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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第七章:契約婚約は、例外だらけ
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060 それでも、辞められると困る

 ステアが夜会場から抜け出した時刻は、まだ九時を回ったばかりだった。というのも、夜会に出席した日は、帰りに必ずイースト地区を中心とした城下をパトロールしてから帰宅することにしているからだ。


「殿下、本日のパトロールは控えられたほうが……」


 馬車の中で、側近のマイロが慎重な口調で進言してくる。


「折角、早く抜け出せたのに?」


 答えながら脳裏に、羞恥心と闘いながら「捏造された恋物語」を書き続けている婚約者——コートニーの姿が浮かぶ。


 女性にしては、驚くほど機転が利くし、頭脳も明晰だ。こちらの意図を瞬時に汲み取り、理想以上の「虚像」を構築してみせる手腕には感心すらしている。……だが、その溢れんばかりの知性に比例して行動力が有り余っているところが、玉にきずと言えた。


(でもまぁ、そんな彼女のおかげで、こんなに早く夜会から退場できたわけだし……)


 今度機会があれば、何か贈り物をしてもいいかもしれない。


 そう考えるほどには、彼女の「有り余る行動力」は今のステアにとって益となっていた。


「殿下、切り裂き魔が大人しくしている今こそ、目の下に長らく住み着いているその不気味な隈を追い出すべきですよ」


「住み着いているとは失礼な。これは僕の精勤の証だ」


「世間ではそれを『過労』と呼びます。私を通して殿下のお身体を心配している妻にまで、突き上げを食らっているんですから」


 マイロの溜息の意味を汲み取り、渋々パトロールを諦め、王城へと馬車を走らせた。


 馬車が王城の重厚な正門をくぐり、石畳を鳴らす音が夜の静寂に響く。車窓から見える城のシルエットは、夜会の喧騒とは無縁の静謐さを湛えていた。


 車輪の回転が止まり、御者が扉を開けると、冷ややかな夜気が車内に流れ込む。ステアがゆっくりと腰を浮かせると、先に降りたマイロが当然のような顔をして手を貸した。


「マイロ、君はこのまま帰宅してくれ。そろそろ僕は君の奥方に殺されそうみたいだしな」


「そうですね……と言いたいところですが、彼女の実家は代々騎士団に所属する男を抱えた家柄ですので、彼女の認識は少々ズレております。ですから、夜通しの任務も『誉れ』だと言って笑うような女性なんです」


「……そうか、そうだったな」


 ステアは、マイロの語る「騎士の家系ゆえの歪な夫婦愛」に、どこか遠い世界の話を聞くような心地で頷いた。


 マイロと彼の妻、マリエッタは幼馴染同士だ。

 両家ともに貴族籍を持つ家系なので、特に問題なく結婚した。


(そういえば、マイロから結婚の報告を受けたが、その過程について聞いた事はなかったような……)


 王城の回廊を歩きながら、ステアは隣を歩く大男にたずねる。


「君はそういう理由……つまり業務に支障をきたさないという点で彼女を選んだのか?」


「彼女が可愛いし、愛しているからです」


 お惚気満載で即答され、ステアは少なからず衝撃を受けた。勝手に「騎士の家系同士の、職務を優先するための政略的な結びつき」だと思い込んでいたからだ。


「そんなに驚かなくても。愛している以外に、他に理由は必要ですか?」


「……いや」


 慌てて答えておく。


  ステア個人としては、結婚というものは家同士の結びつきが第一だと思っている。次点で、お互いに結婚による利点があるかどうか、だ。


(ま、今回は周囲の騒ぎに、背中を無理矢理押される形にはなったが……)


 捜査時間を得るために、コートニーと契約を交わしたことにより、令嬢のダンスに端から付き合うことなく、早く退場できるようになったのは、大きな収穫だった。


「結婚か……」


 思わず呟くと、すかさずマイロから声が飛んでくる。


「殿下だって、可愛らしい婚約者がいるじゃないですか」


 わざとらしく肩を小突かれ、苦笑いになる。


「僕と彼女は、契約的なものだからな。君のように妻が家で待つなんて未来は、当分来ないだろうよ」


(このまま行けば、彼女はフィデリア国に向い、僕は夜遊びをし、自らを貶める必要に迫られるだろうし)


 ステアはそう遠くもない未来を思い描き、微かに、胸の奥が冷えるのを感じた。


 切り裂き魔を捕まえるためならば、自らを泥に沈めるような真似も厭わないと決めていたはずだ。だが、今の自分には、執務室に戻れば機転の利く婚約者が待っているという、奇妙な日常がある。


(……彼女を送り出す日が来る。それが「正解」だと分かってはいるが)


 かつての自分なら、目的のために私情を殺すことなど造作もないはずだった。しかし、今のステアにとって、その未来は以前よりも少しだけ、気が重いものに変わりつつあった。


「君が幸せならば、何も言うまい。……本当に、自室まではいいから帰ってくれ」


「お送りしますよ。それに、たとえ遅くなったとしても、屋敷に帰れば、妻には必ず会えますし」


 幸せそうに微笑むマイロ。

 彼がこんなふうにデレる姿はあまり記憶にない。


(安心感、か。僕の人生には不釣り合いな言葉だ)


「新婚なのに、すまないな」


「お気になさらず」


 マイロの気遣いに感謝しつつ、ステアはマイロと並んで執務室へと歩を進めた。


 人気のない重厚な回廊に、二人の規則正しい足音だけが響く。だが、執務室へと続く角を曲がったところで、ステアは足を止めた。 誰もいないはずの扉の隙間から、細い光が漏れ、そこから場違いに呑気な歌声が聞こえてきたからだ。




