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捕まるまでが、逃亡です  作者: 月食ぱんな
第七章:契約婚約は、例外だらけ
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052 仮面の婚約披露と悪魔な王子の策略1

「ステア殿下とコンラッド伯爵家令嬢コートニー嬢のご婚約、誠におめでとうございます!」


 舞踏会場に響き渡る祝福の声に、コートニーは引きつった笑顔を浮かべるのが精一杯だった。


 新聞各紙は朝刊一面で二人の婚約を報じている。


『相思相愛の理想的カップル』、『次期国王妃にふさわしい聡明な令嬢』——華やかな見出しが踊る紙面を見たとき、コートニーは現実感を失いそうになった。


 これは全て嘘だ。密約による、期限付きの「仮初めの婚約」に過ぎない。それなのに、事態はあまりにも大きく膨れ上がっていた。


 国王夫妻を初めとするクラスコー王国全体が祝福の嵐に吹き荒れる。


 二人の婚約を祝う、盛大な予算を割いた舞踏会に参加するのは、王宮の大広間を埋め尽くす貴族たち。


 シャンデリアの煌めき。

 絶え間なく運ばれるシャンパンと祝辞。


 そして、自分たち二人に注がれる無数の視線。


(どうしてこんなことに……)


 コートニーの胸中で、後悔と不安が渦を巻く。


「……コートニー様、なんて神々しいのでしょう。あのように控えめに微笑まれる姿は、まさに我が国の宝ですわ」


 遠巻きに眺める令嬢たちの溜息混じりの称賛が、地獄耳なコートニーの鼓膜に届く。


(違うの、それは愛想笑いの限界値を超えて、顔の筋肉が硬直してるだけです!)


 本来の彼女なら、今すぐこの窮屈なコルセットを放り出し、会場の隅にある歴史的な装飾について語り倒したいところだ。たとえば、あの大広間の天井に描かれたフレスコ画。あれは三百年前に失われたはずの顔料が使われている可能性が高い。


 一度気になれば、確認したくてウズウズするのが彼女の性分である。


(ああ、近くで見たい! あ、あの銀食器の裏側の刻印、絶対に『1704』って彫ってあるはずだわ……!)


 知識の塊である彼女の脳内は、今や祝福の言葉よりも、王城の調度品に対する解析データで埋め尽くされようとしていた。思わず、給仕の持つトレイを追いかけて首が動きそうになる。


「……コートニー嬢」


 低い声が、彼女の理性を現実に引き戻す。


 ステアの手が、逃がさないと言わんばかりに腰に力を込める。


「今は銀食器の鑑定をしている場合じゃない。君は今、『殿下の愛を一身に受けて、他には何も目に入らない可憐な婚約者』を演じている最中だ」


「なっ……どうして私が銀食器のことを考えてるって……」


「目を見ればわかる。君が好奇心に溢れた顔をしている時は、決まって碌なことを企んでいない」


 ステアは呆れたように吐息をつくと、わざとらしく彼女の頬に手を添えた。周囲からは、見つめ合う熱い抱擁の前段階に見えるだろう。


「いいか、今の君は『慎ましやか』の代名詞だ。間違ってもテーブルクロスを捲り上げて家具の脚を調べたり、大臣のハゲ頭の歴史について講釈を垂れたりするなよ」


「しません! ……たぶん」


「『たぶん』はやめろ」


 ステアの冷ややかな、けれどどこか楽しげな瞳に見透かされ、コートニーは頬を膨らませる。 周囲の貴族たちは、そのやり取りを「愛の睦言」と勘違いし、いっそう熱烈な拍手を送ってくる。


(ああ、もう……! 早くこの茶番を終わらせて! あ、近衛兵が腰に下げている、あの剣の形は!)


