっと優しい人だ。

 ただ、それを表に出すことが、あまりにも下手なだけで。


「結果的に、殿下の婚約者選びは、間違っていなかったかもしれませんね」


 誰にともなく呟き、マイロは執務の準備を始めた。


 城の外では、新しい一日が始まろうとしていた。

 そして、二人の小さな共犯関係も、静かに動き始めていた。


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