005 逃げると決めた令嬢
コートニーは相変わらず屋敷に監禁され、夜会に参加する事も許されていない。
けれど「家を出て、隣国フィデリアへ向かう」という目標を見つけた彼女は、すでに結婚にも夜会に対しても、綺麗さっぱり興味を失っていた。
半ば強制的に参加させられた家族の団らん。
屋敷のサロンにおいて、コートニーは新聞を読むふりをしながら、敵の動向を伺っていた。
「お母様、また殿下は私と踊って下さらなかったわ」
刺繍枠を膝に置いたリリアは、先程から「ステア殿下」を主語に延々と愚痴をこぼしていた。
(ふーん、上手く行ってないんだ)
コートニーはソファーに座り、新聞で顔を隠しながらニヤリと笑う。
「リリア、あなたのドレスが子供っぽすぎるのがいけないんじゃないかしら?」
「全部お母様が見立てたものじゃない」
「……わかったわ。デビュタントの年は大事だもの。とにかく新しいドレスを早急に作りましょう」
リリアの愚痴に付き合うのが面倒臭くなったのか、ソフィアは新たな約束を娘と結ぶ。
「ありがとうお母様、大好き」
リリアは満面の笑みをソフィアに向けた。
サロンで繰り広げられる、薄っぺらい親子の茶番劇に、コートニーは密かに冷笑する。
(絶対、ドレスのせいじゃないわ)
きっとリリアの腹黒な性格に、ステアが気付いただけだろう。
(今ごろ、厄介そうな子を嗅ぎ分けるセンサーが働いたところで遅いわよ、殿下)
言葉にしたら不敬確実。ステアに対し皮肉めいた思いを心で存分に吐き出す。
正直コートニーは、リリアの「自分にわざとワインをかけた」という不祥事をあっさり不問としたステアの采配に、底知れない軽蔑と同時に、ある種の「呆れ」を感じていた。
さらに、フィデリア国へ逃亡することを決めたコートニーからすれば、クラスコー王国への未練も忠誠心も霧の彼方に綺麗さっぱり消えているという状態だ。
(真実を追求する『法の猟犬』様が、結局は騒ぎを大きくしたくないばかりに、捜査もせず妥協を選んだ。……期待外れもいいところだわ。こんなんじゃ、一生切り裂き魔を捕まえるなんて無理ね)
新聞の陰で、コートニーは冷ややかに口角を上げる。
「コートニー、ドレスのせいじゃないって、リリアに教えてやれよ」
隣に座るフレデリックが、小声で囁く。
「いいえ。あの二人の言う通りだわ。きっとドレスの趣味が悪いのよ」
「そうか?」
「ええ、流行りは一瞬にして変わるものなんだから。それに、意中の相手を本気でどうこうしたいと思うなら、ステア殿下の趣味を先ずはリサーチすべきだと思うわ」
「それで殿下が騙されるとは思わないが」
「あら、フレデリックだって性格云々の前に、まずは見た目で女性を選ぶでしょう?」
「それは自然現象だろ」
「つまりそういうことよ」
それっぽい事を口にし、フレデリックを無理やり納得させる。
着飾る事で離れゆくステアを引き止める事が可能だと、愚かにも信じるソフィアとリリア。そんな二人は、明日にでも新たなドレスをオーダーするために屋敷を開けてくれるに違いない。
ついでに父ウィリアムとフレデリックが王都にある「紳士クラブ・ホワイト」に出向けば、このタウンハウスは主人不在となり、も抜けの殻と化す。
つまりコートニーが部屋にこもって何をしようと、干渉してくる家族も使用人もいなくなるというわけだ。
「お姉様、何をさっきからニヤニヤしているの? 気持ち悪いわ」
リリアの尖った声が飛んでくる。彼女はソフィアとドレスの色について会話をしている最中でも、コートニーへの監視を怠らないらしい。
「あら、ごめんなさい。この記事が面白くて」
コートニーは新聞を少し下げ、リリアに穏やかな笑みを向けた。
「近隣諸国への『亡命』や『密航』が増えているという記事よ。女性に不自由な国に嫌気がさした人たちが、自由を求めて海を渡るんですって。……素敵だと思わない?」
「ふん、そんなの卑怯者のすることよ。家名から逃げるなんて貴族の恥だわ。お姉様、変な憧れを持たないでね? あなたはもうすぐ、アップルビー卿かテニソン卿のどちらかに『お嫁に行く』んだから」
リリアが勝ち誇ったように言い放つ。 その横で、ソフィアも満足げに頷き、紅茶に角砂糖を二つ落とした。
「そうよ、コートニー。もうすぐ準備が整うわ。あなたを送り出した後、リリアと殿下の正式な婚約発表があるはずよ。……私たちの邪魔だけはしないで頂戴ね」
(ええ、邪魔なんてしないわ。……あなたたちの前から、私の存在そのものを消してあげるから)
コートニーは再び新聞を顔の前に掲げた。
視線の先にあるのは、フィデリア行きの定期船の時刻表。
あとは、どうやってこの「番犬」たちの目をくぐり抜けるか。
(殿下、あなたがリリアを庇ってくれたおかげで、私にはこの家を捨てる『大義名分』ができたわ。……感謝して差し上げるべきかしら?)
