061 今回だけの、特例
ステアは、執務室の扉の前に立ち、あえて、少し大きめの足音を立ててから、堂々と扉を開けた。
「こんな時間に一体、君は何をコソコソしているんだ?」
「ひゃっ!?」
コートニーは飛び上がり、勢いよく振り返った。その手には、まだ捜査報告書が握られている。完全なる現行犯だ。
青ざめた顔で、彼女はステアを見上げた。
数秒の沈黙。やがて、観念したように肩を落とす。
「……ステア殿下。お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませ、ではない」
ステアは資料の山を一瞥し、それから彼女の顔を見据えた。
「これは何だ。説明してもらおう」
「その……掃除、です」
「嘘をつくな。掃除係が治安局の捜査資料を読む必要はない」
コートニーは唇を噛み、うつむいた。
だが、すぐに顔を上げ、まっすぐにステアを見返してくる。
「分かっています。規則違反です。処罰も覚悟の上です。掃除係への降格でも構いません」
「降格? それで済むと思っているのか」
「でも……」
彼女の声が、わずかに震えた。
「でも、家には帰りません。ここに居させてください」
ステアは眉をひそめた。
彼女の態度には、恐怖よりも強い決意が滲んでいる。
「理由を聞こう。なぜこんな危険を冒してまで、資料を盗み見た」
コートニーは一瞬、言葉に詰まった。だが、やがて小さく息を吐き、語り始める。
「みんな、私と殿下の嘘の婚約にお祝いムードで、切り裂き魔のことを忘れています。でも、逮捕しない限り、再び現れる可能性があります」
彼女はステアを射抜くように、しっかり見つめた。
「私にできることは限られています。それでも、少しでも、役に立ちたかったんです」
「役に立つ?」
「はい。事件の手がかりを見つけられるかもしれない。被害者を増やさないために、何か気づけることがあるかもしれない。そう思って……」
彼女の言葉には、嘘がないように見えた。
純粋な、正義感からの行動。
だからこそ、ステアは頭を抱えたくなる。
(善意から規則を破る。最も始末に負えないタイプだ)
ステアは内心で毒づきながらも、厳しい表情のまま告げた。
「君は、この資料がどれほど危険なものか理解しているのか。犯人の手口、凶器の詳細、被害者の状況……それらを知ることは、君自身を危険に晒すことになる」
「承知しています」
即答され、ステアは言葉を失った。
コートニーは、資料の山を見つめる。
「でも、知らないままでいるほうが怖いんです。何も分からないまま、ただ怯えて過ごすより……知った上で、自分で判断したいので」
その言葉に、ステアは微かな既視感を覚えた。
かつて、自分も同じことを言ったことがある。
父に、治安局管轄となる、警察への配属を志願したときだ。
『何も知らないまま安穏と玉座に座っているなど、僕には耐えがたい。たとえ凄惨な現実であろうと、それを知った上で自分の進む道を選びたいんです』
(……似ている、のか。いや、そんなはずは)
自分と彼女に限って、そんなはずはないと思いながらも、ステアは否定しきれなかった。
「歌っていたのは?」
話題を変えるように、ステアが尋ねると、コートニーの頬が、みるみる赤くなる。
「一人で資料を読んでいたら、怖くなってしまって。気を紛らわせるために……」
「歌を?」
「はい……明るい気持ちになれるかと……」
予想外の答えに、ステアは一瞬、唖然とした。
凄惨な事件の資料を読みながら、怖いから歌う。
その発想自体が、あまりにも彼女らしい。
(彼女は本当に……)
ステアは肩を落とし、深く息を吐いた。
怒るべきなのか、呆れるべきなのか。
「……今回だけだ」
コートニーが、驚いたように顔を上げる。
「一部の資料に限り、閲覧を許可する。ただし、条件がある」
「条件……?」
「得た情報は、絶対に口外しないこと。そして、単独行動は慎むこと。もし事件に関わる何かを見つけたら、必ず私に報告すること」
コートニーの目が、輝きを増した。
「本当に、よろしいのですか?」
「二度と許可はしない。そして、これは特例中の特例だ。感謝しろ」