 *




 マイロと視線を交わす。

 無言で頷き合い、二人は慎重に扉に近づいた。


 そして、聞こえてきたのは――


「犯人は〜、夜の仕立て屋〜、夜の闇に〜、紛れ込む〜」


 呑気な歌声だった。


 ステアの眉間に深い皺が刻まれる。

 不審者にしては、あまりにも警戒心がない。


 いや、そもそもこの声には聞き覚えがある。


(……コートニー。まったく、どこまでも行動力が過ぎる)


 本来なら機密保持の観点から即刻罰すべき事態だが、ステアの口元は知らず知らずのうちに緩んでいた。


 ステアは、執務室と隣り合わせになっている右側の休憩室を指さした。

  マイロが静かに頷くのを確認すると、二人は執務室の前を物音ひとつ立てずに通り過ぎ、休憩室の扉をそっと開けた。


「一体、彼女はこんな時間に何をしているんだ?」


「とりあえず、様子を見てみましょう」


 マイロの提案に頷き、二人は休憩室のバルコニーへと出る。そのまま執務室側のバルコニーへと移動し、窓の外から中の様子をこっそりと覗き込んだ。


 窓の外から様子を伺う。すると案の定、コートニーは自分の席ではなくステアの机を陣取り、彼が「見るな」と厳命していた凄惨な捜査資料を食い入るように読み耽っていた。


 時折、怖さを紛らわすためか体をコマのように揺らし、例の鼻歌を口ずんでいる。


「なるほど。捜査資料を盗み見してるんだな」


「ですね」


「僕が頑なに見るなと言ったからなのか?」


「でしょうね。もうすぐ円卓の貴婦人の会合もありますし。きっと王妃殿下たちの役に立ちたい。その思いからではありそうですが」


「だからって、あまり感心できる行為ではないだろう」


 万が一これが公になれば、重罪になりうる。

 彼女自身に処罰が下る可能性だってあるのだ。


(ん?)


 ステアは、怒りよりも彼女の身を案じている自分に、ふと違和感を覚えた。


 以前の自分なら、たとえ恩義のある相手であっても、機密を侵した者には冷酷なまでの処置を下していたはずだ。しかし、今胸にあるのは、法を犯したことへの憤りよりも「もし見つかったら、彼女はどうなるのか」という焦燥に近い危惧だった。


「殿下、どうされますか?」


 マイロの問いかけに、ステアは一度深く息を吐き、思考を切り替えた。


「……面倒だが、彼女を拾ったのは僕だ。直接、注意してくる……というか、まさかあんなに厄介だと思わなかった」


 ステアは、呆れ顔で愚痴っぽく呟く。


「そうですか? 最初からわりと手強い令嬢だったじゃないですか。男装して家出もそうですけれど、帰らないと机の足にしがみついていたような令嬢ですよ?」


 マイロに指摘され、苦笑する。


「確かに。あの時の僕は疲れていたせいで、判断力に欠けていた。それは認める」


「ただ、コートニー嬢が来てから執務室の雰囲気は明るくなったし、何よりみんなきちんと湯浴みをし、髭を剃り、着替えるようになりましたからね。その功績は大きいと思いますよ」


 マイロの指摘に、ステアは素直に頷く。


 男ばかり集めた部屋では、徹夜は当たり前。

 そのまま翌日になだれ込む事も多かった。


 その結果、不衛生になりがちだった。


 けれど最近、信頼する仲間達は小綺麗になった。


(レナルドの眼鏡も曇っていないし)


 幼馴染の眼鏡がクリアになり、彼の鋭くも知性溢れる瞳がしっかり見えるようになったのは、意外にも執務室全体の士気に関わっていた。


「それに殿下も、コートニー様をからかう時はまんざらでもなさそうですし」


「確かにな。今まで令嬢は気を遣うべき存在で、守るべき立場にいる者だと思い込んでいた。けれど彼女の何をしてもめげないところは、ある意味尊敬に値するよな」


「やけに正直ですね」


 マイロが意外そうな声を出す。


「何だかんだ、細かい部分で役に立ってるという事実はあるし」


(それに、一応、僕の婚約者でもあるし)


 その思いは、心の奥に秘めておく。


 口にしたが最後、マイロは「契約ではなく本当に結婚しろ」と騒ぎ出すのが目に見えているからだ。


(彼女と僕はあくまで契約者同士。時期が来たら、お互いの道を分かつ者たちだ)


 ステアは、そう自分に言い聞かせる。


「切り裂き魔も、殿下の婚約発表後、パタリと犯行をやめていますしね」


「……ああ。その件が本当に効果があったとするならば、彼女なしでは無理だった」


 なぜ自分の婚約が犯行の抑止力になっているのか。

 その理由に皆目検討がつかず、不気味ではある。


 だが、現状として「平和」が保たれているのは事実だ。


「彼女と僕が婚約し、得をする者の犯行だとすると、一体誰が犯人なのか」


「殿下の婚約を喜ぶ国民は多いですからね。なかなか一人に絞る事は難しいかと」


 マイロの言葉に頷く。


 ステアの元には、祝福の手紙が山のように届いている。

 だからこそ、犯人をそこから絞り込むのは難しい。


「とにかく、注意をしてくる。辞めてもらっちゃ、僕も困るからな。マイロ、君はもう帰っていい。新婚の妻を待たせるな」


「自業自得、というやつですね。では私は見なかったことにしますので。殿下、優しく諭してくださいよ。相手は社交界デビューしたばかりの女性なんですから」


「わかっている」


 苦笑いでマイロを見送った後、ステアは一旦休憩室から廊下へと戻った。


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