006 鍵のかかる夜、鍵の外へ
コートニーが屋敷から逃走する計画を立ててから、二ヶ月ほど。
今日もまた、コートニーを除くヒスコック伯爵家の面々は、リリアの結婚相手を求め、夜会に出席する予定となっていた。
逃走する全ての用意を密かに整えたコートニーは、華やかな夜会へと出向く家族を送り出す、健気で「反省中」の娘を完璧に演じながら――。
(今夜こそ、この家と決別するわ)
しおらしい顔を作り、屋敷のエントランスホールに立っていた。
しかし現在、思わぬところで問題が発生中。
「今日の夜会にはステア殿下はいらっしゃらないのでしょう?だったら行きたくないわ」
リリアの我儘が炸裂する。
「リリア、何も条件の良い男性はステア殿下だけではないのよ」
「でも私は一番条件の良い男性と結婚するんだもの」
(その自信はどこから来るの?)
コートニーは、夜会に行きたくないと駄々をこねるリリアに苦笑いする。
彼女は駄々をこねる癖にしっかりと身なりを整え、いつの間にか新調した黄色いドレスに身を包んでいるという状態だ。
(ただ構って欲しいだけのくせに。はやく行きなさいよ)
逃走計画の実行日を今日と決めたコートニーは、焦りが顔に出そうになり、慌てて扇で口元を隠す。
「あなた、どうしましょう」
リリア同様、出かける気満々のソフィアが、父ウィリアムに懇願するような視線を向ける。
「ん? 行きたくないと言うのであれば、代わりに……」
執事からトップハットを受け取り、頭に乗せていたウィリアムが、コートニーをチラリと見た。
(……まさか。ありえないわ)
名前こそ口にしないものの、ウィリアムの瞳には「代打としてコートニーを連れて行く」という選択肢が浮かんでいた。
常日頃からソフィアのご機嫌取りに忙しい父が、かつてのエリノアの面影を宿す娘を舞踏会に連れ出そうとする。その意外な事実に、コートニーは心臓が跳ねるのを感じた。
「まぁ、コートニーを連れて行くおつもりなのですか?」
雰囲気を感じ取ったソフィアが、不服そうな声と顔になる。
「友人からコートニーに是非とも会わせて欲しいとせがまれているんだ。それにいつまでも屋敷に閉じ込めておくわけにはいかないだろう」
「でもちゃんと絵姿とお手紙をそれなりの方には渡しているわ。結婚相手を探していないわけではないのよ?」
「……ええ、そうね」
ソフィアに同意を求められ、コートニーは微かに頷く。
(次から次へと、いわく付きの男性ばかり紹介してくださって。本当、その執念には恐れ入るわ)
皮肉な思考とは裏腹に、コートニーは「思慮深い娘」の仮面をしっかりと貼り付けた。今ここでウィリアムの気まぐれに乗り、夜会へ行くわけにはいかないからだ。
「お父様、お心遣いは嬉しいわ。でも……」
そっと伏せ目がちになり、胸元で手を組む。
「今の私が夜会に現れれば、皆様の関心はリリアの美しさではなく、あの日姉妹間に起きた『不慮の事故』に向けられてしまいます。それでは、折角ステア殿下が収めてくださった平穏を、私自ら乱すことになりかねません」
(これでお父様は引き下がる。彼は『平穏』と『王族の不興を買わないこと』を何より優先する人だから)
「……ふむ。それも一理あるな。殿下の顔を立てるという意味では、今夜はまだ静養しているのが得策か」
ウィリアムが納得したように頷くと、その視線は一瞬だけコートニーから外れた。
ソフィアは「当然ですわ」とばかりに扇子で口元を隠し、勝ち誇ったようにコートニーを一瞥する。
「聞いたわね、リリア? コートニーもあなたの背中を押してるわ。さあ、いつまでも子供みたいに拗ねていないで頂戴」
ソフィアが背中を促すと、リリアはなおも不満げに唇を尖らせていたが、鏡に映る自分の黄色いドレスへと視線を滑らせ、その出来栄えを確かめると、ようやく機嫌を直したようだった。
「……わかったわ。お姉様がそこまで言うなら――」
「おい、コートニー。結婚相手に、一体誰を選ぶつもりだよ」
おせっかい極まりないフレデリックが、流れ出した空気に水を差す。
「それはまだ秘密。もう少し貴族年鑑の家系図を読み解いてから、お兄様にはお知らせするわ」
コートニーが何気なく口にした「お兄様」という言葉を受け、その場にいる全ての人間が固まった。
(あ、失敗した)
ソフィアを含む新たに家族に加わった人間を認めていないコートニーは、一度たりともフレデリックを「お兄様」と呼んだ記憶がない。
けれどこれで最後だと思うと、少なくとも妹として分け隔てなく接しようと、長いこと努力だけはしてくれたフレデリックに対し、情が湧いたようだ。
「コートニー、一体どういう心境の変化だよ。まさか何か企んでいるんじゃないだろうな」
フレデリックが目ざとく指摘する。
(非常にまずい状況だわ)
「何よ、私だって成長するのよ?」
コートニーは、精一杯の「しおらしい妹」を演じてみせた。
「おかしいだろ。あんなに僕を認めようとしなかったくせに」
「私はもう十六よ?それにもうすぐ結婚してこの家を出て行くんだもの。最後くらい甘えさせてくれたっていいじゃない」
(自分でも何を口走っているか、ちょっともう意味がわからないわ)
こめかみを押さえそうになる手を、もう片方の手で阻止する。
ここで計画を悟られてはいけないからだ。
コートニーは、フレデリックに笑顔を向け「これ以上の指摘は結構」と暗に伝える。
「フレデリック、コートニーがあなたを正式に兄として認めたのだから、喜びなさい。ねぇそうでしょう、あなた?」
ソフィアが父に、猫撫で声で同意を求める。
「……あ、あぁそうだな。色々とすまなかった」
ウィリアムの青い瞳が、母譲りであるコートニーのグリーンの瞳をしっかりと捉えた。
(一体何に対して、すまなかったの?)