 社交界の華として祭り上げられる苦痛と、溢れ出す好奇心との板挟みになりながら、コートニーは再び「お飾りの令嬢」の仮面を必死に貼り付ける。


「慣れてくれ。君は私の婚約者なのだから」


 ステアの声は穏やかだったが、有無を言わさぬ響きがあった。彼は相変わらず余裕の表情を崩さず、まるで全てが計算通りだとでも言いたげだった。


(この人、本当に緊張というものを知らないのだろうか……)


 コートニーが内心で悪態をついていると、楽団が新たな曲の演奏を始めた。


「さあ、踊るぞ。今日の主役は私たちなのだからな」


 ステアがコートニーの手を取り、ダンスホールの中央へとエスコートする。周囲から拍手が起こり、貴族たちが二人のために場所を空けていく。


 優雅な旋律がホールを満たす中、コートニーはステアの手に導かれ、吸い込まれるようにフロアの中央へと足を踏み入れた。


 何百という好奇の視線が、鋭い針のように肌を刺す。


(落ち着いて。これはただの運動。物理法則に従って足を動かすだけの、極めて論理的な動作のはず)


 自分に言い聞かせるが、ステアの手が腰に添えられた瞬間、その熱に思考がショートしかける。


「……右足からだ。物理法則を気にする前に、私の靴を踏まない努力をしてくれ」


「っ! 思考を読まないでください!」


 小声で抗議しながら、コートニーは必死にステップを刻み始めた。

 普段の快活な彼女なら軽やかにこなせるはずのワルツ。しかし、今日の彼女は「慎ましやかな伯爵令嬢」という重い仮面を被り、さらにステアの整いすぎた顔が至近距離にあるという異常事態に置かれている。


「……見ろ。君が緊張でガチガチになっているせいで、周囲は『殿下への愛に気圧されて震える可憐な乙女』だと勘違いして、感動の涙を流しているぞ」


「……この状況で、よくそんな皮肉が出てきますね」


 コートニーは引きつった笑みのまま、ステアの肩越しに周囲を盗み見た。確かに、年配の夫人たちがハンカチを跳ねさせ、「なんて初々しい……」と、とろけるような視線を送っている。


(あぁ、もう取り返しがつかない……)


 後悔の嵐に襲われるコートニーと対照的に、ステアのリードは完璧だった。 彼女が緊張でバランスを崩しそうになると、強引なほど力強く、けれど周囲からは優しく抱き寄せているように見える絶妙な力加減で、彼女の体を支える。


「ほら、もっと私を見ろ。視線を逸らすと、不仲説を流したい不届き者が喜ぶ」


「これ以上見たら、心臓が口から飛び出します。……あ、今の表現は比喩ですよ? 実際に臓器が飛び出すことは……」


「わかっているから、医学的な解説を始めるな。今はただ、私に恋をしているフリをしろ」


 ステアの顔が、さらに数センチ近づいた。 彼の銀髪がコートニーの額に触れ、彼特有の清涼な香りが鼻腔をくすぐる。その瞬間、コートニーの脳内にある膨大な「知識のアーカイブ」がガラガラと崩れ落ち、真っ白な空白に塗りつぶされた。


「……ずるいです、殿下」


「何がだ?」


「殿下は、全部お芝居だって分かってて、楽しんでるでしょう」


 悔しさから少しだけ潤んだ瞳でステアを睨みつけると、彼は一瞬だけ、演技ではない本物の、悪戯っぽくも柔らかな笑みを浮かべた。


「さて、どうかな。君のお得意な、あざとい笑顔が剥がれてきてるぞ」


「もはやこれは、虐めとしか思えないんですけど」


「君は虐められるのが、得意なようだからね」


 ステアはケロリとした表情で返してくる。


 コートニーは、嫌味の一つも返せないまま、ステップを踏む足元に神経を集中させた途端。


「私の足を踏まないでくれると、有難いんだが」


「……申し訳ありません」


 緊張のあまり、頭が混乱して思うように踊れない。 もう、こうなったら完璧は捨てて、とりあえず無難に誤魔化すしかない。

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