「ありがとうございます!」
彼女は深々と頭を下げた。その素直な喜びように、ステアは何とも言えない気持ちになる。
(なぜ、こんなことを許可したのか)
自分でも理解できなかった。
規則を曲げることなど、今まで一度もなかった。
法の猟犬と揶揄される自分が、私情で例外を作るなどあってはならないからだ。
だが、彼女の真摯な目を見ていると、拒絶することができなかった。
「ただし」
ステアは厳しい口調で続けた。
「くだらない歌は、禁止だ」
「く、くだらなくないです! あれは情報整理のための……」
「犯人は〜、夜の仕立て屋〜、のどこが情報整理だ」
コートニーは口を噤んだ。
耳まで真っ赤になっている。
その様子を見て、ステアは思わず口元が緩みそうになるのを堪えた。
(やはり、彼女は……)
予測不能で、常識外れで、それでいて妙に憎めない。
「それと、もう一つ」
「はい?」
「次からは正面から入れ。窓から侵入する必要はない」
コートニーは目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「では、次回からは堂々と扉から参ります」
「……次回などないことを祈るよ」
「先ほど、閲覧を許可すると仰いましたけれど?」
言い返され、ステアは軽く舌打ちした。
「今日だけだ」
「うわ、後出しずるい」
「さっきもそう言っただろ。で、何かわかったのか?」
「いえ、これから閃くところです!」
調子よく言い切る彼女に、ステアはついに盛大なため息を漏らす。
「閃くところか……君のその、根拠のない自信だけは高く評価しよう」
「失礼な。これからが本番ですよ! ほら、この現場の配置図を見てください。ここ、何か変だと思いませんか?」
「……どれだ」
呆れながらも、ステアはコートニーの隣に歩み寄った 本来なら部外者を近づけることすら許されない一級資料だ。だが、不思議と嫌な気はしなかった。
彼女の放つ石鹸のような清潔な香りと、知性に裏打ちされた熱っぽい声。それらが、冷え切っていた執務室の空気を、少しずつ塗り替えていく。
ステアは、彼女の指差す資料に目を落としながら、ふと自嘲気味に思った。
(マイロの言う通りかもしれないな)
「愛」だの「安心感」だの、そんな甘っちょろいものは自分には無縁だと思っていた。だが、こうして予測不能な行動力を持つ彼女に振り回され、あまつさえ例外を認めてしまっている現状は、自分でも驚くほど心地よい。
「ねえ、殿下。犯人はわざと、このボタンをここに置いたんじゃないでしょうか? まるで、次の『物語』への伏線みたいに……」
「……伏線、か。君らしい発想だな」
ステアは、自分一人の視点では決して辿り着かなかったであろう「捏造された恋物語」の作者ならではの推論に、わずかに眉を動かした。
法の猟犬としての冷静な分析と、彼女の有り余る想像力。この奇妙な組み合わせが、長らく霧に包まれていた事件の真相に、予想外の光を当てることになるのかもしれない。
「いいだろう。君のその閃きとやらに、少しだけ付き合ってやる」
「やった! それでは殿下、夜食と紅茶の準備をお願いしてもよろしいですか? 名探偵にはエネルギーが必要ですので!」
「……君、調子に乗りすぎだぞ」
口では厳しく言いながらも、ステアは自分でも驚くほど軽い足取りで、休憩室の呼び鈴へと手を伸ばした。
◇✧◇✧◇✧◇
翌朝、マイロが執務室に出勤したとき、机の上に二組の資料がメモ書きと共に、置かれているのを見つけた。
『これを、僕の侍女に』
一組は、被害者の基本情報と事件の概要のみを抜粋した、簡略版。
もう一組は、通常の捜査資料に、ステアの書き込みが加わったもの。
「殿下……」
マイロは、小さく笑った。
主は、自分が思っているよりも、ずっと優しい人だ。
ただ、それを表に出すことが、あまりにも下手なだけで。
「結果的に、殿下の婚約者選びは、間違っていなかったかもしれませんね」
誰にともなく呟き、マイロは執務の準備を始めた。
城の外では、新しい一日が始まろうとしていた。
そして、二人の小さな共犯関係も、静かに動き始めていた。




