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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第七章:契約婚約は、例外だらけ
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059 美しい嘘を、飼う人々

 午後の光が、王城の奥に設えられた小広間に柔らかく差し込んでいた。


 円卓の貴婦人――王妃を中心に、各家を代表する貴婦人たちが集うこの場は、表向きは慈善と社交のための集まりだ。けれど、その実態が「王国の調停者」であることを、コートニーはすでに知っている。


 中央に据えられた円卓は、磨き上げられた白磁の茶器と、宝石のように彩られた菓子で埋め尽くされている。しかし、その優雅な光景とは裏腹に、コートニーを取り囲む視線には鋭利な知性と、底知れない好奇心が混ざり合っていた。


(……執務室で部下の方たちに冷やかされる方が、まだ「可愛いもの」だったわ)


 コートニーは背筋をぴんと伸ばし、扇子を手に持つ王妃の隣で、借りてきた猫のように淑女の微笑みを浮かべている。


「コートニー。新聞の連載、皆で楽しみに読ませていただいておりますのよ」


 王妃エローズが、琥珀色の紅茶を一口含んだ後で、穏やかに、だが逃げ場を許さない響きで切り出した。


「ステアにあのような情熱的な一面があるなんて、母であるわたくしも知りませんでしたわ。特に、彼が貴女の髪を掬い上げ、『この輝きを誰にも触れさせたくない』と囁く場面……。あの子、本当にあんなことを口にするの?」


(言うわけないじゃないですか、あの意地悪な猟犬が……)


 コートニーは心で激しく首を振る。しかし、表向きは頬を微かに染め、困ったように視線を伏せた。


「……殿下は、その……私と二人きりの時にだけ、時折、私を惑わすようなことを仰るのです。あまりに情熱的すぎて、思い出しては、こうして顔が熱くなってしまいますわ」


「あらあら、まあ!」


 周囲の貴婦人たちから、一斉に扇で口元を隠すような歓声が上がる。


(そうよ、これでいいの。私が恥じらえば恥じらうほど、ステア殿下の「愛」が真実味を帯びるんだから……)


 自分に言い聞かせる度に、胸の奥に、小さな棘が刺さる。


「では、あのエピソードも本当なのですか? 殿下が貴女を壁に追い込み、逃げ道を塞いで愛を乞うたというのは……」


 別の貴婦人が身を乗り出して尋ねる。それはまさに、今朝執務室でステア本人が「脚色しろ」と命じてきた「官能的な出会い」のシーンだった。


 実際は、身なりの怪しい娼婦と疑われ、駅の雑踏の中で腕を捻り上げられ、あろうことか警察署の取調室へ連行されたという、ロマンスの欠片もない最悪の出会いだ。


(本当のことを言ったら、ここにいる皆様、卒倒なさるわよね)


「……ええ。あの時、殿下の手が壁を叩いた音と、耳元で囁かれた熱い吐息は、今も忘れられませんわ」


 コートニーは、自分でも驚くほど滑らかに「嘘」を紡いだ。取調室の硬い椅子の感触を、ステアが壁に手をついた衝撃に脳内で変換し、彼の意地悪な尋問の声を、官能的な囁きへと塗りつぶしていく。


「あの方の瞳があまりに真剣でしたので、私、呼吸をするのも忘れてしまいそうで」


 言いながら、コートニーは羞恥で熱くなった頬を手の平で包んだ。これは演技ではない。あまりに恥知らずな嘘を吐いている自分への、罪悪感が籠もるリアルな発熱だ。


「まあ、殿下がそんなにも強引に……!」


「小さな坊やも、立派に恋する青年になったのねぇ」


「冷徹な『法の猟犬』をそこまで狂わせるなんて、コートニー様、あなたは罪な女性ですわ」


 貴婦人たちの興奮は最高潮に達し、小広間には華やかな笑い声と扇子の触れ合う音が満ちた。


(私、みなさまを騙しているのよね……)


 切り裂き魔の恐怖を覆い隠すため。

 王国を落ち着かせるため。


 そう自分に言い聞かせてはいるが、みんなの前で微笑むたび、罪悪感がじわりと滲む。


「そう言えば、最近の新聞、ずいぶんと華やかですこと」


 柔らかな物腰の侯爵夫人が、目を細めて新聞の切り抜きを取り出した。


「これですわ。殿下が貴女の手をとり、まるで宝物のように口づけを落とす場面を描いた挿絵。わたくしたち、この絵を見るだけでその日の活力が湧いてきますの。ねえ、皆様?」


「ええ、本当に。暗いニュースばかりの昨今、お二人の愛の物語だけが唯一の救いですわ」


 貴婦人たちが次々に頷き、コートニーへと羨望と慈愛に満ちた眼差しを向ける。


(……この方たちは、少なからず、救われているんだわ)


 コートニーは、差し出された挿絵に描かれた自分とステアを見つめた。そこに描かれているのは、平和の象徴としての「幸福な二人」だ。 彼女が紡ぐ嘘は、単なる欺瞞ではなく、恐怖に震える人々に与えられる「安らぎ」という名の薬になっている。


(でも……)


 嘘を重ねていくことに慣れていく自分が、少しだけ怖かった。


 最初は身を守るため、次は任務のため。けれど今、貴婦人たちの前で淀みなく愛の言葉を捏造している自分は、まるで精巧に作られた自動人形のようだ。


「続きが待ちきれなくて、朝が楽しみになってしまいました」


「分かります。あんなにも誠実で、一途な想い……まるで理想そのものですもの」


 次々と寄せられる好意的な言葉。


 コートニーは淑女の仮面を崩さぬよう、ゆっくりと微笑んだ。


「恐れ入ります……。皆さまにそう言っていただけるのは、光栄ですわ」


(……光栄、だなんて)