エリノアという正妻がいながら、ソフィアという愛人に腹違いの兄、フィリップを産ませたことだろうか。あるいは、それに飽き足らず、リリアという同い年の妹まで作らせたことだろうか。
(それとも、お母様が亡くなった後、喪が明けた途端、彼女たちをこの屋敷に引き入れたことかしら?)
胸の奥に渦巻く冷たい怒りを、コートニーは淑女の微笑みの下に沈めた。
今更、父の謝罪など何の得にもならない。むしろ、ウィリアムの僅かな「良心の呵責」こそが、彼女の脱走を確実にする最後のピースだった。
「お気になさらないで、お父様」
(産んでくれたことには感謝しているわ。……ただそれだけよ)
喉元まで出かかった本音は、潤んだ瞳の演技とともに「親子の情」へとすり替わる。
「早く行きましょう。今日は私、お父様のお役に立つ素敵なお相手を頑張って探す事にするわ」
自分が放置される事を何より嫌うリリア。彼女は類まれなる野生の勘で、コートニーとウィリアムの間に流れる家族らしい雰囲気を感じ取ったようだ。
「だからお父様、エスコートをお願いね」
リリアは、コートニーとウィリアムが交わす視線を遮るかのように間に立ち、黒いフロックコートに包まれた腕を取る。
「まぁ、リリア。お父様のお相手は私なのよ」
リリアのご機嫌が直り、浮かれた様子のソフィア。
目の前で繰り広げられる、馬鹿みたいな家族ごっこ。いつもはうんざりして気持ち悪く感じるそれも、今日で見納めだと思うと、何とも言えぬ物悲しいような、どこか寂しいような、コートニーは、そんな複雑な気持ちになった。
(人というのは、実にあやふやで……けれど可能性に満ちた、実に興味深い観測対象よね)
冷え切った気持ちで、目の前の家族ごっこに勤しむ三人を見つめる。
「お母様と私で、お父様の腕を片手ずつシェアすればいいのよ」
「まぁ、名案ね」
リリアとソフィアがそれぞれウィリアムの両腕に手を添えた。
コートニーの目の前で、彼の両腕はあっという間に二人の女性に占領されてしまう。
(もしここで私が「腕を組みたい」と口にしたら、お父様は一体どうするつもりなんだろう)
一瞬、そんな疑問が脳裏をよぎり、すぐに答えは放棄する。
この家を出ていく決意をしたコートニーには、いまさらウィリアムの腕なんて必要ない。
彼女はグイと顔をあげ、笑顔を顔に貼り付ける。
「みなさま、お気をつけて」
軽やかに告げた。
「では行ってくる」
最後にチラリとコートニーに視線を送り、ウィリアムは背を向けた。
「コートニー、君は僕を認めてないだろうけど。でも僕は勝ち気な君が妹で楽しかったし、これからも僕は君の兄だからな。覚えておけよ」
フレデリックがコートニーのおでこをピンと弾いた。
「いたっ!!」
本気のデコピンに、フレデリックから距離を取り、コートニーはおでこを押さえる。
「今まで君につれない態度を取られた、兄の仕返しだ」
「そんなの自業自得じゃない」
フレデリックはウィリアムそっくりの顔で微笑むと「君もな」と口にし、シルクハットを頭に乗せ外に向かって歩き出す。
コートニーは玄関のポーチに出て、馬車に乗り込む面々を静かに眺めた。
「あんなに大嫌いだったのに」
(……きっと、私が弱いだけ)
もっと清々とした気分になれるはずだったのに、どんよりとした気分がコートニーの心を覆っている。
でもだからって、一時の気の迷いでここに留まるという選択はない。
この場所からカモメのように飛び立つ準備は万端なのだから。
「さ、部屋に監禁されなくちゃね?」
部屋に鍵をかける役目を与えられた執事に対し、コートニーはニコリと微笑んだのであった。
◇✧◇✧◇✧◇
扉が閉まり、鍵の音が遠ざかる。
その足音が完全に消えたのを確認してから、
コートニーはゆっくりと息を吐いた。
(今だ)
彼女は、寝台の下に隠していた小さな鞄を引きずり出す。
中には、金貨、宝石、替えの服、数枚。
そして、フィデリア行き定期船の切符。
「……行ってきます」
誰に向けるでもなく呟き、窓を静かに開けた。その瞬間、外から夜風が流れ込んできた。
それは、檻の外――自由の匂いだった。