新聞紙に顔を隠し、コートニーは不敵に微笑んだ。
◇✧◇✧◇✧◇
サロンで上記のやりとりがあった翌日。
「屋敷から出ては駄目よ。あなたは早くお相手を真剣に選びなさい」
新たな婚約者候補の手紙と写真を押し付けたソフィアは、リリアと屋敷を後にした。
程なくして父とフレデリックも紳士クラブホワイトに出かけ、コートニーは一人屋敷に取り残された。
「お嬢様、部屋に鍵をかけておくようにと言われておりますので」
領地にあるカントリーハウスならともかく、シーズン中に滞在するタウンハウスには、コートニーにとって気心知れた使用人や侍女はいない。ソフィアの息がかかる者達ばかりだ。
「わかったわ。今日こそ真剣に結婚相手を選ぶ事にするわ」
コートニーは適当に返事をし、自室に閉じ込められる状況を受け入れる。
邪魔者を排除した静かな部屋で机に向かい、鍵付きの引き出しに隠してある日記帳を取り出す。
椅子に腰を下ろしノートを広げた。
「目指すは、マイケルお祖父様の所ってことは決まったけど」
自分で作成した逃亡計画書に、力強く書き記した文字を眺める。
『逃走計画書:プロジェクト・フィデリア』
忌々しい環境から確実に逃げきるために、コートニーはフィデリア国に住まう祖父母の元に向かう事をすでに決めている。
「どうせ新しい生活を始めるにしても、最初から一人で全て完璧に、なんてきっと無理だもの」
現実問題として伯爵令嬢として育てられたコートニーは、今後一人暮らしをするにも、どうやったら部屋を借りれるか。その方法すらわからないという情けない状態だ。
「これは、貴族籍であることに甘んじて生きてきた罪ね」
世間知らずな自分を恥じ、これからは知識に対し貪欲になろうと密かに誓う。
「お金の問題だってそうだし」
フィデリア国への出立にあたり、コートニーは母エリノアから譲り受けた遺産管理の帳簿を見直した。
その結果、ドレス代やらお茶菓子代、それに本代など、今まで何気なく購入していた物の代金を細かく見直し、物の値段を把握する事に時間を費やした。
「それにしても「お品物代」という但し書きの領収書は信用ならないわ。これからはきちんと明細をもらわなくちゃ」
今までは、いちいち確認するのはみっともないことだと教えられ、業者から言われた金額の小切手を切り、領収書を受け取って満足していた。
けれど今回の家出にあたり帳簿を詳しく見直したところ、「お品代」だの「夜会準備代」だの一見すると何を購入したのか、内容がさっぱりわからないものが多く存在した。
「細かく言うのは、確かにみっともないけど。それでもこれからはシビアにならざるを得ないし」
コートニーは商人のごとく、自分の財産をしっかり管理する事を改めて誓う。
「えーと、逃走資金に充てられるのは……」
現状コツコツと銀行から持ち出し、クローゼットの中に貯めておいたお金。それから、母から譲り受けたり、父から買い与えられた宝石類。それら全てを持ち出せば、フィデリア国でも当面の間は、祖父に頼り切ることなく、何とか生活出来るはずだ。
「問題は、向こうでどうやって生きていくかだけど」
日々生きるためにお金を消費すればその分財産は減っていく。だからまずは、増やす方法を考えなければいけない。
「つまり何かしら労働をしなくちゃいけないってこと」
コートニーは日記帳に「労働」と書き込み、その文字の下に二重の線を引く。
(私は、一体何が出来るのかしら?)
鼻の下に鉛筆を挟み、思考を巡らせる。
しかしすぐに、肩を落とす結果になった。
コートニーは剣の腕がいいわけでも、料理が得意な訳でもない。強いて言えば淑女教育をそれなりに受けたくらいしか取り柄がないことに気付いたからだ。
「伯爵家の娘じゃなくなった私に価値なんてないってことね……」
悲しい事実に行き当たり、項垂れる。
「いいえ、私はちゃんと勉強していたじゃない」
バンと机を叩き、沈みかけた気持ちを、無理矢理消し去る。
貴族女性としての立ち振る舞いに刺繍。それにお客様のおもてなしの仕方、お茶の淹れ方など。社交界デビューで失敗したコートニーにとって無駄になったと思われる事も、その知識を欲しがる人はきっと何処かにいるはずだ。
「向こうで、お金もちなお屋敷の家庭教師に雇ってもらえたらいいのだけど」
(まずは、国外逃亡を成功させなくちゃ)
舞踏会で血濡れたような状態になり、病弱な娘設定が広まるクラスコー王国では、明るい未来は望めない。
(祖父母の元で私は第二の人生を送る)
コートニーに残された道は、どう考えてもそれしかなかった。