 その裏で、彼女は自分の胸に問いかける。


(この理想は、嘘で塗り固めた張りぼてなのに)


 円卓の貴婦人たちは、善意の人々だ。

 困窮者を助け、孤児院に寄付をし、時には、誰にも知られぬ形で争いを鎮める。


 そんな人たちに、自分は偽りの愛を売っている。


 その事実が、どうしても引っかかっていた。


「……少し、お疲れのようですね」


 ふいに、低く落ち着いた声がした。


 視線を向けると、そこにはサラがいた。


 この円卓の中で、もっとも鋭敏な観察眼を持つと言われている女性。さらにコートニーには、舞踏会で救ってもらった恩があるため、もはや目指すべき淑女の鏡として、憧れの人に位置している。


 彼女は優雅に茶器を置くと、穏やかな、けれどすべてを見透かすような瞳でコートニーを見つめた。


「いえ、そんな……」


 咄嗟に否定するが、サラは微笑みを崩さない。


「最近は、注目を一身に集めていらっしゃるもの。無理もありませんわ」


 その言葉は優しい。

 けれど、どこか測るような響きがあった。


(……気のせい、よね)


 コートニーは自分に言い聞かせる。


 彼女は、理知的で、冷静で、誰かを追い詰めない人。まさに貴婦人の円卓に名を連ねるにふさわしい、慈愛と理性を兼ね備えた女性だ。


「コートニー様。あまりに『完璧な恋物語』は、時に語り手自身を追い詰めてしまうものです」


(……っ!)


 コートニーの心臓が、跳ねるように脈打つ。 サラの問いには、彼女を追及するような冷たさはなかった。むしろ、無理をしている少女を案じるような、静かな慈愛が宿っている。


「それは……その……」


「いいのよ、答えなくて。ただ、貴女がその『物語』の重みで、いつか折れてしまわないか。それだけが心配なの」


 サラはそう言って、コートニーの震える指先に自分の手をそっと重ねた。その体温の温かさが、嘘をつき続けて強張っていた彼女の心を、不意に解いていく。


「それにしても……」


 サラは、ゆっくりと続けた。


「物語というのは、不思議ですわね。人の心を、こんなにも容易く安心させてしまう」


 コートニーの指先が、わずかに強張る。


「……安心、ですか?」


「ええ。恐怖があった場所に、甘い物語が差し込まれると、人は、それを真実だと信じたくなるものですから」


 サラの瞳は、穏やかでありながら底が知れない。彼女はコートニーを責めているのではなく、ただこの「劇」の構造を、客観的に楽しんでいるかのようでもあった。


(……この方、気づいているのかしら)


 コートニーは喉の奥が乾くのを感じた。


「……そうかも知れません」


 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。


「サラ、あなたは相変わらず表現が鋭いこと」


 王妃が、穏やかに口を挟む。


「ですが、物語が人を救うこともありますわ。今の王国には、必要な光ですもの」


 その視線が、ふとコートニーへと向けられる。


 優しく、慈しむようで、けれど、すべてを見透かしているような瞳。


(……これって)


 コートニーは、確信に近い感覚を覚えた。


(王妃殿下は、気づいていらっしゃる)


 これは、仮初めだと。

 必要に迫られた演出なのだと。


 それでも、何も言わないし、責めもしない。


 ただ、この場を保つために、あえて真実を問いたださない。


(……嘘を知った上で受け入れていらっしゃるのね)


 胸の奥が、少しだけ締め付けられた。


 サラは、再びコートニーに視線を戻す。


「続きを、楽しみにしておりますわ」


 その微笑みは、完璧だった。


 サラはまるで――。


(物語の裏側まで、楽しんでいるみたい)


 それは単なる好奇心ではない。まるで劇場の最前列に陣取り、演者の足取りがもつれる瞬間さえも演出の一部として鑑賞しているかのような、残酷なまでに洗練された眼差し。


(そっか。妃殿下もサラ様も……みんな分かっていながら、この嘘を「飼って」いるのね)


 切り裂き魔という制御不能な闇に対抗するために、あえて自分たちの手で制御可能な「美しい嘘」を育て、慈しんでいる。その歪な構造の中に、今の自分とステアは閉じ込められているのだ。


「……はい。期待を裏切らないよう、精一杯努めます」


 コートニーは、自分でも驚くほど静かに、そして完璧な淑女の礼を返した。王妃の沈黙も、サラの含みのある微笑みも、すべて飲み込む覚悟がいつの間にか決まっていた。


 お茶会が終わった後、夕暮れ時の回廊を歩くコートニーの耳には、自分のドレスが床を擦る音だけが空虚に響く。窓から差し込む斜光が、石畳に彼女の影を長く引き延ばし、その輪郭はどこか別人のように見えた。


(救いになるなら、偽物でもいい……。そうね、それがこの国の「平和」の作り方なのかも知れないけど)


 コートニーは、ふと立ち止まり、窓の外に広がる王都の街並みを見下ろした。


(もし、この光が強ければ強いほど、誰かをもっと深い闇へ導いているとしたら?)


 その疑念は、一度芽生えると毒草のように彼女の胸に根を張った。


 人々がこの「偽りの恋」という甘い夢に酔いしれ、現実の恐怖から目を逸らせば逸らすほど、いざ魔法が解けた時の反動は計り知れない。 期待が大きければ、裏切られた時の絶望も深い。自分がペンを走らせるたびに、王国の希望の総量を無理やり引き上げ、同時にその裏側にある「絶望の貯金」を増やしているのではないか。


(私は、平和を築いているの? それとも、いつか爆発する巨大な嘘の塊を膨らませているだけなの?)


 その問いに、答えを出せる者は、まだいない。


 ――少なくとも、円卓の上では。


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