051 逃げ場を塞ぐ契約
「そんな風に笑うなんて失礼ですわ! 折角協力しようと思いましたのに」
「ごめん。だが、そんなことを大真面目に聞かれても答えようがない。……君が心配しているのは、要するに『契約期間』のことだろう?」
「そうです。わたくしは、絶対にヒスコック伯爵家には戻りたくありません」
「分かっているよ。君の主張は一貫して最初からそれだもんな」
ステアは前かがみになり、膝の間で手を組んだ。
「……君はどうしたいんだ?」
「それは……厚かましいお願いですけれど、できれば王城で働きたいです」
「私の部下として、か?」
「はい」
(だって、ちゃんと試験も受けたし。まあ、勝手に辞表も出したけれど……)
コートニーは、過去の身勝手な振る舞いを棚に上げ、期待に満ちた目でステアを見つめた。
「君の辞表はまだ私の手元にある。だから、君を私の部下として扱うことは可能だ」
「是非ともお願いします! できれば私がフィデリア国に高飛びできる日まで、その、王城の独身寮にいたいのですが……」
「だったら、契約期間は君が勝手に決めていいよ」
「えっ、いいのですか?」
「私としては、婚約者がいた方が何かと都合がいいことが多いからね」
「例えば、どのような?」
そうだな、とステアは考える素振りをして、なぜか皿に乗ったクッキーを一つ手に取った。
「あ、それ一番美味しいやつ……」
ステア殿下が手を伸ばしたココアとバターの格子柄クッキーを見て、コートニーは思わず声を上げた。何しろ彼女の大好物なのだ。
「確かに美味しいよね、これ。君もどうぞ」
ステアはコートニーが取りやすいよう、さりげなく皿を回してくれた。
彼女は遠慮なく一枚をトングで摘み、自らの皿へと移す。半分に割って口に運べば、サクサクとした食感とともに濃厚なバターの風味が広がり、じんわりとした甘さが心を満たしていく。 糖分が体に染み渡る瞬間は、まさに至福のひとときだ。
「……おいしい」
「ああ、たまにはいいものだな」
「はい」
二人の間に、まるで老夫婦が日向ぼっこでもしているような、まったりとした時間が流れる。
コートニーは、ふと我に返った。
「あ、そうだ。殿下に婚約者がいる利点について、まだ答えをいただいていません」
紅茶を口に運んでいたステアに、彼女は問いを再開した。
「そうだな。まずは年配の重鎮たちから『義務を果たしていない』と白い目で見られずに済む。それから、さっき言った通り夜会への参加義務が減るし、それに付随して不特定多数の令嬢と踊らなくて済む。あとは……私たちの婚約発表によって、わずかに景気が上向くかもしれないし、国民全体の婚姻率も上がるかもしれない。あとは……」
次々と並べられる利点とやらに、コートニーは半ば呆れながらも納得せざるを得なかった。
「理解いたしました。ステア殿下の『婚約特需』は、凄まじいものなのですね」
「まあね、私は王子だから」
おどけた顔で告げるステアを見て、コートニーは驚きを禁じ得ない。
舞踏会でニコニコと愛想を振りまく笑顔の裏で、まさかこれほどまでに不満を溜め込んでいたとは。
「……後半に言った部分は、あくまで皆が喜んでくれればの話だがね」
「なるほど」
「現在、一向に解決しない切り裂き魔事件のせいで、国民の不満は政府に……つまり、私たち王族に向いている。だから『こんな時に婚約だなんて不謹慎だ』と、逆に反感を買う可能性もある」
ステアは声のトーンを落とし、真剣な眼差しで告げた。
「だったら、わざわざ今婚約しなくてもよろしいのではありませんか?」
火に油を注ぐ恐れがあるのなら、リスクを冒してまで進めるべきではない。
コートニーは至極真っ当な主張をぶつけてみた。
「そうだね。しかし婚約すれば、少なくとも夜の公務を減らすことができる。その分、街を巡回できるんだ。犯行時刻近くにイースト地区を歩けば、犯人がどうやって被害者を物色しているのか、その実態を掴めるかもしれない」
「えっ、殿下自ら見回りをするおつもりですか?」
コートニーは耳を疑った。さすがにそれは不味いのではないだろうか。
ステアは、自身も認める通りこの国のれっきとした王子だ。その生命の価値は、自分を含め、ほとんどの人間より尊いに決まっている。
「もしかして、心配してくれるの?」
ステアは驚くコートニーの瞳をじっと見つめてきた。
(……さては、私が恥ずかしがるのを待って、からかうつもりね?)
「もちろんですわ」
コートニーはそこで、わざとらしく言葉を切った。
「だって今日から殿下は、私の『婚約者』なのでしょう?」
生意気に見えるよう、挑発的に口元を綻ばせてみせる。そんなコートニーの反応を見たステアは、唇からふっと息を漏らした。
「……君には参ったな。私の負けだ」
ステアは上品に微笑むと、あっさりと白旗を上げた。あまりにも潔い降参に、コートニーは少し肩透かしを食らった気分になる。
「君が私の提案を受け入れてくれて嬉しいよ。だが、どうぞお手柔らかに頼む」
「それは殿下次第ですわ。私たちは普通の婚約者ではないのですから」
最初が肝心とばかりに、コートニーは念を押した。 二人に心の繋がりはない。
お互いが抱える問題を解決したとき、解消されることが決定している「同盟」だ。しかもその同盟は、無傷では解消できそうもない代物。けれど、二人とも評判に傷を負うことを覚悟の上で、現状を打破するために前向きな気持ちで手を組んだ。
(これは、ある意味での『任務』だわ。そして任務とあらば、完璧に遂行しなくては)
強い決意を胸に、コートニーは改めて今回の提案を飲むことにした。
「いいですか、殿下。これは『任務』です」
大真面目な態度で告げると、ステアは少し意外そうに目を細めた。
「私次第な上に任務、ねぇ。そこまで真面目にやってくれなくても大丈夫なのだが?」
「ダメです。真面目にやらないと周囲に見破られて、『結婚を冒涜した』と、さらに私たちの悪評が立ちかねませから」
身を乗り出し、コートニーは本気で訴えた。
「ふむ。では先ずは専門家を集め君についてプロファイリングし直さないと」
「え、プロファイリングですか?」
「そう。君には逃亡癖があるからね」
ステアは早速、彼女に反撃を開始する。
(全く、殿下次第だと言ったばかりなのに)
コートニーは肩を落とし、前途多難だとため息が出そうになった。
「あ、それと。私と契約している間に限るけれど、もし君が逃げたいと思った場合は、必ず事前に『逃亡予定表』を提出してくれよ?」
「……出来れば逃亡しないで済むように、殿下が存分に私をプロファイリングして、逃げ出す隙も与えないでください」
「了解した」
ステアは軽い口調でそう言うと、どこか満足げに紅茶を口に運んだ。
(……本当に、これで良かったのかしら)
「契約変更は認めかねるから、よろしく」
逃さぬと言わんばかりのその笑顔に、コートニーの胸は小さくざわついた。




